432.確かめなければならないこと
「殿下。この度は転移魔術の設置をご承諾いただき、誠にありがとうございます」
リオビラ王国にて。ミスリアからの使者という形で、フェリー達は王子と対面していた。
堂々とした所作で話を進めるイリシャに追従し、慌ててフェリーとリタも頭を下げた。
「リタちゃん。女王さまなのに、こういうの慣れてないの?」
どこかぎこちないリタの様子に疑問を抱いたフェリーが、小声で尋ねる。
立場から言えば、リタは妖精族の女王だ。
イリシャよりも余程適任ではないのだろうかと、小首を傾げた。
「仕方ないよ。妖精族はあんまり他の種族と絡まなかったんだもん。
それに、人間の国のことはよく解らないからイリシャちゃんの方が安心できるって」
「あ、そっか」
言葉の通り。妖精族は排他的であるとされ、他種族との交流する機会に恵まれなかった。
精々、しつこく求婚を迫ってきた隣国ぐらいだ。それも、一方的で高圧的な態度故に、頭を下げた事は無かったが。
フェリーもリタの話に納得をする。確かに、緊急事態だったとはいえミスリアでも畏まった挨拶はしていない。
自分やシンもそうだと言われれば、返す言葉もないのだが。
「顔を上げてください。私どもの方こそ、ミスリアの技術を提供して頂けるのですから喜ばしいことです」
玉座から立ち上がると、リオビラの王子は大手を振ってフェリー達を迎え入れた。
リオビラの国王が病床に伏している為、今は息子である王子がその責務を一身に受けていた。
「そう言っていただけますと、光栄です」
イリシャの動きに沿って、フェリーとイリシャも王子に言われるがまま顔を上げる。
緊張からか、粗相がないようにと背筋をピンと伸ばす事だけは欠かさなかった。
「先日のフィロメナ王妃の話は私も耳にしました。
邪神という存在を以て、世界を恐怖に陥れようとしている。それも、ミスリアの貴族が。
世界中から非難を受けるかもしれないというのに、その勇気には感服いたしました」
王子はフィロメナの言葉を好意的に捉えているようだった。
話を聞くに、彼自身も色々と思うところがあるらしい。
リオビラは冒険者が多いが故に、治安の維持に苦労している。
ロブを初めとした窃盗団が蔓延っているのも、標的の殆どが冒険者であるからだ。
彼らは体裁を気にする。たかがコソ泥に財布を盗まれたとなれば、仲間内で嗤いものになるのは必至。
故に己の誇りを優先し、被害が表面化し辛い。リオビラからすれば、嘆かわしい事でもあった。
王子はこれを機に、ミスリアと良い関係を築き上げたいと目論んでいる。
転移魔術を設置する事で、ミスリアから魔術を学ぶ機会が自然と増えるだろう。
実力が底上げされれば窃盗の被害だけではなく、冒険の際に大怪我や命を落とす事も減るだろう。
それは間違いなく、治安を良化させる切っ掛けとなる。
王子がフェリー達を好意的に受け入れているのは、それだけではない。
その頭を悩ませている理由のひとつだった窃盗団を、なし崩し的にとはいえ壊滅させてくれた。
彼からすれば既に幸運の使者であり、断る理由はなにひとつなかったのだ。
「リオビラで協力できることがあればご相談ください。
私もビルフレスト・エステレラを匿っているような組織が無いか、調査をいたします」
「ありがとうございます」
己の胸を強く叩く王子。真剣な眼差しは、嘘偽りのない本心だと信じるに値するものだとイリシャは感じる。
かくしてフェリー達は、リオビラに転移魔術を設置する許可を得た。
