412.闇に乗じる者
ビルフレストの持つ魔剣。世界を統べる魔剣はその能力を存分に発揮する。
洞窟内を駆け巡る魔力はシンから退路と光を奪っていく。
暗闇が生み出す静寂も束の間。
視えているのではないかと錯覚する程に正確な斬撃が、シンを襲う。
「くっ……!」
「いい反応だ」
咄嗟に魔導砲の銃身でビルフレストの斬撃を受け止めるシン。
闇に乗じての戦いは、シンにも覚えがある。その経験が反射という形で、彼の身体を動かした。
ただ、咄嗟に受けた形には変わりがない。
腰の入った一撃を受け止めきれず、膂力に圧される形でシンの身体が流れていく。
このまま体勢を崩される事を嫌ったシンは、自ら後方へ跳びビルフレストの思惑を拒否した。
尤も、ビルフレストもシンの行動は織り込み済みだった。
自分がここまで苦戦をした相手なのだ。たかが視界を奪っただけで、簡単に殺せるとは思っていない。
距離を置いたシンは、その位置を示すかのように靴の裏と地面が擦れていく。
洞窟内に音が反響をするが、ビルフレストにははっきりと視えている。シンがどこへ居るのかを。
一方、シンもビルフレストの位置を把握はしている。
剣撃が繰り出された方角。身体が流された方向。全身に伝わるあらゆる感覚を用いて、彼の存在を感じ取っている。
ただ、同時に自分が不利である事も正しく認識をしていた。
(暗闇に乗じるのが狙いか)
今更、光を閉ざした点に対してシンは言及をするつもりはない。
これまでの戦闘を踏まえれば、むしろ遅すぎるぐらいだった。
吸収によりクレシアを喰った彼は、類まれなる魔力の制御を手に入れた。
空間を閉ざした事により、より探知の精度は高まっているに違いない。
最早、完全に視えていると言っても過言ではないだろうと警戒を強める。
加えて、彼が戦闘で見せた風刃。
大気中に振りまいた魔力を攻撃に転換する技術が、この上なく脅威だった。
立ち止まった瞬間に襲い掛かる魔術を前にして、シンはこの狭い空間を止めどなく動かなくてはならない。
位置を報せ続けると解りながらも。
言うまでもなく、圧倒的に不利な状況だった。
常に自分が記憶の補正を掛けながらビルフレストを補足する傍ら、向こうは予備動作もなく位置を把握できるのだから。
「いいのか? 私には貴様の存在を感じ取れているぞ」
わざとらしく声を反響させるビルフレスト。
解っている。声の向こうに彼は居ない。これはあくまで囮。
大気中に漂わせた魔力を振動させる事により、位置を誤認させるのが狙いだ。
今でこそ記憶を元に補正出来ているが、時間がたつにつれ真贋を見抜くのは困難となるだろう。
一刻も早くこの状況を打破する事が、シンには求められていた。
「生憎だが、俺にもアンタの位置ぐらいは解る」
魔導砲から二発の銃弾を放つシン。
乾いた音が反響すると同時に、閉ざされた空間に一陣の風が靡く。
直後、地面へと転がるふたつの金属音。
風を操り銃弾の軌道を逸らしたのは明白で、シン以外の存在も把握しているというビルフレストの無言の訴えでもあった。
「大したものだ。それが実に結ばない点については、同情をするがな」
あくまで抵抗を試みるシンへ、ビルフレストは心のもない言葉を投げかける。
次の瞬間。シンの皮膚を無数の刃が切り刻む。大気中を漂っている魔力が、刃へと転換されたものだった。
「っ……!」
表面を裂くような一撃は、鋭い痛みとは裏腹に致命傷には至らない。
だが、ビルフレストにとってはそれでいい。
舞い散る血飛沫が。痛みを堪えるべく、大地を踏みしめる音が。
結果が生み出す全ての事象が、シンの位置を教えてくれる。
擽られた加虐心が、次の行動へと繋がる。彼を嬲り殺せと、本能が訴える。
止めどなく放たれる、不可避の斬撃。
抵抗する気力までも奪い取ろうとする様は、拷問にも等しい。
「光栄に思え、シン・キーランド。私にここまでさせたのは貴様が初めてだ」
風に乗って声を無数に反響させながら、ビルフレストは呟いた。
彼の言葉に偽りはない。ビルフレストは一人の人間に対してここまで念入りに甚振った経験は無かった。
何も持たない。何者でもない人間に対してここまでの執着を見せたのは、自分でも意外だった。
「そうか、アンタは俺が怖いんだな」
「……つまらない戯言を」
ビルフレストの眉がぴくりと動くと同時に、若干ではあるがシンを見損なった。
この期に及んで強がりを言う人間だとは思わなかった。
だが、シンにとっては違う。彼自身が自覚していなかった感情を、はっきりとぶつける。
「アンタから見れば、確かに俺は何も持っちゃいない。異物なんだろう。
