409.『暴食』と一筋の灯
邪神が顕現を果たす直前。
アメリア達がフローラを救うべく、『傲慢』と対峙している頃まで時間は遡る。
世界再生の民の本拠地である空白の島。
島に存在する洞窟の中で、シンとフェリーも各々の戦いに興じていた。
「もう、シツコイ……ってば!」
闇を切り裂く様に踊っているのは、真紅に染まる灯。
紅蓮の刀身を持つ灼神が、フェリーの周囲を照らしていた。
不意に視界が閉ざされたフェリーにとって、この灯こそが生命線となる。
尤も相対する『暴食』にとっても条件は変わらず、灼神の灯へ吸い付くようにして喰らいついている。
(はやく、はやくシンのトコに――)
洞窟の瓦礫が崩れ去ったせいで、僅かに差し込んでいた光さえも消えてしまった。
その原因は恐らく、シンとビルフレストにある。
シンは無事なのだろうか。それとも、今も尚戦っているのだろうか。
瓦礫の奥を見る度に、焦燥に駆られる。
フェリーの想いを知ってか知らぬか。『暴食』は決して彼女を逃しはしない。
全てを喰らい尽くす『暴食』の左腕。消失が襲いかかる。
「もう、ホントにジャマなんだってば!」
灼神の奥に立つ自分を狙って放たれる一撃。
真紅の刃は腹を空かせた左手を拒絶するかのように受け止めた。
魔導接筒を用いた一撃で葬る事も考えた。
けれど、この暗闇の中で強大な輝きを灯せば的が大きくなるだけ。
加えて、小回りが利かなくなる。躱されでもすれば、消失の餌食は免れない。
いくら自分の身が不老不死といえど、消滅して戻るという保証はない。
これまでとは違う緊張感が、フェリーに纏わりつく。
(こんなコトしてる場合じゃないのに!)
シンの元へ向かいたいのに、向かえない。
自然と灼神を握る力が強まっていく。送り込まれた魔力は真紅の刃に更なる輝きを与え、『暴食』の左手へ亀裂を生む。
「――ガアァァァァァァッ!!」
自らを『暴食』たらしめる左手が破壊されようとする様に、『暴食』は悲鳴を上げる。
邪神の分体とて、決して盤石の存在ではない。
ミスリアでリタとレイバーンから受けた傷は深く、この戦闘においても確実に影響が残っていた。
「苦しんでる……? それならっ、何回でもっ!!」
焦燥感を抱くと同時に、思考が洗練されているフェリー。
彼女の嗅覚は、今こそが攻め時なのだと感じ取った。
灼神による刃が『暴食』の左手を裂こうとする一方で、彼女は霰神へも魔力を込める。
(灼神に当たらないようにしなきゃ!)
邪神の分体が視力以外に自分を感知する術を持っていれば、水蒸気による煙は一方的な不利を生み出してしまう。
真紅の刃は勿論、熱を帯びた箇所を攻めないように、フェリーは霰神を叩きつける。
狙いは下半身。消失を持つ左手とは対角線上に存在する右脚。
「てぇぇぇいっ!」
「――!!!」
透明な刃による氷の杭が、『暴食』へ打ち付けられる。
高音と低音。対極に位置する苦痛の前に、邪神の分体は声にならない悲鳴を上げた。
「これなら、魔導接筒でも――」
『暴食』の足は止めた。魔導接筒による巨大な剣でも、逃しはしない。
邪神の分体を滅する一撃を放つべく、フェリーは灼神と霰神の接続を試みる。
彼女にとっては、勝負を決める為の予備動作。
だが、『暴食』にとっては苦しみが途切れる一瞬。
ビルフレストの精神による汚染が続いた肉体は、この好機を逃しはしない。
「――っ! う、ぅぅ……っ」
自分から離れていくフェリーの頭を、残った右腕で鷲掴みにする。
前のめりになった事により、足元の氷柱が深く突き刺さるが大した問題ではない。
フェリーを、無尽蔵の魔力を持つ彼女を逃す訳には行かない。
手の届くところへ居てもらわなけば、勝ち目はない。
「いっ……」