場所は王宮からそう離れた所ではない。王宮近くの祠へ祀る形で、隠されている。
あくまで現状はビルフレストの包囲網。容易に利用される訳にもいかない為の措置でもあった。
「それにしても。リタ様は、本当に妖精族の女王なのですね」
銀色の髪から覗かせる長い耳を、王子はまじまじと眺める。
ここまで凝視された記憶があまりないと、恥ずかしさからリタは両の手で耳を覆い隠してしまった。
「そうじっと見られると、少し恥ずかしいですけど……」
「す、すみません。まさか妖精族の逢える日が来るとは、思ってもいなかったので」
初対面の女性にする事ではないと反省をした王子は、慌てて目線をリタから逸らす。
彼の反応から悪気はなかったのだと伝わり、リタは苦笑した。
「私たち妖精族は、ミスリアと同盟を結ばせて頂きました。
これから目にする機会が増えるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
「勿論です! こちらこそ、妖精族から学びたいことが沢山ありますので!」
「それは妖精族もです。人間の営みに興味のある妖精族は、少なくありませんから。
お互い、勉強しなければならないことばかりですね」
女王といえど、その顔にはまだあどけなさが残っている。
可愛らしさを押し出したような笑みを浮かべるリタを前にして、王子はつられてしまう。
「それにしても、ミスリアからの使者がこんな美しい女性ばかりだとは思ってもみませんでした」
コホンと軽く咳払いをしながら、王子は改めて三人の使者と向き合う。
やや色素の薄い緑色の髪を靡かせながら、若さが溢れんばかりの笑顔を振りまいている。
「まあ、お上手ですね」
窃盗団と対面した時とは違う。本心から美人だと褒められ、フェリーとリタは僅かに照れている。
一方で、長い人生に於いてこの手の誉め言葉に慣れているイリシャだけが即座に笑みを返した。
「どうですか? もしよろしければ、親睦を――」
「申し訳ありませんが、まだ他の国も回らなくてはなりませんので。
殿下。お心遣いに、感謝いたします」
「そうですか……。それは残念です……」
イリシャは笑顔であるにも関わらず、王子の提案を軽く受け流す。
無論、他の国に回る予定などない。彼女は年長者である責任からか、しっかりと線引きをしている。
長い人生に於いて、その美貌故に幾度となく声を掛けられた経験がこんな場所でも活きるのだから不思議である。
フェリーとリタは互いの顔を見合わせるが、イリシャの意図を察して後方でコクコクと頷いている。
正直に言えば、彼女達も禁断症状が出かけているのだ。シンに。レイバーンに、逢いたい。
時間が経つにつれ、大切な男性を愛おしく感じていた。
特にフェリーは、クロエと逢った事によりその想いが強い。
今回の話をすれば、きっと彼は怒るだろう。それでも、黙っていようとは思わなかった。
きちんと話さなくてはならない。
自分がどう感じたか。そして、本当に大切なものは何なのかを。
(そういえば、シンはドコ行ったんだろ。……シンの話も、聞きたいな)
ぼんやりと天井を見上げながら、フェリーは想いを馳せる。
彼は今、どこで何をしているのだろう。お互い、ちゃんと話をしたい。
再会出来る瞬間を、フェリーは心待ちにしていた。
……*
シンはというと、テランを連れてとある場所へと向かっていた。
過去へ一度だけ訪れた事がある。あの時と景色が変わっていようとも、シンは決して迷わない。
「どうして、こんな時間にコソコソと動く必要があるんだい?
