幕間.トリスとイルシオン
私とスリットは一卵性双生児だが、よく似ていると言われた。
思い返せば平等に愛でてくれている証なのだろう。
けれど、当時の私たちにとっては違う受け取り方をしていたのだ。
――自分の方が、絶対に勝っている。
ほんの少しばかり早く産まれただけで、「兄」と成ったスリットへ私は対抗心を燃やす。
そっちがせっかちだっただけだと、何度も何度も投げ掛けた。
その度にスリットは、苦虫を噛み潰したような顔を見せて反論をする。
対するスリットは「兄」としての矜持があった。
ほんの少しの差とはいえ、自分が妹へ遅れを取るわけには行かない。
ことあるごとに矢面へ立とうとするのは、妹への対抗心。それと、兄としての責務を果たそうとしていたのだろう。
基準はとても曖昧だった。勝敗もあくまで、心ひとつ。
産まれも育ちも環境は同じ。だから、必然だったのだろうか。
自分の敗けだと相手へ言ったことは一度もなかった。
啀み合っているわけではないが、仲が良いとも言い難い。
そんな兄妹の関係は、アイツの存在で一変することとなる。
……*
「ほら。ひとりでお名前、言えるでしょう?」
「いるしおん! いるしおん・すてらりーど、です!」
自分たちよりも一際来い紅。燃え盛る炎を連想させた髪を靡かせながら、その子供は目一杯腕を伸ばした。
イルシオン・ステラリード。ミスリア五大貴族、ステラリード本家待望の嫡子。
「よく言えました」と頭を撫でる彼の母。イルシオンは、得意げに胸を張っていた。
まるで人形のような小さな手を、天高く掲げる。ただそれだけで、一所懸命だということが伝わってきた。
スリットと共に成長をしていた私たち兄妹にとって、イルシオンの第一印象は「可愛い」の一言に尽きる。
たった一年ズレただけで、こんなにも違うのかと驚嘆した程だった。
「イル。スリットお兄さんとトリスお姉さんと、仲良く遊ぶのよ」
「うん! よろしくおねがいします!」
頭を大きく下げ、全力で持ち上げるイルシオン。息子の可愛らしい様子を前にして、イザベラは感激しているようだった。
気持ちは解る。生意気ではあるが、私たちも思ってしまったのである。この生き物が可愛いと。
その時から、私たち兄妹の元へよくイルシオンが遊びに来た。
勿論、向こうにとっては特別なことではない。
離れた位置に住んでいるエトワール家やフォスター家にまで、イザベラは彼を連れて行っているのだから。
それでも、私たちにとってはイルシオンの存在は大きかった。
ちょこまかと後ろをついてくる様は、愛くるしいとしか言いようがない。
イルシオンが現れてから、私とスリットは意地の張り所が変わった。
決して敗北を認めない相手ではなく、イルシオンがどちらを尊敬するかを競うようになったのだ。
私は魔術を。スリットは武術を嗜んでいく。
イルシオンはどの道へ進むのか。そして、進んだ際の決め手は何なのか。
彼が選んだ道によって、勝敗を決めようとした。
こうしようと決めたわけではなく。いつしか、自然とそうなっていた。
今でこそ解る。どれだけ烏滸がましいことをしでかしていたかを。
彼は自分たちなど歯牙にも掛けないほどの天才だったのだと。
そして、天才は案外ゴロゴロと転がっている。私たちはそうではなかったのだと。
……*
「トリスさん。おはようございます」
「あ、ああ……。おはよう、クレシア」
魔術学校に入学した私は、進級して後輩が出来ていた。
そのうちの一人が、クレシア・エトワール。イルシオンの幼馴染にして、共に旅を続ける相棒。
姉のヴァレリアさんやグロリアさんと違い、彼女は身体が弱かった。
そんな彼女を元気づけたのがイルシオンだと、いつもヴァレリアさんに聞かされていた。
