414.恐怖を齎す者
シンによって構えられた銃口は、真っ直ぐに前を見据えている。
その先に存在するのは、創土弾により生み出された土の壁。
いくら強力な擬似魔術を放とうとも、威力が殺されるのは明らかだった。
(身を乗り出して撃つつもりか?
いいや、やはり奴は転移魔術を利用して――)
シンにとって、今の状況で反撃の機会はそう訪れない。
このまま素直に撃つはずがない。確実に有効となる一撃を狙うはずだとビルフレストは確信している。
だからこそ、転移魔術の存在が脳裏にこびり付く。
自分を嘲笑うかのように意識の外から、渾身の弾丸を放つのだと信じて疑わない。
探知によって周囲の全てを感じ取っている彼は、転移先に対しても注意を怠ってはいない。
仮にシンが頭上を射抜き、落石による攻撃を試みても完璧に対処できると自負している。
ましてや、彼は魔導砲を充填出来ていない。
実弾である魔導弾を放つ以上、大気に拡散させている魔力により軌道を逸らす事は可能なのだ。
(引鉄を引け、シン・キーランド。そこで貴様の命は終わりだ)
シンが魔導弾を放った瞬間。ビルフレストは交差法で魔術を叩き込む。
四肢の自由を奪い、漆黒の刃で首を斬り落とす。
決着の刻は近いと、確信していた。
事実、その認識は誤っていない。
誤っていたのは、シンに思考そのものを誘導されていたという事。
「行くぞ、ビルフレスト・エステレラ」
シンが引鉄を引くと同時に、乾いた音が洞窟内に反響する。
銃口が向けられた先は、正面。土の壁が敷かれているにも関わらず、彼は最短距離を狙った。
(何が狙いだ……?)
流石のビルフレストも、可能性としては一番薄いと思っていだだけに動揺が走る。
決して聴き間違いではない。シンの袖や金属の擦れる音から、銃口が向けられた方向は完璧に把握していた。
彼は土の壁を撃ち抜く事を選んだのだ。
混乱を招かれながらも、ビルフレストは冷静に状況の把握に努める。
彼はその優秀さを遺憾なく発揮し、即座にもうひとつの可能性を脳裏に浮かばせる。
(動揺を誘い、転移先から魔導弾を改めて撃つつもりか……!)
想定外の方向から放てば、動揺により身体が硬直をする。
尤も、それは攻撃を受けるべく身構えていたビルフレストのみ。放った張本人であるシンにとっては、予定調和。
ならば、一瞬の隙を突いて転移する策は悪手ではない。
むしろ、風により軌道を逸らされる可能性を極限まで減らしているではないか。
つくづく思う。この男は本当に厄介だ。
魔力を持っていれば、どれだけの脅威となって立ちはだかって居たのだろうかと。
しかし、自分は他の有象無象とは違う。妄りに心を乱したりはしない。
彼が転移した瞬間に斬り刻む用意は出来ていると言わんばかりに、転移先である輪の周辺へ魔力を漂わせた。
シンが引鉄を引いた一瞬でビルフレストはここまで思考を纏め上げ、対策まで練ってみせた。
彼はとても優秀で、それを否定する者は恐らく存在しないだろう。
そう思っているのは、敵対しているシンとて例外ではない。
ビルフレスト・エステレラは優秀であるが故に、見落としている。
感じ取れるものと視ているものの違いに。
見えているものな全てではないという事に。
自分は決して全知全能などではないという事に。
……*
――この魔導弾は、この世界の理を否定する。
フローラを奪還すべく、空白の島へと向かおうとする直前。
シンへと託された一発の魔導弾に対して、ベル・マレットはこう評した。
抽象的な説明に訝しむのはシンだけではない。
その場にいたフェリーやオリヴィアさえも、意味が分からないという顔をしている。
マレットは後頭部をボリボリと掻きながら、補足を入れていく。
「これを使えば、残るのはお前の積み上げた努力だけだ。
その間は誰にも敗けない。間違いなく、お前が最強だよ」
透明な弾頭を眺めながら、シンが頷く。
そんな中、フェリーが真っ先にマレットの本心に気付く。
――お前が最強だよ。
最後の言葉こそが、マレットが本当に伝えたかったものなのだと。
彼女は知っている。シンがこれまで歩んできたものを。
だからこそ、断言した。帰ってこいという、願いを込めて。
(マレット、ありがと)
彼女はいつも、自分とシンを護ってくれている。背中を押してくれる。
妬ける気持ちがない訳ではないが、フェリーは少しだけ嬉しかった。
……*
(いけ……!)
