453.覚悟
「イリシャ。本当にいいんだな?」
マレットから完成の報を受けたシンは、改めてイリシャに確認を取る。
彼女が心変わりをしていれば、違う方法を模索しなくてはならない。
ただ、シンが逡巡する理由はそれだけではない。
やはり自分が間違っているのではないかという不安が、常に付き纏っている。
少しでもイリシャが難色を示すようならば、作戦を中止するつもいでいた。
「もう、シンは本当にそればっかり。
まるで、自分がやりたくないみたいじゃない」
そんな心を見透かしているかのように、イリシャは苦笑する。
ここまで気を遣われると、逆に自分が背中を押さなくてはならないのではないかとさえ考えてしまう。
「そういうわけじゃ……」
即座に否定しようとしたシンだが、あながち違うとは言い切れなかった。
結果はどうあれ、とても手放しで絶賛出来る様な作戦ではない。
ユリアンはイリシャの知っている頃の彼とは違う。不測の事態に陥る可能性は決して低くない。
「ふふ、分かっているわ。
シンは、わたしだけじゃなくてユリアンのことも気にしてくれているものね」
イリシャも複雑なシンの胸中に理解を示す。
むしろ、彼女は感謝さえしていた。
本来ならば、ユリアンは彼にとって家族の仇でもある。
それでも。手段は多少乱暴であれど、彼は歩み寄ろうとしてくれているのだ。
元より、今のユリアンを前にしてイリシャ独りではどうしようもないと思い知らされた。
彼の考えた作戦に一縷の望みを託すのは必然でもあった。
「貴方の優しさに、わたしは感謝しているの。
だから、もう迷わなくていいのよ」
「イリシャ……」
イリシャは考える。自分の役割は、シンの迷いを取り除いてやる事だと。
この戦いは自分だけではない。シンとフェリーの未来を担っている。
10年もの間、己の心を殺しながら引鉄を引き続けたシン。
10年もの間、贖罪の為に『死』を望み続けたフェリー。
二人はこれから、失った時間の分まで幸せにならなくてはならないと、イリシャは心から願う。
だから、迷わないでいて欲しかった。他の誰でも無く、自分自身の為に。
「わたしたちなら、大丈夫よ」
「ああ……」
最後の言葉は、自分自身へ言い聞かせているようだった。
……*
(フェリー。君は中へ入らなくてもいいのか?
イリシャがシンと、話をしているだろう。早く向かうべきだ)
心の内で、ユリアンが語り掛ける。
彼の話題は専らイリシャに関わるものだ。
今回も例外ではなく、シンと話をしている事実が気に食わないのだろう。
フェリーへ乱入をするように促している。
構わず庭で子供達と遊び続けているフェリーだったが、ユリアンの一言に意識が奪われる。
次の瞬間。空気の詰められた軽いボールが、フェリーの足元へと触れていた。
「あっ、今度はフェリーがオニだ!」
「わ! フェリーちゃんがオニなの!?」
「逃げろっ!」
子供達は一瞬。驚いたような表情を浮かべる。
フェリーは俊敏な身のこなしで、この遊びに於いて姿を捉えられた事は無かった。
よく遊びに参加しているイリシャやフローラ、コリスと違い彼女に手加減をするという発想はない。
故に、ある意味では越えるべき強敵として崇められていた。
余談だが、ピースも同様に全力で逃げ回る。大人達が呆れているにも関わらず。
「もーっ。ユリアンさんが声かけるからアタちゃったじゃん」
頬を膨らませながら、フェリーは自分に触れたボールを拾い上げる。
既に子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げており、誰を狙うべきかと狙いを定めていた。
(そんなことをしている場合か!?
早くイリシャの所へ向かうべきだろう!)
