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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第八章 再会

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427.フェリー・ハートニアにはお金がない

 紅く染まった薬指が、唇の上を滑っていく。

 口紅が薄く塗りたくられていく様子を、クロエは鏡の前で眺めていた。

 

 大丈夫、十分やれる。まだ、若さだけが取り柄の小娘には負けていない。

 そうやって彼女は、己を奮い立たせる。


 今日は懇意にしている男と一ヶ月ぶりに会う事が出来る日。

 なんとしても男に満足してもらい、金を引き出さなくてはならない。


 クロエは未だ、冒険者として自分が成り上がる事を諦めてはいなかった。

 肉体の頂点(ピーク)を過ぎ、緩やかに下降していても。彼女自身は決して認めない。受け入れられない。

 自分の人生が全て、意味のないものに変わり果ててしまうという強迫観念に駆られているから。


 薄い壁の向こう側で、赤子が泣きわめく。

 腹が減ったのか、眠たいのか。それとも、催してしまったのか。

 かつて娘が居たにも関わらず、クロエには判らない。一度たりとも、きちんと向き合った事はないから。

 

 あれからクロエはあらゆる者を金へと換えた。

 夢を追い掛ける為の代償として。

 

 黴臭い家は、二束三文にしかならなかった。

 酒に溺れた夫は流石に売れなかった。けれど、彼を欲する人間は居た。

 

 自分が一行を抜けている間に入った女だ。

 なんてことはない。あの女は初めから夫に気があったのだ。

 クロエからすれば、まるで価値がない穀潰しだったので、そのまま譲った。

 

 甲斐甲斐しく面倒を見た女は、やがて稼業を継いだ彼と結婚したと風の噂で聞いた。

 正直に言うと、あまり興味が無かった。冒険者でないのであれば、立ち直ろうとどうでもいい。

 離婚してから不要な出費が抑えられたと、喜んでいたぐらいだ。


 一度覚えた成功体験が忘れられないクロエは、身の丈に合わない依頼を請け続けていく。

 当然ながら、失敗を重ねる。冒険者ギルドの信用を失い、簡単な仕事しか斡旋されなくなってしまう。


 ならばと、彼女は冒険者ギルドを介する事を止めた。

 小説の主人公達は、そもそも冒険者ギルドなど使用していなかったではないか。

 冒険とは本来、こうあるべきだ。憧れの道標はいつしか、詭弁を弄する為の免罪符として利用されていた。

 初心に帰る事は出来ない。あの小説も、もう売ってしまったのだから。


 冒険者ギルドを通さず、無謀な冒険を続けるクロエ。

 当然だが、そんな彼女を支援する者はいなかった。

 正式な依頼を請けていない事もあり、資金はすぐに底を尽いた。

 追い詰められたクロエは、遂に『自分』を売った。


 ロブという(きゃく)と逢ったのは、そんな生活を続けている時だった。

 美しく、男のあらゆる要望に応えたクロエを彼は大層気に入った。


 身を寄せ合いながら、クロエは語る。自分が頭の中で描いている、壮大な絵空事を。

 与太話を聞かされたにも関わらず、ロブは笑みを浮かべた。


「だったら、オレ様が援助してやるよ。こんな所にいる時間も、勿体ないだろう」


 僥倖とはまさにこの事である。ロブは、自分が支援者(パトロン)になろうと申し出た。

 すっかり守銭奴になっていたクロエは、咄嗟にロブが身に着けていた物を思い出す。


 どれもこれも高級品で、シャツの一枚でさえも自分の装備より値が張るだろう。

 金持ちだという事は疑いようが無かった。こうしてクロエは、ロブの愛人となる。


 それから、どれだけの年月が過ぎただろうか。

 ロブはまだ、クロエの支援者(パトロン)で居てくれている。あくまで、()()だが。

 

