448.少女ひとり
イリシャが住む家では、身寄りのなくなった子供達を預かっている。
他に世話をしているのは彼女と共に住み込んでいるコリスや、通いで手伝っているフローラが多い。
どうやら最近は妖精族や魔獣族、小人族のも申し出てくれているという。
これも彼女の人柄の賜物であり、リタやレイバーンの目指している者が伝わっている証拠なのだろう。
親が居ない中で引き取られたという境遇に、フェリーも思うところはある。
だからこそ、彼女は訪れた。自分がそうだったように、楽しい思い出を沢山作ってもらいたいから。
「あっ! フェリーちゃんだぁ!」
「フェリー! 遊ぼうぜ!」
子供達の笑顔は絶えず、この広く大きな妖精族の里を賑わせている。
この日も例外ではなく、フェリーが現れた事による喜びを爆発させていた。
「うん! 久しぶりだし、今日はいっぱい遊んじゃおっかな」
自分の時と同じだと、フェリーは顔を綻ばせる。
シンやリンと遊んだように。アンダルやカンナ、ケントに見守ってもらったように。
フェリーも子供達から笑顔を引き出すべく、童心に返る。
……*
「ふぅ……。ちょっと休憩!」
止めどなく群がる子供達と遊び続けていた、フェリーは汗だくになりながら芝生の上に座り込んだ。
こんなに気持ちのいい汗は久しぶりで、なんだか自分の気持ちも晴れやかになる。
「えー!」「フェリーちゃん、起きてよ!」「もっと遊ぼうぜ!」
けれども、子供達はまだまだ遊び足りていない様子だった。
無限の体力で自分を戦場へ誘おうとする少年少女に、フェリーは「あとでちゃんと遊ぶから」と宥めていた。
「お疲れ様です」
「ありがと、コリスちゃん」
そんなフェリーへ、水がなみなみに注がれたコップが手渡される。
子供達にとって、姉のような存在となっているコリスからの差し入れた。
「コリスちゃんだ!」「コリスも遊ぼうぜ!」
彼女の姿を見つけた子供達は、またも上機嫌となる。
フェリーに続いて彼女にも、自分達と一緒に遊んで欲しいとせがむ子供達へ、コリスは両手を叩いて制する。
「うん。御用が済んだら、一緒に遊ぼうね。
お洗濯にお掃除を手伝ってくれる子はいるかな?」
「はーい!」「コリスちゃん、ヒメナも手伝う!」
コリスが家事の協力を求めると、我こそはと子供達の手が挙がる。
勿論、コリスと遊びたいというのもあるだろう。けれど、それ以上に子供達は役に立ちたいのだ。
背伸びして大人の気分を味わいたいのだ。そしてなにより、褒められたいのだ。大好きなお姉さんに。
「コリスちゃんは、みんなのお姉さんだね」
懐かしさを覚えたフェリーは満面の笑みをコリスへ向ける。
自分も似たような経験があった。
お使いだって、皿洗いだって。お手伝いをすれば、アンダルがしわくちゃの手で頭を撫でてくれた。
それが嬉しくて堪らなかった。
勿論、他にも理由がある。大人のしている事を真似すれば、自分も大人に近付けると思っていた。
裁縫だって針を刺すカンナの姿に憧れたからこそ、自分も教えてもらっていた。
「そ、そうですかね。そう思ってもらえると、嬉しいですけど」
もじもじと顔を俯かせながらも、コリスは満更でもなさそうだ。
年上だから皆から頼られる立場にあるものの、彼女も家族を亡くしている。
悲しみに明け暮れる中で新たに生まれた繋がりを、コリス自身が大切に想っている証なのだろう。
「だいじょぶ、だいじょぶ。自信持ってよ」
フェリーにとって彼女もまた、応援する一人だ。
コリスを含め子供達が皆。毎日、笑顔でいてくれますようにと心から願っていた。
(フェリー。それよりも、イリシャの姿が見当たらないんだ)
不意に、自分の内側から声が響く。
フェリーはもう、驚きすらしない。そんな芸当が出来る人間は一人しかいないのだから。
「……ユリアンさん。ケッコー、サラっと出てくるね」
顔を顰めながら、フェリーはその名を呼んだ。
鳴りを潜めると思っていたので、意外といえば意外な登場だ。
けれど、彼の記憶を垣間見たからか。決して不思議ではなかった。
彼がまだ、ユリアン・リントリィそのものだった頃。
妻のイリシャと共に、息子を愛していた記憶の欠片を目撃した。
本来の彼は、子供が好きな心優しい男性だったのだと想像できる。
その頃の彼ならば、この光景をどう扱っていただろうか。
イリシャと共に、汗水垂らして子供の世話に従事していただろうか。
今の彼に訊いても、マトモな答えが返って来ると思えないのが残念で仕方ない。
何故なら、またしてもユリアンから出たのは「イリシャ」の名前だったのだから。
(イリシャはこの家にいるはずだろう。
彼女はきっと、子供を育てられなかった後悔を満たしているんだ。
ああ、なんて健気なんだ。やはり、彼女は私が愛していたイリシャとなんら変わりはない)
ユリアンはすらすらと、いかにイリシャが素敵な人間であるかを語り続ける。
情熱と愛情があまりにも重く、フェリーは目を細めた。
今更語られるまでもなく、自分も知っている。
自分の眼やユリアンの記憶を通して。彼女がどんな人物かを見て来たから。
(フェリー。イリシャのところへ向かってはくれないか?
