406.アメリアの決意
傍目から見ても異様な光景だった。
悪意の化身たる邪神の分体が、それを断つ神剣を扱う者を支えているのだから無理もない。
もしもこの場にビルフレストが居たならば、どんな横槍が入っただろうかと邪推してしまう。
(お姉さま……)
それでも、今はアメリアと『傲慢』に縋る事しか出来ない。
抑圧された世界で動く事が出来る、神器の継承者と邪神の分体に。
「はぁっ、はぁっ……。アメ……リア……」
フローラはひどく充血した眼をアメリアへと向ける。
主君の痛々しい姿を目の当たりにして、アメリアは自分の負った傷以上の痛みを覚えた。
「私に……。お任せください、フローラ様」
自信なんてあるはずがなかった。
それでも、苦しむフローラを前にしてアメリアは自然と口に出す。
出さなければならない。決意と、覚悟の表れを。
救済の神剣を持つ者としての責務ではない。自分が彼女を、大切に思っているから。
「……そう、ね。アメリアに……なら、任せられる……わ」
フローラは苦痛に歪んだ顔を懸命に綻ばせる。
彼女自身は笑顔を作れていると思っているのかもしれないが、引き攣ったその顔はとても言葉通りに受け止める事は出来ない。
無理をしているのは誰の目から見ても明らかで、一刻も早く救けなければという思いが強くなる。
(ちょっと待ちなさい、『傲慢』!
どうしてアメリアの肩を持つの!? その娘は敵なのよ、分かっているでしょう!?
私を断とうとしているのですから、導くべきではないでしょう!)
(目覚めたばかりだからと言って、寝惚けるのもいい加減にして頂戴。
アメリアが私の敵であったことなんて、ただの一度もないわ。
『傲慢』だってそれが分かっているからこそ、アメリアと共に歩んでいるのだわ)
自らの分身であるはずの『傲慢』がに対して、不満を露わにする偽物。
対するフローラは、当然だと言わんばかりの毅然な態度を取って見せた。
いつも自分を支えてくれていた彼女と、自分の分身が共に歩むのは何もおかしくはない。
むしろ誇らしいとさえ思う。きちんと自分の精神を反映しているのだから。
『傲慢』に支えられたアメリアが、一歩ずつ近付いてい来る。
蒼龍王の神剣の蒼い刀身が徐々に大きく見える。
身体の主導権を失った偽物に抗う術はない。
(蒼龍王の神剣。そして、大海と救済の神様。
どうか、お願いします。『傲慢』を……、フローラ様を蝕む邪神を祓ってください……!)
瞼を閉じ、蒼龍王の神剣を通して祈りを捧げるアメリア。
大海と救済の神は彼女の願いに応えるかのように、蒼龍王の神剣の刀身を淡く輝かせる。
「蒼龍王の神剣が……」
純粋なる願いが悪しき者を祓おうとする様に、アルマは息を呑む。
他者を慮り、心の奥底では人の善性を誰よりも信じている。彼女はいつだってそうだった。
選ばれたからこそ、高潔な人間なのではない。高潔な人間だからこそ、選ばれた。
アメリアが救済の神剣に認められるのは、必然だと今なら理解できる。
「これで……!」
オリヴィアもまた、アメリアへ寄せた期待の感情が漏れ始める。
邪神を断つ蒼龍王の神剣ならば、苦しむフローラを救ってくれるに違いない。
『傲慢』も今は、宿主を救おうとする姉を静観している。
願わくばこのまま無事に終わって欲しい。オリヴィアは、姉に追従するかの如く大海と救済の神へと祈りを捧げていた。
「く、ぅ……っ!」
「フローラ様!?」
しかし、事はそう思い通りには運んではくれない。
心の内に閉じ込められた偽物が自らを否定する力を、清浄なる力を拒絶する。
それは全身を駆け巡っている邪神の『核』にも影響を与え、適合者であるフローラをより苦しめる結果となった。
「アメ、リア……。かまい……ません。早く、私を……! あぁっ!」
「フローラ様っ……! ですがっ!」
今まで耳にした事がないような呻き声に、アメリアは逡巡する。
本当にこの選択が正しいのか。蒼龍王の神剣ならば、もっと他の手段があるのではないだろうか。
そんな考えばかりが脳裏を過る中で、神剣によって消滅の危機に瀕した偽物が体内で暴れ狂う。
(嫌よ! 絶対に嫌! 私、まだ生まれたばかりですのよ!?
消えたくない、消えてなるものですか!)
(なにを――!?)
