幕間.糸を紡ぐ
王宮の中は広い。あっちこっち修理中でぐるぐる回っていると迷ってしまった。
どこから外へ出ようかと彷徨っていると、扉から光が漏れているのを見つけた。
もしかすると、道を教えてもらえるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、あたしは部屋へと近付いていく。
「うーん……。イリシャさん、どうにかなりませんか?」
「わたしも、そこまで上手なわけじゃないからねぇ……」
イリシャさんとオリヴィアちゃんだ。
聞きなれた声だったから、誰が喋っているのかすぐに解った。
案内して貰えるかもって期待を膨らませる反面、二人の様子が気にもなった。
なんだか、困っている様子だったから。ジャマになるかなと思いながらも、顔を覗かせる。
「イリシャさん、オリヴィアちゃん」
「フェリーちゃん。どうかしたの?」
イリシャさんがいつもの様子だったから、あたしは少しだけ安心をする。
良かった、大切な話をしているワケではなさそうだ。
「えと、中庭にはどうやって出たらいいかわかんなくて……」
「ああ。あちこち修理中ですもんね」
オリヴィアちゃんもトクベツ変わったフンイキじゃない。
あれ? だったら、さっきのやり取りはなんだったんだろう。
……なんてコトを考えていると、ボロボロになった一着のローブが目に留まった。
見覚えはある。オリヴィアちゃんのローブだ。
もしかして、これのコトで困ってたのかな。
「オリヴィアちゃん。このローブ……」
「はい。空白の島での戦いで、破れてしまいまして。
結構お気に入りではあったんですけど」
うんうんと唸りながら、オリヴィアちゃんは振り子のように頭を左右に振っている。
それでも視線は、ところどころ擦り切れ、裂け、穴が開いているローブから離れない。
「いや、お気に入りと言っても服ですからね。いつかダメになるのは分かってますよ。
ですから、買い替えるのも吝かではないんですが……」
「うん?」
あたしは首を傾げた。お気に入りではあるけど、大切ではない。
そんなカンジで言っているのに、諦めきれない様子が伝わってくる。
「このタイミングで買い替えるとなると、フローラさまが気にしそうなんですよね。
変に気を使わせたくはないといいますか」
なるほど。オリヴィアちゃんとしては買い替えても仕方ない。
だけど、フローラさんが自分のせいでお気に入りのローブをダメにしたって思うかもしれない。
オリヴィアちゃんは、そこを気にしているみたいだ。
「それで、わたしのところへ相談に来てくれたんだけどね。
簡単なお裁縫ならできるけど、ここまでボロボロになった服の修繕となると……。
明らかに修繕の跡が残っちゃうと思うわ。それだと、殿下が気付いちゃうものね」
折角頼ってもらったのに、力になれそうにない。
相談を受けたイリシャさんも、少しだけ困っていた。
「ごめんね、オリヴィアちゃん」
「いえいえ、そんな! もう買い替えるのも致し方なしですよ」
口ではそう言っているが、オリヴィアちゃんも少しだけ哀しそうだった。
きっとフローラさんのコトだけじゃない。やっぱり、お気に入りのローブなんだろうな。
だったら、あたしがするべきコトはひとつだ。
「あたしが直そうか?」
「え?」
二人の目が点になる。あたし、そんなにヘンなコト言ってないと思うんだけど……。
聞こえなかっただけかもしれないから、もういっかい言うコトにした。
「あたし、そのローブ直すよ」
オリヴィアちゃんは信じられないって顔で何回も瞬きをしている。
今度は聴こえてるみたいだけど、なんだかソワソワして落ち着かない様子だった。
「フェリーさん。その、このローブ。わたしのお気に入りでして……」
「え? うん、だから直そうかって……」
お気に入りのローブがボロボロでタイヘンだから、直したい。
ついさっきした話なんだから、忘れるはずがない。
「その、オモチャにされるのは流石に抵抗が……」
「しないってば! シツレーにもホドがあるよ!」
なんだか、オリヴィアちゃんはあたしがローブで遊ぶと思ってたようだ。
頬を膨らませるあたしの向こう側で、オリヴィアちゃんの視線が泳いでいる。
「フェリーちゃん、お裁縫出来るの?」
「うん、カンナおばさん……。シンのお母さんに教えてもらってたよ」
「そっか……」
イリシャさんの質問にあたしが頷くと、ちょっとだけ考え込む仕草を見せた。
たったそれだけでも美人さんだってわかるから、凄いと思う。
「オリヴィアちゃん、フェリーちゃんに任せてみない?