放たれた魔導弾は、進路を変える事なく最短距離でビルフレストへ突き進む。
創土弾により生み出された土の壁に触れた瞬間。漸くビルフレストもその異常性に気が付いた。
「なんだと……!?」
土の壁は弾丸の威力を殺したりなどしなかった。
無抵抗に。まるで最初から存在していなかったかのように、足元へと崩れ落ちる。
魔導弾は壁を越え、依然としてビルフレストへと最短距離を駆け抜ける。
(魔導弾を受けてはならない、必ずだ!)
あの弾丸を自分は知らない。普通じゃない。決して受けてはならない。
ビルフレストの本能が警鐘を鳴らす。全身の毛が逆立つようだった。
即座に弾丸の軌道を逸らすべく、漂わせている魔力を操る。
風を生み出し、回避出来るはずだった。
「何……!?」
だが、事はビルフレストの想定通りには進まない。
生み出された風は銃弾の軌道を変えるどころか、存在していなかったかの如く打ち消していく。
(一体、どういうことだ……!?)
操ろうとしても、魔力の残滓すら感じない。
理解の外から放たれる一撃に、ビルフレストの対処は間に合わない。
透明な弾頭を持つ魔導弾は軌道を変える事なく、ビルフレストの身体を撃ち抜いた。
「っ――!?」
刹那、ビルフレストは自分の身体が強烈に重くなるのを感じていた。
重力を生み出す重力弾とは違う。
圧し潰されるような感覚ではない。もっと根本的な、例えるならば脱力感が適切な言葉のように思えた。
「その様子だと、正常に機能しているようだな」
錯綜する一瞬の隙を突いて、シンは距離を詰める。
迎撃すべく世界を統べる魔剣を持ち上げようとするビルフレストだが、普段より数倍重く感じている。
シンの攻撃に反応する事は不可能だと判断して、魔術による迎撃を試みた。
「……っ! なんだと!?」
しかし、魔術すらも不発に終わりビルフレストは取り乱す。
正確にいえば、魔力そのものを感じ取れない。大気中に漂わせている魔力も、存在そのものが打ち消されているようだった。
まさかとは思い、ビルフレストは世界を統べる魔剣の魔導石へ視線をやる。
悪い予感は当たった。魔導石も、その輝きを完全に失っているのだから。
「貴様、一体何を――!」
「この一帯の魔力を一時的に全て消した。アンタが殺した、『怠惰』の能力を使って」
「――!」
シンの返答を以て、ビルフレストは全てを察した。
彼が放った魔導弾。その弾頭に使われていた素材は、浮遊島で命を落としたジーネスの右足。
破棄の能力を秘めた、邪神の『核』が使用されている。
マレットは名を破棄弾と名付けた。
実験すらも出来ない環境で生み出された魔導弾。
どこまでの効果が得られるかはシンは勿論、マレットにすら把握出来ていない。
それでも彼女がこの魔導弾を作ったのには意味がある。
ひとつはマギアでの戦闘。『憤怒』との戦闘でシンが『怠惰』の欠片を使用した際に一定の効果が見られた事。
魔導砲に組み込む事は不可能だとしても、残る全てを弾頭に込めれば一時的に破棄を再現できるのではないかと考えた。
破棄の影響下に於いてピースはその運動能力を著しく落とした。
魔力の存在しない世界では、身体能力の強化という恩恵を受けている者。魔力の強い者ほどその落差に苦しむ事となる。
逆説的に考えれば、シン・キーランドが全てを凌駕する世界でもある。
マレットは彼がどんな人間なのかを知っている。
何の為に戦うのかを知っている。
だからこそ、使い方を誤らないと確信を以て破棄弾を渡した。
時限性ではあるが、どんな悪意だろうと断てる最強の刃を彼へ託した。
その目論見はまんまと嵌った。
今、この瞬間。この場所に於いて。シン・キーランドを捉えられる者は存在しない。
「貴様ァァァァァッ!」
激昂するビルフレスト。
無理もない。自分の懸念していた事が、より厄介な形で現実となったのだから。
