413.ただの人間
シンとビルフレスト。
土の壁を挟んで行われる会話は、ビルフレストから持ち掛けたものだった。
ビルフレストにとって、この壁は大した意味を持たない。
突破は容易で、手段はいくらでも思い浮かぶ。
大気中に散布した魔力から刃を形成し、彼の身を斬り刻むもよし。
或いは安全だと思い込んでいる壁そのものへ魔力を潜り込ませ、爆破してもいい。
(魔力を吸収する媒介として生み出した可能性もあるか)
残る可能性として挙げられるのは、反撃の手段として魔力の塊を用意したかったというところぐらいか。
しかし、魔力を吸着するという工程が必要な以上、どうしても初動が遅くなる。
ビルフレストは探知により絶え間なく彼の位置は把握している。見逃すなどあり得ない。
何れの手段にせよ、シンが身を乗り出し銃を放つよりも先に反撃が出来るという自負を持っていた。
だからこそ、ビルフレストはシンを完全に否定しようとした。
例え今は互いに何者ですらないとしても、自分とは違うのだ。
何も持たない彼が、自分の「天敵」であるはずがない。
どうしてもそれを証明しなくては。思い知らせなくてはならなかった。
虎視眈々と反撃を目論んでいるであろう、異物に対して。
「アンタがどう受け取ろうと好きにすればいい」
隔てた壁の向こうから淡々とシンは返す。
壁に己の身を密着させていないのは、爆破対策だろう。
彼もビルフレストの手札を理解している。それでいて尚、この状況を生み出したのだとビルフレストは察する。
(――怪しい動きは行っていないか)
同時に、探知を通してシンの行動を推測する。
察するに、魔導砲の充填を行なっている様子はない。
弾丸を入れ替えている様子もない。ただそこに、佇んでいるという状況。
(――あり得ない)
ビルフレストは、内心では勝利を確信している。
並の相手であれば、為す術がないのだと判断したかもしれない。
だが、ことシン・キーランドに限ってそれはあり得ないとビルフレストの脳が警鐘を鳴らす。
この男は必ず起死回生の一手を目論んでいる。その希望を塗り潰さない限り、安心できるはずがなかった。
何より、ビルフレスト自身が見たいのだ。
絶望に染まった、シン・キーランドを。
「そう言っても、私は貴様に屈辱的な一言を言われたのでな。
何を以て自分を『天敵』などと称したのか、殺す前に聴かせてはくれないか」
ビルフレストはどうしても訊きたかった。
彼が死んでしまえば、全てが有耶無耶になる。胸に打ち込まれた楔を取り払う為にも、知らねばならなかった。
シンの言う「天敵」の真意を。
(――釣れた)
一方で、シンにとってはこれこそが狙い通りの展開となる。
油断も慢心もない。自分が圧倒的有利な状況だからこそ、ビルフレストは完全な勝利を求めている。
これから彼は、シンの言葉に耳を傾けるだろう。
仮にそれがシンの思惑通りに進んでいるのだとしても、最後まで聞かなければ完全なる勝利を手にする事は出来ない。
尤も、ビルフレストとて切れ者だ。
シンと言葉を交わしている間、どんな些細な情報も取りこぼすとは思えない。
反撃に至る迄の道筋を捉えようと躍起になるのは間違いない。
だからこそ、これまでの全てが生きる。
シン・キーランドを知っているからこそ。識ろうとしているからこそ。
隠し持っている魔導弾が、牙を剥く。
好機はたった一度きり。失敗は許されない。
それを理解した上で、シンは言葉を紡いでいく。
「聴かせるも何も、言葉の通りだ。俺はアンタの『天敵』になり得る。
アンタがこの世界を統べようとしていると聞いて、そう確信した」
「……貴様が何を言いたいのか、意図が解らないな」
シンの返答に、ビルフレストは眉を顰める。
持たざる者であるシンにここまで邪魔をされているのは、確かに屈辱的ではある。
だからこそ、ビルフレストは「天敵」の意味をシン本人の資質から見出されたものだと考えていた。
自分を凌駕する隠し玉を用意しているのでないかと、警戒をしていた。
けれど、彼の口ぶりは明らかに能力によるものではない。
精神的。もっと言えば、概念に近いような意味で「天敵」だと自称したような印象を受けた。
脳裏を過ったのは「天敵」自体が囮である可能性。