 ここ最近は、ロブと逢う頻度が減っている。理由は解っている。

 何人もの若い女が彼と街中で歩いているのを目撃したからだ。


 大した利用を持たず、ただ小金を欲しがるだけの小娘にクロエは強い怒りを覚えた。

 同時に自分が男に費やしてきた時間は、『若さ』の前では無力なのだと思い知った。


 それでもクロエは諦めきれない。彼女にとって、ロブは最後の生命線だった。

 だからこそ、ロブを自分へ夢中にさせなくてはならない。

 未だ掴めていない夢を、現実のものとする為に。


 クロエは未だに、夢想家から抜け出せないでいた。


 ……*


 リオビラ王国は、人の出入りが激しい国でもある。

 まだミスリアとマギアが不仲だった頃から双方へ移動する手段を確立していた事もあり、中継地点として選ばれる事も少なくはない。

 故に、非常に多くの旅人が街中を闊歩している。その後の旅で彼らが目的を果たせたかどうかを、気にする者はいない。


「この国、人……多い、ね……」


 人の波を掻き分けながら街中を歩くのは、妖精族(エルフ)の女王。

 ミスリアでも、人の多い時間帯に王都へ出向いた事はない。

 長閑な妖精族(エルフ)の里で育った彼女にとっては、信じがたい程の人で溢れていた。


「うん。なんか、こんな人ごみ久しぶりかも……」


 フェリーも腰まで掛かった金髪を乱しながら、疲れ果てたようにため息を吐いた。

 何度も通行人とぶつかってしまうが、謝罪する暇すら与えられない。

 賑やかさとはまた違う、喧騒な雰囲気は無意識に焦りを加速させていく。


「本当はミスリアやマギアの方が賑やかだけどね。

 リタが行くときは、緊急事態が多いから……」


 耳を隠しているフードが捲れそうになっている事に気付いたイリシャが、被せ直す。

 リオビラは冒険者の中継地点として使われる事が多い。それはつまり、身元の割れていない者が多い事を意味していた。

 

 ここで少女が一人消えたとしても、きっと真偽は判らないだろう。

 リタが妖精族(エルフ)だと知られれば、どんなトラブルに巻き込まれるか想像もつかない。

 可能であれば、周囲に知られたくはなかった。


「それは私のせいじゃないんだけどね」


 口を尖らせながらも、リタはイリシャやフェリーにはぐれないようについていく。

 リオビラの治安があまり良くない事は事前に聞かされていた。

 極端な話、転移魔術の設置ならオリヴィアやアメリアだって出来る。

 それでも彼女は立候補をした。共に付いていくと決めた。

 

 ここ最近は心配で目が離せないのだ。フェリーだけではなく、イリシャも。

 時々考え込むような仕草を見せては、心ここに在らずと言った雰囲気を醸し出している。

 そんな状態で治安の悪い国へ行くというのだから、友人代表として護らなくてはならない。

 レイバーンも同じ旨を伝えてはいたが、彼は目立ちすぎる為に帯同が許可される事は無かった。


(フェリーちゃんもイリシャちゃんも様子がヘンだし、私がしっかりしなきゃ!)


 両手を強く握り、自らに気合を入れ直す。

 これだけ人が多くても、人間の世界では強い魔力を持つ者は限られてくる。

 フェリーは勿論、イリシャの魔力さえ覚えていればリタが見失う道理はない。


「イリシャちゃん。私に任せてね!」

「え? あ、うん。転移魔術の設置は、リタにしかお願い出来ないものね」

「フェリーちゃんも、私がいるから大丈夫だよ!」

「う、うん。ありがと、リタちゃん」


 やけに気合が入っているリタを前にして、フェリーとイリシャは首を傾げる。

 彼女が何を伝えようとしているかは判らないが、二人にとってその元気だけでも有難かった。

 

「それで、寝床はどうするの? 私、お金なんて持ったことないけど」


 ただ、あくまでそれは二人の危機に対してのみ。

 これまで人間の世界では客人として扱われていたリタは、お金という代物を取り扱った事が無い。

 リオビラへ来るまでの船も、フェリーに手配してもらったぐらいだ。


「だいじょぶ! ちゃんと宿を取るから!」


 フェリーは「金の心配は要らない」と言わんばかりに、親指をピンと立てる。

 事実、女三人での旅だと言う事もあり少しいい宿に泊まれるぐらいの資金は手元にある。

 大半がシンとマレットから支給されたものではあるが。


「せっかく宿に泊まるんだし、リタちゃんにもいいおフトンで寝てもらいたいよね」


 この国は少し慌ただしいけれど、人間の世界も妖精族(エルフ)の里と同じぐらい魅力がある。

 フェリーはこの旅で、リタに少しでも楽しんでもらいたいと考えていた。

 

