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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第八章 再会
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444.始まりの村で

 今日は風が強い日だった。

 周囲に身を隠すものは存在せず、冷えた風を一身に浴び続ける。

 涙が零れたのは砂煙が目に入ったせいだと、自分に言い聞かせていた。

 

 お世辞にも、美しい光景とは言えなかった。

 土は盛り返され、木々が崩れ落ちている。最後に訪れた時から、何も変わっていない。

 まだ癒えていない激闘の傷が晒されたその地に、イリシャ・リントリィは独り立っている。


 場所の名前は、カランコエ。

 シンとフェリーの故郷だった。


「よい……しょ……」

 

 イリシャは懸命に、廃墟の破片や土を集めていく。

 自分独りでどうにか出来る量だと思っていない。それでも彼女は、身体を動かさずには居られなかった。

 

「あれは……」


 やがてイリシャは、地面へと突き立てられた一本の剣に視線が奪われる。

 碌に手入れもされていない。錆だらけとなった、安物の剣。

 シンが初めて購入した自分の剣であり、フェリーの胸を貫いた剣でもある。


 それは彼らにとって、『罪』の象徴とも言える存在。

 自らが生み出した炎によって、故郷であるカランコエを。

 家族同然に育ったシンの家族を焼き尽くした思い込んでいたフェリー。

 気が動転しながら彼女は、シンに自らを殺して欲しいと懇願した。


 一方。心の中では拒絶しながらも、彼女の願いを聞き入れたシン。

 大切な女性(ひと)の胸に刃を突き立て、肉が裂ける感触をその手に刻み込んだ。

 血だまりに沈む愛する者の姿は、まだ16歳だった彼の心に深い傷を残した。


 結果として、不老不死となっていたフェリーが命を落とす事は無かった。

 一方で、二人の間に大きな壁を生み出してしまう。実に10年もの間、解消されなかった心の壁が。


 かつて、イリシャはシンへ尋ねた。

 フェリーを殺す事に対して、それで良いのかと。

 

 無神経な言葉は、彼の逆鱗に触れた。

 見ていれば、自然と判るはずなのに。彼が彼女を殺すなんて、望んでいるはずがないと。


「ごめん、なさい……」


 寒空の下で、イリシャはぽつりと呟いた。

 偉そうにシンへ説法を垂れようとしながらその実、彼らの運命を狂わせたのは自分だったのだ。

 彼女の胸の中は今、罪悪感で苛まれている。

 

「シン。フェリーちゃん。カンナさんやケントくんも、ごめんなさい……。

 全部、全部わたしのせいだった……」

 

 いくら頭を下げた所で、喪った人達は戻ってこない。

 それでも。一度口にした結果、堰き止めていたものが壊れる。

 彼女は延々と、嗚咽混じりの声で謝罪の言葉を口にし続ける。


 旅で訪れた時に、長閑でいい村だと感じていた。

 フェリーの口振りから、アンダルもきっと同じ感想を抱いていただろう。

 

 カンナの実家が仕立ててくれた服は、イリシャのお気に入りになっていた。

 軽くて丈夫で動きやすいだけでなく、デザインも自分好みに落ち着いている。


 それでもイリシャは、カランコエには留まれなかった。

 年を取らない自分の体質が、他者と密接に過ごす事により災いを呼ぶかもしれない。

 だから彼女はユリアンの元を離れたし、永い旅の殆どを独りで過ごしていた。


 加えて、未来から来たシンと出逢ったのも彼女にとっての転機だった。

 過ぎ去っていく時間に取り残される中で、未来で再会出来る友人というのは初めての経験だった。

 

 何より彼は、自分が妖精族(エルフ)の女王や魔獣族の王と友人になると教えてくれたのだ。

 人間よりも長い寿命を持つ彼らならば、自分の体質を話しても受け入れられてくれるかもしれない。

 シンとの出逢いは、イリシャは生き続ける希望を見出すには十分すぎる代物だった。


 しかし、その代償は決して小さくないと思い知らされた。

 その希望をくれた友人から故郷や家族を奪い、大切な女性(ひと)を苦しめ続けた。


「本当に、ごめんなさい……」

 

