42.屍人
呆然とする周囲の人間を尻目に、その男は一歩ずつ近付いてくる。
右手には、水の魔術のような奇妙な弾を放った銃。
左手には、ギランドレ軍の物と思われる鉄製の兜。
男の耳は短い。彼は妖精族ではない。
男には獣耳や尻尾もない。彼は獣人や魔獣族の類でもない。
男は、純然たる人間そのものだった。
レチェリ、あるいはギランドレ軍にとって問題なのは彼の装いではなかった。
その男……シンがギランドレ軍の兜を持ちながら、妖精族の里から現れた事が問題だった。
「な、なんだ貴様は! 隣国の者か!?」
初めに声を荒げたのはレチェリだった。
彼が隣国の人間ではない事は、知っている。
しかし、この状況を利用して疑いをガレオンに擦り付けようと画策していた。
人間の姿で、ギランドレ軍の兜を持っている。
奇妙な武器を扱うようだが、妖精族は人間の文化には左程興味がない。
あれがどこで造られ、どのような武器なのかは問題ではなかった。
ガレオンにやられた事の意趣返し。自らの処世術。
既にリタをはじめとする妖精族からその信頼を失い、孤立無援の道を歩もうとしている事に己だけが気付いていなかった。
「な! レチェリ、貴様……!」
「なんだ、事実ではないか!?」
互いを罵る、聞くに堪えない言葉が飛び交う。
妖精族の民は自然とレチェリから距離を置き「自分は無関係だ」と行動で示す。
彼女は今、完全に妖精族から排他された。
ただ一人、ストルだけが結界魔術の詠唱を唱えている。
もう一度、あの大型弩砲級の兵器が用意された時に備えての事だった。
水流弾を放ったシンが同じ事を再現できるとは限らない。
そもそも、この男が味方かどうかも解らない。
すぐにでもレチェリを拘束したい気持ちを抑えて、己のやるべき事に従事した。
「シン――」
彼の名前を呟いてから、フェリーは慌てて顔を背けた。
「どうしたの?」
会いたかったのではないかと、支えているイリシャが首を傾げる。
「ぜ、ゼッタイ怒ってる。でも、あたし悪くないし……。
お、怒られたらテッテーコーセンするし!」
「何を言ってるんだ」
シンの呆れた声が、後頭部越しに届く。
強気な発言をしても、やはり怒られたくは無かった。
「フェリーは『やりたかった事』をやったんだろ」
「う、うん。そうだけど……」
「だったら、それでいい」
本音を言うと、シンは苛立っていた。
フェリーに対してではなく、自分に。
自分がフェリーの傍に居れば。
自分がレイバーンにしがみついてでも同行していれば。
あるいはどうにもならない流れだったのかもしれない。
シンはシンで別の事に気を取られていて、こちらで何が起きていたのかを詳しくは知らない。
状況をその目で確認したのは、妖精族に支えられたリタがレイバーンに弓を引くという異様な光景。
それらを全てを受け入れたようなレイバーン。更にその奥で生成されていく大型弩砲。
自分の位置からではリタを止める事は叶わない。ならばと、大型弩砲の破壊に思考を切り替えた。
結果、神弓による一撃はフェリーが身を挺して止めた。だから、自分も大型弩砲を破壊できた。
そうした背景がある以上、フェリーを責める道理は無い。責める事を出来るはずがない。
ただ、フェリーに嫌な役目をさせてしまった自分への苛立ちだけが残る。
フェリーが感じている彼の怒りは、本質的に別の部分にあった。
醜い言い争いをするガレオンとレチェリの間に、自らの持つ兜を転がした。
中から出てきたのは、人間の頭部だった。
決してシンが兵士を殺し、その男の生首を持ってきたわけではない。
出てきた首は、土のような色をしていた。既に死んで、かなりの時間を経過した頭部。
死人のものだった。特殊な加工が施されているのか、不思議と腐臭はしていない。
だが、その衝撃的な見た目は周囲の視線を釘付けにし、固唾を呑ませる。
「――何を企んでいるんだ」
眉間に皺を作り、低く重い声だった。
それがシンの、ひとつ目の怒りだった。
……*
シンが大型弩砲の破壊を行う前に時間は遡る。
ルナールの操る戦車に乗り、妖精族の里へ向かっている最中の事だった。
異変に気付いたのは、シンだった。
「ルナール、何かおかしい。止めてくれ」
「ふざけるな! 一刻も早くレイバーン様の元へ向かわねばならぬというのに!」
「いいから止めてくれ!」
「っ!」
シンの剣幕に圧されて、ルナールは戦車を止める。
