幕間,約束のお茶会
瓦礫の山こそは撤去されたものの、修繕が終わったとは言い難い王宮。
土の色がちらほら目に映る状況でも、私たちは中庭へと赴く。
じきにフローラたちは妖精族の里へと帰ってしまいます。
どうしても、その前にやりたかったのです。アメリアが言ってくれたお茶会を。
「フローラ。本当に良かった……」
「イレーネ姉様。もう、何度も仰っていますよ」
「そうは言っても、心配したのですよ?」
深く息を吐く私に、フローラはいつものように優しく微笑む。
こればかりは仕方がない。無事に戻って来てくれるのか、不安でたまらなかったのだから。
私程度でこの様子なのだから、フィロメナ様はもっと苦しい思いをしたでしょう。
「フローラ、イレーネの気持ちも汲んであげなさい。
ずっと貴女の帰りを待っていてくれたのですから」
「い、いえ! 私なんてそんな!」
カップを口へ運びながら、フィロメナ様はフローラを嗜める。
優雅な佇まいに目を奪われる一方で、私は両手を振って否定をする。
「イレーネ。貴女も、妹へ遠慮をしなくていいのよ。
今回に限った話ではなくて、いつもフローラのことを心配してくれているでしょう。
フローラに知ってもらいたいという想いもあるけれど、私からも改めてお礼を言わせて頂戴」
私は思わず、フィロメナ様から顔を逸らした。
紅潮した顔。というより、抑えようとしても勝手に口角が上がってしまう。
その様を皆に見られるのが恥ずかしいからだ。
「イレーネ姉様……。いつも、ありがとございます」
「い、いえ! 姉として、妹を心配するのは当然ですから!
こうして帰って来てくれて、本当に安心しましたわ!
アメリア、オリヴィア。本当にありがとう」
続けざまに礼を述べるフローラがこの世のものとは思えない美しさで、私は卒倒しそうになってしまいました。
立て続けにこんな幸福が並べられるなんて。フローラは無事に戻ってきたけれど、私は今日を無事に過ごせるのでしょうか。
もし倒れてしまえば、フローラは私を心配……。させたくはありませんね。
どうにか気をしっかり保とうとするべく、空白の島へと向かってくれたアメリアとオリヴィアへ礼を述べました。
「いえ、私たちもフローラ様は大切な方ですから」
「そうですよ。例え行くなと言われても、絶対に行ってました」
「ふたりとも……」
アメリアとオリヴィアはさも当然と言わんばかりに、強く頷きます。
満更でもなさそうなフローラを見ていると、絆の深さを実感させられました。
少しだけ……。いいえ、かなり羨ましいです。私もいずれは、これぐらい当然だと言える関係を……。
「あのー……。どうして、わたしがこの場に……」
などと会話に乗じていると、一人の女性が恐る恐る手を挙げる。
雪のように美しい銀髪を靡かせる、顔立ちの整った女性。
フローラにとって料理の師である、イリシャ・リントリィ様その人でした。
「なにかおかしい? イリシャちゃん」
一口つけた紅茶で身体が暖まったのか、ほっと安心したように息を吐く少女。
こちらも美しい銀髪を持ち、可愛らしいと言った雰囲気の似合う御方。
妖精族の女王である、リタ・レナータ・アルヴィオラ様でした。
「いや、リタは妖精族の女王だから分かるわよ。
けれど、私がこの場に居るのはちょっと……」
イリシャ様はどうやら、自分が場違いだと主張したいようでした。
フィロメナ様、フローラ、リタ様、アメリア、オリヴィア、そして私。
王族や貴族ばかりが集まる中で、どうも気後れをしている様子でした。
チラチラと他の卓を窺っていたのは、そちらへ移りたいという意思の表れだったようです。
「そう言わないでください、リントリィさん。
こうやって美味しいお茶菓子も用意してくれたではないですか。
私も、師の味ですと自慢がしたかったのです。どうか、身分など気にしないでいただければ」
「殿下がそう仰るのでしたら……」
にこやかな笑顔を向けるフローラを前に、イリシャ様は根負けをしました。