こめかみを通して、痛みが伝わる。頭蓋骨の軋む音が、直にフェリーの耳へと伝わる。
この邪神は自分の頭を果実か何かと勘違いしているのではないか。握り潰して、滴る血液を喰らうつもりではないのか。
そう考えてしまうのも決して比喩ではない。言葉を発する余裕がない程の激痛が、フェリーの顔を歪ませた。
脳が圧迫され、フェリーの視界が狭くなる。
両端から迫りくる闇は悪意に満ちていて、完全に失われてしまった場合の事を想像してしまう。
再生をする間も無く、この怪物に喰われて消えてしまうかもしれない。そんな未来が。
「やめ……てよ……っ!」
そんな未来は認めない。受け入れられない。
自分はシンの元へ向かいたいのだ。邪魔をしないで欲しい。
一転して危機に陥ったフェリーだったが、まだ精神は折れていない。
ミシミシと頭蓋が締め付けられ、痛みに悶えながらも『暴食』へ抵抗をする。
「放してくれないなら、こっちだって……っ」
フェリーの選択はこの状況から抜け出す事ではなく、反撃。
即座に魔導接筒による灼神と霰神の接続は諦める。
手から零れ落ちそうになっている灼神と霰神を改めて握り締め、刃を『暴食』へと突き立てた。
「ギャアァァァァァァァァ!!!」
再び襲い掛かる鋭い痛みに、『暴食』の頭は制御を失った振り子のように暴れ回る。
消失を持つ左手は灼神に。
フェリーの頭を握り潰そうとしている右手には、その手首へ霰神が突き立てられた。
相反する痛みを放ちながらも、ふたつの刃は確実に『暴食』の肉体を破壊していく。
左手こそ灼神と肉薄をしているが、特別な能力に覆われていない右手は霰神の前に圧されている。
表面を凍らせ、邪神の分体から熱を奪う。
限界を超え、凍てついた右腕は『暴食』の腕力も相まって自ら崩壊を始めていた。
「ガッ!?」
己の持つ強大な力が、自身へ牙を剥けている。
その事実を前にして、『暴食』は自壊を防ぐべく力を抑えた。
拮抗していた消失と灼神の衝突。
力関係の崩れる瞬間が、訪れる。
「このまま左手もっ!!」
フェリーは霰神を振り抜き、『暴食』の右腕を破壊する。
そのまま消失の破壊へ注力するべく、真紅の刃を形成したまま魔導接筒を接続させる。
「――っ! お願い、出て……っ!」
上がらない出力を前にして、フェリーは歯噛みする。
今まで、刃を形成した状態で魔導接筒を繋ぎ合わせた事は無かった。
マレットが説明をしていないという事は、本来の使い方ではないのだとフェリーでも理解できる。
それでも今は、一度刃を消し去るだけの余裕が無かった。
先刻の攻防で、十分に理解させられた。
魔導接筒を使用すれば、刃を創り上げるまでに生まれる時間差が命取りになる。
その脅威の原因となっている『暴食』の左手。消失だけは、破壊しなくてはならない。
『暴食』が力を抜いたこの瞬間だからこそ、自分は最大の出力が必要となる。
賭けになるのだとしても、やらねばならないとフェリーは己の魔力を注ぎこんでいく。
だが、フェリーへ襲い掛かるのは強い脱力感。
霰神に搭載された魔導石・輪廻が魔力を吸収しているのは感じ取れる。
だが、その魔力が既に起動している灼神にまで届かない。
無謀な賭けだったのではないか。マレットはそんな使い方を想定していなかったのではないかと、落胆の波が押し寄せる。
「出て! お願いだから、出てよっ!」
一向に出力が上がらない灼神。しかし、フェリーは決して魔力の放出を止めなかった。
諦めの悪さには自信がある。シンだってそうだ。簡単に諦めたりするのならば、ここまで戦い抜いては来られなかった。
「魔導接筒がダメでも、このまま――」
仮に駄目だとしても、灼神の持つ火力だけで押し切る。
フェリーが腹を括ったと同時に、それは起きた。