もう転移魔術の設置は終わったんだ。ゆっくりしても、罰は当たらないと思うけれど」
テランが疑問に思うのも無理はない。現在、彼らは誰もが寝静まった時間に行動をしている。
太陽の光を失い、冷え切った空気が義手から熱を奪う。
結合部から先が途端に重く感じるので、テランにとってはあまり動き回りたくない時間でもあった。
(ベルやギルレッグに、相談しないといけないな)
だが、それはまだ改良の余地を残しているとも言える。
即座にいくつかの案を思い浮かべる彼は、すっかりと研究チームに染まっていた。
一方で、テランの指摘は的を射ている。既に転移魔術の設置は完了し、いつでもミスリアへ戻る事が出来る。
いざとなれば移動が出来る以上、焦る必要はないではないか。
シンは色々と考えているようだが、この旅の間に表情が変わった様子はない。いい加減見飽きたと思い始めていた頃合いだった。
「そうもいかない」
暗闇に避け込みながらも、シンは短く呟いた。
人気が全くないからこそ聞こえるが、本当に消え入りそうな小さな声。
「ならせめて、僕を指名した理由ぐらいは教えてもらえないか?」
テランは今回の旅で、シンに指名された。
シンを気に入っていたテランからすれば、内心では喜ばしい。
けれど、道中に於いて会話が殆どない。自分もそれほど饒舌ではないが、これでは息が詰まる。
(本心では僕と来たくはなかった……。いや、それなら誘わないだろう)
脳裏に浮かんだ可能性を、即座に自身で否定する。
効率だけで同行者を決めるのであれば、シンにとっての適任者は他にいくらでも居る。
彼がいくら非合理な考えで動くとしても、意味もなく苦行は選ばないだろう。
(だとすれば、黙っているのは彼の心中が穏やかではないから。
フェリー・ハートニアと別行動をしているから? けれど、彼自身が彼女との同行を拒否した。
あちらにはリタやイリシャが付いている。まあ、少なくとも戦闘面で心配する必要はないだろう)
考えれば考えるほど、テランはシンの考えを測りかねる。
ただひとつ解っているのは、恐らくフェリー・ハートニアに関わる事。
それだけは間違いないと、自信を持って言える。彼はその為に、戦い続けて来たのだから。
「――ここだ」
テランが考え得る可能性を模索していると、シンの足が止まる。
風通しも良く、明るければ周囲は見渡せるだろう。
尤も、今の時間では漂う冷気によって冷え込んだ場所となっているのだが。
「『ここだ』って……」
淡々と告げるシンに、テランは耳を疑った。
どうして彼がこの国の、こんな場所に用事があるのか理解できなかったからだ。
だが、シンは迷う事なくこの場所を選んだ。ここが目的地だと、本気で言っているのだ。
「ここで、お前に頼みたいことがある。
……お前にしか、頼めない」
ほんの少しの後ろめたさと、逡巡を織り交ぜてシンは告げた。
自らが選んだ同行者へ、成し遂げて欲しい事を。
「――本気で言っているのかい?」
シンの頼みを前にして、テランは自らの耳を疑った。
自分を連れて来た理由には納得がいく。確かに人気のない時間ではなくてはならないだろう。
けれど、彼がそんな真似をするとは思ってもみなかった。
「本気だし、正気だ」
拳を強く握る音が聴こえる。
シンのものであるのは明白で、彼自身も良くない事だと理解している。
これはきっと、彼も悩んだ末の行動だ。
「君の頼みは解った。けれど、ひとつだけ教えてはくれないか?」
「なにがだ?」
シンの願いを聞き入れる事に、抵抗はない。
それでもテランは、ひとつだけ確かめたかった。
彼がこんな行動に出た真意を。
「これは、フェリー・ハートニアのためかい?」
「違う。俺自身のためだ。俺の、我儘だ」
一切の躊躇なく、シンは言い切った。
戸惑いの見えた先刻とはまるで違う、はっきりとした声で。
(それはつまり、フェリー・ハートニアのためだということじゃないか)
テランは思わず笑みを溢す。
シン・キーランドという人間を見てきて、テランも彼の事を理解してきた。
彼の言う「自分のため」は、結局のところ誰かの為なのだ。
不遜で、仏頂面で、無鉄砲な行いをしていても。誰かを大切にしているからだ。
そんな彼が、一切の躊躇なく言いきる人物はひとりしかいない。
不老不死の少女。フェリー・ハートニア。
かつて自分と刃を交える理由にもなったぐらいだ。
彼がフェリーに対して必死なのは、痛いほどに伝わってくる。
「分かった。協力しよう」
テランは小さく頷くと、両手に魔力を集中させていく。
闇夜よりも更に深い闇が、周囲を覆い尽くしていく。
「……すまない」
魔術を行使していく中で、見守っていたシンはぽつりと呟く。
それは一体、誰に対する謝罪の言葉なのか。テランは確かめようとはしなかった。