やはり汗を流す尊い彼女の姿を、この眼に焼き付けたいのだ)
「その眼はあたしのじゃん」
イリシャに会わせろと訴えるユリアン。
要するに、彼は100年以上も我慢をしてきた。自分を通して再会してからも、人知れず見守ってきた。
一方的な愛情を注いでいたユリアンだったが、ついに自分の存在が彼女に認知されたのだ。
こうなるともう、我慢が利かない。慎んだ行動が、出来ないのだろう。
だって、イリシャもきっと心の底では自分を望んでいる。そう信じて、疑わないから。
「あたしもイリシャさんのコトは好きだけど、今日はダメ」
(どうしてだ!? 君をここへ呼んだのは、イリシャだろう!?)
ユリアンの言う通り。
子供達の世話を手伝って欲しいと自分を呼んだのは、他でもないイリシャ自身だ。
普段のイリシャは決して、他者へ協力を要請したりしない。
だからこそ、ユリアンは自分を求めているのだと確信していた。
イリシャ以外に対して盲目になっている彼ならではの思考回路。
一方で、フェリーはその意図をきちんと理解していた。
「うん。だから、今日はイリシャさんいないよ」
イリシャはきっと、マレットの元へ向かっているだろう。
自分。というよりは、自分の中で存在しているユリアンに聞かれたくない話を皆でする為に。
シンもきっと、彼女と一緒にこれからの事を話しているに違いない。
若干の疎外感を感じつつも、フェリーはぐっと寂しさを堪えた。
彼らは自分の為に動いてくれているのだから、自分が台無しにする訳にはいかないと。
「さ、イリシャさんはいなくても。チビッコはたくさんいるからね!
今日はたくさん、遊んじゃおうかな!」
寂しさを吹き飛ばすように、フェリーは勢いよく立ち上がる。
胸元で汗を拭いながら、子供達と共に広い庭を駆け回っていた。
……*
「実際のところ、ユリアンさんには自発的に術を解いてもらうしかないですよね」
研究室の一室で、オリヴィアがそう結論付けた。
魔術師として。また、研究者として第一人者である彼女は、忌憚のない意見を述べた。
「前提として。ユリアンさんはフローラさまの時と違って、邪神によって造られた『魂』ではありませんから。
お姉さまの蒼龍王の神剣を以てしても、効果は期待できないでしょう」
「恐らくは、ただ傷付けてしまうだけになってしまいますね」
空白の島で採った手段は使えないと説明をするオリヴィア。
フローラの時とは状況が違うのだと、アメリアも頭を悩ませていた。
「そもそも、その手段はユリアンと戦うことが前提になるだろう」
そうなってしまえば、ユリアンと話し合いたいというイリシャの願いを叶える事は難しい。
出来る事なら避けるべきだと、シンが告げた。
「まあ、実際のところ戦うと分が悪いですしね」
ユリアンが『表』に出て来なければ、フェリーを傷付ける事になってしまう。
例えフェリーが了承したとしても、そんな真似を今のシンが望むはずもない。
そして、仮にユリアンが『表』へ出てきたとしても。
傷が瞬く間に再生する不老不死の身体を前に、勝つ手段が見当たらない。
彼からフェリーを救うとなれば、尚更だ。
「次に可能性があるとすれば、賢人王の神杖を使って魔力に干渉する方法ですが……」
人造鬼族となった兄のスリットを救う為。
神器を通して他者の魔力へ干渉したトリス。
彼女ならば、フェリーの内側で発動している不老不死の術を止められるかもしれない。
そう思った矢先。魔硬金属で象られた義手が挙げられる。
「それはお勧めしない。彼女へ干渉をした結果が、この様だ」
かつてフェリーの中に潜む存在へ触れたテランが、その危険性を皆へ示す。
失敗をした代償はあまりにも大きいと、彼は警鐘を鳴らした。