そのまま彼が戦車を降りた時は、そのまま放ってやろうかと思った。
しかし、彼の表情がそうさせなかった。
何かを真剣な眼差しで見ている。ルナールも、自然とのその視線に導かれるように同じ方向を向いた。
妖精族の子供が徒党。いや、隊列を組んでいる。それを導くというよりは見張るといった様子の甲冑を着た兵士が数人、傍にいた。
子供たちが不安げに周囲を見渡すと、兵士が槍の柄を地面へ叩きつける。
その音に導かれるように、子供たちは目の輝きを失う。兵士は、妖精族の子供を次々と大型の馬車へ誘導していく。
「あれは、ギランドレ軍か? どうして妖精族の里に……」
シンはその単語を思い出す。確か、イリシャが言っていた人間の国家だっただろうか。
自分たちが言える立場でもないのだが、どうしてよその国の兵士がアルフヘイムの森に居るのだろうか。
それも、何やら様子がおかしい。
妖精族の子供たちは抵抗することなく、馬車へ誘導されている。
時々、周囲を見渡す子供はいるが兵士が槍の柄を地面に叩くとおとなしくなっていくのだ。
明らかに様子がおかしかった。
「……どう思う?」
シンは妖精族の里に入った事はない。アルフヘイムの森にも、ほとんど滞在していない。
ルナールも似たようなものだろうが、自分よりは詳しいだろうと意見を求めた。
「妖精族にもあんな厳つい鎧を着るものは居ない。
十中八九、人間の国家……。この付近で言うと、そんなものはギランドレしか存在しない」
一刻も早くレイバーンの元へ向かいたいルナールだったが、目の前の状況を無視できるほど冷血でも無かった。
過去に自分を救ってくれたレイバーンの温かみを知っているからこそ、この場を去る事が出来ない。
「ギランドレは、妖精族に歓迎されていない。
皇子が女王にしつこく求婚していると聞く。
だから、ギランドレの兵士が妖精族の里に入っている状況など、私は想像できない」
リタが「ギランドレの皇子に求婚されている」と言った時のレイバーンの面白くなさそうな顔は、ルナールにとって忘れる事が出来ないものだった。
「……それに、あの槍から微かに魔力を感じる」
「魔力が?」
シンたちから兵士までは、数十メートル程の距離がある。
そこまでは効果は及ばない。だが、魔力の残滓がルナールの感知網に引っかかった。
「恐らく、何かしらの魔術付与がされているだろう。不快な魔力だ」
ルナールは唾棄すべきものだと、吐き捨てた。
シンにはそれがどんな感触なのか解らないが、良くない物が暗躍している状況だという事だけは判る。
もう一度、大木の陰から様子を伺う。
自分に出来るのは、見聞きしたものを解釈するだけだ。
まず、妖精族の子供は10人前後が歩いている。
既に馬車に乗り込んだ子供の数は判らないが、多く見積もっても20人が限界だろう。
次に、兵士の数は3人。歩く妖精族の子供が逃げ出さないよう両脇を抑えている兵士。
そして、最後尾から馬車へ誘導している兵士。
全員が槍を持っており、トンと地面を柄を衝く事により妖精族の子供が大人しくなっている。
兵士は人間国家の者であり、妖精族や魔族は関係がない。
イリシャの言葉から、凡その位置関係を考えた。
アルフヘイムの森を中心とすると、西側にギランドレがあると言っていた。
レイバーンの居城は森の北側に存在している。
互いが真っ直ぐ妖精族の里へ移動を試みるなら、遭遇する事はまずない。
だが、アルフヘイムの森から北寄りのこの位置でシンたちは遭遇した。
しかも、ギランドレ軍は妖精族の子供を連れて。
妖精族に歓迎されていないというルナールの言葉を信じるなら、あり得ない状況だった。
ならばと、思考が侵略や略奪へシフトをする。
子供が無抵抗で馬車へ乗り込んでいくのは魔術付与されている槍のせいだろう。
しかし、大人の姿が見えないのは何故なのか。
シンは仮説を立てる。大人が居ないのは既に抵抗できないほどに痛めつけられているから。
だとすれば、血の一滴も落ちていないのは不自然だった。
ならば、この出来事に気付いていないのだとすれば。
これだけ大きな馬車を用意して、抵抗もしていない、気付いてすらいないというのは不自然が過ぎる。
可能性としてあり得るのは、陽動だった。
きっと、騒ぎを起こしている奴らが居てそちらに気を取られている。
だから、子供たちが連れ去られている状況に気付いていないのだとすれば?