体力のついたクレシアを連れて、イルシオンは旅へと出る。
と言っても、根無し草というわけではない。冒険者ギルドで人々を襲う魔物を討伐するというもの。
この時には、既にイルシオンの剣はかなりの腕前となっていた。
年上かつ、士官学校で鍛えていたスリットよりも強い。手合わせはしていないが、誰もがそう思っていた。
魔術を選択した私は、イルシオンが違う道を歩んだことに安堵をしてしまっていた。
あれだけ同じ道を選んで欲しい。尊敬されたいと、思っていたのにだ。
彼は魔術も巧みに操るが、魔術師の自分が劣るとは思えない。
矜持の拠り所を、そんなところに求めてしまったのだ。
だが、それも簡単に打ち砕かれることとなる。
原因はそう、クレシアだった。イルシオンと共に旅に出る彼女は、魔術学校に出席することはほぼない。
魔術学校へ極稀に現れては、圧倒的な実力の差を見せつけて去っていく。
それでいて「イルのサポートをしているだけ」と宣うものだから、胸がざわめいた。
加えて、ひとつ下の世代にはもう一人の天才が居た。
オリヴィア・フォスター。彼女もまた、クレシアに負けず劣らずの逸材だった。
姉はあのアメリア・フォスター。剣術も魔術も一流の、天才騎士。
自分とスリットを足して、尚も上回る傑物。
彼女たちが才能に胡坐をかくような人物であれば、どれだけ楽だっただろうか。
現実はその真逆だった。一年、一月、一日。時間が経つ度、差は広がっていく。
極めつけは、イルシオンが紅龍王の神剣の継承者と成ったことだった。
もう、足元にも及ばない。「流石は本家の人間だ」と称えるのは、自分への慰めでもあった。
スリットと争っていたものは、二人だけの箱庭で終わらせておくべきだったと後悔している。
なまじ外に勝敗を委ねたからこそ、揃って敗北者へと成り下がった。
神器の継承者と成ったイルシオンは、今まで以上に魔物討伐へ精を出す。
あまりにも自由奔放な彼を前に、批判の声も挙がった。
だが、彼の行いは決して「悪」ではないと、咎められることはなかった。
時を経て、私とスリットは黄道十二近衛兵へ任命された。
通例ならば、黄道十二近衛兵には本家と分家から一人ずつ選ばれる。
だが、本家唯一の跡取りであるイルシオンは捕まらない。
ルクス卿はカッソ砦を護るという使命があり、分家の身でありながら私たちは例外的に二人選ばれた。
本来なら喜ばしいことだろう。事実、両親も喜んでいたのだから。
敗北感に打ちひしがれていたのは、私とスリットだけ。
イルシオンがその気になれば、たちまち消えてしまう場所になんとか潜り込んだだけなのだから。
この頃の私は、もうイルシオンの顔をまともに見ることが出来ていなかった。
抱き続ける劣等感と、見返したいという想い。それを利用されるのは、ある意味で必然だった。
……*
「トリス姉。ミスリアに、戻ってきてくれたんだな」
肩で息を切らせながら、イルシオンが私の元へと駆け寄る。
どこか犬のように見えるその姿は昔と変わらない。
そう、変わっていないのだ。ミスリア王都で邂逅した時も、垣間見えて居た。
イルシオンは今も昔も、私を慕ってくれている。見下さないで、居てくれている。
劣等感で距離を置いたのは、他ならぬ自分ではないか。
それを認めることが出来た時。私は久しぶりに、イルシオンの顔をはっきりと瞳へと映し出せた。
真紅の髪と瞳は変わっていない。
初めて逢った時よりも随分逞しくなったように思えるが、昔の印象からそう離れはしない。
私に微笑みかけてくれる笑顔も、そのままだった。
「……なんだか。久しぶりにお前の顔を見た気がする」
「え? まあ、実際久しぶりだが……」
