418.ミスリアへの帰還
フローラを早くミスリアへ帰らせてやりたいのは山々だったが、空白の島周辺は危険な海域。
加えて、姿を消した邪神が踵を返さないとも言い切れない。
対抗する戦力もフェリーを除き疲弊が著しい中、無理は出来ない。
いざという時の離脱用として、魔導石の稼働を温存する必要があった。
逸る気持ちを抑えながら、ネクトリア号は慎重に航海を続けていく。
結局、彼らがミスリアへと辿り着いたのは二週間後の事だった。
……*
ネクトリア号がミスリアへと辿り着く三日ほど前。
ミスリア王妃、フィロメナ。同じく第二王女であるイレーネは、太陽が沈む度に酷く落ち込みを見せていた。
今日もネクトリア号は戻ってこない。フローラも、救出へ向かった者達も。
日中こそ気丈に振舞っているが、夜になると不安が押し寄せる。
何もできない無力な自分をもどかしく思い、ベッドの中で蹲る。
胸を強く握りしめ、ただ無事を祈り続ける日々を重ねていく。
「案ずるな。きっとシンたちならば、フローラを連れ戻ってくるであろう」
「そうだよ。みんななら、きっと無事だから!」
王都の警護を続けながら、同じ王の立場からリタとレイバーンは二人を懸命に励まし続けた。
本心からのものではあったが、それが正しく癒せるものではないと理解している。
それでも、言わずには居られなかった。彼らならと、期待を寄せずには居られなかった。
「ええ、ありがとうございます。リタ様、レイバーン様」
妖精族や魔獣族から与えられる優しさを前に、フィロメナはぎこちないながらも笑顔を作る。
一方で、かつてミスリアが龍族の一族より神器を預かった事。
そして、彼らと同盟を結んだ理由をなんとなくではあるが理解をした。
真に心優しき者に、種族など関係ない。
そんな簡単な事を後世へ正しく伝える為に、手を取り合っていたのだと。
人間同士ですら争いが起きるこの世界で戦う為の力ではなく、大切なものを見失ない為に。
哀しい事に、依然として砂漠の国との戦争は続いている。
ただ、世界再生の民の影響が失われたからだろうか。
戦況は圧倒的にミスリアが有利となっている。
元々、地力では砂漠の国はミスリアに対抗できる程の武力は有していない。
イルシオン率いる龍騎士が一転して攻勢へ移ったのが止めとなり、砂漠の国から使者が派遣されたのはネクトリア号が戻る直前の事だった。
時を同じくして、異常発達した魔物の活動も弱まっていく。
こうして、ミスリアで起きた争いは短いながらも終わりを告げた。
その後始末を行う中で王妃は、ある決断を下す事となる。
……*
「おおう、もうここまで形になっていますか……」
オリヴィアは思わず、驚嘆の声を上げる。彼女に留まらず、全員が驚きを隠せない。
一刻も早く、元の姿を取り戻したいという意思の表れだろうか。
もしくは、茶会を開くという願いの賜物か。
ビルフレストの襲撃やフローラの覚醒によって破壊された王宮は姿形を取り戻しつつあった。
瓦礫の山と化していた王宮はギルレッグの的確な指示と小人族の合流により、瞬く間に再建されていく。
破壊された王宮を最後にミスリアを後にしただけあって、オリヴィアは感動すら覚えていた。
「フローラ!」
帰還を耳にしたフィロメナとイレーネが、大慌てでフローラの元へと駆け寄る。
目の大粒の涙を浮かべ、顔を紅潮させながらもその表情は綻んでいた。
王女に対してではない。母と姉が大切な娘と妹に対して行っているのだと、誰もが理解をする。
「お母様、お姉様! すみません、私が……!」
自分が『傲慢』に覚醒したが故、皆を危険に晒してしまった。
王宮を破壊してしまった。危うく、臣下の命を奪う所だった。
匣の中から視ていたにも関わらず、止められなかった。もっと自分に強い意思があれば、止められたのに。
