431.友情の証
クロエと別れたフェリー達は、転移魔術を設置する為にリオビラ王国へ留まらなくてはならない。
街から離れようかと検討したものの、フェリーが「もう遅いから」と言った為に、ジルリアで夜を過ごす事となった。
財布こそ取り戻したものの、宿は三人で一部屋。
これは、リタの提案によるものだった。
「リタちゃん。くるしい……」
宿の中でも一際広い部屋を取ったにも関わらず、リタはフェリーから離れようとしない。
ベルトを強く締め付けられているかのように、フェリーはリタの厚い抱擁を受ける。
このままでは息をするのもままならないと、彼女の背中を叩く事で解放を訴える。
「そう言うなら、離すけど……」
やや不服そうに頬を膨らませながら、リタは固く絞めつけていた腕を解く。
その中でも色濃く反映されている不安と心配の表情を、見下ろしたフェリーが見つける。
「なにかあったら、遠慮なく言ってね。
眠ってても、起こしてくれていいから」
クロエとの邂逅を果たしてから、リタはずっとこの様子だ。
当事者であるフェリー以上に、彼女は腹に据えかねている。
「うん。ありがと、リタちゃん」
フェリーはぎこちなくはにかみ、リタの優しさに応える。
まだいつも明るさとは違い、影を落としているように見受けられる。
彼女に釣られて、リタも自然と眉を下げていた。
「フェリーちゃん、本当に大丈夫?
明日は無理をしなくてもいいのよ?」
「ううん、だいじょぶだよ」
フェリーの心配をしているのはリタだけではない。
当然ながら、イリシャも彼女の様子を気に掛けている。
「ほら、あたし……。もともと、あんまり産んだ人にキョーミなかったから……。
クロエさんの話を聞いて『そうかも』って思ったケド。それ以上に、『そうだったらヤだな』って思っちゃったの」
ベッドに腰掛けながら、フェリーは苦笑する。
実際、フェリーは二度とクロエに関わるつもりはない。
勿論、自分に一切の非がないとは思っていない。
対面したにも関わらず、言葉を濁したのは他でもない自分自身だ。
だからきっと、心の内ではクロエを受け入れたくなかったのだ。
何かに気付いたように饒舌となるクロエを見て、フェリーは確信へと至った。
幼少期の。まだ『無』だった頃の自分の記憶に、愛されたという記憶はない。
自分に愛情を注いでくれたのは、それよりも後の話だ。
アンダルに引き取られ、カランコエでシン達と共に育った幸せな日々。
あの日々こそが、彼女にとって人生で一番幸せだったと言っても過言ではない。
それをクロエは、知りもしないで「辛い思い」と言った。
何も知らない癖に。勝手に自分を不幸だと決めつけた。
フェリーからすればあり得ない。この時点から彼女は、クロエを受け入れられなくなっていた。
自分を産んだ人間だと、はっきりさせたくなくなっていた。
唯一、良かったと思えたのはシンが居なかった事ぐらいだ。
今の自分を見てしまえば、きっと彼は怒ってくれるだろう。
こうやってクロエから逃げ出した自分の代わりに。彼はとても優しいから。
けれど、あまりシンに怒って欲しくはなかった。
優しくて、一生懸命な、自分の一番大切な男性。
彼には笑って欲しいのだから、真逆の行動を取らせる訳にはいかない。
例えシンが居たとしても、結末は変わらなかっただろう。
だから、これでいい。フェリーは己の心に、そう言い聞かせた。
「勝手に不幸だと言われれば、それはイヤだよね。
私だって色々あったけど、不幸だなんて思ってないもん」
「そうだよね。シツレーしちゃうよ、ホント」
依然として頬を膨らませたまま、リタはフェリーの隣へと腰掛ける。
こうやって気持ちを理解してくれる友達が居る。
その時点で自分は幸せなのだと、フェリーは改めて感じ取っていた。
そんな中、イリシャだけが眉間に縦皺を刻んでいる。
じっと自分の方を向いているにも関わらず、遠くを見ているようにも思えた。
どこか深刻な雰囲気を醸し出している彼女へ、フェリーは小首を傾げる。
「イリシャさん? あたし、なにかヘンなコト言ったかな……」
「えっ!? ううん、全然おかしくなんてないわよ?」
不意に名前を呼ばれ、心ここに在らずと言った様子のイリシャが慌てふためく。
彼女にしては珍しい様子に、フェリーだけなくリタも小首を傾げた。
「フェリーちゃんはそれでいいのよ。わたしだって、同じ立場だったら嫌だもの。
アンダルだって、フェリーちゃんが幸せだって言ってくれるのが何より嬉しいと思っているはずだわ」
「……うん! そうだよね!」
イリシャの言葉を胸に、フェリーの顔に生来の明るさが宿る。
彼女の言う通りだ。アンダルとの日々は、自分にとって掛け替えのないものだった。
大好きなおじいちゃんが喜んでくれる方が、ずっと嬉しいに決まっている。
「ところで、リタ。フェリーちゃんが財布を盗まれた時に、魔力を追い掛けていたでしょう?
