404.足掻く『強欲』
体中に歪な紋様を浮かばせながら暴れ回る巨体は、邪神の分体である『強欲』。
左腕には模倣によって造られた鬼武王の神爪が装着されている。
掠りでもすれば即、身体が引き裂かれてしまうであろう緊張感が周囲に漂う。
「オリヴィア、何か手はないのか!?」
「考え中です! この手のタイプ、一番困るんですよね!
トリスさんこそ、どうにかなりませんか!?」
「流石にあの大きさだと咄嗟には無理だ!」
徐々に距離が離れながらも、叫ぶようにして声を交わすオリヴィアとトリス。
有無を言わさぬ身体能力の差で押し切る怪物を相手に、共に魔術師である二人は苦戦を強いられている。
生半可な魔術では止められない。かと言って、詠唱を存分に行う余裕は与えてもらえない。
何より、どこのタイミングで『傲慢』の能力が顔を現わせるか判らない。
意を決した瞬間に失敗でもすれば、取り返しがつかない。
二人は連携が必須だと感じながらも、決断にも実現にも至らなかった。
(お姉さま……)
オリヴィアはアメリアの状況を確かめるべく目配せをするが、言葉を失ってしまう。
立っているのがやっとの彼女を見て、これ以上の重荷を背負わせられるはずがなかった。
フローラを救出するだとか、邪神を斃す打とか言う話どころではない。
むしろ、自分達が『強欲』を突破しなくてはならない。そんな状況なのだと思い知らされる。
「――!」
防戦一方かと思われたオリヴィアとトリスだったが、やがて状況に変化が訪れる。
アルジェントが意識を失った事により、『強欲』への魔力の供給が断たれた。
自分が顕現していられる時間が残り僅かなのだと察する『強欲』。
その前にどうにかして、自分の内に溜め込んだ苛立ちを解消したい。その想いが加速度的に高まっていく。
(視線が――)
何を考えているのかすら判らない邪神の機微を、オリヴィアは見逃さない。
時間にして一秒あるかないか。それでも、『強欲』は確かに視線を流した。
誘導されている可能性を考慮する一方で、そこまでの知能を持ち合わせているのだろうかと否定する自分が居た。
邪神が現世に現れて、まだ日が浅い。
これまでの話や経験を統括すると、邪神そのものがまだ幼い。
悪意や呪詛によって生み出された以上、残忍である事は否めないだろう。
では、狡猾であるかどうかと問われればオリヴィアは首を横に振る。
あくまで悪意は俯瞰して視た時の話。一点に強調するのであれば、そこまで至っていないと言わざるを得ない。
『強欲』のそもそもの行動が根拠として挙げられる。
自分という眼の前の獲物だけを追い求めるのではなく、もっと絡め手を使えば決着は早くついていただろう。
抑圧や拡張と言った魔力の阻害があっのだから、尚更だ。
故にオリヴィアは、『強欲』の視線が揺らいだのは罠ではないと認識する。
目線の先には適合者が居たはず。戦況に変化が起きたのだという答えに、自ずと辿り着いた。
『強欲』への注意を保ったまま、オリヴィアは視界の端でアルジェントの動向を確認する。
瞳に映し出されるのは血塗れになって倒れているアルジェントを治療するアルマの姿だった。
(適合者は、アルマ様が倒してくれている……)
この際、応急処置を施しているアルマには言及しようとは思わない。
サーニャの時もそうだった。彼の本質を垣間見たような気がした。
きっと、優しいのだ。無垢な頃から悪意に染められていなければ、真っ直ぐに育ったと思わせてくれる程に。
ともあれ、適合者であるアルジェントは気を失っている。
邪神の分体にどのような影響があるかは計りかねるが、接続されている以上は全くの無関係ではいられないはずだ。
そう予測を立てるオリヴィアの考えは当たっていた。
『強欲』は自分の限界が訪れるよりも前に、溜め込んだ悪意を全て吐き出そうと躍起になる。
腕に装着した爪を大地へと突き立てる。
掘り返された土が砲弾のように散り、オリヴィアへと放たれた。
正体を探る必要も、解析をする必要もない。ただ掘り起こされただけの土の塊。
故に魔力の干渉すらも影響を受けず、一直線に襲い掛かる。
「ああっ、もう!」
オリヴィアは毒づきながらも、接近する散弾の対処へと取り掛かる。
大きさも速度も。照準すらもバラバラな砲弾を点で防ぐのは不可能に近い。
面による魔術での防御を余儀なくされ、オリヴィアは水の城壁を放つ。
飛来する土が水の壁に触れた途端、泥となり地面へと落下していく。
防御に魔術を使用した事によりオリヴィアの足が止まる。
『強欲』の狙いはそこにあった。獲物が突っ立っているのだから、狩らない理由は存在しない。
残り僅かな時間で出し惜しみはしないと言わんばかりに、模倣によって大量の矢を生み出す。
紅炎の槍、凍撃の槍、稲妻の槍。
アルジェントが奪った上澄みの模造品が大気中にずらりと並び、息を吐く間もなくオリヴィア目掛けて射出される。
「ちょっと、その質量はナシでしょうよ!」
視界を覆い尽くす魔術の矢を前にして、オリヴィアは顔を引き攣らせる。
水の城壁を解除する事は許されない。加えて、抑圧によっていつ抑制されるかも定かではない。
どうしても込める魔力は増えていき、より強固な壁を創る事が求められる。
「つ、う……っ」
水の壁は魔力の矢を受け続けながらも、まだ形を保っている。
元々奪い取った魔術の兼ね合いなのか。それとも、『強欲』自体の限界が近いのか。
真実は定かでないものの、自分は耐えられている。
分析も大切だが、今は攻撃への転換をどう行うか。終わりの見えない矢を受けながら、オリヴィアは必死に頭を回し続ける。
「オリヴィア!」
それを否定するかのように、トリスの声が鼓膜を揺らす。
何を言わずとも、オリヴィアには伝わった。自分はとうに選択肢を奪われた立場であるという事に。
矢を防ぎ続け、止まった足。爪を構えた『強欲』が近付くだけの猶予を、与えてしまっている。
(これだから、力でゴリ押しされるの嫌いなんですよ!)