ずっと帰りたかった。会いたかったにも関わらず、どんな顔をすればいいのか判らないと戸惑うフローラ。
母と姉は、そんな彼女を優しく抱き留めた。
「フローラ、貴女は何も悪くないわ。
それより、帰って来てくれてありがとう」
「フィロメナ様の言う通りです。貴女が無事で、ほんとうに良かった……」
心地よい温もりが、フローラを包み込む。
いつしかフローラの目元にも、涙が浮かんでいた。
「おかえりなさい、フローラ」
「……はい! ただいま、戻りました!」
家族の温もりを実感しながら、フローラは答える。
そこには、涙を流しながら笑い合う家族の姿があった。
熱く抱擁を交わす母子の姿を見て、アメリアとオリヴィアは互いの顔を見合わせる。
あの笑顔が見られたからこそ、心から思う。本当によかったと。
「よかったですね、お姉さま」
「ええ。オリヴィアも、ご苦労様でした」
「フローラ様のためですから、当然ですよ」
共に労いの言葉を交わしながら、アメリアとオリヴィアは互いに頬を緩め合う。
最後に自分達を救ってくれた『傲慢』へ、お礼の祈りを捧げながらフローラ達を見守っていた。
……*
「アルマ様、おかえりなさい。ご無事でなによりです」
「サーニャ! 身体はもう大丈夫なのか!?」
「ええ、おかげさまでこの通りです」
失った左眼を眼帯で覆いながら、サーニャはアルマを出迎える。
傷はすっかり塞がったようで、ひとりで歩行をしている様子にアルマは歓喜した。
「オリヴィアお嬢様が妖精族の治癒魔術は凄いと言ったのを、身をもって体験しましたよ」
邪神の『核』を移植した左眼は仕方ないにしても、世界を統べる魔剣によってビルフレストに貫かれた腹は完全に塞がっている。
傷痕すら残らない妖精族の治癒魔術や甲斐甲斐しく世話をしてくれたリタには、いくら感謝の言葉を贈っても足りないぐらいだ。
「なんなら、このまま踊って見せましょうか?」
「いや、それで傷口が開けば元も子もないだろう。ゆっくりと休んでくれ」
とはいえ、病み上がりである事には違いない。
元気だと証明しようとするサーニャだが、無理はさせられないとアルマが静止する。
「ふふ、お優しいですね。では、傷口が塞がっている証拠をお見せしましょうか?」
「い、いやっ! それもだなっ!」
ならばと裾を持ち上げて証明しようとするサーニャを前に、アルマは狼狽える。
いくらなんでも、人前で肌を晒させる訳にはいかないと慌てふためく彼の姿にサーニャは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「冗談ですよ。アルマ様」
「~~っ!」
ここで漸く、アルマは自分が揶揄われたのだと理解した。
茹で上がったかのように、一瞬にして顔が赤く染まる。
サーニャにとっては、その様子が可愛らしくて愛おしい。
そっと彼の元へと近寄り、耳元で囁く。
「そういうのは、二人きりの時ですよね」
「……っ」
わざと言っているのだろうと、アルマも理解している。
それでもその声色には妖艶さが宿っており、否が応でも色気を感じさせられる。
思わず生唾を呑み込んだのが、そのまま返答と受け取られてしまうぐらいには。
「アルマ様は、やっぱりそういう反応が似合いますね」
「サーニャ……」
くすくすと笑うサーニャを前に、アルマは思わず視線を逸らした。
けれど、彼女は嬉しかったのだ。人生を変えうる能力を、左眼と共に失った。
そんな自分を未だに大切だと言ってくれるこの男性が、愛おしくて堪らなかった。
……*
「よう、ベリア。船の調子はどうだった?」
ケタケタと笑いながら、ベリアへ近付く白衣の女性。
ベル・マレットを前にして、ベリアはこれ以上ない笑顔で親指を立てた。
「サイッコーだったよ! いやあ、やっぱりぶっ飛ばすとスカッとするねぇ!