ジーネスが『怠惰』に適合した際。発現した破棄を前にして戦慄が走った。
他の誰よりも、自分さえも高みに立ちかねない。彼を制する者は存在しないのではないかと慄いた。
危険な芽は即座に摘まなくてはならない。
彼が矛先を世界再生の民へ。自分へ向ける前に、暗殺を企てた。
目論見は成功したはずだった。なのに、自分は今、魔力を失っている。
「無駄だ。アンタの動きは遅すぎる」
漆黒の魔剣を持ち上げようとするビルフレストは、己の意思とは真逆に腕を運ばれる。
力が完全に入り切るよりも先に、シンが彼の手首を払っていた。
あまりにも鈍い自分の身体に辟易する間もなく。シンの右拳が彼の顎を打ち抜く。
脳が揺れる。暗闇の中、方向感覚が定まらない。
「ならば……ッ!」
剣が、魔力が使えなくとも。自分にも邪神の能力はある。
吸収の左手でシンを喰らい尽くせば、何も問題はない。
幸い、彼は自分を逃さまいと張り付いている。触れるのは容易い。
「なんだ……!?」
シンを喰らうべく左手を翳そうとするビルフレストだが、左肩から先が上がらない。
あり得ない。おかしい。暗闇で見えないにも関わらず、ビルフレストはシンに答えを求めるべく顔を上げた。
「アンタの『暴食』なら、真っ先に対処させてもらった」
そう言うと、シンは投擲用のナイフを彼の鎖骨から引き抜いた。
自らの血液が刃から散り、頬に触れる。とうに切り札は封じられているという現実を前にして、ビルフレストが抱いた感情。
それは紛れもなく、恐怖だった。
悪意の根源たる男は今、何も持っていないはずの。何者でもない青年に、恐れを抱いている。
「……う、おおおおおっ!」
認められなかった。自分の感情も、この現実も。
どうにかして、流れを変えなくてはならない。この恐怖を抱くのは、シンでなくてはならない。
そうでなくては、このまま嬲り殺しにされてしまう。
身体に力が入らずとも。やるしかない。
ビルフレストは自分の持てる力を振り絞って、世界を統べる魔剣を持ち上げようとする。
だが、瞬く間に漆黒の刃は彼の意に反した方向へ軌道を変えてしまう。
刃へ魔硬金属の糸を絡めたシンが、ビルフレストを遥かに凌ぐ力で剣を弾き飛ばした。
金属と岩盤がぶつかり、甲高い音が空洞に鳴り響く。
反響する音は、ビルフレストへ更なる恐怖を与えた。
探知を失った彼は、何も視えていないのだ。
必死に目を凝らして、耳を澄ませている中で雑音は集中力を狂わせる。
恐怖心を煽る音。この感覚は正しい。
間違いなく、シン・キーランドはこの音に乗じて攻めてくるからだ。
シンは徹底していた。通常の弾丸なら放てるだろうに、徹底して接近戦で自分を制圧しようとしている。
魔硬金属の杭が投げられ、ビルフレストの左脚を貫く。
悲鳴こそ上げなかったが、ビルフレストの意識は下へ向く。その間にシンは彼の心臓を貫くべく、ナイフの刃先を立てた。
完全に死んだと思った瞬間。着込んでいた鎧が自分の命を救う。
今までの彼は、こんな鎧を必要とした経験はなかった。
丁度いいハンデぐらいに思っていた。今日、この瞬間にビルフレストの価値観は上書きされる。
真に自分を脅かす存在が居る際に、こんなにも心強い物はないのだと。
「ぐ……! いい加減に……!」
「無駄だと言っている」
このままでは行けないと反撃を試みても、意味を為さない。
伸ばした右手は瞬く間に掴まれ、反対に小指と薬指の骨を折られた。
反応すらも劣っていた。暗闇に閉ざされた世界で、探知を持たないビルフレストは標を失っている。
息遣いや自身の感覚だけで驚く程正確な攻撃を繰り広げるシンとは雲泥の差だった。
(なんという屈辱だ……!)
ビルフレストに出来る事は最早、この時間を堪え忍ぶだけだった。
命を落とさぬように急所だけを徹底的に護り、亀のように蹲る。いつまで続くか分からない、暗闇の地獄に終わりがあると信じて。