38.女子会
過ぎ去った戦車は、ご丁寧にシンの荷物も持って行っていた。
彼が居た事を証明するものは、何も残っていない。
「どどど、どーしよ!? シンがさらわれちゃった!」
「どうどう。大丈夫よ、フェリーちゃん。
レイバーンならきっと悪いようにしないわ」
慌てふためくフェリーを、イリシャが宥める。
「でも、でも!」
「二、三日もすればレイバーンはまたアルフヘイムの森に来ますよ」
「二、三日……」
リタに言われた言葉を、オウムのようにフェリーは繰り返した。
旅を始めてから10年。そんなに長い期間、シンと別行動をした記憶が無い。
喧嘩をして、別行動をする事は珍しくない。フェリー的にはシンがガミガミ言うのが悪いと思っている。
それでも、陽が落ちる頃には一緒にいるのだ。たとえ仲直りをしていなくても、一緒にいるのだ。
大好きだったアンダルが亡くなってから、シンの家でお世話になっていた。
いや、アンダルが生きている頃からシンには毎日会っていた。
彼が冒険者になって冒険に出る。そして戻ってくるまでに数日。
その間だけ、フェリーはシンと離れていた。離れ離れになるのはその時以来だった。
「大丈夫かな……」
(あらあら……)
落ち込んでいるフェリーを見て、イリシャが少し困ってしまう。
思ったよりも彼女はシンに依存している。
このままだとずっと落ち込みかねないので、空気を変えようと画策する。
「ところで、リタ。わたしたちも一旦、森を離れた方が良いのかしら?」
流石に魔王と逢引した上、人間を二人連れてきましたとなれば女王とて怒られるかもしれない。
正直に言ってイリシャは野宿をする気はない。が、一応の気は遣う。
「いえ、レイバーンの事で小言を言われるのはいつもの事ですからねー。
それに、イリシャちゃんとそのお友達の人間ならさすがに追い出されたりしないとは思いますよ」
あっけらかんとリタは言ってのけた。
余談だが、イリシャはかつて怪我をしていた妖精族の子供に自作の傷薬で手当てをした事がある。
その恩と、効能を評価されてイリシャの傷薬やポーションは妖精族の中でも需要がある。
やはり持つべきものはコネクションだと、イリシャはほくそ笑む。
それでも『歓迎』ではなく『追い出されない』なのが、寂しい所ではあるが。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかしら。
フェリーちゃんも行きましょう。きっと色々驚くわよ」
「あ……はい。よろしくお願いしますっ」
シンが居ない不安を胸に抱えながらも、フェリーはペコリと頭を下げた。
……*
アルフヘイムの森にある妖精族の里。
その人々が暮らす様に、フェリーは思わず感嘆の声を漏らす。
土地柄、大きく育った大樹を囲むように数軒の家が巻き付くように建っている。
立体的に配置されたそれは人間の村や街ではお目にかかる事が出来ない光景で、胸が躍る。
染物をしている妖精族や、果実を踏みつぶしている妖精族。
中には、狩りの準備なのか弓に弦を張っている妖精族もいた。
「いらっしゃい。ここが、妖精族の里ですよ」
リタが大きく口を開けて笑った。
妖精族は数が少なくて、アルフヘイムの森に殆どの個体がいる。
全員が家族のような存在で、女王たるリタはその気持ちが一層強かった。
「すごい。すっごいステキだね、リタさん!」
「えっへへ。ありがとう」
女王が帰ったからか、それとも珍しい人間の客人が訪れたからか、フェリー達の存在に気付いた妖精族が寄ってくる。
何人かはイリシャと知り合いのようで、和やかに挨拶を交わしていた。
排他的と聞いていた通り、冷やかな視線も少なくは無かったが、そういう人達はそもそも寄ってこなかったのでフェリーとしても気が楽だった。
一人を除いて。
「……魔獣族の王の次は、人間を二人もですか。
リタ様、奔放なのは結構ですがあまり度が過ぎると――」
「げっ、ストル……」
現れたのは、二人組の妖精族。
一人はストル。リタと同じような、銀色の髪を後ろに束ねた男性の妖精族だった。
「まぁまぁ、リタ様にもお考えがあっての事でしょうから」
ストルを宥めるもう一人の妖精族はレチェリ。
やや緑がかった短い髪を持つ、女性の妖精族。
共に妖精族の居住区で族長を務めている。
「レチェリぃ……。ストルがいじめるんですよ……」
「はいはい。リタ様は頑張ってるの、私は解っていますよ」
「やっぱりレチェリは優しいですね。ストルとは大違いです……」
「なっ! 私はこの里の事を考えて言っているんですよ!」
口論をする妖精族を見て、フェリーはイリシャに耳打ちした。
「やっぱ、あたしたちってカンゲーされてない……?」
「そうねえ。はっきり口に出す人は少ないけど、基本的にはねぇ」
もう慣れているのかイリシャは気にしていないようだったが、フェリーは気になってしょうがない。
こんな時、シンが居れば少しは気が紛れるのに。と、思う。
「大体、魔獣族と懇意にしていると知られたら、周囲の国になんと思われるか……。
それに、また人間を連れてきて。イリシャとて、いつ裏切るか……」
「イリシャさん、あんなコト言われてるけど?」
「ストルは相変わらずねぇ」
イリシャは笑みを崩さない。言われ慣れているのか、大人の余裕なのか。
自分だったら怒ってしまいそうだと思ってしまった。
憤ったのはリタだった。ストルの言葉は聞き捨てならなかった。
「なっ! 種族とか関係ないでしょう!