隣でリタ様が「おお、イリシャちゃんが負けた」と物珍しそうに声を漏らしています。
フローラの言う通り、今回のお茶菓子はイリシャ様も用意してくださりました。
彼女の料理を知っている皆がお墨付きを与えた通り、うちの料理長も唸る逸品がいくつも並んでいます。
かくいう私やフィロメナ様も虜になってしまった人間で、ずっと王宮に居て欲しいとさえ思っていました。
フローラと一緒に料理を学ぶ私……。
間違いなく幸せな光景でしょうね。主に私が。
「イレーネ姉様?」
「え? あっ、ああ! なんでもありません。なんでもないのですよ、フローラ!」
おっと、いけません。また少しばかり物思いに耽ってしまいました。
首を傾げるフローラも素敵ですけど、あまり心配をかけてはいけませんね。
ただでさえ、私には倒れたという前科があるのですから。
……*
あちこちで雑談が繰り広げられる、中庭でのお茶会。
私たちも例外ではなく、やがて話題はフローラの中で現れたという『傲慢』についてのものとなりました。
まあ、それ事態はいいのです。可愛い妹の身体を蝕む『傲慢』は、アメリアが斬ってくれたようですし。
傷もオリヴィアやトリスが治療してくれたと聞いています。感謝してもしきれません。
それよりも気になったのが、『傲慢』に身体を乗っ取られている間の会話でした。
「あのまま皆さんが救けに来てくれなければ、私は危うくビルフレストの妻となるところだったんですよ」
フローラからすればそれは、未遂に終わったことなのでしょう。
ですがその瞬間。確実にこの卓の空気は凍り付いていました。
「けけけけ、結婚……!?」
地震でしょうか。声が震えてしまいます。
ティーカップの表面も揺れていますし、これは相当な振動でしょうね。
逃げなくてはと頭では理解していても、身体が言うことを聞いてくれません。というか、足も震えています。
不思議なのが、私以外は全く震えていないことでした。
やはり、鍛えていると多少の地震では揺るがないものなのでしょうか。
「イレーネ、落ち着きましょう。未遂に終わったとフローラは言っているわ」
フィロメナ様の仰っている言葉は、私の耳を素通りしていきました。
ただ、揺れているのは私だけではない。それが確認できただけでも良しとします。
「本当なの? フローラちゃん」
異常なまでに落ち着いた佇まい。かつ興味津々な様子で尋ねるのは、リタ様でした。
後で知った話ですが、リタ様も望まぬ人間から求婚されたことがあるそうです。
共に未遂で終わっているからこそ、落ち着いて話すことが出来たのでしょうね。
尤も、次に放つフローラの言葉で私たちは、それどころではなくなっていたのですか。
「はい。話を聞く限りはミスリアの血を穢すことが目的だった――」
次の瞬間。リタ様とイリシャ様を除く全員がフローラへ身を乗り出していました。
あちこちに割れたカップが霧散する一方で、いつしか地震は止まっていました。不思議なものです。
「フローラ。大丈夫? 大丈夫なのですか!?」
「無理して気丈に振舞わなくても、大丈夫よ……!」
「フローラさま。わたしたち、それ聞かされてませんけど!?」
「本当に、何もされていませんでしたか!?」
この時のフローラは、私の知る限りでは過去一番驚いていました。
というより、私の前では余裕のある表情が多かっただけに新鮮味が強いとも言いますか。
ともあれ、彼女は「失言をした」と思っているようです。
イリシャ様へ視線を流し、救けを求めているのが私でも判りました。
「殿下がこの場で軽く仰るのですから、恐らくは何もなかったのではないでしょうか……?」
「え、ええ。リントリィさんの仰る通りです。
事が起きる前に、救出して頂きましたから。この通り、何もありませんよ」
元気を示したかったのでしょう。
軽く力こぶを作る仕草を見せるフローラは、愛くるしいの一言でした。
「それなら、いいのだけれど……」
「あー、ビックリしました。