「えっ……!? な、なにが起きたの!?」
眼前で起きた現象を前に、フェリーは思わず目を丸くする。
ポンという軽快な音とは裏腹に、視界に捉えられない速度で放たれる光。
徐々に闇に溶け込んでいく余韻と、存在の証明を示す熱が灼神から放たれたものなのだと理解させた。
「――!?!?」
そして、光の矛先は『暴食』へ向いていた。
痛みを感じる間も、悲鳴を上げる間すらも与えてはくれない。
フェリーと『暴食』が認識をしたのは、結果のみ。
消失を持つ左手から肩口までが、高密度の魔力によりごっそりと消滅している。
それはまるで、マギアで見た大砲。小型の魔術大砲と言っても、過言ではない威力の砲撃。
原因は言うまでもなく、魔導接筒。本来の用途とは違う方法によって引き起こされた現象だった。
灼神が稼働する中、魔導接筒を介して接続される霰神。
ふたつの魔導石・輪廻が噛み合わず、出力を増幅するに至らない。
だが、フェリーの持つ無尽蔵の魔力により間違いなく蓄積はされている。
魔導接筒がふたつの魔導石・輪廻と交差する時。
蓄積された魔力が瞬間的に放出をされる。接続までの時間差が生み出した、不可避の閃光として。
「あ、あたしコワしてないよね!?」
予想だにしなかった挙動を前に、取り乱すフェリー。
万が一、魔導刃・改が使用できないのであれば自分に成す術が無くなってしまう。
慌てて魔導接筒を取り外し、灼神と霰神の起動を確認する。
真紅の刃と透明の刃が形成され、安堵のため息を吐く一方で、フェリーは自らが放った閃光の威力に慄いていた。
その証拠に、直撃を受けた『暴食』の左腕。いや、左肩までが抉り取られたように消滅しているのだから。
「ア……ガ……」
右腕だけではなく、消失を持つ左手ですら喰いきれない程に圧縮された魔力。
不老不死の魔女が持つ、底知れぬ力を前に『暴食』が抱いた感情は恐怖だった。
ただし、それは逃げると言った後ろ向きなものではない。
彼女はここで、確実に仕留めておかなくてはならない。そうしなければ、どこまで被害が広がるか想像もつかないといったもの。
「ガアアァァァァァァァッ!!」
半ば強迫観念に囚われながら、『暴食』はフェリーへ突進を試みる。
右足に打ち込まれた氷の杭を強引に引き抜き、一歩踏みしめる度に氷の結晶が宙を舞う。
「まだやるの……っ!?」
両腕を失いながらも、一切萎えない闘争心を前にして、フェリーは奥歯を噛みしめる。
ここまでボロボロになっても止まらないのであれば、とことんやり切るしかない。
迎撃をするべく突き立てられた灼神が、『暴食』の腹部を貫いた。
「――ア、ガ……ガアァァァァッ!!」
『暴食』は自らの身を焦がす激痛に耐えながら、大きく口を開く。
その名に恥じぬ大喰らいを連想させるだけの口が、フェリーの左肩へと貪りついた。
「つぅ……っ」
『暴食』の顎が締まるに連れ、フェリーの左半身が悲鳴を上げる。
だらんと下がる左腕は、持ち上げようとする自分の命令を拒絶している。
肉が、血管が噛み潰される。ボタボタと滴り落ちる血の音が、静寂な洞窟で響き渡る。
「負けない……。負けちゃ……ダメ……っ!」
フェリーは腰を沈め、真っ向から『暴食』に立ち向かう。
胸元に灼神を突き立てては、己の魔力を放出し続ける。
『暴食』がその足を一歩進める毎に、真紅の刃が腹へ呑み込まれていく。
ここから先は我慢比べ。どちらの意地がより強いか。そういう戦いへとシフトしていく。
不老不死であるフェリーにとって有利な状況ともいえる。
けれど、『暴食』もおいそれと消える訳には行かない。
三日月島での屈辱は忘れないと言わんばかりに、体格の差でフェリーを押していく。
直後、互いの死力を尽くした戦いは思わぬ方向へ転がる事となる。