456.合成魔獣
古来より存在する純血の魔族。
全長3メートルを超える体躯を持ち、分厚い筋肉を鎧のように纏っている魔族。鬼族。
鋭く伸びる牙や爪を持ち、蝙蝠のような翼で闇夜を駆け抜ける魔族。吸血鬼族。
どちらも人間を遥かに超える種族である事は疑いようもない。
マーカス・コスタは、それらの特性を受け継いだ手駒を生み出したい。
世界再生の民の。ファニルの無茶とも取れる要望に、見事に応えて見せた。
それが、合成魔獣。
人造鬼族と同じく人間の身体を基に、あらゆる生命の情報を埋め込んだ化物。
その中には鬼族や吸血鬼族だけではない。
これまで世界再生の民が造り出した、異常発達した魔物や黄龍族の情報が含まれる個体さえ存在している。
……*
「ふふ、いいわ。とてもいい……」
暴れ回る合成魔獣の姿を前にして、ファニルが恍惚の表情を浮かべる。
大きく翼を広げ、紅龍さえも圧倒する機動力を見せる合成魔獣。
鬼族の持つ筋肉の鎧が、陽光に弱い吸血鬼族の体質を護っていた。
尤も、本気を出せば紅龍は合成魔獣を凌ぐ速度で動けるかもしれない。
そう出来ない理由は、背に乗せられた騎士にある。龍族の全力に、人間の身体がついていけないのだ。
味方の身を案じた結果、反応が鈍る。合成魔獣はその隙に生じて、まずは文字通り背中に乗せられた人間から始末していく。
驚愕と憤怒の感情に囚われる紅龍だが、もう遅い。
既に合成魔獣に取りつかれているのだ。
膨れ上がった筋肉はそのまま凶器となり、力づくで紅龍の翼を折る。
鋭く伸びる爪や牙は、鱗を削いでいく。
砂漠の国との戦争で猛威を振るった龍騎士は、突如現れた化物によって劣勢を強いられていた。
合成魔獣の存在は生命を冒涜すると同時に、強大な力を世界再生の民へ齎す。
戦力もさることながら、邪神の顕現に備えマーカスはある細工を施している。
異常発達した魔物や、人造鬼族と言ったマーカスによって生み出された化物。
今までの作品と決定的に違う部分は、基となった人間の意識を完全に殺さない事だった。
世界再生の民を信奉する者達は、元よりこの世界に不満を持っている。
どうして、自分は報われないのか。どうして、他者ばかりが幸せになるのか。
他者より強く妬みや憤りと言った負の感情を持つ者達が、人の身を棄てるという苦しみを味わい続ける。
それは悪意を無制限に生み出しては、黒い球体と化している邪神へ悪意を送り込んでいく。
邪神の『核』を。悪意を集める器を、生み出した能力は伊達ではない。
マーカスもまた、形は違えど天才と呼ぶに相応しい人物だった。
「ああ、素敵よ。マーカス。もっと、もっと、もっと。邪神へ栄養を与えて頂戴。
愛する我が子にとっての障害を取り除いて頂戴。私からあの子を奪ったミスリアを、壊して頂戴」
高揚したファニルは、無意識のうちに己の喉を掻き毟っていた。
時間の経過と共に彼女の首に刻まれる爪痕が増えていく。
赤く引かれた線が何本も重ねられ、マーカスは固唾を呑んだ。
初期から世界再生の民に関わるマーカスでさえ、ファニルの存在は知らされていなかった。
否、ファニルが意図的にその存在を埋もれさせていたというべきだろうか。
ビルフレストの本当の母である彼女は、息子を愛するが故に己を滅していたのだ。
それは邪神を生み出す過程で、自分に羨望が集まらないようにする為でもあった。
あくまで集めたいのは悪意であり、世界を変えたいという醜い欲望。
その為に人智を越えた力を欲している以上、御輿となる存在が居ては意味がないと考えていた。
何より、息子の為でもあった。
魔術大国ミスリアにその名を轟かせる才子であるビルフレストが、実は五大貴族の血を引いていない。
そんな情報が万が一にでも漏れた暁には、計画が全て狂ってしまう。
ファニルが望む者は、息子の統治する新たな世界。
その望みを叶える為であれば、いくらでも己を滅する事が出来る。
だから彼女は裏方に徹し、不満を持つ者に悪意を抱き続けるよう誘導していた。
自らも邪神の信奉者であると、身を寄り添うようにして。
彼女は考えていた名前すら、息子へ与える機会を許されなかったのだ。
それに比べれば、息子の為に我慢をする事など造作もなかった。
「ファニル様、ご安心ください。
合成魔獣はこれまでの魔物とは出来が違います。
必ずや、ビルフレスト様の役に立って見せましょう」
彼女の執念に慄く一方で、マーカスは自信に満ち溢れていた。
ビルフレストやファニルが基礎を生み出した邪神と違い、合成魔獣は完全なるマーカス個人の研究成果。
多くの実験と犠牲を経て生み出した傑作は、この世界の食物連鎖に於いて頂点に立つだろう。
それだけの自信を彼は持っていた。
何より、彼が用意した手札は何も合成魔獣だけではない。
これまでの経験を活かし、新たな手駒を生み出していたのだ。
魔術大国ミスリアが『彼女』に翻弄される様を想像するだけで、マーカスは感情が昂っていくのを抑えられない。
「ええ、期待しているわ」
