4.捕らわれの魔女
「ん……っ」
地面に溜まった冷たい空気と、頬に伝わる床の感触でフェリーは目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こすが、なんだか頭が鈍く重たい。
(あれ? あたし、どうしたんだっけ……)
黴臭さや埃っぽさに気を取られて集中力が奪われながらも、何とか記憶を掘りそうとする。
まず目についたのは自分の装いだった。
普段身に着けている革製の胸当ても、動きやすいショートパンツもその身には纏われていない。
代わりに着ているのは濃紺のワンピース。ロングスカートで脚が取られて、走る事にも飛び回る事にも向いていなさそうだ。
そして、その上には白いエプロンが重ねられている。部屋の埃で多少汚れてしまってはいるが。
つまるところ、それはどう見ても給仕服だった。
自分の物では断じてない。こんな物を持っていても、旅に役立つ事はない。
だが、この服には見覚えがある。
(ええっと、たしか――)
まだ上手く回らない頭を精一杯回転させ、自分の身に起きた事を思い返す。
顎の出っ張った大男、ブルーゴ。それとキツネみたいな顔の男……ゴッドーだ。
二人を通して、日銭を稼ぐために館で掃除や雑用をする事になって……。
(そうだ、だからこんなカッコしているんだった)
そこまでは理解できた。
しかし、この状況がいまいち掴み切れていない。
フェリーはもう一段、深く記憶を呼び戻す事に集中した。
二人が旦那様と呼んでいた人に会わせてもらって、挨拶をした記憶がうっすらと蘇る。
マーカスと名乗るその男は、恰幅のいい中年だった。
気さくに話し掛けられ、どんな仕事をするか大まかに説明を受けていた。
掃除する範囲は広かったけれど、これだけ広い館なんだから当然ぐらいに思っていた。
それ以上に、お給金を弾んでもらえると聞いて心が飛び跳ねそうになったのを思い出した。
そこから先の記憶が、無い。
今居る場所が掃除する部屋のひとつなのかと考えたけれど、寝ている理由の説明にはならない。
そうなると、重要なのは自分の状況だった。
奪われた頰の温もりが戻り切っていないまま、周囲を見渡す。
石を切って敷き詰められたような、冷え切った空間。
窓は存在せず、陽の光も当たりようがない。
肌寒さや黴臭さも納得これによるものだろうと納得した。
そして、部屋の一面に差し込まれた鉄の棒。
「…………え?」
フェリーはもう一度それを凝視する。
眼前のものがそれである事を認めなくなかった。
人が通れない間隔で格子状なるように規則正しく並べられたそれは、彼女の熱視線を浴びようとその姿を変える事はない。
間違いなく、鉄格子であり牢屋だった。
「ちょっ! えっ? マジで!? なんで??」
思わず鉄格子を握り締めるが、びくともしない。
それどころか、ただでさえ寒いのに掌の体温が奪われてしまった。
「なんで? なんでなんで!?」
認めたくは無いが、10人が10人。この空間を見れば牢屋だと答えるだろう。
記憶の限り、自分はまだ何も仕事をしていない。
つまり、まだ何もやらかしていない。
こんなところに放り込まれる謂れはないはずだ。
とにかく、ここから早く出なくては。
シンが心配……してくれるかは微妙だけど、呆れられる可能性はある。
見捨てられる心配もしていないけれど、自分を捜しに出るかもしれない。
彼に迷惑を掛ける訳には行かない。
「ふん……ぬーっ!」
力一杯引いたり押したりしてみるが、びくともしない。
同じように格子状に作られた扉を見つけたが、当然のように鍵が掛かっていた。
服もお仕着せに着替えているせいで武器がない。
残る手段は、魔術しかない。
魔術を使えば壊せるかもしれないと考えたが、フェリーは魔力の制御に自信がない。
それに牢から脱出した後、何があるかわからない。あまり目立つ訳には行かないと考えた。
結論、魔術を使うのは最終手段という方向で考える。
「あ、あの……」
向かい側の牢から女性の声が聞こえて、目を凝らす。
