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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第八章 再会
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435.彼が彼女を選んだ理由

 まるで己の内側に閉じ込められているような、不思議な感覚。

 それはフェリー・ハートニアにとって、初めての経験だった。

 意識ははっきりとしているのに、自分の意思では指一本すら動かせない。

 

 自分と同じ声。けれど、どこか高揚の抑えられた声が自分の代わりに発せられる。

 視線に至っては、シンとイリシャを交互に見ているようだった。


(ほんとうに、イリシャさんのだんなさんなんだ……)


 イリシャへと向けている視線を内側から感じ取り、フェリーは納得せざるを得なかった。

 声のトーンとは裏腹に、彼女を見る目には全くの敵意を感じない。

 紛れもなく彼女の夫であると、ユリアンは視線だけで雄弁に語って見せる。


 一方で、シンに対してはイリシャへ向けるそれとは顔色が異なる。

 正体を見破られたという焦りは、不思議と失われていた。

 むしろ、よくぞ辿り着いたという感心が含まれているようにも思える。

 尤も、それらを掻き消す程のシンへの敵意も同時に感じ取っていたが。


 激しく動悸をしていた先刻までとは打って変わり、きつく搾り上げられるような痛み。

 焼け焦がれる様な胸騒ぎはユリアンの心情によるものだろう。

 フェリーにそうなる理由はない。むしろ、ユリアンとは真逆の感情を抱いていたのだから。


(シン、ムリしてるんだ……)


 正体を暴いた。追い詰めようとしているはずなのに。

 真っ直ぐとユリアンを。自分の身体を見下ろしているシンの表情には、鋭い眼光を向けているにも関わらず覇気を感じられなかった。


 解っている。フェリー・ハートニアは誰よりも知っている。

 優しいのだ。シン・キーランドは誰よりも優しいのだ。


 シンは自分に眠る存在を追い詰めようとする一方で、自身も深く傷ついている。

 身勝手な理由で、安らかに眠っていた者の墓を暴くような真似をした。

 態々、自分が言うまでもなかったのに。彼は、非難を承知で動いていたのに。


 そして何より、自分の中に潜む正体が予想通りイリシャの夫(ユリアン)だった。

 勘付いていたのに、言葉に出来なかった理由。それは単に、慮っていたのだろう。

 間違いなく心を痛めるであろう、イリシャを。


 自分を救おうと必死な一方で、イリシャとユリアンを慮っているのだ。

 彼は今、感情を抑え込んでいる。家族の、故郷の仇を目の前にしても、怒りを表に出そうとはしていない。

 

(シン、ありがと。やっぱり、シンはやさしいね)

 

 初めて内側から見る世界は、フェリーに新たな発見を齎した。

 本当はもっと我儘に。感情の赴くままに述べたい事もあっただろうに。

 

 自分を押し殺してでも他者を思いやる彼が心から愛おしい。

 それはきっと、恋心を抱いた時からずっと感じていものなのだろうと。

 

 ……*

 

「考えてみれば、リントリィ家の墓も不自然だったんだ。

 最初に刻まれている名前はイリシャだ。代々伝わる墓ではなく、イリシャのためにアンタが建てた。

 あれはきっと、アンタの未練だ。イリシャはまだ生きている。死者と共に供養は出来ないという、アンタの本心だ」


 フェリーが内側から見守っているとは露知らず、シンはユリアンへ己の考えを述べていく。

 ユリアンは否定しない。シンの仮説が正しいのだと、認めていく。

 

「驚いた。君と私は初対面のはずなのに。ここまで心の内を言い当てられるとは。

 イリシャは生きている。それなのに、他の人間と同じ墓へ入れられるわけがないだろう」

「……そこから先、アンタたちの子供が眠っていったのは想定外か」

「いいや。私が息子へ頼んでいた。『次からは、この墓がリントリィ家のものだ』と。

 イリシャが居たからこそ、紡がれてきた命だ。彼女には知る権利がある。

 いや、知ってほしかった。私たちの愛は、不滅のものなのだと」

 

 慈しみの込められた表情が、イリシャへと向けられる。

 ユリアンとイリシャから始まったその後の軌跡を、ユリアンはどうしても知ってほしかった。

 見て欲しかったのだ。彼女が紡いだ、これまでの時間を。


「でも、ユリアン! だったら、どうしてあなたは、ここにいるの!?

