39.魔王の尻込み
シンは困惑していた。
目の前にいる、この人狼は間違いなく『魔王』なのだ。
魔力の感知が出来ないシンでも、彼から発せられる威圧感はぐらいは感じ取れる。
恐らく、出そうともしていないだろう。
友人に、ひょっとすると赤子に接するような穏やかな気持ちで居るのかもしれない。
それでも溢れ出る威圧感が、以前戦った双頭を持つ魔犬より遥かに格上の存在だという事を証明していた。
若干、最初はその気に当てられていたシンも段々と落ち着いてきた。
周囲を気にする余裕が出来てくる。
魔獣の王と云うだけあって、レイバーンの臣下は魔獣や獣ベースの獣人がばかりだ。
その中で一人。人間ベース……という表現が正しいかは判らないが、ルナールだけは自分達が知っている獣人に酷似している。
「なんだ?」
「いや……」
目が合ったシンを、ルナールは邪険な態度で返した。
「ルナールは一際美しいからな。見惚れてしまうのも無理はない」
ルナールは満更でも無さそうだ。レイバーンのそういう所が話をややこしくする原因なのだと確信する。
リタに惚れているなら、リタにだけ言えばいいとシンは思った。
「俺達の地方にもルナールに似たような獣人は見掛けたが、城の中では見当たらないと思っただけだ」
「なんだ、そんな事か」
ルナールは過去、ミスリアにいくつか存在する獣人の集落で過ごしていたらしい。
ある時に祖先がドナ山脈の向こう側に居ると耳にした。
純粋に興味を持ち、逢ってみようとドナ山脈を越えようとした……まではいいのだが、山越えの途中でルナールが力尽きてしまったらしい。
そのまま死ぬかと思ったところ、レイバーンに助けられてそのまま臣下になったという。
それで、あれだけ崇拝しているのかとシンは納得をした。
共に過ごしている間に恩義以上の感情を持つようになったのだろう。
ついでに、レイバーンは自分が魔王となった経緯を話し始めた。
元々は野良の魔獣が集落を作り、そのまま発展していくうちに代表を決める事になった。
その際にレイバーンの祖先が魔王となり、それを受け継いでいるらしい。
思ったより普通に王となっている事に、シンは驚いた。
その事を伝えると、レイバーンは「力で屈服させて暴君となる魔王も居るがそれぞれだ」と笑い飛ばした。
尤も、祖先が王となった経緯に膨大な魔力を携えていたからというのは理由のひとつにあるらしいが。
「それで、シンよ。お主に相談があってだな……」
言い辛そうに頬を搔きながら、レイバーンが言った。
背中を丸めて恥ずかしそうにするその姿は、とても魔王のものには見えない。
余程恥ずかしいのか、ルナールを含めて臣下を下がらせた。今居るのは、シンとレイバーンの二人だけとなる。
ついでに下がる前のルナールの表情が少し曇っていた。
更に言うなれば、何故か睨まれた。あまり良い居心地ではなかった。
「妖精族の女王の事か?」
「そうだ! リタの事だ! 」
「なんで俺に訊こうとするんだ? 本人でも、共通の知り合いならイリシャにでも訊けばいいじゃないか」
あるいはフェリーなら話に乗るかもしれないが、魔王にフェリーが攫われたとなると自分も追い掛けざるを得ない。
「イリシャは『大事な事は、自分で考えなさい』と言うのだ!
困っておるから訊いているというのに!」
「俺もイリシャと同意見だよ」
魔王と妖精族の恋愛相談なんて、自分には荷が勝ちすぎている。
そもそも、自分の気持ちすら抑えつけている人間に何が出来るというのだろうか。
「そうだが、やはり相談したい事もあるのだ!