シンのお母さん、実家は仕立て屋さんだったのよ」
「えっ、そうだったんですか?」
あたしの話を聞いて、イリシャさんが後押しをする。
そっか、イリシャさんはカンナおばさんのお店に行ったコトがあるんだった。
「旅をしてる間、依頼がない時は裁縫のお手伝いをさせてもらってたんだよ」
あたしは腕を組んで、ちゃんとお金を貰えているコトをアピールする。
オリヴィアちゃんはその話を聞いて、少しだけ考え込んだ。
「一か八か……」
うん?
今、オリヴィアちゃんがボソっとシツレーなコトを言ったような。
「フェリーさん、すみません。どうか、わたしのローブを……」
ローブを手渡すオリヴィアちゃんの手は、少しだけ震えていた。
これ、元通りになる不安よりあたしがもっとボロボロにしないかの不安のような気がする。
「おっけ。できるだけ、ガンバるからね!」
「本当に、出来る範囲で結構ですので……」
そうは言われても、預かった以上はちゃんとしなくちゃいけない。
あたしだって、針仕事にはそれなりに自信があるのだから。
オリヴィアちゃんから預かったローブを、あたしは丁寧に縫っていく。
針を一刺し通す度に思い出す。カンナおばさんに、初めて教えてもらった日のコトを。
……*
「こんにちは!」
「あら、フェリーちゃん。いらっしゃい」
シンのおうちの扉を開けると、カンナおばさんが微笑みながら出迎えてくれる。
あたしはその優しそうな笑顔が大好きだった。
「あれ? シンとリンちゃんは?」
だけど、その日は少しだけ勝手が違っていた。
家の中を見渡しても、シンやリンちゃんの姿が見当たらないのだ。
「あれ? シンとリンちゃんは?」
「二人なら、晩ご飯のお使いに行ってくれているのよ。
ごめんね、今はおばさんがお留守番してるの」
「そっかぁ」
シンとリンちゃんが居ないのは残念だったけど、あたしの興味は別のトコへ移っていた。
丁寧に針を刺して模様を作っているカンナおばさんが、魔術を使っているように見えたからだ。
「カンナママ、それって何してるの?」
「これ? シンとリンのものだって、すぐ判るようにしてるのよ」
そう言って広げられたハンカチの隅っこには、糸で縫われたお花の模様があった。
青いお花はシンのもの。赤いお花はリンちゃんのもの。可愛い目印に興奮したのを、覚えている。
「すごい! カンナママ、すごいね!」
「そう? そう言ってもらえると、照れちゃうわね」
嬉しそうにしながらも、カンナおばさんは刺繍を続けていく。
あたしが興味津々で見ていたからだろう。カンナおばさんは、やがてこう言ってくれた。
「フェリーちゃんも、やってみる?」
「うん!」
間髪入れずに、あたしは頷いていた。
七歳の頃の出来事だった。
……*
ちくちくと針を布へ刺していく。
何度も糸を通して、模様を作っている……つもりだった。
「う。フェリー、カンナママみたいにじょうずにできない……」
当たり前ではあるけれど、カンナおばさんのように上手くいくはずはなかった。
刺繍というよりは、ただ糸の集合体を生み出しているだけだったと思う。
それでもカンナおばさんは決して怒らない。それどころか、あたしの頭を優しく撫でてくれる。
「そんなことないわ。フェリーちゃん、初めてなのに上手よ。
いっぱい練習すれば、おばさんより全然上手になっちゃうわよ」
「ホント?」
「ええ、本当よ」
そう微笑んでくれるカンナおばさんが嬉しくて、あたしもにっと笑い返した。
やがてひと段落ついたところで、おやつにしようと言ってくれた。
恥ずかしい話だけれど、あたしはこの日一番の笑顔で頷いていたと思う。
……*
「今日は何をしていたの?」
「おじいちゃんにね、魔術のご本読んでもらってたんだ!