あれって結局のところ、理由はなんだったのかしら」
不意に話題が切り替わった事を、リタは若干だが疑問に感じる。
けれど、このまま話を進めてもフェリーの傷を抉る結果に成りかねない。
イリシャなりに気を使った結果なのだろうと、深く考えはしなかった。
「えと、それはね」
リタはフェリーから財布を受け取ると、中身をひっくり返す。
格式の高い宿に泊まったものの、まだお金は残っている。
「これって……」
金貨や銀貨が次々と、彼女の財布から零れ落ちていく。
その中に混じって、コロンと姿を見せた小さな塊がふたつ。
文無しの時に綺麗だからという理由で拾った、硬い殻に覆われた木の実だった。
「まだ残ってたんだ……」
フェリー自身、まさかまだ財布の中に存在しているとは思ってもみなかった。
初めてミスリアへ訪れた頃。気に入った香りの香水を購入して、彼女は文無しとなった。
財布が空だと寂しいからと、その時に拾った適当な木の実そのものだ。
「フェリーちゃん。これ、何かの重要な木の実なの?」
「え? ううん? 知らない」
イリシャの問いに、フェリーが答えられるはずもない。
本当に適当に拾った、ただの木の実なのだから。
「えとね、これ。人間の世界で生える樹じゃないよ」
「……え?」
リタが発した言葉の意味が解らず、フェリーとイリシャは互いの顔を見合わせていた。
当然そういう反応になるだろうと考えていたリタは、説明を続ける。
「えっと。元々はアルフヘイムの森にも生えていた樹らしいんだけど、500年前の戦いで魔族に焼き尽くされちゃって。
当時の妖精族は、魔力を良く通すから弓や杖に加工してたりしたって。もう一本も残ってないと思ってたんだけど……」
「そうなの……?」
リタの話を聞いても、フェリーにはピンとこない。
本当に草原を歩いていると見つけたから拾ったレベルの木の実なのだから、無理もない。
「それがどうしてミスリアに?」
イリシャの質問は尤もだった。
そんなお宝が転がっているのであれば、ミスリアが使わない理由も見当たらない。
「理由までは……。ミスリアとの戦争で紛れ込んだ結果なのかもしれないし」
「でも、それだったらミスリアで生えるんじゃないの?」
今度はフェリーが、自らの偉大な疑問を投げかける。
そちらの理由はリタにも判る。彼女は木の実を摘まみとっては、説明して見せた。
「この木の実はね、相当な魔力を吸わないと発芽しないんだよ。
いくらミスリアでも、土地の魔力濃度はアルフヘイムの森ほどではないから。
ずっと木の実のまま、ひっそりと転がっていたんじゃないかな」
「魔族との戦いで紛れ込んだのなら、相当な年代ものね……。
もう、発芽なんてしないんじゃないの?」
ざっと500年も放置されている木の実だ。
今更、肥沃な地へ埋めようとも発芽するとは考え辛いとイリシャは考える。
一方で、リタはその考えを否定するべく首を横へ振る。
「でも、この木の実がフェリーちゃんの魔力を吸ってたから、財布を見つけることが出来たんだよ」
この木の実は今まで、無尽蔵の魔力を持つフェリーと旅を続けて来た。
身近でフェリーの魔力を浴び続けて来た。その結果、眠っていた生命に灯が宿ったのだとリタは信じる。
「もしかしたら、妖精族の里ならまた芽が出るかもしれないもん。
ねね、フェリーちゃん! 良かったら、この木の実をひとつくれない?」
「うん、いいよ。あたしが持っていても、しかたないかもだし。
妖精族の里で立派に育つなら、それがいいよ」
フェリーもまた、リタの願いに反対する理由はない。
自分だってかつて、花を咲かせようとあれこれ手を尽くした事がある。
初めは枯らせてしまったけれど、シンと一緒に咲かせた、大切な思い出。
自然に囲まれて育ったリタも、植物をよく愛でている。
もしも自分の魔力が原因で失われたはずの樹が蘇るのなら。親友が喜ぶのなら。
フェリーにとって、こんなに嬉しい事は無かった。
「やった! ありがとう、フェリーちゃん!」
種を受け取ったリタは、喜びのあまりベッドの上で飛び跳ねる。
自分は話にしか聞いた事のない、伝説の存在と成った樹。
それが復活できるかもしれないのだから、喜びもひとしおだった。
「あ、でも。ひとつと言わず両方……」
「ううん。それはフェリーちゃんが持っていて欲しいの」
「うん?」
そっとフェリーの掌へ、リタは木の実をひとつだけ乗せる。
彼女の意図が判らず、フェリーは首を傾げた。
「まだ魔力が足りないかもしれないから。ひとつはフェリーちゃんに持っておいてもらいたいかなって。
これも人間と妖精族の共同作業だよ。それに、フェリーちゃんは大切なお友達だから。
もう片方は持っておいてもらいたいの」
「リタちゃん……」
リタはそっとフェリーの掌を閉じていく。
彼女の細く白い指は、見惚れてしまう程美しい。
けれど、そんな事よりもフェリーは彼女の気持ちが嬉しかった。
シンだけじゃない。皆が、自分を大切に想ってくれている。
だから、大丈夫だと言ってくれているような気がした。
「ありがと、リタちゃん」
「私こそ」
心からの笑顔を見せるフェリーに、リタも満面の笑みを返す。
イリシャは二人の様子を、微笑ましく見守っていた。
「それに、またお財布を盗まれても追い掛けられるしね」
「リタちゃん!」
悪戯っぽくも無邪気な笑みを浮かべるリタ。
フェリーも口を尖らせているが、決して嫌ではない。
困った時は救けてくれると、言ってくれているのだと理解しているから。




