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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第八章 再会
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436.迷走する愛

「ユリアン! 本気で言っているの!?」


 全ての原因はシンにある。

 ユリアンが彼へと突き付けた言葉に異を唱えたのは、イリシャだった。


 顔を真っ赤に紅潮させ、眼からは涙が溢れそうになっている。

 興奮しているのは誰の目から見ても明らかで、だからこそユリアンは驚いた。


「本気に決まっているじゃないか。イリシャこそ、どうしてそんなに怒っているんだい?

 君のそんな顔……。私は、初めて見たよ」


 夫婦として、家族として暮らしていた時も。

 アンダルの中から見守っていた時も。

 そして、フェリーと共に過ごしていたこの時も。

 こんなに怒りを露わにする彼女を見た事が無かった。


 無論、状況によって必要とあらば怒るだろう。

 けれど、ここまで感情が昂るとなれば相当の事だ。


 彼女が涙を流すのならば、歓喜から来るものだと思っていた。

 二度と逢えないと思っていた(じぶん)との、感動の再会。

 奇跡にも等しい所業を成し遂げたというのに。彼女は、喜んでくれていない。

 ユリアンにとってそれは、想像だにしていない展開だった。


「ユリアンこそ……。あなたが本当にユリアンだって言うなら、どうして解らないの!?」


 唖然とするユリアンは、本気で理解していない。

 自分の知っている夫からは考えられない。だからこそイリシャは、声を荒げた。

 

 ユリアンは心優しい人物だ。他者を慮り、困っている人がいれば躊躇なく手を差し出す。

 損をする事もあったけれど、彼の周囲では笑顔が絶えない。そんな彼だからこそ、イリシャは愛した。

 

 それなのに、今のユリアンはどうだろうか。

 彼は自らの行いを、悪いものだと認識すらしていない。

 全ては自分と再会する為に。その為だけに奪ったのだ。

 シンの家族を、ふたりの故郷を奪った。何の躊躇もなく、焼き払った。


 イリシャはシンの顔が直視できない。

 怖かった。彼がどんな顔をしているのかを確かめるのが。

 

 震える腕を、自らで掴んでは抑えようとするが効果はなかった。

 力を込めているはずなのに、上手く伝わっていない。

 やがて乾ききった唇が渇きを訴え始めるものの、解消してやる余裕などイリシャには無かった。


「解らない? そう、私こそ解らないよ。

 私は待ち焦がれたんだ。こうやって、君に再び想いを告げられる日が来る事を。

 今日は記念するべき日なんだよ。なのに、君はどうして解ってくれないんだい?」

「あなたこそ……っ!

 わたしに逢うためだけに、どれだけの人の人生を狂わせたの!?」


 命を奪った者だけではない。フェリーに至るまでに、彼が乗り移った者達。

 ユリアンは100年を超える刻の中で、多くの人生を狂わせてきただろう。

 愛する妻に逢いたいという、その一心だけで。

 

「仕方ないだろう、運命とはそういうものじゃないのか?

 私たちだって、一度は離れ離れになってしまったじゃないか。

 人は誰しも、運命を選べやしない。乗り越えるかどうかは、本人次第だ。

 私は君への愛で乗り越えた。ただそれだけのことなんだ。

 君が気に病むものは、なにひとつないじゃないか」


 イリシャは沈痛な面持ちを浮かべる事しか出来なかった。まるで話が通じていない。

 ユリアンは自分しか見えていない。その現実に、彼女はある種の絶望を抱いていた。


「強いて言うならば、30年前。私たちが出逢った時だ。

 シン・キーランド。君は自分に待ち受ける運命を知っていたのだろう?

 君にはあったんだ。運命を変える機会(チャンス)が。そうしなかった以上、全ての責任は君にある」


 ユリアンの指摘は、シンも過去で思い悩んだものだった。

 それでも尚、シンはフェリーを救うと決めた。彼女と出逢わない世界を、拒絶した。


 まだ機会(チャンス)はあった。冒険者として、二人に旅へ出れば良かったのだから。

 初めての冒険で失敗して、戦う事の怖さを知った。フェリーが護れる自信を持てなくて、連れていけなかった。


 アンダルには、カランコエの末路を話していない。

 即ち、消滅する事はユリアンも知り得ない。選ばせない可能性はあった。

 

 過去から戻ってきて、察した時には手遅れだった。

 幾度となくあった機会(チャンス)を、活かす事が出来なかった。

 あの惨劇は自分が引き起したと糾弾されても、何も言い返せない。


「ユリアン、あなたは間違っているわ……。

 自分の我欲(エゴ)を、『運命』だなんて言葉で片付けないで。

 わたしの愛したユリアンは、そんな男性(ひと)じゃなかった……!」


 イリシャは気持ちがもう、抑えられない。声を震わせ、涙が頬を伝う。

 泣く資格はない。全ては自分が蒔いた種だと思っていても、抑えられない。

 

「イリシャ。どうしてそんなに悲しそうに泣くんだい?