暗闇で姿ははっきりと確認できないが、他にも捕えられている人が居るようだ。
「あなたも捕まったんですか!?」
フェリーは鉄格子を掴んだまま、彼女の声に応える。
もしかすると、何が解るかもしれない。
「え、えっと……。
私たちはここにずっと入れられていて、それで時々その……」
「私たち?」
フェリーの位置からだと正面の女性しか確認できないが、他にも捕えられた人が居るのかもしれない。
耳を澄ませば、吐息や衣擦れの音が聞こえてくるような気がする。
「ここで働けば、お給金は弾むって言われて……。
それに税も優遇してやるって言われて、村の女性はみんなここに……」
「みんな?」
彼女はすすり泣きながら言葉を続けていくが、どうにも引っかかる。
他にも人が居るようなニュアンスはあったが、村の女性全員を受け入れられるような広さには見えない。
ただ、村で男しか見かけなかった事については合点がいった。
女性は全員、この館に集められていたようだ。
「みんな、この牢に集められているんですか?」
「いえ……。私たちはこの牢に連れられましたが、他の人達までは……」
「どうしてこの牢に入れられたか、判ったりしますか?」
「いえ……」
同じような状況で牢に入ったようだが、同じように思い当たる節はなさそうだった。
何かもう少しヒントはないだろうか。
そう思っていた矢先――。
「あん? 物音がすると思ったらもう起きてやがる」
天井の一部が開き、光が差し込む。その先には、ゴッドーの顔があった。
「あんた……!!」
自然とフェリーの鉄格子を握る力が強くなる。
「そんなところから凄まれても何も怖くねえよ」
提灯を手に持ち、ゴッドーが階段を下ってくる。
窓もなく天井から下ってくるという事は、ここは地下室なのだろうと察した。
「それにしても、30分も経ってねえのに何で起きたんだ?
猪の魔物だって丸一日は目が覚めない薬だぞ」
どうやら一服盛られていたらしい。そういえば、仕事の説明を受けている時にお茶を出された気がする。
不幸中の幸いはすぐに毒が中和された事かもしれない。
意識さえあれば、まだ打つ手はある。
シンに毒殺を試された時もすぐ復活していた事を思い出す。
あの時の彼は、なんとも言えない顔をしていた。
「サイッテーね。女の子にクスリを盛るなんて」
現状で最悪の状況は、ゴッドーがこのまま踵を返す事だった。
仲間を呼ばれるかもしれないし、また薬を盛られるかもしれない。
なんとかして、彼の気を引きたい。
「おいおい、自分の状況分かってんのか?」
ゴッドーは跫音を立てながら、一歩ずつフェリーの牢へと近付いてくる。
威嚇するような過剰な足音に、他の牢から「ひっ……」と怯える声が漏れる。
灯りの位置が段々と部屋へ渡るようになって、自分以外の状況が微かに確認できるようになる。
同時に、彼女たちが彼に怯える理由も察した。
ボサボサに乱れた髪。ところどころ見える擦り傷や、痣。
薄い布に身を覆っているものの、埃で汚れた脚が隠し切れず露わになっている。
視線は泳ぎ、ゴッドーと目を合わせないように顔を背ける。
何があったのか察する事は、フェリーにも容易だった。
「もしかしてこの人たちに……」
「何言ってんだよ、ちょっと一緒に楽しんでいるだけだぜ。なぁ?」
彼女達は青ざめた顔で首を上下に振りゴッドーを肯定する。
本心によるものではないと、即座に理解をした。
「怯えてるだけじゃない!」
「しつけえな。楽しんでるって言ってんだろうがよぉ。
こいつらだってずっと籠ってたら退屈だろうが。
第一、俺たちの事分かってそんな口利いてんのか?」
ゴッドーは最初に見た時と違って、チンピラのような態度で恫喝する。
フェリーにとっては怯えるに値しない恫喝。しかし、他の人間には効果があるようだった。
いや、恐らくは既に恐怖を植え付けられてしまった後なのだろう。
「知らないわよ。あんたたちなんて」
「おいおい、マジかよ。お前本当に冒険者か?」
ゴッドーのため息が聞こえるが、知らないものは知らない。
「俺とブルーゴはなぁ、二人で金貨50枚の賞金首だぞ?」