ビルフレストなんて、わたしは絶対に認めませんからね」
全員が安堵のため息を吐く中、フィロメナ様とオリヴィアが特に安心した様子でした。
アメリアは流石に落ち着いたのか、ゆっくりと胸を撫でおろしながら椅子へ腰掛けます。
因みに私は、安心しすぎるあまり涙を溢していました。
ハンカチを貸してくださったイリシャ様には、本当に感謝しています。
「それは私も御免よ。私にだって、好みの男性像ぐらいあるもの」
「……フローラ。それは後で、教えて頂戴」
「は、はい。お母様……」
鼻息を荒くするフローラへ、フィロメナ様が耳打ちをする。
出来れば私にも教えてもらいたいです。どんな人間が義弟候補と成り得るのかを。
「って、それはいいのです。私は未遂に終わりましたから。
問題は貴女ですよ、オリヴィア!」
「はい?」
フローラは今しかないと言わんばかりに、細く美しい指でオリヴィアを指します。
あまりに自分へ話題が集中しすぎた結果、矛先を逸らしたいのか。
いいえ、あの表情を見る限り本気で何かを知ろうとしているのが伝わってきます。
「オリヴィア。単刀直入に訊きます。貴女、恋をしていますわね?」
自信たっぷりに宣言してみせるフローラも、また魅力的でした。
それはそうと、指摘が正しかったかどうかはオリヴィアの表情が物語っています。
いつも余裕たっぷりな彼女にしては珍しく、視線を泳がせているのですから。
「な、なんのことですか……?」
「隠しても無駄です。貴女がいつも私を見てくれているように、私も貴女を見ているのですから」
フローラのその発言は、大きなヒントでしかありませんでした。
彼女が恋心を抱く相手は、妖精族の里に居るのだと宣言しているに等しいのですから。
「フローラ、妖精族の里に想い人が……?」
「えっ? 誰、誰なの!? 教えてよ、オリヴィアちゃん!」
「あらあら、若いっていいわね」
妖精族の里に住む方々の反応は、三者三様でした。
アメリアは寝耳に水と言った様子で、自信満々なフローラと慌てふためくオリヴィアの顔を交互に見渡しています。
リタ様に関しては、自信が恋をされているからでしょうか。他人の恋も気になって仕方がないようです。
その様子を見守っているイリシャ様という構図が、とても印象的でした。
「ま、待ってくださいって。いや、その。えと、まだよく解らないといいますか……」
「私にはあれだけ急かしたりしたというのにですか?」
「う……」
アメリアの言葉が余程刺さったのか、オリヴィアは顔を強張らせました。
「相手の家柄を気にしているのですか? ならば、気にするほどでもないでしょう。
アメリアだって、そうだったのですから」
「フローラ様……!?」
思わぬ飛び火に、アメリアも同様しています。
狼狽えるアメリアとオリヴィアに、したり顔のフローラ。
「そうかもしれませんけど! 問題はそこじゃなくてですね!」
「オリヴィアだけの問題かもしれないじゃない。力になりますから、ちゃんと話してください!」
「そうですよ。私の時はあれだけ詰め寄ったではありませんか」
「~~っ! そうですけど!」
仲睦まじい光景が微笑ましく感じると同時に、私は羨ましくも思います。
いつかこんな関係を構築できれば。心からそう願わずには、居られません。
「大丈夫ですよ、イレーネ」
「フィロメナ様……」
羨ましそうにしていると、フィロメナ様が声を掛けてくださいました。
私はきっと、顔に出やすいタイプなのでしょうね。
「貴女とも、アルマとも。フローラはこうやって関係を構築できます。
遅すぎたなんてことはありません。これから、共に歩んでいきましょう」
「……はい。ありがとうございます」
フィロメナ様は本当にすごい御方だと思います。
私が欲しい言葉を的確に下さるのですから。
「……暖まりますね」
淹れ直した紅茶を口に含み、ぽつりと言葉を漏らす私。
姉としてまだまだ未熟ですが、こんな暖かな光景をいくつも作りたい。
心からそう思った、楽しいお茶会でした。