441.彼の味方
フェリーの中へと潜む者。
ユリアン・リントリィの存在が、シンによって暴かれて一夜が経過した。
それぞれの思惑が交錯する中。
シンは、妖精族の里にある広場で横たわっている。
穏やかな雲の動きを追い、自らに落ち着くよう言い聞かせているかのように。
ついに辿り着いた。自分の推察は間違っていなかった。
確実に前へ進んでいるにも関わらず、シンの顔は浮かない。
悩んでいる理由は解っている。
フェリーの中へ潜んでいる人物が、ユリアンだったからだ。
彼でなければ。イリシャの夫でなければ、もう少し吹っ切れる事も出来たというのに。
今はただ、運命の悪戯を恨む事しか出来なかった。
「なーに黄昏てんだよ」
そんな中。空を見上げていたはずシンの視界に影が覆いかぶさる。
纏った白衣が青空の代わりに瞳へ映りこむ。
一本に纏めた栗毛の尻尾を垂らすその女性を、シンはよく知っている。
今まで自分を支えてくれた天才発明家。ベル・マレットだ。
「……マレットか」
「なんだよ、腑抜けた返事しやがって」
気の抜けたシンの反応が不服だったのか、マレットは眉間に縦皺を刻む。
独りになりたがっている。シンは露骨な態度を取っているにも関わらず、遠慮なしに彼の隣に腰を下ろした。
「聞いたよ、テランから。
フェリーの中に居たのは、イリシャのダンナだったんだな」
シンと同じように空を見上げながら、マレットはぽつりと呟いた。
故に彼女の表情は判らない。ただ、いつもより声のトーンが低くなっていた。
「……あいつ」
「テランだって、気を使ってアタシと二人の時を見計らったんだ。
あんまアイツを責めるのはやめてやれ」
テランを気遣う彼女の声は、いつものトーンへと戻っていた。
シンは身体を起こし、マレット同様に座りながら空を見上げる。
どんな顔を向ければいいか判らず、そうする事しか出来なかった。
「――で、お前は何を悩んでいるんだ?」
不意に核心を突こうとするマレットに、シンの背筋が震える。
見透かされているのだ。こうやって佇んでいる事自体が、悩んでいる証明なのだと。
「中に入っているのが、イリシャのダンナだからか?」
「……ああ、そうだよ」
シンは顔を空へ向けたまま、頷いた。彼女の前で下手な誤魔化しは意味を持たない。
マレットは経験則から知っているのだから。シン・キーランドという人間を。
彼がどうして悩んでいるのかさえも。
「お前はあれだけ、フェリーを元に戻そうとしていたんだ。
今更、イリシャのダンナが中に入ってるからってそれを覆せるわけないよな。
だったらイリシャには悪いけど、フェリーの身体から出てってもらうしかないだろ」
「……それで済むなら、俺だってそうしたいに決まってる」
彼女の指摘は、自分が成し遂げるべき理想そのものだった。
もしも知らない誰かがフェリーの中へ潜んでいたのなら、迷わずそうしただろう。
ユリアンだから。イリシャの夫だからこそ、こうしてシンは頭を悩ませている。
「済まない理由はなんだ? イリシャから恨まれるのが、責められるのが怖いからか?
だったらそのために、お前は自分の故郷を失ったことを受け入れるのか?
それだけじゃない。フェリーを永遠に生き続させるつもりか? お前が居なくなった後も、ずっと」
「……解ってる。解ってるんだ。ユリアンの行いが、間違っていることぐらいは。
でも、それでも俺は。少しだけ、奴の気持ちが理解できるんだ」
自分の肉体を失っても、精神が摩耗しても。それでもただ、愛する人を追い掛ける。
もしも自分が彼と同じ立場であったなら、そうしないとは言い切れない。
フェリーを護る為に人の命を奪った、一線を越えた自分だからこそ、どうしても切り離せない感情だった。
マレットはちらりと、視線を横へと流す。
視界の隅で捉えたのは、苦しそうに顔を歪めたまま声を絞り出すシンの姿。
共感をしていると言いながらも、彼は理解しているのだ。ユリアンの行いが、間違っているという事に。
「ったく……」
今まで、ずっと見て来たから知っている。彼はいつもこうだ。
お人好しが故に、自分の望みを後回しにする。
だからこそ、はっきりと言ってやらなくてはならない。
「いいか、シン。はっきりと言ってやる」
徐に立ち上がったマレットは、シンの目の前に立ちふさがる。
空を見上げていた彼の視界は、再び腕を組む白衣の女性に覆われる事となる。
「例えお前が同じ立場になろうとも、お前は絶対にそうならない。
お前は護るために誰かを傷付けても、自分のために誰かを傷付けたりはしないからだ」
堂々と、力強く。
彼自身も理解していない、シン・キーランドの本質を突きつけていく。
「だから、お前を慕うヤツらが増えたんだ。
誇っていい。それは紛れもなく、お前の長所だよ」
「なんなんだよ、急に……」
「いいから聞け」
マレットが何を伝えようとしているのか、シンには理解しきれていない。
ただ、彼女の真剣な表情を正面から受け止めなくてはならないという事だけは、感じ取っていた。
「だけどな。一番大切なものを見誤るなよ。
お前たちが今まで旅をしてきたのは、戦ってきたのはフェリーのためだろう」
マレットは心を落ち着かせるかの如く深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
悩んでいる彼の背中を押す為に。一歩を踏み出させる為に、真っ直ぐとシンと眼を合わせながら、彼女は思いの丈を伝えた。
「悩むのは後だ、もっと我儘になれ。
お前はお前のやりたいようにやっていいんだ」
お人好しで、困っている人を放っては置けない。
逢ったばかりの、名前も知らない子供さえも救ける。
自らの過ちを悔いている人間を、立ち直らせてくれる。
そんな彼が、例え己の為だけに力を振るおうとも。
マレットは力を貸す事を厭わない。その根底も、間違いなく優しさから来るものだと知っているから。
「例えそれが原因で皆にそっぽ向かれても、アタシだけは協力してやるよ。
仮に全員敵に回しても、ちょうどいいハンデぐらいだろ」
「……お前が居れば、本気で勝ちかねないな」
「だろ?」
そういうとマレットは、普段の調子と同じようにケタケタと笑い始める。
シンは心に纏わりついていた重しが、一気に取り除かれたような気分だった。
今まさに、自分は彼女に救われているのだと実感をする。
「待つのだ。勝手に話を進めるでない!
