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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第八章 再会
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446.誓

 荒廃した故郷に再び訪れた彼は、一体何を思うのか。

 シンはゆっくりと、一歩ずつ確かめるようにして歩き始める。

 

 ほんの僅かな哀愁を漂わせる彼の姿を前にして、フェリーにも幸せだった情景が脳裏に浮かび始める。

 一緒に花を育てた庭。元気な声が毎日の轟く玄関。

 台所では、笑顔の絶えない食卓がいつも繰り広げられていた。

 

 全てが懐かしくて、大切な思い出。

 気が付けばフェリーは、彼と同じように一歩を踏み出していた。


「……イリシャさん、ゴメン! ちょっとだけ待ってて!

 あたしも行かなきゃ!」


 フェリーはそれだけ言い残すと、シンの元へと駆け寄る。

 自分達が過ごした場所を共に歩みたかった。


「ええ、行ってらっしゃい」


 イリシャはそんな二人を優しく見守っている。

 自分が傍にいては、内にいるユリアンがまた『表』へ現れるかもしれない。

 二人の時間を邪魔してはいけない。これはシンとフェリーだけの宝物なのだから。

 

「シン、あたしもいい?」

「ああ」


 フェリーと合流したシンはやがて、自分の家があった場所から離れていく。

 向かう先は、ほんの少し離れた場所。

 アンダルの家が存在していた地をぐるっと回り、やがてフェリーが皆を埋葬した先へと進む。


「シン……」


 墓の前で足を止めたシン。

 フェリーは心情を測るべくゆっくりと、彼の顔を見上げる。

 

 迷いのない眼差しには一体、何を想っているのか。

 やがて振り向いたシンは、この村全体を見渡していた。


「父さん、母さん、リン。それに、アンダルじいちゃん。

 こないだは、村をめちゃくちゃにしてごめん」


 じっと村を眺め終えた彼は、再び墓と向き直り口を開く。

 まず語られたのは、謝罪の言葉だった。


 久方ぶりの帰還だというのに、戦闘で派手に故郷を破壊してしまった。

 『傲慢』の介入が原因であり、仕方がない事だとしても。

 この村で生まれ育ったシンからすれば、やはり気分が良いものではない。


「……でも。この間、フェリーから聞いたかもしれないけど。

 俺も改めて言うよ。俺もフェリーも、こうして元気でいるって」

「シン……」


 フェリーはまたしても、きゅっと下唇を噛みしめる。

 シンの家族も、アンダルも。生きていたならきっと自分と同じぐらい彼を心配していただろう。

 だから。彼の言葉からこうして伝えられたのは、とても大切な事だと思う。

 

 ただ、この時。シンが伝えたかった言葉はこれだけではない。

 自分の想い、願い。そして、誓いを。強い決意の下、言葉として紡いでいく。


「それでさ。これもフェリーから聞いたかもしれないけど。

 もう10年を旅をして、色んな所を見て来たんだ」


 フェリーはじっと、彼の話を聞き入れる。

 きっと少し前までならば、彼の旅は苦悩の一色で染まっていただろう。


 では、今ならどうなのか。この旅を今のシンはどう捉えているのか。

 フェリー自身も知りたくて、じっと彼の話に耳を傾けた。


「俺たちが小さい頃。じいちゃんがよく、旅の話を聞かせてくれただろ」


 アンダルはよく、旅や冒険の話を聞かせてくれた。

 どんな仲間と探索をしたか、どんな魔術で魔物を撃退したか。

 そこで芽生える友情の話や、反りが合わない人間と喧嘩をしたりしたとも。

 見つけた宝をどう分けるかで揉めた時は、一行(パーティ)解散の危機だったと笑いながら話してくれていた。


「じいちゃんはいつも笑って話してくれるから、楽しいものだと思ってたよ。

 実際にやってみると、じいちゃんが言ってたことよりずっと大変だった」


 未熟だった自分は、何度も命の危険があった。

 フェリーにだって、何度も危ない場面はあった。

 それでも何とか旅を続けられたのは、自分が周囲に恵まれていたからだ。


 だけど、旅について弱音は吐きたくなかった。

 アンダルは面白おかしく、冒険譚を聞かせてくれたのだ。

 彼が嘘を吐いているはずはない。辛いだけではないはずなのだと、シンは信じていた。

 