レイバーンだって、昔私の事守ってくれたんですよ!
イリシャちゃんだって、妖精族の子供を手当してくれたりしたじゃないですか!」
「そうなの?」
「うん。レイバーンはね、迷子になったリタを妖精族の里まで送り届けた事あるのよ。
それ以来、リタはぞっこんなの。レイバーンも、接しているうちに……ね」
フェリーはなんだか嬉しくなった。種族が違っても、そういった気持ちは共通で持っているようだ。
「それが罠だったらどうするんですか!?
大体ですね、女王なのにリタ様は奔放が過ぎるんですよ」
「どうせお飾りですし?」
「子供じゃあるまいし、不貞腐れないでくださいよ」
「妖精族の寿命から見れば、まだまだ子供ですし?」
「ああ! もう!」
……こういう諍いも、あまり種族が関係ないのだなとフェリーは知った。
ヒートアップする二人を止めるように、レチェリが割って入る。
眉を下げながら「まあまあ」と止める様は、苦労人のそれだった。
「隣国への牽制も含めてるんですよね。
あっちはあっちで、妖精族とお近づきになりたいようですし。
何なら、向こうの皇子はリタ様を妃に迎えたいようですから」
「いや、そこまでは考えてないですけど……」
深読みをするレチェリに、リタはぼそぼそと反論した。
ただ、レイバーンと話がしたいだけとは言い辛い。
「でも、ギランドレに嫁ぐのは嫌です」
「ええ、解ってますよ」
レチェリは笑みを浮かべた。
人間との縁談も気に入らないストルは、口を尖らせていた。
「リタさんって、モテるの?」
「あの見た目だし、妖精族の力を欲しい種族は沢山いるだろうからねえ」
種族的にも妖精族は膨大な魔力を保有している。
その恩恵に肖りたい者は大勢いる。
特に人間には過酷な環境で暮らしているギランドレの国民ならば尚更かもしれない。
「もう、とにかく! この二人は私のお客さんですから!
失礼のないように!!」
二人の族長から逃げるように、リタはフェリーとイリシャを自分の家へと引っ張っていく。
ストルの「やれやれ」といった声から逃げるように、リタは速足になっていった。
……*
「すいません、ウチのストルが……」
リタは二人に、深々と頭を下げた。せっかくの客人に申し訳ないと小さくなっている。
現在はリタの家で、イリシャの淹れた紅茶を楽しんでいる。
「いいのよ、リタ。わたしはもう慣れてるし」
「そう言ってくれるの、イリシャちゃんだけですよ~……」
言葉の通り、イリシャは当然のようにティーセットをリタの家から取り出した。
入り浸っているのがよく判る光景だった。
「フェリーちゃんもすいません~……」
「ううん。話し掛けてくれる妖精族の人も居たし、あたしも気にしてないよ。
それより、レイバーンさんは家まで来た事ないの?」
「えっ!?」
リタのカップから紅茶が零れる。
切り株のテーブルに、染みが出来る。
「だって、仲が良いから一緒にお茶ぐらいしたのかなって」
「そそそ、そんなわけないですよ!