帰りは通常運転だったんだけど、もうあの頃には戻れないんだって実感しちまったよ!」
「その気持ち、分かるよ。アタシもマナ・ライドはやっぱ改造しないと物足りないもんな」
(本気で言っているのか……)
顔を見合わせながら、マレットとベリアは豪快に笑い合う。
傍から見れば尋常ではない速度で飛ばしていたのだが、ベリアは楽しんでいたらしい。
これからの荷物運搬は大丈夫なのだろうかと、トリスは遠巻きに口をぽかんと開けていた。
(それにしても、やはりベリアは凄いな)
ベリアが元々、気さくな性格というのは承知している。
それでも尚、マギアの重鎮であるベル・マレットと対等に話している。なんなら、もう親友だと言わんばかりに。
トリスは断じて、マレットへ嫉妬をしている訳ではない。ただ、羨ましかった。
魔導具開発の第一人者である彼女へ、折り入って願いがある。話し掛ける切っ掛けが、欲しかった。
「トリスさん、どうかしたんですか?」
怪訝な顔をしながら、トリスへ声を掛けたのは緑髪の少年。ピース。
「どうした」と訊かれる程挙動不審だっただろうかと同様を走らせながら、トリスは己の振舞を見直している。
「少年か。いや、その、なんだ。ベル・マレット女史に頼みがあるんだが……。
如何せん、話し掛ける切っ掛けがだな……」
「ベリアさんはあんなに親しそうなのに?」
「ベリアは特別だ。流石に気さくが過ぎる」
出逢ったばかりのマギアの重鎮と対等に。それも親しげに話している彼女の姿を見てトリスは目を細める。
漂流していた自分を拾ってくれたのがベリアでなければ、ここに居ないかもしれない。
ジーネスとの出逢いも、ピースとの出逢いもそうだ。
何かある度に、思い知らされる。自分は奇跡のような縁に、生かされているのだと。
「まあ、そうは言ってもマレットも別につっけんどんなわけじゃないですし。
頼みたいことがあるなら、聞いてくれると思いますよ。おれ、呼びましょうか?」
「おお……。ぜひ、頼みたい……!」
仲介役を買って出たピースに、間髪入れる事なくトリスは両手を合わせる。
やはり自分は縁に恵まれているのだと、思わずには居られない。
「ただ、ひとつだけ。君とマレット女史がどういう関係かは知らないが、視線を一度胸にセットするのはよくないと思うぞ」
怒っている訳でも、呆れている訳でもない。ただ、淡々とトリスは事実を述べる。
ほぼ反射的に行ってしまっていたピースは、誤魔化すようにして視線を泳がせた。
「あん? トリスって、ベリアんトコの魔術師か?」
「そうそう。なんか、マレットに頼みたいことがあるみたいだったけど」
ピースは早速、ベリアと談笑を続けていたマレットの元へと赴く。
首を傾げながら、マレットとベリアは目を合わせる。
「もしかすると、兄貴の話かもしれないね」
「彼氏じゃなくてか?」
「そっちはねぇ、若旦那も空回りしてるトコがあるからねぇ」
あそこまではっきり言ったのはいいが、肝心のトリスが固すぎる。
どうにか上手くいかないものかと、ベリアは大きくため息を吐いた。
「甲斐性ない奴が居たり、空回りしてる奴が居たり。世の中上手くいかないな」
「ベルの言う通りだよ、ホント」
やれやれと言わんばかりに、二人は一段と深いため息を吐く。
マレットの言う「甲斐性なし」が誰を示しているかは察したが、ピースは敢えて言及をしようとは思わなかった。
「ああ、うん。その話は置いといて……。
どうだ? トリスさんの話を聞いてくれないか?」
「アタイからの頼むよ。トリスのヤツ、なんかあるとすぐに眉間に皺寄せちまうからな。
ベルの頭脳でどうにか出来るなら、力になってやって欲しいんだ」
いざトリスの事となると、ベリアも眼の色が変わる。
頼み込む二人を前にして、マレットは後頭部をポリポリと掻いた。
「そりゃ、アタシは別に構わないけどな。
シンも、しばらくはイリシャに絞られてるだろうし」
視線を横へ流すと、イリシャは大層お冠だった。
無理もない。例によってシンは大怪我を負って帰ってきたのだ。
事自分に於いて無頓着な彼が大人しく耳を傾けるとすれば、甲斐甲斐しく治療をしてくれるイリシャかアメリアぐらいのものだった。
そのアメリアは性格上、あまり強くは言わない。勿論、どんな戦闘を繰り広げているか知っているからというのもあるだろうが。
傷だらけのシンを嗜めるのは、結果的にイリシャの仕事と成りつつあった。
それに、ベリアから軽くは教えてもらった。
トリスの双子の兄。スリット・ステラリードが人造鬼族に改造されてしまった事を。
マギアで出逢った研究者。マーカスのやり口はどうにも気に入らない。
人を人とも思わない、ただの材料として見ているような研究成果。
自分は彼を否定しなくてはならないと思った。力になれるのであれば、協力を惜しむつもりはなかった。
「それよりも、ピース。なんで今回は無理して顔を見上げてるんだ?」
マレットは「いつもなら、ムネを見てるだろうに」と付け加える。
トリスと全く同じ指摘をされたピースは、ばつが悪そうに視線を泳がせていた。