ゼンゼンわかんなかったけど!」
「ふふ、そっか」
おやつを食べていると、カンナおばさんはたくさんお話をしてくれる。
そして、あたしのコトも聞いてくれる。おばさんとお話をするのは、とても好きだった。
「フェリーちゃん、ありがとうね」
「う?」
そんな中で、カンナおばさんが突然お礼を言った。
お礼を言うのはあたしのほうなのに、どうしてだろうと首を傾げていた。
「いつもシンやリンちゃんと仲良くしてくれて。
二人ともね、フェリーちゃんが来てくれると凄く喜ぶのよ。
フェリーちゃんのことが、大好きなのね」
カンナおばさんの言葉を聴いて、あたしは幸せな気持ちになった。
紛れもなく、嬉しかったのだ。「好き」と言ってもらえるコトが。
「えへへ。フェリーもね、シンとリンちゃん好きだからうれしい!」
「そっか。そう言ってもらえると、おばさんも嬉しいわ」
あたしはその流れのまま、カンナおばさんの傍へと駆け寄る。
にこやかに微笑むカンナおばさんを見て、きっと伝えなくてはならないと思ったのだろう。
そっと、耳打ちをした。
「カンナママのコトも、だーい好きだよ」
満面の笑みを浮かべるあたしと、カンナおばさんの目が合う。
けれど、それは一瞬だった。次の瞬間には、あたしは力強く抱きしめられていたのだから無理もない。
「ふふ。おばさんも、フェリーちゃんのことだーい好きよ!」
「えへへ。フェリーもぎゅーっ!」
あたしたちは意味もなく、抱きしめ合っていた。
とても温かくて、幸せな気持ちだったのをよく覚えている。
……*
おやつを食べ終わった後は、また刺繍の練習だ。
ひと針ずつ、一生懸命に刺していく。
シンとリンちゃんが帰ってきたのは、それからしばらくしてのコトだった。
「あーっ! フェリーちゃん、さいほうしてる!
リン、あぶないからダメって言われたのに!」
針を手に持つあたしを見て、リンちゃんが声を上げた。
どうやら、あたしが先に裁縫を教わったコトが羨ましいようだ。
「リンも、もう少し大きくなった教えてあげるわよ」
「でも、フェリーちゃんばっかりじょうずになっちゃう……」
カンナおばさんはそう言うけれど、リンちゃんは頬を膨らませている。
だから、助け船を出すつもりであたしはこう言った。
「だいじょぶだよ。フェリーね、おねえさんだから教えられるんだよ!
リンちゃんに、たくさん教えてあげるからね!」
初めて針を持ったにも関わらず、あたしは上手になると信じて疑わなかった。
カンナおばさんの言葉は、それだけ信じるに値するものだったのだ。
「ほんと? やくそくだよ、フェリーちゃん!」
「うん! やくそく!」
高らかに宣言をしたあたしに、リンちゃんも眼を輝かせる。
お姉さんとしての責任が生まれたのだから、絶対に上手くならなくてはいけない。
あたしは気合を入れて、カンナおばさんに針仕事を教わっていった。
……*
そして、今もそれは続いている。というより、手放せなかった。
あたしがシンの大切なものを、皆の未来を奪ってしまった。
だからせめて、カンナおばさんが教えてくれたものだけは忘れてはいけない。
贖罪の意味合いが強かったけれど、今は少しだけ違う。
『母』の温もりをくれたのは、間違いなくカンナおばさんだった。
あたしにはそれで充分だった。おじいちゃんが居て、カンナおばさんが居て、ケントおじさんが居て。
シンとリンちゃんも、ずっと傍に居てくれた。あたしにとって、何よりも大切な家族だった。
けれど、今は少しだけ違う。
ファニルさん。ビルフレストのお母さんに言われたコトが、頭から離れない。
「ちゃんと、会わないといけないのかな……」
あたしを産んだかもしれない人と、話をしないといけないのかもしれない。
ちゃんと向き合って話さないといけないのかもしれない。
カンナおばさんが、あたしにしてくれたように。
……*
「お、おおお……」
「凄いわね、近くで見ないと全然わからないわ」
修繕したローブを渡すと、オリヴィアちゃんは震えていた。
イリシャさんはまじまじとローブを見つめては、頷いている。
気持ちはわかる。あたし自身、ケッコー改心の出来栄えだと思う。
「フェリーさん、ありがとうございます!」
「なんのなんの! また困った時はあたしに言ってね!」
すっかり得意げになったあたしは、腕を組んで頷いていた。
「正直、無事に戻ってくるまで疑ってました! 本当にありがとうございます!」
「それはホントにシツレーだよ!」
まさかの感想を前にして、さすがのあたしも頬を膨らませる。
どうやらオリヴィアちゃんは最後の最後まで、あたしが裁縫を出来ると思っていなかったみたい。
苦笑いをするイリシャさんの姿が、印象的だった。