 いくら謝っても赦されないと思いつつも、イリシャはまた謝罪を口にする。

 自分しか存在しない空間で、風に乗って消えるはずの言葉。

 イリシャの思いの丈を、彼の友人は拾い上げた。


「イリシャが謝る必要は、どこにもない」

「……シン」


 イリシャの前に現れたふたつの人影は、共に息を切らせている。

 シンの黒い眼は、真っ直ぐにイリシャを見据えている。そこに怒りの感情はひとかけらも見当たらない。


「ホントに、いた。カランコエに……。よかったぁ……」

「フェリーちゃんまで……」


 もうひとつの人影は、膝を抱えながら金色の髪が地面へ触れそうな程に垂らされている。

 自分の夫が入り込んでしまった少女。フェリーもまた、心配していたのだと瞳で訴えかけてくる。


「イリシャさん。トツゼンいなくなるから、みんなが心配してたんだよ!」

「ごめんね、フェリーちゃん。でも、どうしてもここに行かなきゃって思って……」


 眉を下げながら、フェリーは皆の感情を代弁する。

 イリシャは頭を下げるものの、フェリーと眼が合わせられない。罪の意識に苛まれている。


「イリシャ。イリシャが謝る必要なんて、どこにもない。

 あの時。過去に戻った俺がイリシャに逢えたから、アンダルじいちゃんにも逢えた。

 だから、フェリーにも逢えた。何より、俺が逢いたいと願ったんだ。

 イリシャはただ、切っ掛けをくれただけだ。気に病む必要はどこにもないんだ。

 責任があるとすれば俺だ。それは、ユリアンが俺に言った通りで間違いない」


 シンはイリシャ彼女へ、自分を責めないで欲しいと声を掛ける。

 

 嘘偽りのない本音だった。

 運命の悪戯は、どこから始まったのかは判らない。

 けれど、彼女と出逢えたからこそ今の自分やフェリーが存在している。

 他にも沢山の、大切なものが出来た。


 勿論、苦しんだ日数は決して少なくはない。

 フェリーを傷付け続けた日々は、今でも後悔している。

 

 それでも。

 シンはこれまでの道のりを全て否定したくはなかった。


「シンは……。お人好しだもの」


 優しい言葉に心を動かされつつも、イリシャは素直に受け取る事が出来ない。

 彼の性格上、自分が悪いというのは予測できていた。

 だからこそイリシャは、独断でカランコエへ向かったのだから。


「それはそう。シンは優しいけど、あんぽんたんだから。

 けど、イリシャさん。あたしがそんなシンに逢えたのは、おじいちゃんが居てくれたからだよ。

 イリシャさんがおじいちゃんと旅をしてくれたからなら、あたしもイリシャさんにお礼を言わなきゃだよ」

「フェリーちゃん……」


 フェリーもまた、全てを知った上でイリシャへ感謝の言葉を述べる。

 真っ白だった。『無』だった自分の人生は、カランコエで色づいた。

 イリシャがその切っ掛けを担っているのであれば、フェリーは彼女にも感謝をしなくてはならないと本気で思っている。

 

「それに。カンナおばさんやケントおじさん。

 リンちゃんもかな? きっとイリシャさんを悪いって言うひとはいないよ。

 だって、シンの家族だよ? みんなすっごく、優しいもん」


 えへんと得意げに語るフェリーは、きっと誰よりもその優しさに触れて来たのだろう。

 シンの視線がそっぽを向いているのが、何よりの証拠かもしれない。


 事実、自分がカランコエに訪れた時もそうだった。

 カンナもケントも、短い滞在でとてもよくしてくれた。

 間違いなくその精神は、シンにも受け継がれている。


「……ありがとう、フェリーちゃん。それに、シンも」


 気付けばイリシャは、自然と涙を流していた。

 自分が抱いた『罪』の意識は決して消えないけれど。

 少しだけ、救われた気がした。

 

「それよりも、どうしてカランコエ(ここ)が――」


 ただ、イリシャにはひとつの疑問が残る。

 どうして自分がカランコエに居ると解かったのか。そう尋ねようとした瞬間だった。

 フェリーの中に潜む存在が、溜め込んだ感情を爆発させる。


「イリシャ! どうしてカランコエ(ここ)なんだ!?