「邪神でさえも、容赦ありませんでしたからね……」
これまでの戦いを思い出しながら、アメリアは眉を顰めた。
『嫉妬』との戦闘では、邪神の分体が焼き尽くされた。
それだけではない。きっと、浮遊島で『色欲』と戦った時もそうだったのだろう。
彼女を操ろうと干渉した『色欲』は、ユリアンによって焼かれてしまった。
彼の逆鱗に触れた者は、邪神でさえも容赦なく焼き尽くされる。
そんな危険の高い役目を押し付ける事を、シンもイリシャも望んではいない。
「ただ、そうなると……。こっちから、干渉する手段がないんですよ。
正直言って、手詰まりです。極論、シンさんが寿命で死んじゃうまで逃げ回るだけで決着がついてしまいますし」
八方塞だと、頭を抱えるオリヴィア。
周囲も彼女の意見に、異を唱える事が出来ない。有効な手立てがないのは、事実なのだから。
「その、ギランドレにある遺跡とやら。
ユリアン・リントリィが隠した魔術を解明することは不可能なのか?」
同じ魔術師としての立場からか、トリスはユリアンの使用した魔術を解明してみてはどうかと提案をする。
概要を把握すれば、いくらか手の打ちようがあるのではないかという考えだったのだが。
「駄目だ」
他の誰でもない。シン自身が、解明を拒んだ。
きっと誰よりも、欠点や弱点を知りたいだろうにも関わらず。
「どうしてだ?」
「どんな形でも、あの魔術が蘇るのはよくない。
それでフェリーが救えても……。いつかまた、誰かが同じ苦しみを味わうかもしれない」
いつかまた、フェリーのように不老不死にされてしまった者が現れた時。
また同じ苦しみを、悲しみを繰り返して欲しくはないとシンは語る。
何より、苦しむのは術者だけとは限らない。
マギアの国王が永遠の命を手に入れたと言われていた時。
きっと彼の圧政に苦しんでいた人間は絶望しただろう。
「どれだけ魅力的でも、不老不死の秘術は在ってはならない。
心の底ではそれが分かっているからこそ、ユリアンも証拠を隠滅したんだと思う」
例え本人が無自覚だったとしても。
その行いが大勢を幸せにするものではないと、本能的に理解していた。
だからこそ証拠の隠滅を図ったのだと、シンは考えていた。
「まあ、ロクなことに使われないだろうな」
魔導石を用いて、大量の命が奪われた過去を思い出しながらマレットが呟く。
自分の時とは訳が違う。万が一、不老不死の存在が大量に発生したならば世界の秩序はあっという間に崩壊してしまうだろう。
それこそ、邪神を越える脅威になるのは想像に難くない。
「でも、単純に説得とかは……。難しい、よねぇ……」
解り切っていた事だが、力づくでどうにかなる問題ではない。
話し合いでなんとかならないだろうかと言いかけたリタだが、自ずと声のトーンは下がっていく。
そんな単純な話で済むのなら、シンが正体を突き止めた時点ですんなりと事が進むからだ。
「ユリアンは……。わたしと永遠に生きるのが目的だって言っていたから。
話し合いだけで、納得してフェリーちゃんの中から出て行ってもらうのは難しいと思うわ……」
シンの様子を伺いながら、重苦しそうにイリシャは呟いた。
「今のユリアンは、わたししか見えていないの。きっと彼は、沢山『罪』を重ねて来た。
自分が今まで、何をしてきたかさえも理解しているかどうか……」
「……それだ」
次の瞬間、シンは閃いてしまった。
イリシャの漏らしたその言葉が、大きなヒントとなる。
上手く行けば、ユリアンを正気に戻せるかもしれない手段が。
ただ、閃いた一方でシンは口にするのを躊躇った。
その手段には危険が伴うからだ。
自分ではなく、イリシャ・リントリィに。