 勿論、自分達の旅が異質なものである事も影響はしていただろう。

 フェリーを殺す事が彼女への『救い』だと言い聞かせていたシンは10年もの間、精神を摩耗させていた。

 そんな状態で見える景色が輝いているはずはなかったのだ。


 シンの言葉を経て、フェリーはほんの僅かに顔を俯かせてしまう。

 だが、またすぐに顔を上げる事となる。彼の言葉は、まだ全てを語り終えてはいなかったから。


「だけど、じいちゃんが言うよりもっともっと。楽しかったんだ。

 色んな人に逢って、色んな景色を見て。色んな体験をした。

 どれも全部、俺にとって大切なものになったんだ。

 辛かったことや苦しかったことでさえ、必要だったんだって言い切れる」


 フェリーは胸がいっぱいになり、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 シンは全てを受け入れた上で、こうして一緒に居てくれる。

 苦しかった昔も。まだ戦っている今も。彼はいつも、自分を想ってくれている。

 旅の全てを、大切だと言ってくれる。楽しかったと、言ってくれる。

 彼女にとって、こんなに嬉しい事はない。

 

「……っ」


 今、彼はどんな表情をしているのだろう。

 シンの顔が見たいと、見上げた瞬間。彼と眼が合った。

 自分を慈しむような真っ直ぐで優しい眼差しに、フェリーは頬を赤く染める。


「……世界の全てを見て来たわけじゃないけど。

 もうすぐ、俺たちの旅は終わると思う」


 ――終わる。

 

 再び墓を見下ろしながら、シンは確かにそう言った。

 その言葉が何を意味しているのかは、フェリーにも判る。

 彼自身の決意を語る、誓いの言葉なのだと。


 フェリーの中に潜むユリアンと、決着をつけるという意味。

 そして、世界を悪意で覆い尽くそうとする世界再生の民(リヴェルト)。邪神との戦いを、終わらせるという意味だった。


 胸の鼓動が、僅かに乱れた。だが、フェリーには判らない。

 それが自分の感情によるものなのか、反発するユリアンによるものなのか。

 どちらにとっても、大きな意味をもつものだから。

 

 シンは決めたのだ。自分の旅の終着点を。

 ならばフェリーは、彼の決意を尊重したいと思った。


 だが、シンが家族へ伝えたい言葉はそれだけではない。

 むしろ、ここから先が本当の意味で、彼の誓いなのだから。

 

「だからさ。全部終わったら、帰ってくるよ。フェリーと一緒に、この村へ」

「シン! それって……」


 フェリーは思わず、シンの顔を見上げる。

 驚くのも無理はない。彼の言葉は旅をどう終えるかさえも、皆の前で宣言しているのだから。


「ああ。フェリーのことも、邪神のことも。全てを片付けたら、帰ろう。カランコエに。

 やっぱりここは、俺たちの村だから。俺はフェリーと、ここに帰りたい」


 フェリーは目に大粒の涙を浮かべた。

 いくら奥歯を噛みしめようとも、すぐに緩んでしまう。


 この気持ちは、自分のものだ。

 喜びの末に昂ったものだと、フェリーは確信していた。


「あたしも……っ! シンといっしょに、帰りたい!」


 必死に声を絞り出しながら、フェリーは強く頷く。

 嬉しくて堪らない。彼は一緒に、カランコエへ帰ろうと言ってくれた。

 それはつまり、これから先もずっと傍にいてくれる。


 フェリーは間違いなく断言できる。

 自分にとって、これ以上の幸福はないと。


「あたしも、ぜんぶ。ぜんぶ終わらせて、それで!