消えたくない。消えるべきではない。消えていいはずがない。
偽物の執念に呼応するかの如く、フローラの体内で『傲慢』の覚醒を進める。
自分を消そうとするもの。未来を奪おうとするもの。
彼女にとって敵と見做された全てを拒絶するべく、強大な力が解放されていく。
「フローラ様……っ! くっ……!」
迸る波動の影響を直に受けたのは、向かい合うアメリアだった。
蒼龍王の神剣を握る腕ごと吹き飛ばされ、よろめく彼女を『傲慢』が支える。
「ありがとう……ございます……」
自分を支える『傲慢』を見上げながら、アメリアは小さく声を漏らす。
安堵を促すように頷く姿は人間のようで、不思議な感覚に見舞われた。
けれど、これだけは胸を張って言える。
フローラの様子に異変が起きようとも。『傲慢』は依然として彼女を救いたいのだと。
「おねえ、さま……! フローラさまが……!」
一方で、悠長にしている時間はないとオリヴィアが声を絞り出す。
フローラは今も尚、苦しんでいる。フローラを救って欲しいというオリヴィアの悲痛な思いが伝わる。
我に返ったアメリアは蒼龍王の神剣を構えながら、再びフローラの姿を視界に捉えた。
「フローラ……様……?」
だが、その結果として。アメリアは驚愕の表情を見せる。
戦慄が走るのも無理はない。救うべき主君の姿が、変わり果てようとしているのだから。
ゆらりと起き上がった身体は、抑圧の影響か重力から解き放たれようと浮いている。
浮かび上がった禍々しい紋様は血の色に輝きを放ち、痛々しさが強調されていく。
今までの自傷ともとれる姿から一転。その身が悪意に染まろうとしているのだと直感する。
「ア、ガ……アァァァァァッ!」
フローラが手を翳すと同時に、『傲慢』は頭を抱えながらその場に蹲る。
純白の身体が悪意により濁っていく。フローラが邪神の分体として目覚めさせようとしているのは明白だった。
このままフローラが悪意に屈してしまえば、成す術はない。
『傲慢』として覚醒を果たした彼女に、自分達は蹂躙されるだけだろう。
蒼龍王の神剣を以てしても、彼女を救うには至らなかった。
アメリアにとって最悪の決断が脳裏を過る。いくら否定をしようとも、それは頭から消えてはくれなかった。
(何か。何か手は――)
必死に他の手立てはないかと模索をするアメリア。
同時に、先刻は何が足りなかったのかを考える。
力か。魔力か。祈りか。やはり、覚悟なのか。
救済の神剣たる蒼龍王の神剣は、あくまで世界を救う剣。
適合者となった王女を救う為に、生まれ変わった訳ではないのか。
最悪の事態ばかりが、脳裏を過る。
「アメ、リア……」
強い波動を生み出しながら、全身へ紋様の広がったフローラは笑顔を無理やりに絞り出す。
痛みに耐えているのは明白で、とても安心できるものではない。
「フローラ様。すぐに、すぐに私が――」
「いいえ、アメリア。もういいのよ」
「え……」
フローラはもう一度。今度ははっきり笑顔だと判るように微笑む。
その笑顔に込められているのは、大いなる決意とほんの少しの諦め。
「分かるの。全身に、邪神の力が駆け巡っているわ。
きっと殺さなくては止まらない。だったら、貴女がするべきことはひとつでしょう?」
「待ってくださいっ! それでは!」
――貴女の命が救えない。
そう言いたいはずなのに、声が出ない。
悪戯に苦痛を引き延ばす可能性も、手遅れになる可能性も孕んでいるからこそ、口にする事を躊躇った。
「貴女たちだって、命を懸けているじゃない。いつ死ぬか判らない。
実際に、命を落とした者だっている。私の番になっただけ。躊躇わないで、アメリア。
私の最後の願いを、叶えてくれないかしら……」
「――聞けませんっ!」
アメリアは自分でも驚く程すんなりと声が出た。
自分の運命を受け入れたフローラの願いを拒絶する。
「最後だなんて、言わないでください!
フローラ様は色んなお願いをしてくださって、時には困ったりもしました。
けど、私やオリヴィアのことを大切に想ってくれているのも伝わっていました。
だから、私やオリヴィアもここまでこれたんです。これからもたくさん、お願いをしてくれないと困ります!」
「そう、ですよ……。イレーネさまだって、フローラさまと仲良くしたいんですよ。
お茶会の約束だってしちゃったんです。『またやりたいから手伝って欲しい』って、フローラさまも言ってたじゃないですか。
まだまだ消化しきれてないお願いがあるんですから、最後どころじゃないですってば……」
オリヴィアは強まった抑圧で、指一本を動かす事すら辛い。
そんな中でも、フローラへ語り掛ける言葉を懸命に吐き出す。
「ありがとう、私は……幸せものね」
それでも、フローラの決意は変わらない。
自らの運命を受け入れ、哀し気に微笑む。
「諦めないでください……っ」
溢れ出る涙が、傷口に沁み込む。紛れもなく、『生』の証。
心臓が締め付けられるように苦しむ。きっと、目の前の現実を拒絶している自分が行っている。
そっと、アメリアは自らの心臓に手を当てた。規則的に鼓動を打つ心臓が、アメリアに閃きを与えた。
いや、閃きというにはあまりにも無謀が過ぎる。賭けどころの話ではない。
平時の自分ならば、間違いなく選ばないであろう選択肢。
そうさせたのは、自分が追い詰められているからか。
それとも、どんなに苦しくても不老不死の少女を向き合おうとした青年の影響か。
ともあれ、アメリアはフローラへ言葉を投げかける。
蒼龍王の神剣の剣先を、彼女へ向けながら。
「……フローラ様。覚悟は決まりました。
その願いに、私なりの形で応えてみようと思います。
そのお命、私に預けてください」
「お姉さま……っ!?」
オリヴィアは信じられないと、思わず声を漏らした。
構えた切っ先は、フローラの心臓へ向けられている。
先刻までの剣の腹を与える形とは違う。本気で彼女を、フローラの身体を貫こうとしている。
「……ありがとう、アメリア」
彼女にならば、殺されても構わない。
決意の眼差しを送るアメリアに、フローラは感謝を示していた。