 どうして? どうして――」


 ユリアンは眼前で起きている光景が理解できず、狼狽える。

 もう彼女は、自分を愛していないのだろうか。

 いや、そんなはずなない。彼女はただ、混乱しているだけだと自問自答を重ねる。

 

 計画通りだった。自分は遂に、運命に打ち克ったはずだった。

 上手く行かない理由はただひとつ。彼女(イリシャ)を困らせる、異物(シン)の存在だという結論へ彼は至る。


「シン・キーランド。やはり君が。君が居るから……っ!」


 ユリアンがシンへ向けたもの。それは、フェリーと同じ顔とは思えない鬼の形相だった。

 考えてみれば妙な話だ。イリシャは明らかに、シンを懇意に扱っている。


 自分の。リントリィ家の墓の存在を、彼は知っていた。

 アンダルと別れた後に、イリシャと共に向かったからだ。

 自分達が紡いで来た大切な場所を、彼は教えられていたのだ。


 指輪だってそうだ。ユリアンは肉体を棄てるが故に、断腸の思いで手放した。

 イリシャがずっと持っていてくれる。それだけで報われるから。

 願いは叶っていた、彼女は今も大切に持っていてくれている。

 だが、一度だけシンに預けた。その事実だけは、受け入れられない。


「君はどうして、私とイリシャの間に土足で踏み込んだ?

 許せない。君は私にとって、許し難い存在だ……!」


 嫉妬で胸が妬かれていくのを感じる。

 怒りの赴くがまま、ユリアンは右手に炎を宿す。

 シンの目線にまで上げられた腕は、ゆっくりと彼へ近付いてゆく。

 

「ユリアン、妙な気は起こさないで! シンは何も悪くないじゃない!

 わたしが話しただけ、預けただけなのよ! あなたが怒る相手は、わたしよ!」


 矛先が向ける間違っていると、イリシャは主張する。

 だがそれは、今のユリアンにとっては逆効果でしかない。


「イリシャ。やはり君は、彼を庇うんだね。

 でもそれは、一時の気の迷いだよ。原因を取り除けば、すぐに忘れられる」

「ユリアン!」


 自分の想いなど、なにひとつ伝わっていない。

 深い悲しみに圧し潰されそうになりながらも、イリシャは声を荒げる。

 絶対にシンを殺させてはならない。他の誰でもない、フェリーの身体でそんな事はさせられない。


「アンタがどう思おうと、俺はまだ死ねない」


 腰から銃を抜き、そのままシンは構える。

 向けられた銃口を前にして、ユリアンは動きを止める。

 

 決して銃を恐れた訳でも、警戒した訳でもない。

 眼前で起きた茶番に、薄ら笑いを浮かべていた。


「出来るはずがないだろう。君が誰よりも、理解しているじゃないか。

 この身体はフェリー・ハートニアのものだ。

 撃てるはずがない。君は彼女を傷付けたくはないのだから」


 シンの表情は変わらない。ただ、ユリアンの指摘は的を射ていた。

 銃を構えながらも、シンの指は震えを抑えるので精一杯だったのだから。

 

「私は知っているんだ。10年間見て来たのだから。

 鉄仮面を装い、『死』を望む彼女を苦悩しながら傷付ける様を。

 それが彼女の望みだったとはいえ、よくも精神が耐えられたものだ」


 決して表情に出してはならないと、シンは奥歯を噛みしめる。

 だがそれは、ユリアンの認識が正しいという証明でもあった。


「彼女の望みとはいえ、辛い役回りだっただろう。

 その苦しみから解放された今、君はもうフェリーを傷付けられるはずがない。

 銃を下ろしたまえ。万が一でも起きれば、君は()()自分が赦せなくなるだろう」

 

 シンの苦しみを間近で見て来たからこそ、ユリアンは雄弁に語る。

 彼は決して、シンの精神を甚振りたい一心で語っているのではない。

 

 愛する者を傷付けるという行いは、とても醜い。

 例え他人であっても。嫌いな人物でもあっても、それを見たくはない。

 ましてや、見せたくないのだ。自分が愛する女性に、そんな醜い光景を。


「それでも、俺は……っ」


 ユリアンの言葉は、シンの心の傷を抉っていく。

 これが彼以外であれば、シンが本当に撃つ可能性を考慮したかもしれない。

 そういう意味では、ユリアンは他の誰よりもシンを理解していた。

 

 彼の指摘は図星だった。シンはもう、フェリーを撃てない。

 例え傷が治るとしても、彼女を傷付けていい理由にはならない。

 心が見透かされている以上、シンの行動は抑止力として働かない。


「君のことは嫌いだが、おかげでこうしてイリシャに逢えた。

 そのことだけについては、感謝をしているよ」


 炎を纏った腕が再び伸び、焦げた臭いが部屋へと充満していく。

 指先がシンへと触れようとした瞬間だった。


「ダ……メーッ! ゼッタイに、ダメ!