「……えっ?」
フェリーは驚きより早く、喜びの感情が訪れた。金貨50枚もあればしばらくはお金に困らない。
まずはシンにすぐお金を払って、それから汚れた服を買い替えて……と皮算用を始める。
普段はあまり得意でない金勘定も、こういう状況だとすんなり出来てしまうのは不思議だ。
しかし、同時に腑に落ちない事もある。
「どうして賞金首なんかが、こんなトコにいるの?」
「あぁ? 俺がブルーゴに提案してやったんだよ。
あのアゴゴリラは何も考えてねえからな。あいつを俺が使ってやってるんだよ。
ここで用心棒でもやってりゃ、金は入るし女も好き放題だ。
重要なのはココよ」
ゴッドーは得意げに頭を指でつつく。ただ最低なだけなのに、してやったりというその仕草が苛立つ。
この苛立ちは「口は災いの元」という感謝も一緒に込めて、きっちり返してやろうと思う。
「あんた、さっきはそのアゴに敬語使ったりしてなかった?」
「アイツ、バカの癖にプライドだけは高いからな。
煽てて扱ってやってんだよ。俺が居なきゃアイツなんてとっくにお縄だ」
(……なるほど)
ブルーゴにヘコヘコしていたのは演技で、本当は彼の事を見下しているようだ。
人の、特に賞金首になるようなお尋ね者同士の関係をどうこう言うつもりはないが、あまり健全な関係とは思えなかった。
フェリー自身、シンとはよくケンカをするけれど一度も見下したことはないし、見下された事もないと思う。
何なら、シンがバカにされるなら自分は確実に腹を立てる。
逆もそうであって欲しいと思うぐらいだ。
「つまり、実質的に支配しているのはあんたってコト?」
「まぁそういう事だな。
だから時々ここで楽しませて貰ってんだよ」
ゴッドーはいやらしい目つきで牢屋全体を見回す。
目が合った女性陣はみんな顔を背け、吐き気を催して口を手で覆う人もいた。
「賞金首に言うようなコトじゃないかもしれないけど。……サイテーだね」
ゴッドーの額に青筋が浮かぶ。
「ははっ。なら、お前はバカだな。状況分かって言ってんのか?
そんな口利いた事を、今すぐに後悔させてやるよ」
そう言うとゴッドーは襟を緩めながら、卑しい視線をフェリーへ向ける。
爬虫類に睨まれたような、不快感が背筋を走った。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、牢の扉を開いて中へと入り込む。
「……えっ」
フェリーは驚きのあまり、硬く握った手を鉄格子から放してしまった。
予想していなかった展開なのだ。
「女に生まれてきた事を後悔させて――フゴッ!?」
空になった右手で改めて拳を握り、ゴッドーの顔面に強打をお見舞いする。
鼻骨を正確に打ち抜いた感触を証明するかの如く、彼の鼻から赤い液体が飛び散る。
「てめっ……」
ゴッドーが何か言おうとしたが、フェリーは間髪入れずに脚を引っ掛ける。
流れるようにゴッドーを転倒させ、その上に馬乗りで相手の自由を奪う。
相手が勝手に作ってくれたチャンスを、見逃すような甘さは持っていない。
「まっ、待て……ぐおっ!」
一発。二発。三発。淡々と、作業をこなすように拳を打ち付ける。
自分の爪が食い込む程に握りしめ、血が滲む。一方で、拳がゴッドーの歯に当たったり、何度も打ちつけた結果で自分の皮膚が裂けたりと外側も赤く染める。
尤も、そんなものはすぐに治るのでフェリーは気にせず殴り続ける。魔力を込めて殴らなかったのは、せめてもの情けだった。
ゴッドーが完全に脱力したところで、フェリーは漸くその手を止める。
顔面は完全に腫れあがり、キツネ顔の面影は全くと言っていいほど見当たらない。
「ふうーっ」
一仕事やり終えた達成感はあるが、これだけで終わるわけにはいかない。
返り血を彼の服でふき取り、そのまま服の中を弄る。
彼を殴った際に出来た、フェリー自身の傷はとうに癒えていた。
「あったあった」
ゴッドーの服から鍵束を取り出すと、続け様に彼のシャツを破り裂き紐状にしていく。
ポカンとする牢の女性を尻目に、フェリーは慣れた動作で作業を続けていた。