 君は間違っている! 私たちの思い出の地は違うだろう!?」


 信じられないと声を張り上げるのは、決してフェリーではない。

 彼女の中へ潜む存在。ユリアン・リントリィが抑えきれない感情を露わにした。


「……ユリアン」

「君にとってこの村は、旅の途中で立ち寄っただけじゃないか!

 他の場所となにひとつ変わらないだろう。なのに、どうして君はカランコエ(ここ)に居るんだ!?

 あの樹はもう、君にとっては何の感情も抱かないというのか!?」

 

 必死の形相でイリシャへ訴えるユリアン。

 彼にとっては理解しがたく、裏切られた気分だった。

 

 二人が共に愛を育んだ芸術の国(クンストハレ)は、旅の狭間に立ち寄っただけの村に劣っているのか。

 愛ゆえに生まれる怒りと悲しみが混じり合った、悲痛な叫び。

 

「ユリアン。勿論、わたしにとっても大切な場所を。

 あなたと出逢った場所を忘れたりなんてしていないわ」

「だったら、どうして……!?」


 ならば、カランコエではなく芸術の国(クンストハレ)へ向かっているはずだ。

 言葉と行動が噛み合っていないと、ユリアンは訴える。


「ユリアンこそ。どうして、わからないの……?」

 

 イリシャはその様が悲しくて、ぎゅっと下唇を噛みしめる。

 自分の愛したユリアンはここには居ないと、否が応でも思い知らされる。


「ねえ、ユリアン。あなたのしたことは間違っているのよ……。

 だから、そんな気持ちを抱えてあの場所へ迎えるはずがないでしょう?」

「間違っている……? 私が……?」


 イリシャが発した言葉。その意味をユリアンは理解できない。

 彼は100年以上も魂のみで存在し続けた。他者の肉体の向こう側で、様々な感情に晒された。

 精神が摩耗していく中、変わらずに残り続けたのはイリシャへの愛。

 

「私はずっと、ずっと君に逢える日を待ち焦がれて来た!

 君も言ってくれたじゃないか! 私だけを愛してくれていると!

 だったら! 僕と君が居るべき場所は、カランコエ(ここ)じゃないだろう!?」

 

 だからこそ、ユリアンにとってイリシャは唯一無二の神聖なる存在なった。

 彼女との再会を果たす為ならば。どんな行動であろうとも、全て正当化されるはずだ。

 ユリアンは本気で、そう思い込んでいる。


「ユリアン。わたしはあなたを愛している。それは、本当よ。

 でも、それは今のあなたじゃない。今のあなたは、わたしの愛したユリアンじゃないもの……」


 イリシャだって本心ではこんな事を言いたくはない。けれど、告げなくてはならない。

 彼にもきちんと、自分が犯した『罪』を自覚してもらう為に。

 自分が愛した。心根の優しい夫と、本当の意味で再会する為に。


「……あなたも、わたしも。間違ったのよ」

「イリシャ? なにを言っているんだ……?」


 金色の髪を掻きむしり、前髪の隙間からイリシャの顔を除きこむ。

 自分へ別れを告げた時以上に暗い表情をしている。その事実が、ユリアンにとって何よりも辛かった。


 愛する妻が、自分を受け入れようとしない。

 ユリアンにとってそれは、考えられない状況だった。


「そんなはずは、そんなはずはない!

 私と君はこれから、共に永遠を生きるんだ!

 永遠の愛を誓った。あれは嘘でないと、証明するんだ!」


 折角、自分の本懐を遂げる時が来たというのに。

 思い通りに進まない現状を前にして、ユリアンはイリシャの想いを曲解していく。


 イリシャはまだ半信半疑なのだ。

 仕方ないじゃないか。死んだと思っていた夫が、別の人間から現れたのだから。

 だから、まずは安心してもらう必要があるじゃないか。

 

 告げなくてはならない。自分達の目指す先を。

 信じてもらわなくてはならない。自分の愛が、どれだけ大きいかを。

 

「――そうはいかない」


 幾重もの言葉と行動で、愛を示さなくてはならない。

 ユリアンがそう思いを馳せる中。

 彼を否定するかのように、一人の青年がはっきりとした口調で否定をした。


「ユリアン・リントリィ。アンタがイリシャと永遠に過ごす日はこない。

 その身体はフェリーのものだ、フェリーに返してもらう」

「……シン・キーランド」


 自分とイリシャを引き合わせた張本人にして、辿り着いた人物。

 アンダルと別れた後。そして、マギアで別行動を取っている間。

 シンがイリシャと行動を共にしていたという事実は、ユリアンの嫉妬を掻き立てる。

 