 どうしてあなただけが、今もフェリーちゃんの中で生き続けているの!?」


 けれどそれは、新たな疑問を抱かせる。

 紡いで来たものを見せるなら、新たに建てられたリントリィ家の墓で十分ではないか。

 ユリアンが今もこうやって、ユリアンの魂が存在し続けている。その理由にはなり得ない。


「どうして? 決まっているじゃないか」


 ユリアンの眉が微かに動く。

 それは自分の気持ちがイリシャへ伝わっていないという疑念から繰り出されたものだった。

 尤も、彼はその程度では狼狽えない。100年以上の時を経て、漸く愛する者を言葉を交わせたのだ。

 問答ひとつとっても愛おしい、掛け替えのない時間となる。


「君にもう一度、逢うためじゃないか。私は君を永遠に愛すると誓っただろう。

 君が年老いることはないというのなら、私も永遠に生きなければ道理が合わない」

「ユリアン……。答えに、なってないわよ……」


 心の持ちの問題で、命が尽きるまで愛し続けるというのなら解る。

 けれど、おかしいじゃないか。人は愛だけで、永遠に生き続けられるはずがない。

 

 この状況そのものがおかしいのだと告げるイリシャに対して、ユリアンは首を傾げる。

 その仕草はフェリーとはまるで違っていたのに、既視感がある。

 忘れるはずもない。愛していた夫の仕草に、よく似ていたのだから。


「そうか。イリシャはまだ混乱しているんだね。

 安心して欲しい。私は正真正銘、君の夫だ。

 肉体は喪ってしまったけれど、ユリアン・リントリィで間違いないよ」

「そうじゃないのよ、ユリアン!」


 あくまで自分しか見ていないユリアンに、イリシャは声を荒げた。

 

「アンダルは決して、不老不死じゃなかったわ!

 それまでの間はどうしていたの!?」

「その通りだ。アンダル・ハートニアからフェリー・ハートニアへ移るまでの間。

 私は色んな人間の身体を転々としていた。定められた時間へ肉体を巻き戻す、君たちのいう不老不死の術式が完成するまで」

「それがギランドレの遺跡で、隠そうとしていたものか」


 イリシャとの会話を割って入るシンへ、ユリアンは嫌悪を示した。

 彼女への態度とは打って変わって、ユリアンは短く「そうだ。真似をされたくはなかった」と短く返す。

 

「アンダルの中に居たなら、どうして言わなかったの!?」

「君も知っているだろう。あくまで身体を間借りしているだけだ。

 その人間の意思が強ければ、私が表に出ることは出来ない」


 彼の言葉に嘘偽りはないだろう。

 フェリーとてユリアンの感情が溢れ出る事はあっても、普段は身体を乗っ取られてはいない。

 

「アンダル・ハートニアの身体で君に逢えた時は、声を掛けるので精一杯だった。彼は強い人間だったから。

 ただ、それだけでも私には100年以上も逢えなかったんだ。彼の内で、歓喜に打ちひしがれていたよ」

 

 高揚する彼の言葉は、当時の感情を思い返させるものだった。

 様々な人間の身体を転々として、ユリアンはここに居る。

 どれだけイリシャに逢いたいと咽び泣いても、叶わない時間を耐え続けてながら。


「けれど、アンダルは強い人間だ。彼にも愛する妻が居たから、ずっとイリシャに靡いているはずもない。

 また逢えなくなる。今度は何年。何十年。何百年待てば、君と再会できるのか。

 そう考えるだけで、気が狂ってしまいそうだった。

 だから、シン・キーランド。君がとある少女の存在を報せてくれた時は僥倖だった」


 ユリアンはここで初めて、シンへ笑顔を見せる。

 感謝の言葉が込められているとは思えない、とても冷たい笑みを。


「君が未来から現れた存在だと、俄かには信じ難かった。

 けれど、君は指し示してくれた。未来で君が少女を連れて、イリシャと再会すると教えてくれた。

 それも天涯孤独の少女だと言うじゃないか。私にとってはこれ以上ない、最高の人間。

 私の想いが通じたのか。妻を喪い、心の隙間を埋めようと藻掻いていたのか。アンダルが了承したことも幸いだった。

 また耐えなければならないが、イリシャに逢える。不思議なものだな、解っていればいくらでも耐えられる」


 初めてフェリーと逢った時。彼女が流した涙の理由を、イリシャは漸く理解した。

 あれは待ち遠しかったのだ。中に潜むユリアンが、32年ぶりに会えたという歓喜を示していたのだ。

 

「だったら、フェリーちゃんの中から――。

 それこそ、ずっとわたしの中に居ればいいじゃない!」

「嬉しい提案だけど、それは出来ないよ」


 ユリアンの目的は達成した。全ての原因が自分にあるのなら、集約するべきだ。

 そう主張するイリシャに、ユリアンは首を横へと振る。


「時間を巻き戻す魔術。つまり、不老不死の法は魂を肉体に定着させている。

 つまり、この術式を解けば私は消えてしまうんだ。永遠に、フェリー・ハートニアからは離れられない」

「そんな……」


 術式を解かない限り、フェリーは不老不死の身体で居続ける。

 そしてユリアンはイリシャと永遠に生きる為、フェリーを不老不死とした。

 それは暗に、フェリーを救えないと告げられたようなものだった。

 