余はリタを愛している。しかし、それを快く思わない者がいるのも理解しておる。
妖精族の女王が魔族と添い遂げる事が、どういう意味を持つのかも」
妖精族が排他的な理由に、自らの血を高潔なものだと捉えているというものがある。
歴史を辿れば、人間と交わる事で妖精族の血が薄まった半妖精。
同様に、魔族と交わる事で生まれた魔妖精が存在している。
それらは純粋な妖精族からは穢れた血として、忌避される。
……と言われてはいるが、本当に忌避されているのかどうかはシンは知らない。
半妖精も魔妖精も見た事がないからだ。そもそも、妖精族自体リタしか知らない。
妖精族が自らの血に他のものが混じらないように流した方便なのかもしれない。
言い伝え通りに疎外されているのかもしれない。それは、妖精族しか知りようがない。
「余のせいで、妖精族から羨望の眼差しを送られているリタが嫌悪されるものに変わる。
それが嫌なのだ。今、逢いに行っている事ですら同族からは快く思われていないだろう」
「だったら、我慢するしか――」
「出来ないから困っておるのだ! 寝ても覚めても、リタの事しか考えられん!」
「わ、悪い……」
レイバーンの剣幕に、シンは思わず謝ってしまう。
僅かに溢れ出る威圧感が自然とそうさせた。
「それに、妖精族より余の方が寿命は短い。
余が気持ちを伝え、叶ったとしてもいずれはリタを孤独にしてしまう。
それが余には耐えられない」
最後の部分だけは、シンにも共感が出来た。
シンもフェリーを『殺す』と約束をした。それが彼女への『救い』だと信じて疑わない。
彼女は故郷を燃やした事を後悔して、贖罪を求めている。
今やシンとフェリーの互いが、故郷の存在証明となっている。
フェリーは不老不死になってから自身の命を軽く見るようになってしまった。
自らに価値がないと思ってしまっている。自分が居なくなって、故郷を示すものが無くなった時にどうするのか。
それを考えると胸が痛む。だから、『死』を与えてやれるその日まで彼女の傍にいると決めた。
彼女をこの世界で孤独にしたくは無かった。
「……それだけは、解るよ」
シンは、ぽつりと呟いた。
……*
それからはリタの話だけではなく、色々な話をした。
もうリタの話は終わったとして、臣下を呼び戻す。
ルナールは心なしか、呼ばれた事が嬉しそうだった。
「なんと、ミスリアでそのような事件があったのか!」
今、話題に上がっているのはウェルカ領での出来事。
シンが実際に体験し、双頭を持つ魔犬を殺した事件。
レイバーンは、魔犬を殺した事自体はやはり気にしていないようだった。
敢えてこの話題を出したのには理由がある。
偶然とはいえ、魔王と会話する機会が生まれた。
これを機に確認しておきたい事がいくつかある。
まずは、人が魔物に変貌する魔術の存在について。
「人が魔物に変わるような魔術は存在するのか?」
僅かな時間、考える仕草をした後にレイバーンは答えた。
「いや、そのような魔術は知らぬな。
同胞を増やしたいと言って人間を魔物に変える選択肢を取るものはそうおるまい」
レイバーンの言う通りだった。
ただでさえ、魔力濃度の違いからこちらの方が成長しやすいとイリシャも言っていた。
実際に戦ったからこそ判る。敢えて向こうの人間を魔物に変えるメリットが薄い。
「逆なら知っておるのだがな」
「……逆?」
一体どういう意味なのだろうか。
「いやな。魔族を人間に変えようとする研究なら、過去に魔族の間でされておったぞ。
ただ、大昔の事であるし実験自体、失敗しておるがな」
「……どんな研究なんだ!?」
シンはレイバーンに詰め寄った。
この際、経緯はどうでもいい。似たような研究が失敗したとはいえ、存在していた。
もしかすると、大きなヒントになるかもしれない。
「待っておれ。書斎に、そのようなことが書いてある本があったはずだ」
レイバーンはルナールに、書庫へ行くよう指示をした。
戻ってきた彼女が持っているのは、古ぼけた一冊の本。
表紙は擦り切れ、紙は茶色く焼けている。開いたときに舞い上がった埃が喉に絡むが、本としての機能は保っているようだった。
何かヒントになればと思い、ページの端から端まで視線を動かすシンだったのだが。
「……読めん」
本の文字は魔族語で記述されており、何が書いているのか全く分からない。
そもそもミミズがのたくったような字で、どこからどこまでが一文なのかすら判らない。
