40.侵攻と信仰
窓から漏れる朝日がイリシャを眠りから覚醒させる。
昨日も遅くまで話をしていたから、もう少し眠っていたい気持ちもある。
ふと、隣のベッドを見るとリタの姿が見えない。
日課のお祈りをする為に泉へ足を運んでいるだろう。
あれだけ夜更かししても、お勤めを忘れないのは女王である責任感だろうかと感心する。
せめて朝ごはんぐらいは作ってあげようと身体を起こすと、やけに重たい。
この重石が乗っているような感覚は、昨日にも覚えがあった。
「……フェリーちゃん」
フェリーがイリシャへとしがみついていたのだ。
昨日も、別々に寝たはずなのにしがみつかまれていた。
リタとあれだけ夜遅くまで談笑していたのに、しがみつくのは自分なのだ。
彼女自身が「あれ? なんでだろ?」と言っているので単に寝ぼけただけなのかもしれない。
しかし、フェリーには前科がある。先日、一緒に温泉へ入った時だ。
あの時も自分の頬を徐に撫でた。共に無自覚である。
ひょっとすると自分に親近感が沸いているだけなのかもしれない。
彼女に一番『近い』人間は、自分なのだから。
あるいは、シンが居なくて寂しいのかもしれない。
気持ちを吐露した自分にしか、甘える事が出来ないと思っているのかもしれない。
「ふぇ……。あ、イリシャさん、おはよー……」
どちらにせよ、この寝起き顔を見ると無自覚なのだろうと結論付けてしまう。
可愛らしいので、イリシャは良しとする。
外が、騒がしい気がした。
……*
いつものように信仰する神へ祈りを捧げる。
今日は想い人に会えますようにという願いを込めて。
勿論、里の繁栄もきちんと祈っている。
豊穣と愛を司るのだから、きっちり両方叶えて欲しいところである。
それとも、あくまで同じ神を信仰している者同士の話なのだろうか。
だとすると、レイバーンは無信仰と言っていたので難しいかもしれない。
いつものように果実酒を大地へと染み込ませ、帰路につく。
ふたりはもう起きているだろうか?
イリシャの作るご飯は、妖精族のものとは味付けが違う。
たまに食べるご馳走気分で、彼女が訪れた時の楽しみとなっていた。
胸を躍らせながら里へ帰ろうとした所で、リタは異変に気付いた。
金属の擦れ合う音が規則正しく鳴り続けている。
音は段々と里へ近付いているのか、大きくなっていく。
得も言われぬ不安が彼女を襲う。
気が付くと、リタはアルフヘイムの森を駆けていた。
……*
リタが息を切らせながら里へと戻ると、入り口が騒がしい。
立っているのはストルとレチェリ……だけではない。妖精族の大人は殆ど居るようだった。
子供たちは剣呑な雰囲気に触れさせない為か、姿が見えない。
妖精族と向かい合っているのは、甲冑を身に纏った人間の群れ。
刻まれている文様から隣国の軍だという事は判る。
理解が出来ないのは里の入り口を覆う程の人数と、その手に握られた武器だった。
以前にも里の入り口へギランドレの人間が訪れた事はある。
だが、その時は皇子が自分へ婚姻の申し出をしているという連絡を大使にさせただけ。
少人数で、それもこんなあからさまな格好ではなかった。
一体何が起きているのか、リタの理解が及ばない。
「突然現れて、何のつもりだ。人間」
拒絶と軽蔑を孕んだ眼差しを向けながら、ストルが言った。
「そういきり立つではない。耳長」
意趣返しと言わんばかりに見下した態度で返すのはギランドレの将軍、ガレオン。
この軍の指揮を執る男でもあった。
「貴様ら妖精族が我が皇子の求婚を無下に断ったばかりではなく、事もあろうに魔王と手を組んで攻め立てようとしているのは解っている。
今日はその事について話をしに来たという訳だ」
「……なんの冗談だ?」
ガレオンは「話をしに来た」と言ってこそいるが、後ろに控える軍勢がそんな空気ではない事を否が応でも判らせて来る。
意にそぐわない回答なら、すぐにでも斬りかかって来そうな勢いだった。
「ちょっと……、どいて……くださいっ」
密集した妖精族の群れを抜け、リタが顔を覗かせた。
一触即発の雰囲気を感じ取り、固唾を飲み込む。
「リタ様!」
「おお、貴女が妖精族の女王でございますか。
私はギランドレ軍が将軍、ガレオン。お初にお目にかかります」
「え、えと……。どうも?」
前へ進む事に精一杯で、リタは先刻の会話を聞いていなかった。
挨拶に対して、反射的に頭を下げる。
ただ、遠目にも判る剣呑な雰囲気は感じ取っていたので、すぐに気持ちを切り替えた。
ギランドレの将軍という事は、以前に来た求婚の話だろうと推測をする。
「ここは妖精族の里です。許可なく人間の立ち入りは認めていません。
ましてや、最低限の礼儀もわきまえない相手と婚姻を結ぶ気はありません」
毅然としてた態度で言ったつもりだった。
だが、ガレオンは顎に手を当てながら、うんうんと頷いた。
「成程。だから侵略という選択肢を採る訳ですか」
「は!?」
リタには意味が判らない。婚姻を断っただけで、何故話がそこまで飛躍するというのか。
そもそも、妖精族は資源に困ってはいない。生活の全てをアルフヘイムの森で賄う事が出来る。
他種族と関わってまで侵略など、考える必要がないのだ。
「貴様! 言いがかりは止めてもらおう!」
声を荒げたのはストルではなく、レチェリだった。
ガレオンの視線を遮るように、リタの前へと出る。
「我々妖精族は、何者にも属さない!