ファニルとて、マーカスの能力を今更疑ったりはしない。
黒い球体と化した邪神の『核』へ手を伸ばしながら、彼女は待ち望んだ。
邪神が羽化する瞬間を、彼女はマーカスと共に見守っていた。
……*
「くそっ! デカい図体の割にチョコマカと!」
合成魔獣が暴れる戦場へ先んじて到着していたフィアンマは、思わず声を荒げた。
多くの龍騎士が墜とされ、同胞を護るべく紅龍族の王は前線へと立つ。
だが、巨体を跳び回らせるだけの翼が厄介だった。
三日月島での戦いで翼を失ったフィアンマは、合成魔獣の立体的な動きにどうしても後れを取ってしまう。
炎の息吹で一掃出来ればよかったのだが、鬼族の持つ耐久性がそれを許さない。
他の紅龍も人間を乗せる事は諦め、龍族単体で合成魔獣との戦いへ望んでいる。
防衛線を張り直す事こそ出来たが、突破されるのは時間の問題だった。
「おい、龍族たち! もうちょっと、なんとかならないのかよ!?」
声を張り上げるのは、かつて世界再生の民に存在していた魔術師の男、ディダ。
彼は自分の知らない魔物の存在に驚く一方で、胃の中身が逆流するような不快感を覚えていた。
理由は明白で、襲い掛かってくる異質な風貌を持つ化物が原因だ。
鬼族の巨体が翼を持って飛び回る事自体が不気味だが、合成魔獣から絶えず聞こえてくる怨嗟の声が胸を締め付けるようだった。
この世の全てを呪うような啜り声は基が人間であると思わせるには十分で、ディダに血の気を引かせる。
それはもしかすると、自分もこの人間のようになっていたかもしれないという恐怖心が反映されていたのかもしれない。
「見習いに言われるまでなく、解っている! 文句を言う暇が在ったら、魔術を唱える準備をしろ!」
フィアンマとて、ディダに指摘されるまでもなく解っていた。
合成魔獣を突破させた分だけ、こちらの戦力は削がれていく。
一度身を引いて、戦況を立て直したい所のが本心だ。
それを許されないのは、世界再生の民が攻めて来た位置が関係している。
自分達の背後には、各国への転移装置が設置されている。
突破を許せば、世界中にこの悪意がばら撒かれてしまう。
多くの国でに被害が及ぶ状況を作る訳にはいかない。
知ってか知らずか、世界再生の民はミスリアの急所を突いていた。
「く……っそおおおお!」
大空へ火柱を上げながら、フィアンマは吠えた。
一体でも多くの合成魔獣を焼き払う。手の届く合成魔獣は、地面へと組み伏せる。
それでも、単独で合成魔獣と戦える個体は自分ぐらいしかいない。
防衛線を突破する個体は、否が応でも増えていく。
せめて後一人か二人、単独で合成魔獣とやり合える者がいれば。
歯痒さから奥歯を噛みしめた瞬間だった。
空気を極限まで押し固められた、透明で薄い刃が合成魔獣の翼を断つ。
刹那。解けた風から燃え盛る炎が生まれ、合成魔獣の身を焼き尽くす。
瞬く間にフィアンマを突破した化物達は、その身を灰へと変えていた。
「これは……」
フィアンマが思わず息を呑む。
こんな芸当が出来る者など、限られていく。
視線を流すとそこには、見知った二人の騎士が剣を構えていた。
「フィアンマ殿!」
「悪い、遅くなった!」
ミスリア騎士団の団長であり、黄龍王の神剣の継承者。ヴァレリア・エトワール。
同じく、紅龍王の神剣の継承者であるイルシオン・ステラリード。
二人の神剣を持つ者が、援軍として現れていた。
「遅いぞ、二人とも!」
「だから、悪いと言っているだろう!」
毒づきながらも、フィアンマはほっと胸を撫でおろした。
イルシオンとヴァレリアならば、戦力として申し分ない。
得体の知れない化物相手でも、防衛線を護り切れるだろうという安心感がある。
「これが新種の魔物か……」
ヴァレリアは黄龍王の神剣の切っ先を向けながら、止めどなく襲い掛かってくる合成魔獣を睨みつけていた。
ライラスどころではない筋肉質な身体と、とてもその巨躯を支えきれるとは思えない蝙蝠のような翼。
個体によっては、龍族ともとれるような鱗を纏っている者もいる。
あくまで主観ではあるが、ヴァレリアは吐き気を催す程に生物として異質だと感じていた。
「既に多くの騎士やボクの同胞がやられている。ほぼ三人で前線を護らないといけないが、やれるか?」
「というか、そうするしかないだろうな」
半ば吐き捨てるように、イルシオンが呟く。
ボロボロとなった龍族や騎士を前にして、ぐっと怒りを堪えた。
これ以上の犠牲は絶対に出させない。その為に、自分達が最前線を護る。
「お前たち、前線はアタシたちに任せろ。その代わり、バンバン魔術を用意してくれよ!」
フィアンマが紅龍族の同胞へ、魔術師を護るように促す。
一方でヴァレリアは、頼りにしていると後衛の魔術師へ激を飛ばした。
三本所持している神剣のうち、二本がこの場へと現れた。
得体のしれない化物相手でも、なんとかなるかもしれない。否が応でも、味方の士気は上がっていく。
まだ戦いは始まったばかり。
双方にとって、これからが本番だった。