429.はじめまして
フェリーは内心、クロエに逢えなくても仕方がないと思っていた。
彼女が本当に自分を産んだ人間かどうかも判らない。
手掛かりはミシェルが残した、かつて拠点としてたというメモのみ。
既にリオビラ王国から離れていても、不思議では無かったからだ。
それでも、可能であるならば心に打ち込まれた楔を取り除いておきたかった。
「自分は探し出そうとした」という事実さえあれば、よかった。
自分自身を納得させる為に、行動したに過ぎない。
けれど、眼前の男はクロエの名を呟いた。
彼女はこの街に居る。少なくとも、ロブの身近に。
「教えてっ! クロエさんは、ドコにいるの!?」
突き付けられた事実を前に、フェリーは胸の内に爪を掻き立てられたような錯覚に陥る。
知ってしまっては引き下がる訳にはいかない。痛みを伴ってでも、楔を取り除かなければならない。
頭に血が上っていくのを感じるが、自分自身では抑えようがない。
この時のフェリーは既に財布など眼中になく、クロエの事で頭がいっぱいに成りつつあった。
一方で、イリシャは訝しむ。
窃盗団の首領からクロエの名が零れ落ちるとは夢にも思わず、リタ共々に驚いていた。
イリシャとリタは一歩離れている分、フェリーよりは冷静だ。
ロブがクロエの名を呟いたという事実に対して、客観的に関係性を考えるぐらいの余裕はある。
彼女達から見て、クロエが冒険者として家を飛び出たという点はどうでもいい。
必要なのはあくまでフェリーに関する事のみ。
フィアンマやミシェル。そしてロブからの証言から、フェリーと容姿が酷似しているのは疑いようもないだろう。
無論、他人の空似だったという可能性は依然として存在している。
けれど、どうしてだろうか。証拠がある訳ではなく、感覚的な話としてイリシャとリタは同じ結論へと辿り着く。
ここまでの情報だけで、十分にクロエがフェリーを産んだ人間と同一人物なのではないかという懸念が、より強くなっているのだ。
フェリーは幼少の頃、産んだ人間の手によってその身を人買いへ売られた。
お金が必要だったのか。フェリーが不要だったのか。もしくは、両方なのか。
何にせよ、お腹を痛めて産んだ我が子を金へ換えたという事実は覆らない。
次に、クロエという人物は金を欲している印象が強い。
実家を飛び出したにも関わらず、のうのうと戻ってきては金の無心をする。
面の皮の厚さは大したものだと、逆に感心してしまいそうだった。
極めつけは今、この状況だった。
クロエが窃盗団の一員であるかどうかは判らない。
けれど、少なくとも首領に名を覚えられる関係性ではある。
先述の実家へ金をせびったという事実からも、懇意にしているのではと想像するのも無理はなかった。
それらの点を踏まえていくと、どうしても重なってしまうのだ。
フェリーを棄てた人間が、クロエであると。
「フェリーちゃ――」
きっと今のフェリーは、冷静になる暇なんてない。
クロエの名前を聞いただけで、目の色が変わったのだ。
どうにかして彼女を落ち着かせようと試みた瞬間だった。
「おいおい。なんでそんなキレてんだよ?
まさか、マジに知り合い? つーか、娘とかか?
アイツ本人からは教えてもらってねぇけどな」
ロブがフェリーを気遣うイリシャの言葉を上から被せてくる。
興味深そうに顔を覗き込もうとする様は、野次馬根性が滲み出ていた。
「……しらない。クロエさんがどんなひとか、あたしは知らない」
「はぁ?」
ぽつりと呟くフェリーに、ロブは肩を竦めて見せた。
ここまで似ていて。クロエの居場所を尋ねておいて、知らないとはどういう了見だろうか。
訝しみながらも、ロブは自分が納得できるであろう答えを脳内で整理する。
眼の前に居る少女は、確かにクロエがどんな人物であるかを訊いた。
つまり、知らないのだ。クロエ・クローバーを。
そしてクロエは、この金髪の少女について語った事はない。
語りたくないのか。それとも、記憶から抜け落ちているのか。
どちらにせよ、クロエにとってこの少女は重要な人物ではない。それだけは明らかだった。
冒険者としての活動資金の為にあらゆる者を売った彼女が、こんなお宝を前にして手を付けないはずがないからだ。
(いや、待てよ)
或いは、もう手を付けた後か。
何等かの理由で売った娘が、母の姿を追い求めてやって来た。なんと感動的な話だろうか。
ならば利用しない手はないと、ロブはほくそ笑んだ。
金髪の少女だけではない。これだけの美女が自ら訪問してくれたのだ。
骨の髄までしゃぶらなくては、勿体ないだろう。
「クロエに会いたいなら、会わせてやろうか?」
「ほんとう!?」
まずは警戒心を解かなくてはならない。
ロブはフェリーが求めるものを差し出す事によって、問題の解決を試みる。
思いもよらぬ展開に、フェリーは目を見開く。
「待って、フェリーちゃん。
……あなた、何が目的なの?」
その状況に待ったを掛けたのは、言葉を遮られていたイリシャだった。
三人の中でも最も警戒心の強そうな美女を前に、ロブは面倒くさそうに頭を掻いた。
「おいおい、心外だな。オレ様は困ってるカワイコちゃんを助けてやろうとだな」
「だったらまず、財布を返してもらえないかしら?