つまらない事を言っていないで、早くその軍を退かせるのだ!」
「そうだ、高貴なる妖精族の血を貴様らのような者に穢されるつもりはない。
今ならただの戯言として忘れてやろう。早く去れ」
ストルも加勢するように、レチェリの横へ並び立つ。
術師として族長を纏め上げる彼は、戦力さを概ね把握していた。
妖精族は確かに膨大な魔力を有している。だが、戦闘に長けているかというと話が変わってくる。
本当の意味で戦力となる妖精族はそう多くない。
これだけの人間に襲われては、被害が読めないのだ。
だからこそ、多少無理を通してでもこのまま退いてもらう必要があった。
「はっ、笑わせてくれる。それならば、その象徴たる妖精族の女王が、魔王と密会しているのはどういう事なのだ!?」
「えっ……」
リタは言葉を失った。アルフヘイムの森に訪れる人間など、イリシャぐらいしかいない。
敢えて増やしたとしても、イリシャが連れてきたフェリーとシンだけだ。
イリシャとフェリーは自分の家に泊まっていたし、シンはレイバーンに連れ去られてった。
事情を知っている魔王一派と妖精族共に、隣国との関わりは薄い。
それなのに、何故ギランドレの人間がレイバーンと逢っている事を知っているのか。
両間の接点など、無いはずなのに。
「魔王を手を組んで、ギランドレを我が物にしようとしているのは既知の事実だ」
「……何を、言っているんですか」
話が飛躍した理由は判った。だけど、過程が解らない。
誰かが隣国へ密告したとしても、誰が?
ストル? 彼は妖精族を至高の種族と考えており、他の誰よりも排他的だ。
レイバーンを快く思っていなくても隣国に言うとは考えられない。
それにあの時、ストルは言っていた。「魔獣族と懇意にしていると知られたら、周囲の国になんと思われるか」と。
つまり、知られていない事を前提に話しているではないか。
そこまで考えて、リタは背筋を凍らせた。
思い出したのは、同じタイミングに言われたある言葉。
――隣国への牽制も含めてるんですよね。
牽制? 普通にしていれば相手は知りようがないのに、何を?
気付いた途端に、リタはレチェリを怖いモノだと感じるようになった。
背中の向こうで彼女は、どんな顔をしているのだろうか。
血の気が引く。立っていられない。
「リタ!」
よろめく身体を支えるのは、毛深く温かい手。
ずっと添い遂げられるようにと祈りを捧げていた、想い人だった。
「レイ……バーン……」
彼の手が自分の身体を支えている。
これが日常なら、どれほど喜んだことだろう。
だが、このタイミングは最悪だった。
周囲の空気が、静まり返った。
……*
ギランドレ軍と妖精族の諍いを、イリシャとフェリーも聞いていた。
ただし妖精族の群れに混じったせいで、彼らの喚く声で会話が途切れて聞こえる。
「……ちょっとまずいかもしれないわね」
「イリシャさん、どういう状況なの?」
「なんだか、侵略とか聞こえるわね。妖精族が、隣国に侵略を試みているとかなんとか。
魔王と手を組もうとしているとか……」
「なにそれ!?」
フェリーは憤慨した。
リタやレイバーンが、そんな事を考えるはずがない。
あの二人は単純に互いを想いあって、ただ一緒の時間を過ごしたいだけなのに。
胸騒ぎがする。
自然と、妖精族の群れを掻き分けていた。
「フェリーちゃん! わたしたちが行ったら話がややこしく――」
呼び止めるイリシャの声は、フェリーに届いていなかった。
ただ、二人をどうにかしたいという一心だった。
……*
ギランドレ軍が妖精族の里へと到着する少し前。
狩りに出ていたレイバーンの部下が彼の居城へと戻っていた。
彼らは別段、アルフヘイムの森を気にしていたわけでは無い。
しかし、否が応でも目立つギランドレ軍の姿を視界に捉えた以上は、主に伝えざるを得なかった。
「なんだと!?」
レイバーンの怒声が、城中に響き渡った。
何が起きているか、解った訳ではない。
しかし、人間が大群を連れて妖精族の里を訪れる。
そんな状況が、日常でない事をレイバーンはよく知っている。
「余はリタの元へと行く!」
「レイバーン様、私も……!」
共に報告を聞いていたルナールが戦車の手配を進める。
言っても聞く訳がないと知っているからこそ、同行を買って出た。
「俺も連れて行ってもらうぞ」
シンも旅の支度を始める。
妖精族の里にはフェリーが居る。シンにも急ぐ理由があった。
「ルナールはシンを連れて戦車で来るが良い!