だいいち、レイバーンは泉までしか来た事ないですし……」
「そうなの?」
口を尖らせながら、リタが言った。
「だって、レイバーンは『余が里に入ると、みんな警戒するからな!』って言いますし。
ストルとか、絶対撃退しようとしますし。
レイバーンもイリシャちゃんと同じぐらい優しいのに……」
レイバーンも、自分が妖精族の里に入る意味を理解している。
それは隣国にとっては非常に脅威となる。
ただでさえ過酷な状況で生きている人間が、膨大な魔力を持つ妖精族と魔王に警戒をしなくてはならない。
何としてもそれだけは阻止しようと、火種になる可能性もある。
「その、ギランドレの皇子って人とは仲良くないの?」
「知りません。会った事もありません」
彼女が言うには、あくまで欲しているのは妖精族の魔力。
そして、自らの血筋に妖精族を取り入れる事らしい。
「私、人となりを知らない人と婚姻を結ぼうとは思いませんし」
「だったら、レイバーンと結婚したらいいのに」
「なっ……!」
イリシャがお茶請けに手を伸ばしながら言った。
もう10年以上も続けている、同じ話題なので答えは判り切っていた。
「そうしたいですけど! 立場的にそうはいかないんですよ!」
リタはテーブルをバンバンと叩いて反論をする。
カップの水滴が飛び、切り株の上に水玉を描いていく。
「私だって、レイバーンと一緒に居たいですよ。
でも、女王だからそうはいかないですし……」
お飾りと認識しつつも、その立場には『縛り』が沢山ある。
女王になった時には、まさかこんなに息苦しいと感じるなんて思ってもいなかった。
彼に会うまでは、ただ祈りを捧げる。そんな生活を続けるだけだと思っていたのに。
「いっそ全部投げ出して、レイバーンの所に行こうかな……」
信仰する神様も、自分の恋を叶えてくれそうにない。
妖精族の未来は導いてくれても、自分の恋は導いてくれない。
それだったら、自分で動くしかないのではないか。最近のリタが特に感じていた事だった。
「それはダメだよ」
それを諌めたのは、フェリーだった。
「フェリーちゃん?」
イリシャも目を丸くする。フェリーなら、その恋心を共感して応援しそうだと思っていたからだ。
まさか、否定側に回るとは思っていなかった。
「だって、リタさんは妖精族のコトも大切なんだよね?」
「それは、もちろんそうだよ。生まれて、ずっと一緒にいて、平和で暮らせますようにって祈りを捧げてるんだよ?」
妖精族の寿命は人間より遥かに長い。
つまりそれは、共にいる時間が永いという事。
その者たちの繁栄を祈り続けている自分が、大切だと思っているのは当然の事だった。
「だったら、故郷のコトも大切にしなきゃダメだよ。
好きな人のためでも、リタさんを大事に想ってくれている人を、棄てちゃダメだよ。
レイバーンさんのコトも、妖精族の里も、どっちも取ろうよ」
(……そっか)
イリシャは納得がいった。
フェリーは自らの手で故郷を失った。
その罪悪感から、シンに対して変な所で遠慮をしてしまっている。
きっと、この10年で何度も故郷があった時の事を夢に見たのだろう。
だから、それを棄てようとするリタを諌めたのだ。
「で、でも……」
リタが助けを求めるように、イリシャに視線を送る。
今の彼女にとって「両方を取れ」というのは非常に難易度が高い。
恐らく、フェリーは感情だけでものを言っている。
それが一番良い事だと思って、言っているだけなのだ。
なので、具体案は一切ない。
「……まぁ、頑張りましょう」
イリシャも同様に、妙案が浮かばない。そもそも浮かぶのなら、10年もかけていないのだ。
考えているフリをして、カップに口をつけるのが精一杯だった。
「がんばってるんだけどなぁ……」
「えっと、それじゃあ――」
様々な作戦を三人で考えていく。
夜になり、ベッドに入りながらもそれは続いて行った。
時には純粋に応援する気持ちが沸きながら。
時には自分とシンを重ねながら、シンの居ない時間を過ごした。
レイバーンの話を楽しそうにするリタの姿を見て、フェリーは羨ましくなった。
二、三日は、とても長い。フェリーは、今それを実感している。