401.血の運命
自分はビルフレスト・エステレラではない。
刃を交えながら、自らの生い立ちをビルフレストはシンへと語る。
その間、シンは顔を顰める瞬間こそあれど、手を緩める事は無かった。
淡白な反応といえばそれまでだが、ある意味では予想通りだった。
シンの隙を生じさせたかった訳ではない。ただ、この話を誰かに話したのは初めてだった。
自分と同じ、何者でもない男。
違う点があるとすれば、シンとは違いビルフレストは力を持っている。
貴様とは違う。何者かになる資格は有している。
ビルフレストは、シンにそう告げたかった。
あくまで自分の方が上に立っているのだと、証明したかった。
「驚いたか?」
「ああ、十分に驚いている」
鍔迫り合いにより互いの顔が近付く。
シンは「驚いている」と言っているが、とてもそうは見えなかった。
無論、シンの言葉に嘘偽りはない。
彼の語る「ビルフレスト・エステレラではない」という意味は十二分に伝わった。
失われた命が得るはずだった祝福を、代わりに享受したのだと。
けれど、やはり腑に落ちない。
シンが左程表情を変えないのは、驚きよりも怒りの割合が大きいからだった。
魔導砲から発する刃と漆黒の刃は、互いの纏う魔力によって互いを弾き飛ばす。
距離を離される訳にはいかないと、シンは後ろへ傾こうとする重心を強引に前へと向ける。
「ならば、理解しただろう。私が邪神を顕現させようとする理由が。
大義がある。遥か昔、敗れた祖先の仇討ちをいう大義が!
人間によって薄汚れた大地を再生させ、真に在るべき世界を創り上げるという使命が!
何者かになる資格が、私にはあるのだ!」
ビルフレストの腕に力が込められる。長身から振り下ろされる一撃は重く、更に魔力による身体強化が合わさっている。
単純な力比べではシンに分が悪い。証拠と言わんばかりに、彼の膝はいつ折れてもおかしくない程に悲鳴を上げていた。
「……だからどうした」
「なんだと?」
けれど、折れない。シン・キーランドは決して折れない。
揺るがない精神は、この状況でも彼に意地を張り通させる。
ビルフレストの話を聞いて、シンには気に喰わない点がある。
世界を危機に陥らせ、それを正当化しようとしている事ではない。
もっと前から存在しているはずの、根本的なもの。
「アンタの生まれがどうだとか、俺には関係ない。
だけど、エステレラ家はアンタを息子として愛していたはずだ。
紛れもなく、アンタはビルフレスト・エステレラだ。そうあるべくして、生きていたはずだ」
生まれたばかりの彼がこの運命に抗う術はなかった。
全ては生まれた時に、体面を取り繕うとしたが故の結果。
彼にとって、告げられた真実は衝撃的なものだっただろう。
それでも、エステレラ夫妻は目一杯の愛情を彼へ注いだ事には違いない。
皮肉にも、彼がミスリアで高い地位を築き上げた事で両親の期待が浮き彫りとなっている。
間違いなく、彼はビルフレスト・エステレラとしての『生』を全うしていた。
それがどうだ。本当の親を名乗る者が現れる。魔族の王の血を引いている。
たったそれだけの事で、悪意に染まるなんて到底納得が出来ない。
今までの人生を否定するような行動を、取っていいはずがない。
血の繋がりがなくても。注がれた愛情は本物なら、それでいいではないか。
シンは知っている。アンダルはフェリーを心から愛していたと。本当の娘として、接していたと。
自分の家族だってそうだ。フェリーを本当の家族として、受け入れていた。
だからこそ、シンは彼女の親の手掛かりを得た時にどうしても会いたかった。
一言、言ってやらないと気が済まなかった。「絶対に渡さない」と。
血の繋がりなんてものに縛られ、自分を愛してくれた者さえ悪意に晒そうとしている。
自分へ刃を向ける男に、シンはかつてない嫌悪感を抱いている。
「そうだな。あの日までは、知らなかった。
嘘で塗り固められた世界を、虫唾が走るような思いに耐えながら過ごしてきた。
私の中に流れる、魔族の血は正直だったよ。母の言葉で、全てがすっと腑に落ちたのだから」
「自分の歪みを……。血のせいにするなっ!」
シンは懸命に全身の力を振り絞り、漆黒の刃を弾く。
薄暗い洞窟の中で、互いの視線が交錯する。
「アンタに流れる血だって、大半は人間のものだろう。魔族だって一枚岩じゃない。
アンタが、ビルフレスト・エステレラが歪んでいる。ただそれだけのことだろう!