「シンやイリシャさんは忙しいの。ジャマするのはダメだよ」
この一週間。ユリアンはいつもこうだ。
シンやイリシャがマレット達と慌ただしくしている事はフェリーにも理解している。
アメリアやレイバーンだって、妖精族の里から離れた。
自分が協力を要請されないのは、その理由にユリアンが関わっているからだ。
彼はフェリーの眼を通して、視ている。耳を通して、聴いている。
力になりたくても、参加する事自体が妨害に繋がる恐れがある。
寂しさを感じても、迂闊に声を上げるべきではない。
フェリーとて、必死に我慢しているのだ。ある意味では、ユリアン以上に。
(邪魔をしているのはシン・キーランドの方だろう。
彼はどれだけ、私とイリシャの間に入れば気が済むんだ。
許しはしない。決して、許しはしない……)
しかし、フェリーの心はユリアンへ届かない。
イリシャへの偏愛はそのまま、彼女の時間を奪っているシンへの怒りへと変換されていく。
「むぅ。シンはワルくないよ」
ただ、その怒りをフェリーは許容しない。
シンは今まで、多くの運命に翻弄されてきた。
本来なら体験する必要のない苦しみを数多く、耐え忍んできた。
シンとユリアンの決定的に違う部分は、そこだった。
ユリアンはイリシャを愛し続けるがあまり、全てを見失っている。
目的の為ならば手段を択ばない。たとえそれが、自らの手を汚す行為だったとしても。
シンは真逆だった。
どれだけ自分の手を汚していても、自分を見失ったりはしなかった。
常に優しい彼であり続けた。
耐えて来た時間が違うと言われれば、実証しようがない以上は頷くしかない。
それでもフェリーは言い切れる。彼は何があっても、狂ったりはしないと。
フェリー・ハートニアは誰よりも知っている。シン・キーランドが今まで、どれだけの人間を救ってきたのかを。
「むぅ……」
改めてそう考えると、自分のこの10年が恥ずかしくなってくる。
彼の優しさに甘えながら、自分を想ってくれていた事に気付かないでいたのだから。
尤も。自分の行いに対して彼は咎める様な真似をしないだろう。
これまでも、これからも。間違いなく、そう言い切れるのだ。
「フェリーちゃん? どうかしたの?」
「そ、そんなに強く当てたっけか……!?」
ボールを見つめたまま立ち止まっているフェリーへ、子供達が首を傾げる。
そんなに強く当てたつもりはないと、ぶつけた少年が狼狽えていた。
「あっ、ゴメンゴメン! 誰に当てよっかなって、考えてたの!」
「えっ?」「ヤベェ、フェリーが本気だ!」「逃げろ!」
満面の笑みを浮かべ、フェリーは大きく振り被る。
子供達も釣られて、笑い声を庭中に轟かせながら走り回っていた。
それから一分にも満たないうちに、オニが交代するのは別の話である。
……*
子供達と一通り遊び終え、フェリーは芝生へと座り込む。
止めどなく流れる汗を襟元で拭いながら空を見上げようとした瞬間。
彼女の視界を、ふたつの影が覆う。
「シン! イリシャさんも!」
「フェリー。待たせて悪かったな」
恐らく打ち合わせを終えたであろうシンとイリシャが、庭へと現れる。
淡々と謝罪の言葉を述べるシンの向こう側で、イリシャが謝るような仕草を見せていた。
「フェリーちゃん。子供達の相手をしてくれて、ありがとうね」
「ううん! あたしも楽しいし、ゼンゼンヘーキだよ!
後でおやつも食べられるしね」
イリシャはシンだけでなく、フェリーの優しさも身に染みていた。
本来なら恨まれていても仕方がないのに。
こんな状況にも関わらず、フェリーは変わらず自分と接してくれる。
それが彼女にとっては、嬉しくて堪らない。
「ふふ。だったら、たくさん作らないとね」
「ホント!? やった!」
くすりと笑みを浮かべるイリシャに、腕を高く上げて喜ぶフェリー。
フェリーにとってこの光景は、懐かしさを呼び起こさせるものだった。
シンやリンとへとへとになるまで遊んで、汗だくになって。
その様子をアンダルやカンナ、ケントが見守ってくれていた。
そして最後は、カンナお手製のおやつを三人で頬張っていた。
大好きな皆に囲まれる、この上なく大切な時間。
永遠に続いて欲しい。続くはずだと、あの頃は疑いもしなかった。
あの時間があるからこそ、フェリーは足繁くこの場所へ通っている。
戦いの末、身寄りのない子供達も少なくはない。自分と違って、辛いと思っている子も少なくはないだろう。
けれど、友達が居てくれれば。見守ってくれる大人が居れば。
辛い事を上回るぐらいの楽しい事を、積み上げられるはずだと信じているから。
「え? いいなぁ」「イリシャちゃん、フェリーちゃんだけなの?」「ズルだ、ズル!」
尤も、フェリーの気持ちを知ってか知らずか。
おやつを沢山享受できるというフェリーへ子供達が抗議の声を上げる。
仕方のない事なのだ。イリシャの作るおやつは絶品で、誰もが多く食べたいと願っているのだから。
「あらあら、みんな食いしん坊なのね。
大丈夫よ。フローラお姉ちゃんやコリスお姉ちゃんと一緒に、たくさん作るから。
みんなでたくさん食べて頂戴」
「ホント!? やった!」「わーい! イリシャちゃん、大好き!」
これは大忙しだと、イリシャは肩を竦める。
ただ、こうやって自分の料理を美味しいと言ってもらえるのは好きだった。
妖精族の里で落ち着くまで暫く、誰かに手料理を食べてもらう機会はめっきりと減っていたから。
そして皆も、イリシャの料理を食べられるという事に至福の喜びを感じている。
ただ一人。100年以上前から、彼女の手料理の味を知っている者を除いて。
「く……。イリシャ、どうしてなんだ!?