それが盗まれたから、困っているのだけれど?」
フェリーが思い出したかのように、ハッとする。
イリシャの言う通り、そもそもの発端は財布を掏られた事だ。
例えクロエに会おうとも、財布を返してもらわなくていい理由にはなり得ない。
「分かってる、分かってるよ。まさかクロエの知り合いから盗むなんてよ。
おら、シーラ。返してやんな」
ロブに促され、シーラは不服そうにしながらも懐から財布を取り出す。
嫌々ながらも渡された財布の重みは元のままで、まだ抜き取られてはいないよだった。
「そうでなくても、掏りなんて感心しないわよ」
呆れたようにため息をつくイリシャ。
ロブとシーラ。そして拠点に屯する者達の反応から、彼らはきっと窃盗を止めないだろう。
彼らにとってはこれが生業なのだ。悪意を振りまく者達と、なんら変わりがない。
「これで、信用して貰えたかい? じゃ、クロエの場所へ――」
改めてクロエとの仲を取り持とうとするロブへの意趣返しなのか。
彼が言葉を言い終えるよりも先に、イリシャは言葉を被せる。
「いえ、結構よ。フェリーちゃん、リタ。わたしたちはここでお暇しましょう」
「えっ?」「イリシャちゃん?」
颯爽と踵を返すイリシャに面を喰らったのは、ロブだけではない。
フェリーとリタも彼女の予想外の行動に、驚きを隠せなかった。
「財布は返してもらったでしょう?
ついでに、クロエさんがこの街にいるのも判ったことだし。
後は地道に探せば、それで終わりじゃない」
振り返ったイリシャは、悪戯っぽく笑みを浮かべる。
彼女は初めから、ロブをはじめとした窃盗団に協力を求める気など無かった。
出逢って早々、自分達の品定めをするような人間だ。
そんなろくでなしに借りを作っては、何を要求されるか分かったものではない。
早々に目的を終えて立ち去る方が、よほど安全だ。
「あの人、ずーっと厭らしい目で見ていたじゃない。
下手に関わって、変なことになって。シンやレイバーンに、言えるのかしら?」
「それは……。言いたくない……」
フェリーとリタの声が重なる。ばつの悪そうな顔をする二人を前にして、イリシャは笑みを浮かべた。
目的を求めるあまり、大切なものを見失っていない。それだけで、彼女にとっては十分だった。
「でしょう? ほら、早く行きましょう。あなたたちも、もっと真っ当な仕事に就くべきよ。
冒険者が多いなら、薬師でもやればいいじゃない。きっとみんな喜ぶわよ」
「……待ちな」
イリシャに追従する形で、フェリー達は窃盗団の拠点を後にしようとする。
尤も。それはあくまで彼女達の事情。
このまま見逃す訳にはいかないと、ロブが三人を呼び止める。
「盗ったモンだけ奪われて、帰りますだあ?
こっちだって、ハイそうですかってわけにはいかないことぐらいわかるよな?