俺は知っている。この眼で見て来た。血の繋がりだけが、全てじゃないと」
「それは貴様が持たざる者だからだ。大した血でもないからこそ、そう思えるだけだ」
魔力で出来た刃を向けるシンに対して、ビルフレストは鼻で嗤う。
貴族としての重圧に苛まれ、煌びやかな世界の下で蠢く悪意を見て来た。
それでも必死に、自分は適応しようとしていた。
誰にも言えない嫌悪感を抱き続けながら、生き続けていた。
その間も醜いものは自分の視界へと映りこんでいく。
自分が歪んでいるなんて、考えられない。
歪んでいるのは、そんな世界を創り上げた者達の方ではないか。
産み落とした赤子を、自分の子だと主張出来ない世界が正しいはずがない。
母が自分に全てを打ち明けた時、世界がまるで別のものに見えた。
自分に流れている血は、醜いものを創り出しているものと同種では無かった。
たったそれだけの事で、ビルフレストは自らの運命を受け入れた。
500年前に敗れた先祖の遺志を継ぐ。
邪神によって世界を創り直し、魔族の王への手向けとする事を。
「だが私は違う。魔族の王の血が、確かにそう告げているのだ。
奴らはやはり、支配するべきだったと。歪んでいるのは、貴様ら人間の方だろう。
世界を創り変え、私が導いてやる。そのためにはまず、ミスリアを手に入れる」
「させる……かッ!」
会話が成立しない。この男はきっと、歪んでいる姿こそが正常なのだ。
互いが主張を曲げない限り、話は平行線で終わってしまう。
同時に理解した。邪神がどうして、あれほどまでに純粋なのかを。
彼が悲願を達成する為に一番重要な装置として、邪神は造られている。
やはり土の精霊の言葉は何も間違っていない。
ビルフレストを。この悪意の権化を止めなくてはいけない。
この男が生きている限り、きっと世界は何度だって悪意に晒される。
「……少々喋り過ぎたな。シン・キーランド、貴様は不思議な人間だ。
持たざる者でありながら、ここまで数奇な運命を辿る者などそうはおるまい。
どれだけ精神を擦り減らして生きていたか、想像するに余りある。
だが、案ずるな。その苦しみから、解放してやろう」
ビルフレストにとって、シンはまさしく理解の範疇に存在しない男だった。
だからこそ、多少なりとも興味はあった。ただ、知れば知るほど鬱陶しいと感じていたが。
彼はきっと、これからも邪魔な存在で居続ける。
この奇妙な縁はここまでにしておきたい。
ビルフレストは世界を統べる魔剣に魔力を込める。
魔導石を通じて増幅する魔力を前に、シンは迂闊に近寄れない。
身構えるシンを他所に、ビルフレストは世界を統べる魔剣の魔力を洞窟へと伝わらせる。
放たれた魔力は次々と岩盤を破壊していき、互いの逃げ場を塞いでいく。
「ここから先は、一方的な蹂躙だ」
やがて訪れたのは、闇で塗り潰された世界。
姿も見えない中、ビルフレストはぽつりと呟いた。
……*
主導権を奪い合う二人のフローラ。
一時は『傲慢』さえも制御下に置こうとしていたフローラだったが、すんなりと終わるはずはなかった。
(いい加減にしなさい。貴女はもう、表に出てくる必要がないの。
私がフローラ・メルクーリオ・ミスリアよ!)
(何を勝手なことを! 私は認めません……!)