余だって、シンの味方になるぞ!」
「……レイバーン」
直後、立ち上がったマレットの更に頭上から。
3メートルを超える鼠色の巨体が自分達を覆い尽くす。
これだけの巨体だ。今更、誰かを確認するまでもない。
魔獣族の王、レイバーンがその優れた聴覚を以てシン達の会話を耳に入れていた。
「おうおう。盗み聞きとはいいシュミしてんな、ダンナ」
「う、ううむ。余もそんなつもりはなかったのだがな……」
らしくない。恥ずかしい内容の会話を聴かれてしまった事を誤魔化すかの如く、マレットはニヤニヤと笑みを浮かべる。
あまり良い行いと言えない行動を咎められたような気に陥り、申し訳なさそうなレイバーンは彼女の真意に気が付いていない。
あくまでレイバーンは。だが。
「レイバーンは悪くないよ。聴こえてなかったら、私たちが置いてけぼりだったもん」
「そうそう。それに、気にしなくてもいいと思いますよ。
ベルさんは照れ隠しをしているだけですから」
「む、そうなのか?」
ひょいと、彼の肩から顔を覗かせるのは妖精族の女王であるリタ。
更に影からはオリヴィアが姿を現す。
「リタ、オリヴィアまで……」
これはもう、言い逃れできそうにない。
数分前の恥ずかしい発言を思い返し、マレットの顔が引き攣る。
何より、 会話を聴いていたのはこの三名だけではなかったのだから。
マレットが動かした視線の先には大勢の人間が居た。
アメリア、ピース、フローラ、ギルレッグ、テラン、ストル、トリス。この旅で知り合った、仲間達が。
「すまない。ベル、シン。僕は出来るだけ遠ざけようとしたんだが……」
「……テラン」
唯一事情を知るテランが謝罪をするものの、その顔は申し訳なさそうには見えない。
彼らの間で何を思っていたのか。むしろ、うっすらと笑みを浮かべていた。
「マレットの行動パターンが単純すぎるのが悪い。
大体、ずっと研究してるか、シンさんやフェリーさんにちょっかいかけるか、イリシャさんのトコでメシ喰ってるだけじゃん」
「こんにゃろ……。お前か……」
予想が当たったと胸を張るピースに、マレットはしてやられたという顔をする。
仕返しを恐れ、ピースがレイバーンの影に隠れるのと入れ替わるように、アメリアがその口を開いた。
「見ての通りです。皆、シンさんの力になりたいんですよ。
全員を敵に回すなんて悲しいことを言わず、どうか私たちにも相談をしてください」
シンの高さにまで視線を落とし、アメリアは微笑む。
目を点にしているシンの姿はとても新鮮で、なんだかおかしかった。
「それに、嫌だと言っても私たちは協力をしますよ。
だって、シンさんたちだって何も言わずに手を貸してくれたじゃないですか」
彼だって、突如現れては力を貸してくれた。だったら、今度は自分達がそうしてもいいだろう。
満面の笑みを見せるアメリアの意思は強く、揺るがない。
「お姉さまの言う通りです。と言うわけで、大抵のことはどうにかなりそうですね」
「だってよ、シン。これはもう、観念するしかなさそうだな」
その後ろで、オリヴィアがうんうんと頷く。
気付けば勝手に外堀が埋まっているこれはもう拒否できないだろうと、マレットがケタケタと笑っている。
「さあ、シン。お主の願いを言うが良い」
褒美を授ける王のような佇まいで、レイバーンが高らかに笑う。
皆が聞きたがっている。シンの望みを、彼が救おうとしているものを。
「……みんな、ありがとう」
シンは徐に立ち上がり、皆と視線を交わす。
人間だけじゃない。妖精族や魔獣族、小人族だっている。
これほどまでに自分が仲間に恵まれると言われて、旅に出たばかりの自分達は信じるだろうか。
大きな戦いにも首を突っ込んだ。蔓延る悪意も、放っては置けない。
いつしか、この旅は自分とフェリーだけのものではなくなっていた。
「俺の本音は。したいことは――」
だからこそ、彼は告げる。
自分が胸に抱えたもの。本当に成し遂げたいことを。
この仲間達なら受け入れてくれる。改めて、そう思えたから。