大人しく従っておいた方が良かったって後悔しても、もう遅えぞ」
ロブが指を鳴らすと、瞬く間に屯する人間がフェリー達を取り囲む。
美女だからと甘い顔をしていれば、随分と好き勝手にやってくれたものだ。
ただでは返さない。虚仮にした事を後悔させてやると、ロブは憤慨している。
「盗まれたものを奪われるって、おかしな話ね……」
呆れつつも、イリシャはちらりと周囲を見渡した。
ざっと見る限り、ロブとシーラを含めて二十人ぐらいだろうか。
屈強そうな男に、身軽そうな女の混じっている。そこいらの冒険者ぐらいなら、数の暴力で押し切れるかもしれない。
だが、それだけだ。ロブをはじめとした窃盗団は気付いていない。相手が悪すぎる事に。
目の前に立っているふたりの少女は、世界を恐怖と混乱に陥れる邪神にさえも、立ち向かっているのだ。
破落戸程度に、恐れをなすはずが無かった。
「イリシャちゃん、下がってて」
「あら。わたしだって、冒険者の端くれよ? これぐらいなら、なんてことはないわ」
リタは妖精王の神弓を構え、光の矢を形成していく。
戦力外扱いされたイリシャは、拗ねるように頬を膨らませる。
「ううん。イリシャさんのお陰で、おサイフもどったもん。
あとはあたしたちがやるから、ちょっとだけ待っててね」
「そう? なら、任せちゃおっかな」
右手に真紅の刃を握るフェリーも、イリシャへ危険が及ばないようにと下がるよう促した。
シンの名前を出した事が利いたのだろうか。彼女の表情は先刻と違い、落ち着いている。
それならば安心して任せようと、イリシャは二人の指示に従った。
その一方で窃盗団は見た事のない武器を前にして、怖れよりも「金になりそうだ」という思考が前面に出している。
実力差すらも判らない、哀れな集団なのだとイリシャは少しだけ同情をした。
「いっ……くよ!」
真紅の刃から発せられる高熱が、瞬く間に拠点の壁を両断する。
壁と空気の灼ける臭いは、ロブ達にとって恐怖の象徴だった。
「妖精王の神弓、あんまり強くなくていいからね」
続いてリタが、神弓より無数の矢を放つ。
威力を抑えて放たれた光が、窃盗団の持つ武器を的確に撃ち落としていく。
「……帰ろうと思ったけど、せっかくだから教えてよ。
クロエさんがドコにいるのか」
灼神から放たれる熱は今も尚、空気をチリチリと灼いている。
鼻を突く焦げ臭さは、ロブに身の危険を察知させるには十分なものだった。
ここに来て漸く、ロブは後悔をした。
眼の前に立っているのは、馬鹿で間抜けな子猫なんかではない。
決して起こしてはならない。尾を踏んではならない、虎だったという事を。
「わ、分かった! 話す! 話すからそれをしまってくれ!」
後ろではフードを被った少女が、弓を構えている。
戦意を失ったロブは観念し、自分が知っている情報を全てフェリーへと話す。
騒ぎを聞きつけた衛兵によって窃盗団が壊滅したのは、フェリー達が去ってから間もなくの事だった。
……*
夕焼けに染まる空は、一日が終わりに近付いている事を報せる。
身なりを整えた一人の女性が、宿の前で約束の相手を待つ。
「……いつにもまして遅いわね」
若干の苛立ちを覚えながら、クロエが愚痴を漏らす。
時間にルーズな男ではあるが、ここまで遅いのは初めてだ。
何かあったのだろうかと勘繰るが、入れ違いになっても困る。
ジレンマを抱えながらも、クロエは約束の場所から動けずに居た。
時間が経つ度に、通行人を目で追ってしまう。
身体を痣や包帯だらけにしながら、安い酒場へと入って行く冒険者の一行が目に留まった。
自分にもそんな時代があったと懐かしむ可愛らしさは、そこにはない。
あんな一山いくらの仕事に達成感を覚える段階はとうに過ぎ去ったのだ。
今度こそは大きな事を成し遂げて見せる。その為に、ロブから資金の援助を受けなくてはならない。
羨望ではなく、見下す頃でしか自我を保てない。
膨らみ続ける自分への期待と自尊心だけが、今のクロエを肯定していた。
「あの……。クロエさん、ですか?」
不快なものを見た。これもロブが遅刻をしているせいだと苛立つクロエ。
そんな彼女へ声を掛けたのは、ひとりの少女だった。
「そうだけど?」
苛立ちを隠そうともせず、クロエは声の主へ鋭い眼光を飛ばす。
だが、それも束の間。すぐさま彼女の眼は、驚きによって開かれる事となる。
無理もない。その少女は、かつての自分によく似ていたのだから。
「はじめ……まして……」
歯が浮きそうになるのを堪えながら、フェリーはその言葉を呟いた。