 シンと一緒に、この村に帰ってきたい!」


 溜め込んだ涙はやがて、フェリーの頬を伝う。

 ごしごしと眼を擦る彼女の頭に、シンがぽんと手を乗せた。

 

「じゃあ、決まりだな」

「……ん」


 硬く分厚いシンの手を乗せたまま。フェリーは小さく頷く。

 そして、シンは告げる。フェリーの中へ潜んでいる存在、ユリアンへ。


「ユリアン・リントリィ。聞いての通りだ。

 俺たちは全てを終わらせて、カランコエへ帰るよ。

 悪いが、お前の願いは叶えてやれない。フェリーは必ず、返してもらう」


 ユリアンは沈黙を貫いている。

 元より、今はフェリーの感情が昂っている。

 そうそう身体の主導権が奪える状況ではない。

 

 何より、ユリアンにとって気持ちのいい宣言ではなかった。

 態々噛みつく必要もなく、フェリーの胸の内は凪のように穏やかだった。

 それは避けられない嵐に対して、身構えているようにも感じられた。

 

 シンは敢えて、自分もイリシャも彼の心を救いたいと思っている事は伏せた。

 どちらにせよ、イリシャと共に永遠に生きると言う目的は達成できない。

 今の状態で彼に伝えても、恐らくは反発をするだけだろう。


 だから、今はこれ以上の言葉を必要としなかった。

 そんな真似をしなくても、決着の刻は近いのだから。


 ……*


「もういいの?」

「ああ、待たせて悪かった」

「ううん。わたしの方こそ、勝手な真似をしてごめんなさい」

 

 肩を並べ、シンとフェリーはゆっくりとイリシャの下へと近付いていく。

 シンは相変わらずだが、フェリーを見ればどんな会話が繰り広げられたかは想像できる。

 

 彼女は目元を腫らしてはいるが、顔の綻びを隠せていない。

 いや、そんな事を考えてすらもいないのか。

 

 フェリーにとって良い事があったのだろう。それを訊くのは野暮でしかない。

 ましてや、彼女の中には自分の夫が存在しているのだ。

 そんな状況下で、フェリーが明るく振舞っている。それだけで十分だった。


 こうしてシン達は、カランコエを後にした。

 翌日。ゼラニウムで一泊したシン達は妖精族(エルフ)の里へと帰還する。


 ……*

 

「もう、イリシャちゃん! 心配したんだからね!」

「本当です。せめて、きちんと話をしてから出ていってください」


 妖精族(エルフ)の里へ帰って早々。

 心配からの憤りを見せるリタ。彼女へ追従するフローラ。

 彼女達だけではない。矢継ぎ早に、イリシャへと皆が声を掛けていく。


 人間、妖精族(エルフ)小人族(ドワーフ)、魔獣族。

 種族だけではない。老若男女問わず、皆がイリシャの身を案じていた。


「心配かけて、ごめんね」

 

 イリシャは申し訳なさを感じる反面。嬉しくて堪らない。

 夫と出逢い、愛を育んだ芸術の国(クンストハレ)も大切な場所である事には変わりない。

 だけど、イリシャは見つけたのだ。年老いぬ自分が過ごす、安寧の地を。


 それも全て、皆が自分を受け入れてくれたから。

 自分の居場所はここなのだと、心の底から思う事が出来た。


 だからこそ、イリシャはユリアンと本当の意味で心を通わせないといけない。

 彼が狂ってしまったのは、自分に原因がある。

 

 自分のあの時、勝手に家を出ると決めたから。

 未練がましく手紙を送り、彼の優しくに縋ったから。

 心の奥底で抱えていた孤独感が、優しい彼を狂わせる切っ掛けになった。


 ユリアンの愛は自分が思っていたよりもずっと大きかった。

 故に、彼は狂う事を。手を汚す事を厭わなかった。

 今もきっと、自分が間違っているとは露程も思ってはいないだろう。


 全ては妻を護る為。幸せにする為に。

 行き過ぎた愛情が、色んな運命を狂わせた。


 イリシャは伝えなくてはならない。

 「ありがとう」と「ごめん」を。そして、「もう、大丈夫」と。

 

 その上で、イリシャはユリアンへ伝えたかった。

 どんな形であれ、逢えて嬉しかったと。


 今度こそ、気が済むまで話し合わなくてはならない。

 真実を知って尚、優しいままのシンとフェリーへ報いる為に。

 何より、自分と夫にとっての『罪』を償う為に。


 不老不死の少女を巡る旅は、終わりの刻が近付いていた。

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