419.胸に残るしこり
銀髪の女性は、その美しい顔立ちとは裏腹に圧があった。
決して怒っている訳ではない。呆れている訳でもない。
彼女は心配をしているのだ。己の身を省みない青年の代わりに。
「……すまない」
顔を合わせたはいいものの、一切の口を開かないイリシャへ思わず謝罪の声が漏れる。
ほぼ反射的に出た言葉を前にして、彼女は大きなため息を吐いた。
「はぁ……。怒ってるわけじゃないんだけどね」
イリシャとて理解している。彼はそういう性分なのだと。
例え自分が傷付こうとも、危険なのだと解っていても。
困っている人間を放ってはおけない。こうと決めたら決して退かない。
頭では色々と考えている癖に、結局は感情に身を委ねるのだ。
だからこそ救われた者が大勢いる。手を貸してくれる者がいる。
言われるまでもなく、知っている。自分も、彼との出逢いはそうだったのだから。
「それでもやっぱり、今回は無茶をしすぎよ。敵の大将と一対一で戦うなんて。
マギアからの傷も完治してなかったの、解ってたでしょう?」
それでもやはり、越えてはいけないラインは存在している。
彼は治癒魔術の効果が薄い。他の者ならギリギリ踏みとどまれるラインも、彼にとっては戻れないかもしれない。
自分の調合した薬をシンはよく効くと言ってくれるが、あくまで他の薬に比べればの話だ。
治癒魔術には敵わない。シンにとってはそうでなくとも、一般論としての結果ではそう出ている。
彼には成さねばならない本懐がある。
よもや忘れるはずはないだろうが、本懐があるから死なない訳ではない。
その点は重々肝に銘じて欲しいと、いつも思ってしまう。
「そうは言っても、あの男は俺が対処するしかなかった。
それに、邪神の分体はフェリーが相手をしてくれていた」
「うーん……」
確かに、話を聞くだけではシンがビルフレストを抑えていた事には意味がある。
フローラの奪還に辺り、彼が横槍に入れば事態は混迷を極めていただろう。
しかし、それにしてはやりすぎなのだ。
ビルフレストを挑発するような数々の言動は、明らかに矛先を自分へ向けようとしている。
空白の島での戦いだけではなく、その先についても。
「あの手合いは、自分に絶対の自信を持っている。
俺が挑発すればするほど、必ずその上を行こうとしてくれる。
そうやって行動を縛らなければ、俺の方が不利だった」
事実、シンとしては自らの勝ち筋へ持っていく為に手を尽くしていた。
手札を存分に曝け出し、転移魔術が使用できると錯覚させる為の輪まで設置した。
発動をしない事により警戒は解かれず、ビルフレストはシンの切り札を見誤った。
全ては彼が「ただの人間」であるシンを完膚なきまでに叩きのめそうとした矜持が原因によるもの。
「うん、そうかもしれないけどね」
イリシャは己の顔を、両手で覆う。シンの言いたい事は解るが、無茶を重ねすぎだ。
このままではいくら身が在っても保たない。そういう話を自分はしたいというのに。
「フェリーちゃんが悲しむから、無茶は程ほどにしなさい」
「……努力はする」
もうこれしか、彼に自分の身を大切にさせる方法が判らない。
視線を逸らし、ぽつりと漏らすシン。理解はしているが、約束は出来ない。
イリシャはそんな彼の葛藤がひしひしと伝わってきた。
……*
「イリシャちゃんぐらいだよね。シンくんにちゃんとああ言えるのって」
シンとイリシャの様子を眺めながら、リタはくすくすと笑う。
彼はいつも仏頂面だが、イリシャの言葉にはたじろいぐ様子が見られる。
まるで母に叱られる子供のように。
「うん。あたしが言っても、あんまりイミないんだよね」
「それは、フェリーちゃんの前では弱いとこ見せたくないんだよ」
「むぅ……」
フェリーは彼の様子を眺めながら、頬を膨らませる。
リタの言う通り、シンが自分へ弱音を吐いた記憶がない。
不老不死になってからではなく、そのずっと前。子供の頃からそうだった。
彼の根底にある優しさは、そのまま強さへと変わるのだろう。
シンはずっと自分に優しい。だから、自分の前では強くあろうとしている。
「フェリーちゃん、どうかしたの? なんかニヤニヤしてるけど……」
「えっ? う、ううん! なんでもないよ!」
「そう……?」
自然と頬が綻んでいる事を指摘され、フェリーは慌てて表情を戻す。
喜んでいる場合ではない。シンは無茶ばかりしているのだから。
本当は自分もイリシャのように、彼を嗜める存在ではなくてはならないのに。
けれど、やはりどうしても嬉しいと感じてしまう。
強い自己否定の末、自分はシンに嫌われていると誤解していた10年間があるからこそ尚更だ。
不器用だけれどとても深い情愛を、自分はずっと受け続けている。