だからこそ、俺はアンタの天敵に成り得た」
「なんだと?」
耳を疑った。言うに事欠いて、シンは自らを「天敵」と自称した。
魔術も神器も扱えない男が、そう言ってのけたのだ。
数多の戦士が蔓延る者達を差し置いて、勘違いも甚だしい。
「意外だな。貴様はそう言った根拠のない自身など持たない輩だと思っていたのだが。
所詮は、持たざる者が虚勢を張っていただけだということか」
ここへきて、自分の想像していたシンの姿からかけ離れていく。
そう思う度に、ビルフレストから肩の荷が下りていく。
なんてことはない。散々煮え湯を飲まされて、強大に見繕っていただけなのだ。
やはり本質的には、何も持たない。いざ危機に陥ると、虚勢を頼りにするつまらない男なのだ。
ならば、何も恐れる事はない。むしろ生き恥を晒す前にひと思いに殺してやった方が、彼の為にすらなる。
介錯にも近い感情の中、ビルフレストは世界を統べる魔剣を構える。
「どう受け止めようと、アンタの勝手だ。だが、俺は本気で言っているつもりだ」
強く大地を蹴り、シンは走り出す。
自分の言葉が虚勢ではないと、証明する為に。
「言うだけなら、誰にでも出来る」
ビルフレストもずっと解っていた。この男とは、いくら言葉を交わしても平行線だろうと。
だが、シンが精神的な支柱を担っているのも否定できない事実。だからこそ、殺す。勝利を手中に収める為に。
わざとらしく大きく立てられた足音は囮。
石や弾丸を投げて惑わそうとしても、意味がない。ビルフレストには視えている。
シンは身体を切り替えして動いているのだと、判っている。
「視えているぞ! シン・キーランド!」
「そんなことは、解っている!」
シンを迎撃すべく、身体を彼の方向へ向けるビルフレスト。
対するシンは、移動の際に僅かに充填した魔導砲を放つ。
弾丸は緑色の暴風。周囲の大気を巻き込む突風が放たれる。
「無駄だ!」
圧倒的に魔力の充填が足りていない。
緑色の暴風は世界を統べる魔剣の前に、呆気なく斬り裂かれる。
無駄な抵抗だと思いつつも、ビルフレストは思考を止めない。
シンはこの程度の反撃の為に危険を冒す人間ではないと知っている。先へ繋がる布石なのだと、本能が訴える。
(狙いは大気中の魔力を混乱させることか)
自分が思うよりも呆気なく、ビルフレストはその答えに辿り着いた。
炎や稲妻の弾丸を放てば一瞬ではあるが、視界を確保できる。
弾丸自体は外れても、シンならばその景色から自分の姿を捕捉する事も容易だろう。
敢えてそうしなかったのは、自分の姿を隠しておきたかったから。
探知の存在により圧倒的不利に陥っているはずの闇を活かしておきたい理由など、そう多くはなかった。
緑色の暴風に求められた役割は、大気中に漂うビルフレストの魔力を掻き乱す事。
一時的ではあるが探知の効果を弱め、自らの反撃に繋げようというのが狙いだと踏んだ。
(悪くはない考えだが、無駄だ)
暗闇の中で、ビルフレストはうっすらと笑みを浮かべる。無駄な努力に興じるシンを、嘲笑うかのように。
確かに大気中の魔力を掻き乱せば、探知やその派生から繰り出される攻撃は思うように動かない。
しかし、逆説的に考えればシンはその場に潜んでいる。
必死に造った隠れ家だとしても、家自体が丸見えであるなら意味を成さない。
「残念だったな、シン・キーランド。貴様の目論見は失敗に終わった」
探知が満足に行えない一筋の希望へ、ビルフレストは魔術を放つ。
大気中の魔力からの派生ではない。
世界を統べる魔剣に取り付けられた魔導石により強化された風刃が、シンへと襲い掛かる。
「まだだ。まだ、終わっちゃいない」
風の刃が自らの身を斬り裂くよりも速く。シンは足元へ魔導弾を放つ。
創土弾により生成された土の壁が盾となり、風刃を受け止める。
咄嗟の判断にしては悪くないと思う一方で、ビルフレストは腑に落ちなかった。
出現した土の壁は互いを隔てている。当然、彼の持つ銃の射線すらも遮っている。
考えるまでもない、シンが壁を突き破って現れるはずがないのだから。
危険を承知で前に出たにも関わらず、彼はその足を止めた。
大気中に魔力が漂うのも時間の問題で、この壁は防御としての役割を果たせなくなると解っているだろうに。
瞬く間に起きた矛盾を前にして、ビルフレストはどこまでがシンの狙いなのだと訝しむ。
「強がってはいるが、無様としか言いようがないだろう。意を決して前に出たにも関わらず、貴様はそうやって隠れることしか出来ないのだから」
彼の感情を引き出そうと、ビルフレストはシンへ挑発を試みた。
求めたのだ。欲したのだ。この男へ対して、完全なる勝利を。