 宿の看板を見渡しては、一泊の値段を確かめる。問題ない、高級宿だろうと泊まれるはずだ。

 とはいえ、入ってから足りないとなれば赤っ恥を掻いてしまう。

 自分達の資金を確かめるべく、フェリーは自らの鞄へと手を伸ばした。


「……あれ?」


 そこで彼女は気付く。

 自らの身に起きている、緊急事態を。


「フェリーちゃん?」


 物凄い勢いで顔が青ざめていくフェリーの様子は只事ではない。

 嫌な予感が的中しない事を祈りながら、イリシャは彼女へと声を掛ける。


「サイフ……ないかも……」


 しかし、イリシャの祈りも虚しく予感は的中してしまった。

 フェリーが鞄に手を伸ばすまでもなく、ぱっくりと口が開いていたのだ。

 中にあったはずの財布は、どれだけ弄っても見つからない。


「どどど、どーしよう!? おサイフ、落としちゃったのかな!?」

「落ち着いて、フェリーちゃん。他に失くしたものは?」


 落ち着く様に促しながらも、イリシャも内心焦りを募らせていた。

 今回の旅はフェリーが主体となっている。故に資金の殆どは、彼女に預けているのだ。


灼神(シャッコウ)霰神(センコウ)は……。腰につけてるから、ある。

 着替えも、お水も、非常食もある……」


 パニックに陥りながらも、フェリーは己の身体と鞄を改めて弄る。

 記憶の限りでは、失ったものは財布だけだった。

 

「転移魔術の魔導具は……リタが持ってるのよね?」

「う、うん。私は大丈夫」

 

 イリシャに促されるまま、リタは己の荷物を確認する。

 転移魔術の魔導具も、妖精王の神弓(リインフォース)もきちんと手元にある。勿論、愛と豊穣の(レフライア)神へ祈りを捧げる為の道具も。

 

「それだったら、お金だけかしらね」


 本当に大切なものは喪っていない。最悪の事態は避けられたとみるべきか。

 残る資金は自分の手元に残る僅かなお金のみ。どうするべきかと、イリシャは頭を働かせ始める。


「えと……。イリシャさん、リタちゃん。

 ごめんなさい……」


 そんな中。眼に涙を浮かべながら、フェリーが声を震わせる。

 責任を感じているのは明らかで、今すぐ声を上げて泣いてもおかしくはなかった。


「フェリーちゃん、気にしないの。こんなトラブルぐらい、旅をしていたらしょっちゅうだわ」


 ハンカチで涙を拭いながら、イリシャはフェリーの頭を優しく撫でる。

 それはどこか懐かしく、とても暖かだったが、彼女の胸中はそれどころではない。


「でも……」

「そうそう。ほら、私なんてお金を使ったことないから。

 どれぐらいピンチなのか、まだよく解ってないもん」


 続けざまにリタがフォローを入れる。

 二人の優しさを前にしたフェリーは、ついには涙が堪えきれなくなってしまった。


「人間の国では、お金がないとおフトンにも入れないしごはんも食べられないよ……」

「それは……辛いね……」


 どうして人間はそんな世界を構築してしてしまったのだろう。

 理由はあるのだろうが、リタにはまだ難しい話でもあった。


「でも、灼神(シャッコウ)霰神(センコウ)もあるし。

 リタだって、妖精王の神弓(リインフォース)や転移魔術を持ってるんでしょう?

 だったら、どうにかなるわよ。最悪、転移魔術を設置してミスリアへ戻ればいいわけだし」

「それは確かに! それに失くしても、魔導石(マナ・ドライヴ)の反応を辿れば――」


 ――魔導石(マナ・ドライヴ)があれば、自分なら魔力を追い掛けられる。

 

 万が一でも大丈夫だと、リタが伝えようとした時だった。

 不意に彼女は、自分達以外の強い魔力を察知する。

 それだけなら、まだいい。その魔力には、強い既視感があった。


「フェリーちゃん。お財布の中、何か入れてる?」

「え?」


 リタの言わんとしている事が理解できず、フェリーは小首を傾げる。

 その間もリタは、眉根を寄せていた。


「フェリーちゃんの魔力が、ずーっと街中を動いてる。

 私達から、離れるようにして……」


 神妙な顔つきのリタだが、フェリーは依然として心当たりがない。

 ただ、リタが慣れ親しんだ自分の魔力を間違うはずがないという信頼があるのも事実だ。

 

「ねえ、それよりも。移動してるってことは……。

 財布って、落としたんじゃなくて掏られたんじゃ……」


 魔力の出自について頭を悩ませる二人に、イリシャはその可能性を投げかける。

 直後、二人の目の色が変わる。ここで話していても埒は開かないと、理解した証だった。


「そ、そうだよ! まずはおサイフ取り返さなきゃ!」

「案内は私に任せて! 急ごう!」

「ちょ、ちょっと二人とも!」


 人込みを掻き分けながら逆走をする二人を、イリシャは懸命に追い掛ける。

 失われたフェリーの財布を求めて、三人の追跡が始まった。

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