――もしも貴女を今も愛しているのだとすれば。
だからこそ、余計にそう感じてしまうのだろうか。
楔を打たれたかのように、ファニルの言葉が今も頭の中に残っているのは。
シンはずっと傍に居てくれた。自分を産んだ人間は、自分を手放した。
その事実がそのまま答えだと思っていた。それで構わないと思っていた。
フェリーは左程、自分の出自に興味はない。
アンダルに引き取られ、シン達と出逢えた幸運が過去に対する感心を失わせていた。
それが今、ほんの僅かではあるが彼女の心を揺り動かす。
シンや、他の皆は傍にいる。顔を合わせるからこそ、なんとなくだが気持ちを察する事が出来る。
勿論、誤解する時もあるだろう。けれども、言葉を交わして解く事だって出来る。
自分を産んだ人間に対しては、その機会が一切存在しない。
必要とすら思っていなかった。不要だから棄てた。その筋が通った理由で、納得できるから。
フェリーは今、初めて自分の出自に興味を抱いたかもしれない。
ただ、それを口にする勇気はまだ持ち合わせていなかった。
……*
「よう、シン。まーたイリシャに叱られてやんの」
イリシャの小言をひとしきり聞き終えたシンへ声を掛けたのは、マレットだった。
栗毛の尻尾を揺らしながらケタケタと笑う彼女は、平常運転だった。
「俺も怪我をしたいわけではないから、イリシャの指摘は正しいよ」
「お前の場合、言葉と行動が伴ってないんだよなぁ……」
イリシャの指摘に納得をしているからこそ、シンも素直に耳を傾けている。
納得を示したつもりだったが、マレットは若干呆れた様子で肩を竦めていた。
シンは自分の命を躊躇なく賭ける。いや、彼の中では明確な基準があるのだろうが。
危険を冒してでもやるべきだと判断した時に、一切の躊躇はしないのだ。
マレットはそんな彼が生存する確率を少しでも上げたくて、魔導具を与えている。
彼が決して自暴自棄ではないと知っているからこそ、手を差し伸べた。
そして魔導具は、今回も彼の命を繋いでくれた。
「破棄弾。フェリーが居る時には使わなかったんだな」
周囲の魔力を消し去り、ビルフレストをあと一歩まで追い詰めた魔導弾。
破棄弾を使用したのはビルフレスト単独に対してだと耳にしたマレットは、彼に問う。
「……ああ」
シンもまた、マレットの言おうとしている言葉の意味は理解している。
ギランドレの遺跡で、フェリーの中に潜む魔女の痕跡を見つけた。
彼女の不老不死は魔術を起点としたものではないかという予測が、導き出された。
だから、可能性はあった。
破棄弾をフェリーのいる場所で使用すれば、元通りになる可能性が。
けれど、シンはその状況を避けた。
彼女が居ないからこそ、ビルフレストへ破棄弾を撃つ算段へと切り替えた。
「効力が切れた時のことを心配したのか?」
シンの懸念は解る。破棄弾によりフェリーが解放されたとしても、そこは戦場真っただ中だ。
万が一致命傷を負えば、取り返しのつかない事になる。
もしくは、効力が切れた後に彼女がやはり不老不死に戻ってしまった場合だ。
中にいる魔女が逆上する可能性も決してゼロではない。その場合、どんな被害が起こるか想像もつかない。
「それも全くないとは言えない」
マレットの指摘では、正解は半分と言ったところか。
シンがフェリーの居る場で破棄弾を避けた理由はそれだけではない。
今までの彼ならば、躊躇なく放っていたかもしれない。
「ただ、少しだけ話をする必要があると思った」
「話って、魔女とか?」
「ああ」
迷いなく頷くシンに、マレットは眉を顰める。
これでも彼とは長い付き合いになる。シンが冗談を言うような人間ではないのは重々承知だ。
だからこそ、不可解だった。これだけフェリーの為に奔走しているシンが、そんな手段を採ろうとしているのかが。
フェリーを最優先に動くという考えは今も変わってはいない。それでも尚、シンは強引に魔女を消す事を躊躇った。
彼は掴もうとしている。彼女の中に潜む魔女の正体を。全てを明らかにした上で、フェリーを解放したいと思ってしまった。
「だから、フェリーの居る場面で破棄弾は使えなかった。
……有利になると解っておきながら、ビルフレスト・エステレラを仕留められなかったのは俺のミスだ」
千載一遇の好機を逃したと歯噛みするシン。
あと一歩のところまで追い詰めたからこそ、果たせなかった後悔が肥大化している。
「あんまり責任感じるなよ。そもそもの目的は、フローラの奪還だぞ。
お前は邪魔をされないように、全力を尽くした。それで充分だろ」
「……ああ、そうだな」
マレットは両手をパンと合わせ、気持ちを切り替えるように促す。
シンは胸の奥に僅かなしこりを残しながらも、マレットの言葉に頷いた。