余は走った方が速い、先に向かわせてもらう!」
二人の返事を待つことなく、レイバーンは城を飛び出していった。
……*
妖精族の群れを掻き分けてたどり着いたフェリーを待っていたのは、ガレオンの怒声だった。
「さて、この状況。これでもまだ言い逃れをするつもりか!?」
リタは歯を食いしばって、下を向いている。表情がよく見えない。
レイバーンは状況が呑み込めていないようだが、自分の登場が状況を悪くしている事には気付いている様子だった。
困った顔をしながら、リタの身体を支えている。
「笑わせるな! レイバーン殿は、幼き頃よりリタ様の友人であるだけだ!
貴様ら人間の国など、侵略するつもりは毛頭ない!」
ストルは精一杯の反論を試みるが、魔王と実際に逢引をしていたのは事実だ。
その最中に何を企んでいても、それを知る術はない。
何も企んでいないと、証明する術もない。
二人が会っていたという事実が、状況を悪化させる。
「妖精族は何者にも属さないのでは無かったのか?
互いの長が逢っていて、そこに何も無い。それを信じろと?」
「そうですよ」
レチェリが二人の口論を遮った。
リタの肩が、ビクッと震えた。
「我々、妖精族は高貴な存在ですから。
その女王ともなれば、いくら魔王と言っても到底釣り合うものではありません。
ねえ、リタ様。そうでしょう?」
この女性は何を言っているのだろう。
昨日までと違って、今のリタはレチェリの言葉ひとつひとつが怖い。
「れ、レチェリ……。それはどういう……」
「貴女は、高貴な妖精族の中でも特に高貴な存在なのですよ。
これが、その証ではありませんか」
徐に、レチェリから渡されたのは弓。
神器のひとつ、妖精王の神弓。
リタを妖精族の女王として選んだ、妖精族にとって唯一無二の至宝。
「レチェリ、どうして神弓を……」
普段はリタが所持しているはずのこれを、いつ持ち出したのか。
それを考える事より、渡された理由を考える事に思考が寄せられていく。
レチェリは一体、神弓で何をさせるつもりなのか。
「ガレオン殿。リタ様が神弓で魔王を討てば、嫌疑は晴れますね?」
「――っ!!」
リタは思わず顔を上げた。
今、レチェリはどんな顔をして言っているのか。
とても許容できるものではなかった。
それは、自分の知っている彼女とは別人にしか見えなかった。
裂けるように両端の口角が釣り上がり、持ち上げられた頬肉が目を細める。
ずっとアルフヘイムの森にいた自分が、到底見た事もないような邪悪な笑み。
「そうだな。そうなると、さすがに我々も信じざるを得ないな」
ほくそ笑むガレオンの表情の変化に気付いたのは、一番近くに立っていたストルだった。
目的は判らないが、この男とレチェリは共犯なのだと確信をする。
だが、今それを伝えた所でどうなるのか。
伝えようものなら、きっとガレオンは待機させている軍を動かすだろう。
そうなると、レイバーンは加勢するに違いない。
それは隣国との戦争が始まる事を意味する。
ならば、このままリタにレイバーンを討たせればどうなるか。
きっと、魔獣族との戦争は避けられない。
それだけではない。妖精王の神弓がその蛮行を許さず、リタを主として認めないかもしれない。
そもそも、リタにレイバーンを討てるはずがない。
妖精族崇拝主義のストルとて、個人の感情ぐらいには理解を示す。
当のレイバーンは腕を組み、考え込んでいた。
自分がリタに会いたいと、身の丈に合わない願いを持ったからだ。
その我儘で、彼女の大切にしている妖精族を戦火に晒すわけには行かない。
「……よし、解った。リタ、余を討つが良い!」
リタの顔が真っ青になる。
レイバーンは、そんなリタを悲しませないように満面の笑みで言った。
愛を司っているはずのレフライア神は、何も言ってはくれない。
決断の時は、すぐ傍に迫っていた。