巨体の影が大きくなる度に、背筋が凍る。額から冷や汗が流れる。
心の中で毒づきながらも、オリヴィアは必死に状況の打破だけを追い求めていた。
「貴様の相手は私だ!」
トリスもまた、オリヴィアに近付かせまいと『強欲』へ魔術を放っている。
賢人王の神杖により圧縮をした紅炎の新星を、邪神の分体へと射出する。
吸血鬼族すらも灰燼に帰した炎を受けながらも、『強欲』の足は止まらない。
「止まれ、止まるんだ! 『強欲』!」
トリスの悲痛な願いに呼応したかのように、『強欲』の動きが一瞬ではあるが止まる。
だが、それは決して紅炎の新星によって焼き尽くされようとしたからではない。
ましてや、トリスの願いに応じたからでもない。
「――っ!」
炎を纏いながら振り向いた『強欲』。その瞳はどす黒く、一切の光を灯しては居なかった。
一瞬ではあるが、目が合ってしまった。「次はお前だと」言われているのを、肌で感じた。
『強欲』故に品定めをしていただけだった。次に肉塊とするべき存在を。
「いやいや、ちょっと。冗談でしょうよ」
圧縮した賢人王の神杖から放たれる紅炎の新星は、単発としては自分の放つ魔術のどれよりも強い威力を秘めている。
これを超える炎を放てるとすれば、魔導接筒を使用したフェリーぐらいなものだ。
適合者が気絶しているにも関わらず、相も変わらず脅威として君臨する『強欲』の前に、オリヴィアは攻め立てる手段が思い浮かばない。
炎を身に纏いながら、遂には水の城壁にまで到達する『強欲』。
水蒸気による煙が周囲を白く染めつつ、オリヴィアは邪神の分体と向かい合う。
裂けた口。醜く上がる口角と共に、唾液が糸を引く様は気持ち悪いとしか言いようが無かった。
「いいんですか? その爪で。わたし、ひらひらっと避けちゃいますよ」
見下ろされながらも、オリヴィアは気丈な態度を崩さない。
諦めるという選択肢が存在していないからこそ、出来うる可能性を模索して抗い続ける。
「――イヒィ」
オリヴィアの忠告を受け入れたのか。『強欲』は模倣によって紅炎の槍を生み出していく。
矢の持つ熱が、水の城壁の残滓を更に蒸発させる。濃くなっていく霧が、外部の接触を拒絶しているかのようだった。
(どうする? どうするのが、正解なんだ……?)