どうして私にだけ、その笑顔を向けてはくれない!?」
周囲が一斉に静まり返る。
ユリアンの不満が爆発し、フェリーに代わって『表』へと姿を現したからだ。
彼は受け入れられなかった。納得できなかった。理解できなかった。
永遠の愛を誓った自分へあれだけ悲痛な叫びを浴びせた彼女が、こうして赤の他人へ笑みを浮かべている事が。
「ユリアン……」
イリシャは彼の名を呟くものの、続く言葉を閉ざした。
今の彼へ何を言っても、伝わらないのは明白だからだ。
「フェリーちゃん?」「どうしたの?」「おこってるの?」
フェリーの中に潜む存在を知らない子供達が、眼を点にする。
新しい遊びだと取れない事もないが、脈絡が無さ過ぎる。
どうすればいいのか判らず、ただ戸惑っていた。
「どうしてだ、イリシャ!? どうしてなんだ!?」
ユリアンの問いに、イリシャは顔を俯かせる。
最早目すら合わせてくれないのかと、ユリアンは苦々しく顔を歪めた。
「……抑えて、ユリアン。ここは子供たちもいるのよ」
「っ! こんな――」
――子供たちがなんだというのか。自分との仲に、割って入るような存在なのか。
そう叫ぼうとした瞬間。ユリアンの口は塞がれた。
正確に言えば、ユリアンの意思を反映したフェリーの口を。
「そこまでにしておけ」
「……!」
強い口調で、シンはユリアンを制止する。
そんな言葉をフェリーの口から言わせる訳にはいかない。
フェリーは子供達と遊ぶのを心から楽しんでいる。子供達も同様だった。
その友情をユリアンの暴走で、壊させたくなかった。
「シン・キーランド……!」
ユリアンの眼光は必然的にシンへと向けられる。
全ての発端であり、イリシャの時間を奪い続けるこの男が憎たらしくて仕方ないからだ。
「アンタが好き勝手出来るのは、ここまでだ。
もう、アンタの好きにはさせない」
「貴様……」
対するシンは臆する事なく、はっきりと言い放った。
必ず、決着をつけると。
砕けそうな程に強く。ユリアンは奥歯を噛みしめた。
本当に彼は変わってしまったのだと悲しい顔をするイリシャに、気付かないまま。
「……シン、イリシャさん。ゴメン」
やがて睨み合っていたフェリーの視線が、穏やかなものへと変わる。
そっとシンの手へ自らの手を重ね、フェリーは自分が主導権を取り戻した事を伝えた。
「フェリーちゃん。ううん、わたしの方こそ不用意だったわ」
「イリシャさんは悪くないよ。悪いハズ、ないもん」
自らの胸元を抑えながら、フェリーが首を横に振る。
「フェリー、苦しいのか?」
「ううん。ちょっと、みんなをビックリさせようとしただけだよ」
心配をした子供達も、フェリーへと駆け寄っていく。
フェリーは一人一人の頭を撫でながら、「なんでもない」と白い歯を見せていた。
イリシャは悪くない。
フェリーが放ったその言葉に偽りはない。
その一方で、フェリーはユリアンが悪いとも断言したくなかった。
ずっと自分の内側に居るからこそ、彼女には誰よりも伝わっている。
手段はともあれ、彼は心の底からイリシャを愛しているだけなのだと。
「ユリアン・リントリィ。俺たちはもう、全て覚悟しているんだ。
後はアンタが、正気に戻るだけなんだよ」
一部始終を見ていたシンがぽつりと呟く。
それは同時に、作戦の実行が避けられない事を彼に覚悟させるものだった。