 尤も。彼のお陰で、周囲が自分の存在を認識した。

 特にフェリーへの影響は大きく、『表』へ出る機会は明らかに増えた。


「やはり、君か。君が存在しているから。

 フェリーはいつまでも強い自我を持ち、イリシャは心を痛めている」

 

 ユリアンにとっては役目を終えた存在だが、他の人間にとっては違う。

 彼がフェリーの心の支えである以上、いつ肉体の主導権が奪い返されるか判らない。

 

 何より、イリシャだ。彼女は明らかに、シンに肩入れをしている。

 ユリアンにとっては、許容しがたい存在。


「君がいなければ、全てが丸く収まるんだ。君さえ、いなければ」

(またっ……!)


 肉体の内側で、フェリーはシンの危機を察知する。

 どうにか主導権を奪えないかと模索しようとした矢先。

 

(……イリシャさん)

 

 ユリアンとシンの間に、イリシャが割り込む。

 両手を目一杯に広げ、シンに触れさせないという強い意思の下。

 

「ユリアン、ダメよ。それ以上は、いけない」

「イリシャ……。どうして、どうしてシンを……。

 そんなに、彼の方がいいのかい? 私がここにいるというのに……」


 ユリアンにとって、シンを護る為に身を呈した彼女の行動は受け入れ難かった。

 やはり、彼はイリシャにとって特別な存在なのかと不安が掻き立てられる。


(ユリアンさん! イリシャさんは、そんなつもりじゃなくって!)


 心の内で不安を察知したフェリーが声を張るが、ユリアンへは伝わらない。

 彼はただただ、眼の前の現実に打ちひしがれている。


「……ユリアン。やっぱり、違うわ。

 あなたは、わたしの愛したユリアンじゃない」

「――っ」


 ユリアンの心が、引き裂かれる様な痛みに晒される。

 イリシャが放った否定の言葉は、明確に拒絶されたとも同義だった。


(ユリアンさん! 今のは、イリシャさんがユリアンさんをキライってわけじゃなくって!)


 彼はイリシャしか見えていない。

 きっと誤解していると、フェリーは心の内から弁明を測る。

 けれど、彼の思考はフェリーが考えているものとは全く違っていた。

 

 例えイリシャから否定の言葉を贈られたとしても。

 ユリアンの存在意義がイリシャへの愛だったという事実は覆らない。

 彼自身もまた、その怒りの矛先をイリシャへ向けるつもりなど毛頭なかった。


「イリシャ、大丈夫。君にとっては突然のことで、思い出せないだけなんだ。

 これからはいくらでも時間がある。ゆっくりと思い出してくれればいい。

 そういえば、夫婦喧嘩なんてしたことはなかったものね。

 これも良い経験だ。これから先の私たちの幸せを彩る、思い出のひとつになるよ」

「……ユリアン」


 イリシャには判らなかった。どうして、そんな思考になるのか。

 自分ただ、彼自身が引き起した悲劇を悔いてほしかっただけなのに。

 

 どんな言葉を放ったとしても、彼の視界には自分にしか映っていない。

 愛を向けられる事がこんなに辛いだなんて、思ってもみなかった。


「一先ずは、お互いが考えを纏める時間が必要だね。

 今日のところは、一度フェリーに身体を返すよ。

 彼女もずっと、身体の中で主張をしているわけだし。

 また逢おう、イリシャ。愛しているよ」


 ユリアンの言葉に、イリシャは返事を行わない。

 案外、彼女は意固地だ。それさえも美しいと、ユリアンが笑みを浮かべた瞬間。

 フェリーと入れ替わる間際の彼へ、シンが一言だけ告げる。


「アンタがどう思っていようと、その身体はフェリーのものだ。好きにはさせない」

「君こそ、あまりイリシャへ近付くな。不安はなくとも、思うところがある」


 まるで噛み合わない会話を残しつつ、ユリアンの意識はフェリーの中へと沈み込んでいく。

 夕暮れのカランコエは、重苦しい空気に包まれていた。

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