煙の向こう側。遮断された世界の外で、トリスは逡巡していた。
確実に足を止めるつもりで、自分の持てる最大の攻撃魔術を放った。
だが、結果は裏目に出てしまっている。
このまま援護の魔術を放ってもいいのだろうか。
オリヴィアに影響は出ないだろうかという迷いが、二の足を踏ませていた。
一方で、彼女も正しく理解をしている。
この状況に於いて最も許されないのは、ただ立っているだけという事。
賢人王の神杖に祈りを捧げながら、悪意の塊だけを討つべく神経を研ぎ澄ませるべきだと。
「トリス! 紅炎の新星を、僕に!」
「アルマ様!?」
そんな時だった。アルジェントの応急処置を終えた、アルマが参戦をする。
魔石を使い切った炸裂の魔剣を手に、彼はトリスへ炎の魔術を要求した。
「――紅炎の新星!!」
例え自分が単独で魔術を放ったとしても、『強欲』の足は止められなかった。
アルマの真意は判らない。けれど、トリスは彼に賭ける事を選択する。
そこに迷いはなく、賢人王の神杖によって圧縮された炎の塊がアルマへと放たれる。
「信じているぞ、トリス!」
アルマもまた、確証を以て紅炎の新星を要求した訳ではない。
魔石を動力に爆発を引き起こす炸裂の魔剣。その核部分を、魔術で補う事が出来ればという発想のからの無謀な賭け。
それも全て、神器である賢人王の神杖の。そして、トリスを信じてのものだった。
圧縮された炎が、魔剣へと宿る。
悪しきものだけを焼き尽くす紅の炎が、刀身を包み込んでいく。
これならばいけると、アルマは全力で煙の中へと駆けていく。
「頼む、間に合え!」
「――ガッ!?」
煙に覆われながらも感じる圧迫感。巨大な影に向かって、アルマは炸裂の魔剣を振り下ろす。
突如現れた人間を前にして、『強欲』は左腕の爪を以てアルマの一太刀を受け止めた。
炸裂の魔剣は、現状ではただの剣に過ぎなかった。
トリスの放つ圧縮された紅炎の新星が、この瞬間に於いては魔石と同じ役割を齎す。
(アルマ様。なんとまあ、ムチャを……)
突如視界へ現れたアルマに驚きを隠せないオリヴィア。
一方で、紅炎の新星を纏った魔剣を見た際に思いついてしまった。
自分もアルマも、下手をすれば負傷しかねない自爆技。
それでも、やる価値はある。紅炎の新星単体では、『強欲』は止まらなかったのだから。
ここは危険を承知で賭けに出るべきだと、一瞬の間にオリヴィアは決断をする。
(一か八か!)
この賭けを成功させるにあたって、オリヴィアには突破しなければならない壁があった。
そのひとつが、『傲慢』による抑圧と拡張。
先ほどから成りを潜めているふたつの脅威にそのままであってくれと願いつつ、アメリアは水の魔術で水を生み出そうと試みる。
向けられた先は、炸裂の魔剣と模倣の爪が触れる間。
失敗は許されない。切り取られた一瞬を狙いすまし、オリヴィアは魔力による水を精製した。
刹那、引き起こされるのは巨大な爆発。
高温を纏った炸裂の魔剣を利用し、水蒸気爆発を引き起こす。
模倣によって造られた爪は、『強欲』の左腕と共にボロボロに崩れていく。
「なっ、なんだ!?」
思ってもみなかった事態にたじろぐアルマ。
自分さえも巻き添えにしようとする爆発だったが、魔力による障壁が彼とオリヴィアを護っていた。
「すみません、アルマ様。どうしても威力が欲しかったもので……」
想像以上の威力に目を泳がせながら、オリヴィアはゆっくりと身体を起こす。
煙の向こうで、『強欲』がどのような姿で佇んでいるかはまだ判らない。
せめて、もう戦闘はここまでにして欲しい。限界が来ていてくれと、切に願う。
「――ガ、アァァァァァ!」
「まだ、やる気満々みたいですね……」
風に乗って流れていく煙。その向こう側で咆哮を上げる『強欲』に、オリヴィアは顔を引き攣らせる。
ミスリアから戦いっぱなしで、魔力は枯渇寸前。だからこそこの一撃に賭けたのだが、『強欲』には届かなかった。
「オリヴィア、君は魔術師なんだ。僕が前に出る」
まだ戦わないといけないのであれば自分が矢面に立つべきだと、アルマはオリヴィアに下がるよう促す。
だが、既に『強欲』の標的はオリヴィアではなくなっていた。
複合的な要因があるとはいえ、自分に刃を叩き込んだのはこの少年。
『強欲』は、残る自分の力を叩き込む相手をアルマへと切り替えた。
模倣によって生み出される無数の魔術。
先刻、オリヴィアを追い詰めたのが余程気に入ったらしい。魔力の矢が、アルマの眼前へと敷き詰められていく。
「……待ってください。その先には!」
変えられた照準を前に、オリヴィアが声を震わせる。
無理もない。魔力の矢の射線上。アルマの奥に佇んでいるのは、『傲慢』の適合者であるフローラなのだから。
「姉上……」
オリヴィアが狼狽える理由を察したアルマは、その場から動けなくなる。
同士討ちをするとは考え辛い。だが、万が一でもフローラを撃たないという保証がない。
避ける訳にはいかない。アルマは自分へ襲い掛かろうとする魔力の矢を全て、受け止めなくてはならない。
同様の問題はオリヴィアやトリスにも言える。
あれだけの矢を受けきる壁を生み出す魔力が残っているとは言い難い。
(あれは――)
(『強欲』!? 何を考えているの!?)
苦悩する三人を尻目に二人のフローラもまた、『強欲』の放とうとする魔力の矢を認識する。
それはふたつの精神によりバランスが崩れつつあった彼女の肉体を、更に追い詰める切っ掛けとなる。