シンならばやりかねないと探知で彼の周囲を重点的に調べ上げるが、変化は感じられない。
まるで凪のように佇んでいる彼の姿から、本心から放たれた言葉なのだと伝わってくる。
「ただの人間である貴様が、世界を統べようとする者の『天敵』だと?」
そうだと分かったからこそ、やはり訊かずにはいられない。
深まる謎を強まる警戒心を胸に抱きながら、ビルフレストは問う。
「その、『ただの人間』だからこそだ」
シンもまた、微動だにしないままビルフレストの問いに答える。
ただ強がりを言っている状況だけでは、彼を揺さぶりきれない。
はっきりと「ただの人間」の危険性を把握させる必要がそこにはあった。
「アンタの言う通り、俺はただの人間だ。
魔術も使えなければ、神器に選ばれたわけでもない。
だからこそ、俺はアンタを否定しなくてはならない」
「どういう意味だ?」
ビルフレストの眉が動く。
魔族の王の末裔。世界を統べようとする者。
邪神を以て人智を超えようとする自分を否定しなくてはならないのが、「ただの人間」である理由が知りたかった。
「アンタが描いた理想を、夢物語を俺が否定する。『ただの人間』である俺がだ。
選ばれた人間でもない。魔術や、神器なんて必要ない。
そんなものなくとも、誰だってアンタの野望を打ち砕ける可能性があるってことを俺が証明してみせる」
「貴様……っ!」
シンの言葉は、ビルフレストの胸へと深く突き刺さる。
彼の言う通りだった。シンが、「ただの人間」がこうして自分と善戦している事自体が異常なのだ。
世界中の誰もが自分を。世界再生の民を。邪神を否定できる可能性を秘めている。
「ただの人間」であるにも関わらず、存在自体に意味がある。誰かの希望へとなり得る。
その姿は確かに「天敵」というに相応しかった。
「そうか、そういうことか……」
この男は存在自体が脅威だ。
ビルフレストはシンの真意を読み取ると同時に、塵芥も残してはならないと悟った。
(奴は間違いなく、次の一手を打つ。なんとしても阻止して、確実に殺す。
シン・キーランドだけではない。奴を知る者全てを消さなくては、希望は無限に湧き続ける)
より一層、警戒を強めた上でビルフレストは大気中に漂わせた魔力から情報を汲み取る。
シン自身だけではなく、彼の足跡全てさえも。
(これは――)
そしてビルフレストは、探知によって触れる。
シンが短剣によって地面へ固定した、簡易転移装置を。
(そうか、先刻転移を使わなかった真の狙いは――)
ビルフレストの中で、ひとつの物語が創り上げられていく。
創土弾による土の壁に隠れているシンは、圧倒的に不利な状況にある。彼が動くよりも早く、自分が迎撃可能だからだ。
しかし、あくまでそれは位置を完璧に把握しているからこそ起きる危機。
転移する事で最初の一太刀を避けられるのであれば、話は変わる。
その為の布石は、とうに打たれていた。
いくら探知で状況が伺い知れると言っても、視界に捉える訳ではない。
相手の能力を正確に分析しているからこそ、次から次へと新たな策を実行に移す事ができる。
(次から次へと、本当に面倒な男だ。だが、私の勝ちだ)
苛立ちを見せながらも、ビルフレストはシンの諦めの悪さに感心もしていた。
ここまで自分に肉薄する人間に敬意を示さないのは、失礼だと感じ取っていた。
彼の存在が齎す希望を全て塗り潰すと誓った一方で、自分は生涯忘れないだろう。
「天敵」となり得た存在を。シン・キーランドという男を。
完全なる勝利を確信したビルフレスト。
しかし、幾許もしないうちに彼は思い知る。
辿り着いた答えすらも、シンによって予め用意された罠だったという事に。
ビルフレストはシンによって思考を操られていた。
シンが「ただの人間」であるからこそ。これまでに、様々な方法で危機を切り抜けているからこそ。
この状況を覆す為にも罠を張り巡らせているのだと。
彼は初めから、ビルフレストへ答えを提示などしていない。
彼の知らない答えをぶつける為。一発限りの切り札を確実に命中させる為。
これまでの自分の足跡と、これからの可能性を提示したに過ぎない。
ビルフレストが己の中にあるシン・キーランドを追っている間。
シンはビルフレスト・エステレラ本人を見定めていた。
その成果は、間も無く発揮される事となる。