「そういう意味じゃない」
首を傾げるイルシオンを見て、私は笑みを溢した。
同時に、彼の優しさに救われた。クレシアの命を奪ったのはビルフレストだ。
世界再生の民に所属していた私を、許せなくてもおかしくはないのに。
「それよりも、トリス姉。スリット兄の話を、聞いたんだが」
「ああ。今もこうして眠っている」
ベッドで横たわるスリットの姿を、イルシオンは神妙な顔つきで見つめる。
人造鬼族とされた際。スリットの体内で暴れ回る魔力を、活力の炎で抑え込んだ。
見た目こそは元通りになったが、スリットは今も目覚めてはいない。
「この神杖が無ければ、きっとスリットの命は保証できなかった」
あの時、ジーネスが逃がしてくれなければ。ベリアが拾ってくれなければ。ライル殿が賢人王の神杖を託してくれなければ。
私もスリットも、とうに命は尽き果てていただろう。つくづく、私は縁に恵まれていると思う。
「トリス姉も、神器の継承者に――」
「意外か?」
似つかわしくないというのなら、私もその通りだと思う。
もっと相応しい人物が居ただろうにと自嘲気味に笑う私に対して、イルシオンの返答は意外なものだった。
「いいや。トリス姉もスリット兄も、いつも一生懸命だったからな。神器が認めたって、不思議じゃない。
まあ、ミスリアには剣しかなかったから、そういう意味では意外かもしれないけど。
それでもスリット兄だって、継承者に選ばれてた可能性は十分にあった」
「ほ、本気で言っているのか?」
「当たり前だろう? トリス姉とスリット兄がいつも頑張ってるから、オレも頑張らなきゃと思ったんだから。
そしたら、アメリア姉もオリヴィアも頑張ってるし。負けたくはないけど、尊敬はしてたんだ」
初めて逢ったあの頃のように胸を張りながら、イルシオンは言ってのけた。
気付けば、私は声を上げて笑っていた。
「そ、そんなに変なことを言ったか!?」
「いや、いいや。すまない。ちょっと、私の都合だ」
なんだ。伝わっていたじゃないか。ずっと見ていてくれたんじゃないか。
またも首を傾げるイルシオンをよそに、私は満足感からか笑い続けていた。
「クレシアも、アメリア姉やオリヴィア。あと、トリス姉の話をすると気合が入ってたぞ。
やっぱり、魔術を得意とする相手には負けたくなかったんだと思う」
だが、続く彼の言葉で私の笑みは止まる。
いや、イルシオン。それは違う。ただの嫉妬だ。
クレシア本人も認めたくはないだろうから、黙ってはおくが。
……*
それから私とイルシオンは、色んな言葉を交わした。
真っ直ぐに彼の眼を見て話せたのは、本当に久しぶりだった。
「お前が吸血鬼族の王を……!?」
「トリス姉こそ、吸血鬼族と戦っていたのか!?」
共に吸血鬼族と交戦したことに驚きを隠せない。
しかも、イルシオンの相手は吸血鬼族の王だ。生きていてくれて良かったと、心から思う。
吸血鬼族の王だけではない。どうやら、アルジェントとも戦った経験があるらしい。
なんだか奇妙な縁を感じずには居られなかった。
時間を気にすることなく交わされていく言葉。
やがて話題はこれからのものへと変わっていく。
「……トリス姉はこれから、どうするつもりなんだ?」
今までになく真剣な。けれどどこか影を落としながら、イルシオンは私へ尋ねた。
また離反しないか……とまでは行かなくとも、動向は気になるようだ。
というよりは、私の雰囲気から察したのだろう。昔から勘が働く奴だったから。
「そうだな。私はミスリアから離れるつもりだ」
「やっぱり、そうか! 悪いのはビルフレストだ!
テランやリシュアンだって戻ってきている! ディダなんて、騎士団に入った!