シンが立てた仮説は、そこに行きついた。
妖精族は排他的だという前提を元にしたので、内通者がいる可能性は無意識に排除してしまっていた。
実際にはレチェリが共犯となり大人の注意を、ガレオン率いるギランドレ軍に引き付けさせていたのは別の話である。
結果的に正解に行きついただけに過ぎない。
シンは、腰の剣に手を添える。
妖精族の子供をみすみす攫わせる訳には行かない。
目的は知る由もない。しかしこのまま見逃すと、里に招かれているであろうフェリーやイリシャが疑われる。
それだけは避けたかった。
「キーランド。貴様、一戦交えるつもりか?」
「ああ」
レイバーンの姿が見えない事を考えると、陽動側に居る可能性が高い。
あるいは、レイバーンを呼びつける事までが目的なのかもしれない。
今、ここでシンが決断をする必要があった。
「……正気か?」
ルナールは逡巡した。
自分の主は、人間を手に掛けた事が無い。彼を慕う臣下も同様だった。
主の命もなく、自分がその一戦を越えてもいいものだろうか。
「俺が勝手にする事だ。ルナールは無理をして付き合う必要はない」
そう言うと、シンは飛び出した。
「おい、キーランド! ああ、くそ!」
シンはそう言ったが、客人を見棄てていい訳がない。
それもレイバーンの教えだった。
「ぎっ!?」
最後尾で誘導をしていた兵士が、振り返る間もなく頭を跳ねられる。
油断をしていたとしても、あまりに鈍い反応にシンは疑問を持った。
そうだ、反応が鈍いのだ。
何かしらの催眠作用を受けているであろう妖精族の子供は判る。
だが、戦車の接近に兵士まで気付いていなかったのはおかしい。
考えをまとめる間もなく、子供の両脇に居た兵器が槍を突き立てる。
シンは身を屈めて躱すと、脚を払い体勢を崩す。
そのままフェイスシールドの隙間から剣を刺し、動きを停止させる。
逆側に居た兵士が鈍いながらも再びシンに突きを試みる。
引き抜いた剣で弾こうとしたが、剣から放たれた水の羽衣が槍の軌道を逸らした。
アメリアが魔術付与してくれた、剣の能力だった。
シンはそのまま攻撃に移り、残る兵士も斬り伏せた。
「……私の出る幕が無かったな」
ワンテンポ遅れて、大木から飛び出したルナールが立ち尽くす。
結果として人を殺めるという一線を越えなかった事は、本音を言うと安堵していた。
「ルナール。これをどう思う」
殺した兵士の兜を、シンは転がした。
死体を見た事がない訳ではなかったが、ルナールは身体を震わせる。
自分が殺した相手の頭を見せようとするなんて、この男は趣味が悪いとさえ思った。
「……勘違いするな、ちゃんと見てくれ」
心を読まれたのかと、ルナールは再び身体を震わせた。
シンが中身を見るように促すと、中に入っているのは確かに人間の頭部なのだが様子がおかしい。
「……これは、屍人か?」
死んだ直後の頭部にしては、土色をしており不気味だった。
よく見ると、シンの剣にも鎧にも、草木にすら血が一滴も付着している様子は無かった。
「恐らくな。だから動きや反応が鈍かったんだろう」
死体を操る死霊魔術師が近くに居ないかと、シンは気付いたときから神経を尖らせていた。
しかし、この場には居ないようだ。簡単な命令に従うだけの簡素な屍人である事がそれを裏付けている。
手掛かりを得るチャンスが無かった事に、シンは下唇を噛む。
「しかし、ギランドレに死霊魔術師が居るなんて聞いた事が無いぞ?」
つまりは、まだ裏で糸を引いている者が存在している可能性を残している。
この森で一体何が起きているのか、見当もつかない。
ただ、赦せないと思った。
命を弄ぶ事も、子供を連れ去ろうとする事も。
その気は無くとも、自分やフェリーの過去と重ね合わせてしまう。
それからは、馬車や槍、鎧に不審な点が無いかを調べる事にした。
ルナールが感知した通り、槍に仕掛けが施されていた。
彼女が言うには、兵士が持っていた槍はふたつの魔術付与が付与されていたらしい。
ひとつは軽い催眠状態に陥る魔術付与。思考や判断能力を奪うような魔術。ルナールが嫌悪した感覚のもの。
もうひとつは、操り人形のように屍人を操るもの。これを通す事で兵士を動かしていたのだろう。
妖精族の子供たちは、槍を壊すと正気に戻った。
突如、眼前に現れた人間と獣人に驚いたようだが、ルナールが困った顔をしながら尻尾を触らせると、すぐに白い歯を見せてくれた。
事情も訊いても、やはり解らないようだった。
ただ、里には他にも妖精族の子供が居るらしい。
子供たちの行方は、里に戻らなくては判らない。
「……ルナール、頼みがある」
シンは、彼女にひとつ頼み事をする。
それは彼女がアルフヘイムの森へ来た理由にそぐわない事を理解しつつも、他に頼める相手が居なかったからだ。
彼女は心底嫌な顔をしたが、渋々とその頼みを聞き入れてくれた。