「私の考えでは、イリシャと再会をすれば全てが無事に終わるはずだったんだ。

 けれど、誤算が起きた。虚無の存在だった彼女は、あの小さな村でみるみる『自分』を形成していったんだ。

 私がアンダルから移る前よりも、もっと早く」


 フェリーを引き取ったアンダルは、彼女に目一杯の愛情を注いだ。

 キーランド家もそうだ。彼女を家族の一員として迎え入れた。

 カランコエで幸せな日々を送ったフェリーの中で、ユリアンが介入する余地は失われていく。

 

「だから、当時は焦ったよ。『失敗したのではないか、運命を変えてしまったのではないか』とすら思い悩んだ。

 アンダルが亡くなった後。シン(かれ)は冒険者として一歩を歩み出し、フェリーはずっと留守番をさせられていたのだから。

 このままでは彼だけが、イリシャと再会してしまうのでないかと慄いていた。

 だから、必要だったんだ。二人で旅に出る理由を、用意しなければならなかった」

「待って、ユリアン。もしかして――」


 そこから先の話を、イリシャは聞きたくなかった。

 彼が何を言おうとしているのか、想像がつく。

 

 シンは表情を一切、変えてはいない。

 だからこそ、イリシャの胸は締め付けられるようだった。


「――俺の家族を。村の皆を焼き払ったのは、アンタなんだな」


 シンがぽつりと呟く。

 ここまで鉄仮面を装っていた彼が僅かに見せた、悲しみでもあった。

 

「ああ、君が察している通りだ。君がフェリーを独りにするから、彼女の心に隙間が出来た。

 私からすれば、運命を感じた。他人に流されてばかりではいけないのだと、思い知らされた。

 欲しいものがあるならば、自分の手で掴まなくてはならない。そのために、私は君たちの背中を押した」

(……そんな)


 僅かに笑みを浮かべるユリアン。

 一方で、その身体の持ち主であるフェリーの心境は真逆だった。

 

 ずっと自分が悪いのだと思っていた。だから、シンに殺される事が償いだとも考えていた。

 けれど、違う。シンは自分を好きだと言ってくれた。自分はただ、彼に好きな人間を傷付けさせていただけだった。

 

 明かされた真実は、フェリーにとって残酷なものとなる。

 誰も見ていない心の中で、少女は咽び泣いた。


「なんてことを……」


 未だ信じられないと膝から崩れ落ちるイリシャ。もうシンの顔も、フェリーの顔も直視できない。

 ユリアンは項垂れている彼女へと目線を合わせ、僅かに苦笑した。


「不安だったんだ、私も。だってそうだろう? 君は大切な指輪を、他人に預けた。

 勿論、そのおかげでこうして再会できたわけだけれど……。

 君の気持ちが私から離れてしまったんじゃないかと不安になるのも、仕方ないじゃないか」

「あれは……っ」


 自分が道標となる為に、シンに持たせたもの。

 違う。それは運命を知っていた、()()の自分の理屈だ。

 当時の自分は驚いていたじゃないか。ユリアンだって、不安を抱いてもおかしくはない。

 

「だから、再会した時は嬉しかったよ。私とアルを、今も想ってくれていたと知れたから」


 思い出されるのは、イリシャが住んでいた小屋での出来事。

 彼女は自分達家族の絵画を大切に持っていた。200年もの間、ずっと。

 その尊さは自分と同じだ。愛は不変だと教えてもらった。

 

「許してくれ、イリシャ。全ては君を護るためなんだ」

「赦すのは、私じゃないわ……。自分のしたこと、解っているの……?」


 顔を俯かせたまま、イリシャは吐き捨てるように呟いた。

 きょとんと眼を丸くするユリアンだったが、のちに合点が言ったのか。

 彼は徐に立ち上がり、シンへと向き直る。

 

「カランコエを。シン(かれ)の村を消したことを悔やんでいるのかい?

 君が気に病むことじゃないよ。だってそれは彼が、原因じゃないか」


 ユリアンの指摘を前にして、シンの顔が強張る。


「彼も知っていたはずだ。フェリーが共に、アンダルから冒険譚を聞かされていたと。

 それでも彼は、フェリーを置いて行った。彼女の願いとは反して。

 このままではいつか、彼だけが村を飛び出してしまうのではないかと思った。

 シンがはじめからフェリーを連れていれば、何も問題がなかったんだ」


 聞くに堪えない、無茶苦茶な理屈だ。

 なのに、あたかもそれが最適解だったかのように聴こえてしまう。

 何より、ユリアン自身がそれを正しいと信じ切っている。


「だから、シン・キーランド。君の家族を殺したのは、君自身だ」


 細く美しい、白い指を伸ばすユリアン。

 フェリー・ハートニアと同じ身体とは思えない所作で、彼は突き付ける。


 愛する者。イリシャ・リントリィ以外はどうでもいいと言わんばかりに。

 自分勝手な理屈を、他者へと押し付けていた。

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