トリス姉だって、皆受け入れてくれるはずだ!」
立ち上がり、私を行かせまいとイルシオンは両手を広げる。
小さくて可愛らしい手は、そこにはなかった。掴んでは放さないであろう、大きな手。
衝動的に言っているわけではない。
彼は本気で、私を心配してくれている。
その気持ちが読み取れるようになっただけでも、私はきっと成長を遂げた。
「なんで、笑ってるんだ? オレは本気で――」
「いや、そうだな。ちゃんと話すべきだな。
イルシオン、私は後ろめたい気持ちでミスリアを離れるわけじゃない」
「え……?」
ならばどうしてなのだと、困惑の表情を見せるイルシオン。
私は寝たきりとなったスリットの額を撫でながら、理由を述べた。
「まずはスリットがこの様子だ。妖精族の里で、ベル・マレット博士に戻す術はないかと調べてもらう。
オリヴィアや妖精族の魔術師もいるようだから、いつかきっとスリットは目を覚ましてくれるだろう」
そう。私はベル・マレット博士へ頼み込んだ。
身体に異物となる魔力を打ち込まれたスリットを、元通りに戻して欲しいと。
懇願する私の背中を押してくれたのは、彼女と意気投合したベリアだけではない。
アメリアやシン・キーランドも、頼み込んでくれた。
マレット博士は約束出来ないと言いつつも、診てくれると言った。
「それじゃあ、トリス姉も妖精族の里へ行くのか?」
「スリットを預けるためにな。
後は、ベリア……。人虎の仲間が、一目みたいとと言っている。
私はその付き添いだよ」
妖精族の里は、世界再生の民にとっても一度は目標とした地。
テランが居座っているとはいえ、無神経に足を踏み入れるのには抵抗があった。
だが、ベリアは違う。魔獣族の王と邂逅し、完全にテンションが上がってしまっている。
同胞を見たいというベリアの願いに、レイバーン殿はふたつ返事で頷いた。
更に、妖精族の里で魔獣族や小人族が集落を創り上げたことも大きい。
それはセアリアス家の理念と同じ、互いを尊重し合う共存が形となったものだから。
一目見ずには居られないのだ。尤も、私も同じ気持ちとなっていたが。
「その後は、ベリアたちと一緒に各地で転移魔術を設置する予定だ。
ミスリアへ立ち寄ることはあるだろうが、私の帰る場所ではなくなった」
「だけど!」
私としては、咎人である自分の人生を尊重してくれたフィロメナ様に感謝の言葉しかない。
けれど、イルシオンにとっては違うらしい。まだ納得がいかない様子で、私に食い下がる。
こうなってしまっては、イルシオンは決して諦めない。
あまり言いふらしたくはない。というより、気恥ずかしいので言いたくはないのだが。
言わなければ納得しないだろうと、私は腹を括った。
「その、なんだ。ネクトリア号の持ち主……。
ティーマ公国の貴族、ライル殿というのだが。
賢人王の神杖は彼から預かっていて、それで……」
身体の芯が無くなったのかと錯覚するほど、もじもじと身を震わせる。
言葉を紡ぐ度に、歯の根が浮いていく。
イルシオンは眉を顰めている。どうしてここは勘が働かないんだ。
「彼に『愛している』と言われてだな。
私もその、嬉しかったんだ……」
部屋の空気が止まった。
数秒間の沈黙の後、イルシオンは軽く握った拳をポンと叩く。
「……トリス姉。嫁に行くということか!?」
「まだ、そうと決まったわけではない!
互いに親交を深めて、理解をしてだな。それから先は……まだ未定だ!」
イルシオンは気が早い。
私は彼に嘘を吐いていた。まだ、ライル殿に釣り合うような人間ではない。
もっと互いを知って、それでもまだ「愛している」と言ってくれてからの話となる。
こういうのは性急に進めるものではないのだ。
何より、イルシオンはクレシアを失っている。
自分ばかりが幸福を掴もうとしているのは、なんだか気が引けた。
「でも。トリス姉はその気があるんだろう?
だったら、おめでとうには変わりない!」
尤も、その考えは杞憂に終わる。
彼は満面の笑みで、私に祝福の言葉を贈る。
「……ありがとう」
ならば、受けるしかないじゃないか。
頬を赤らめながらも、私はその言葉を以て彼へ返した。
この光景はきっと、私がイルシオンと出逢った時に欲していたものだ。
紆余曲折あったものの、漸く辿り着けた。
願わくば、彼のこれからにも幸せが訪れますように。
人々の想いが紡がれるようにと、私は調和と平穏の神様へと祈りを捧げた。