「はっはっは! シンは人間であるからな。
読めなくても仕方がない!」
「……なんて書いてあるんだ?」
シンは古ぼけた本をレイバーンへと手渡す。
受け取ったレイバーンは「ふむ……」と、記述されている内容を読み上げる。
「どうやら、液体状の薬が造られたようだな。
だが、上手くいかなかったらしい。飲んだ魔物は死に至り、身体が灰となったと書かれておる」
「……灰だと」
変貌した魔物を斃した時と同じだ。下級悪魔も、上級悪魔も灰となって散っていった。
液体の件もピースの話通りなら、妙なワインやジュースを飲んだと聞いている。とても偶然だとは思えなかった。
「他には何が書いてあるんだ!?」
「そう急かすでない。……研究はここで終了しているようだな。
材料が貴重である事と、実験で大量の魔物を死に追いやった事から凍結されたらしいぞ」
この本にはそれ以上の記載がないといい、レイバーンは本を閉じた。
「……そうか」
引っかかる。あまりに酷似しているのだ。
不意に下ろした右手が、腰に差した銃へと触れる。中には、魔導弾が装填されている。
シンは、魔導弾の製作者であるマレットの言葉を思い出した。
――研究なんざ、何が成功か判らないものだ。結果を求めている途中で、勝手に枝分かれしていくしな。
マレットもマナ・ライドを作るために魔導石を生み出した。
マナ・ライドという目的の過程で造られた、魔導石が魔導刃や魔導弾へ繋がっていった。
それと同じで、この研究も別の形で分かれていったのではないだろうか。
「そんなに気になるなら、この本をシンにやろうか?
余が読む事はないし、ずっと持っていても構わんぞ」
「ああ、助かる」
マレットやミスリアの研究者ならば、魔族語が読めるかもしれない。
何かの手掛かりになればと思い、シンは本を受け取った。
本によると、研究が凍結されているようだったので灰の特性については判らないとレイバーンは言った。
邪神や黒い球体、ピアリーでの怪物についても心当たりがないと言われてしまった。
ただ、召喚術については覚えがあるようで簡単に説明をしてくれた。
本来は精霊魔術という事で、妖精族の得意分野だから「リタに訊いて欲しい」と一言を添えて。
要は、自分も逢う口実が欲しいだけというのはシンにも判る。
「こっち側にいる魔犬の召喚は、可能であるぞ」
魔力を有した素材で描いた、魔法陣を描けば比較的魔力が低くても召喚が可能らしい。
思ったより簡単なのだが、召喚した魔物が使役できるかどうかは召喚者の器量に依存する。
魔物に関わらず、召喚したものの使役が出来る保証はないとの事だ。
そう説明を受けて、召喚者であろうダールが近くに居なかった理由が判った。
恐らく奴も、双頭を持つ魔犬を使役出来るほどの実力は有していなかったのだ。
予想以上に抵抗されたが故の、苦肉の策。
黒い球体も同様だったのかもしれない。
自らの器を遥かに超えた存在。尤も、あれが何だったのか自体は知っていただろうが。
「どうだ、余の話は使えそうか?」
「ああ、助かった」
本当に、運が良かったと思う。
まだまだ判らない事は多いが、この情報はアメリアに共有するべきだ。
彼女もきっと不可解な事件に頭を悩ませているだろうから。
尤も、シンが本当に欲しかった情報は手に入らなかった。
フェリーの『呪い』を解くヒントも、『死』を与える方法も。
「さて、難しい話はここまでだな」
レイバーンはこほんと咳払いをする。
「さあ、今度は余の話を聞いてもらうぞ!」
何を話したいのかは、すぐに判った。
「いや、もういい。ありがとう、俺は帰らせてもらう」
そそくさと立ち上がるシンだが、座ったままのレイバーンに肩を抑えつけられてしまう。
流石魔王と云ったところか。縫い付けられたように、シンはその場から動けなくなる。
「まあ、そう言うでない。リタの魅力は伝え足りぬのでな!
お主も、フェリーの魅力を余に語ってもいいのだぞ!」
「誰がするか!」
それから、レイバーンが楽しそうに話す傍らでシンは眉間に皺を寄せ続けていた。
少しでも読めるようになろうと、ルナールに魔族語の基礎を教わっている時が唯一、気が休まる時間となっていた。
フェリーはどうしているだろうかと考えてしまう。
彼女の事だから、きっと妖精族と仲良くやっているのだろうが。
アルフヘイムの森に異変が起きたのは、それから二日後の事だった。