 シンをキズつけないで!」


 世界で一番。他の誰よりも。

 その未来を拒絶する少女が、声を張り上げる。

 大きく肩で息をしながら、腕を下ろす少女。纏っていた炎は、いつしか消え去っていた。


「フェリー」「フェリーちゃん……」


 声のトーンも。大きな瞳に浮かべた涙も先刻までとはまるで違う。

 紛れもなくこの肉体の持ち主。フェリー・ハートニアから発せられる仕草だった。


(……自らの意思で、主導権を奪い返したか)


 フェリーの胸の内。閉ざされた世界で、ユリアンは自分の意識が定位置へ戻った事を認識した。

 いくらなんでも、シンを煽り過ぎたか。彼の危機に、彼女が抵抗を試みないはずがない。

 こうなった以上、暫く肉体の主導権を握らせてくれそうにはない。

 こうなるならばイリシャにもっと触れておけばよかったと、ユリアンは後悔をした。

 

「ゴメン、イリシャさん。せっかくだんなさんに逢えたのに。

 でも、シンがキズつけられるのは見てられなくって……」


 申し訳なさそうに眉を下げるフェリーが、イリシャにとっては何よりも辛かった。

 シンもフェリーも、運命を捻じ曲げられた側だというのに。

 

「いいえ。むしろ、わたしが謝らなければいけないのよ。

 わたしの夫が。ユリアンが……。あなたたちの大切なものを、奪った……。

 今だってそう。シンを手に掛けようとした。

 ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」


 自分がユリアンの反対を押し切って、家を出たからこの悲劇は起きた。

 涙声になりながらも、イリシャは謝罪の言葉を絞り出す。

 鼻で息が出来ず、呼吸が浅くなる。泣く資格がないと解っていても、身体は意識に背いている。


 これ以上は居られない。

 何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、イリシャはフェリーの部屋を後にした。

 

「ユリアンさんとシンのお話。あたしも、ずっと聴こえてた」

「……そうか」


 二人きりになった部屋で、沈黙を破ったのはフェリーだった。

 どんな表情をすればいいのか、彼女自身も判っていない。

 けれど、決してシンから眼を逸らそうとはしない。してはいけないと、感じている。


「あたしの中に、イリシャさんのだんなさんがいるのはビックリしたケド……。

 ひとつだけ、良かったって思っちゃったんだ。ホントはこんなコト、思っちゃいけないのに」


 真実が明かされていく中。フェリーは苦笑いをする。

 シンはじっと彼女と視線を交わしたまま、彼女の言葉を待っていた。


「おばさんもおじさんも、リンちゃんも。あたしが、殺したワケじゃない。

 それがわかって、少しだけ……安心しちゃった……。サイテーだね、あたし」

 

 自分がもっと意思の強い人間だったなら、あの悲劇は回避できたかもしれない。

 そう思いつつも、フェリーは安堵してしまった。

 

 大好きなみんなを手に掛けたのは、自分ではない。

 シンはその事実を暴いて見せた。それだけで間違いなく、彼女は救われたのだ。

 

「ゴメンね、シン。あたしがもっと強かったら。

 きっと、ユリアンさんが村を焼くこともなかったのに」


 ただ、安堵したのはほんの僅かな時間だった。

 悲しみの波はすぐさま、フェリーを呑み込もうとしている。


「いや。フェリーは何も悪くない」


 シンは彼女の頬へ手を伸ばし、そのまま涙を拭い取る。

 鍛えられた彼の手はとても分厚く、皮膚が僅かにささくれている。

 痛いような、くすぐったいような感触が肌に伝わる。

 

「シンの手は、おっきいね」

 

 フェリーは自分の小さな手を上から重ねる。

 肉厚が大きくて、硬い。頑張っている人の手。

 彼女がとても大好きな手だった。


「……ねえ。シンは、はじめから誰かがいたって思ってたの?」


 フェリーの問いに、シンは首を横に振る。

 

「いや。テランに指摘されるまでは、その可能性を考えたこともなかった。

 だけど、絶対にフェリーが自分の意思でしているはずがない。

 それだけは、信じてた」

「そっか」


 自分が自分を信じられない間も、シンだけは信じてくれていた。

 嬉しいと感じる反面、フェリーは申し訳ない気持ちになり下唇を噛みしめる。


 ユリアンが言っていた。シンは苦悩しながら、自分を傷付けていたと。

 本当に、辛い役目を彼に押し付けてしまったと後悔をする。


「シン、ゴメンね。それと、ありがとう」


 きっとどれだけ謝っても、どれだけお礼を言っても足りない。

 けれど、言わなければならない。


「ああ」

 

 フェリーの気持ちを汲み取ったシンは、小さく頷く。

 ただ、問題はなにひとつ解決していない。


 ユリアン・リントリィからフェリーを解放しなくてはならない。

 シンにとって何よりも大切な戦いであるにも関わらず、彼の胸にはまだ蟠りが残っていた。

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