開きかけた匣を、力づくで閉じようとする偽物。
抵抗を試みるフローラだったが、一日の長があるというべきか。
意識を集中した偽物を前にして、徐々に蓋が閉じていくのを感じる。
「ぐ……ぅ……」
「フローラ様!」
胸を抑えつけ、その場に崩れ込む偽物。
主君の身を案じ思わず声を荒げたアメリアだったが、持ち上げられた彼女の顔は鬼の形相をしていた。
「『傲慢』、まずはアメリアを殺してしまいなさい!」
苦しみながらも、『傲慢』の制御を取り返した偽物。
純白の身体から繰り出される剛腕は、傷付いたアメリアを更に痛めつけるべく振るわれる。
「お姉さまっ! 凍撃の槍!」
蒼龍王の神剣で受けてはいるが、明らかに押されている。
もう攻撃をまともに受ける余力すら残っていないのだと判断したオリヴィアは、『傲慢』へ凍撃の槍を放った。
仮に制御がフローラから『強欲』へ移ったとしても。
拡張で魔力が暴発させられたとしても。
何もしないよりはマシだという判断。
ただ、アメリアに被害が及べば本末転倒となる。万が一に備え、暴発をしても彼女触れない位置を狙っての射出。
「おっとォ。形勢逆転みたいだなァ」
しかし、放たれた氷の矢は『傲慢』にまで届かない。
アルジェントの持つ瑪瑙の右手が、オリヴィアの凍撃の槍を札の中へ封じ込めていく。
「ほんっ……とうに、空気の読めないひとですね!」
「むしろ読んでる方だろうがよォ。一騎打ちの邪魔をしないようにしてやってんだからさァ」
先刻の拡張による鬱憤が相当だったのか。
アルジェントの額には青筋が浮かんでいる。
一方で、彼にはまだ冷静さが残っていた。
安易に魔術をオリヴィアへ返すのではなく、『強欲』を差し向けるぐらいの知能は残っている。
「どこが一騎打ちですか! お姉さまも、わたしも!
まず数で押されようとしているんですけど!?」
模倣によって生み出された『強欲』の凍撃の槍を、オリヴィアは水の城壁で受け流す。
蜂の巣にしようとしたというのに。思い通りにいかずつまらないと、『強欲』は露骨に不快感を露わにした。
「二人で一人だ。悪く思うなよォ」
「半人前がくっついても、一人前にはならないんですよ!」
毒づきながらも、オリヴィアはまたも焦燥感に駆られる。
フローラの様態は不安定で、裏表どちらに転ぶか解らない。
そもそも、あれだけフローラ自身が争っていて身体に負担は掛からないのだろうか。
それを知る為にも、一刻も早く救い出さなくてはならない。
『傲慢』と対峙しているアメリアもそうだ。
彼女は恐らく、とうに限界を超えている。気力だけで立っているに違いない。
やらなければいけない事が多すぎるというのに、立ち塞がる『強欲』のコンビは鬱陶しいとしか言いようがない。
先刻は上手く『傲慢』の能力が味方をしてくれたが、狙って再現をするのは期待できない。
それどころか、『傲慢』の持つ抑圧のせいでミスリアでの戦闘ほど事が上手く運べない。
面倒な能力がそろい踏みで、しかも数まで負けている。
シンとフェリーが戻ってくる事は期待できない。むしろ、ここ以上に過酷な戦いを強いられている可能性すらある。
(どうすれば、どうすれば――)
必死に頭を回し続けるオリヴィアだが、アルジェントが待ってくれるはずもない。
彼にとっても、いつ『傲慢』が牙を剥くか判らない不安定な状況。
自分に辛酸を嘗めさせた魔術師を甚振るのであれば、今しかなかった。
「『強欲』、やっちまいなァ」
アルジェントの声が上がると共に、『強欲』の口角が厭らしく上げられる。
模倣によって出現したのは、鬼武王の神爪を模した武器。
巨大な爪がオリヴィアの身体を無残に裂くべく、『強欲』の腕に取り付けられる。
「いやぁ、それはちょっと……」
オリヴィアはその姿を見て、思わず声を漏らした。
魔術師である自分にとっては、最悪の状況。まだ、前回の精神的外傷から距離を取ってくれた方がありがたい。
尤も、賭場に於いて他者の表情を読み取る事を得意としていたアルジェントが、オリヴィアの心理を理解しているからこその選択ではあったのだが。
「遠慮すんなって!」
「遠慮じゃなくて、ガチの拒絶なんですよ!」
襲い掛かる『強欲』。振り上げられた爪を前に、オリヴィアは腹を括った。
幸い、抑圧の影響はさほど大きくない。多少纏わりつくような重さを感じる程度だ。
ならばと放った魔術は、水の牢獄だった。
狙いは地面。指を鳴らすと同時に現れた水の輪は、半分だけが露出している。
咄嗟に作り上げた簡易的な罠は、『強欲』の足へと絡みつく。
前のめりになって倒れる『強欲』をひらりと躱しながら、オリヴィアは難を逃れた。
「ったくよォ! 次から次へと、やってくれるよなァ!」
だが、アルジェントは読んでいた。
具体的にオリヴィアが何をするかまでは判らなったが、この女は必ず回避して見せると。
そうでなければいい様にやられた自分が格好つかないという下らない矜持の下で、アルジェントは次の一手を用意している。
自らの持つ魔剣。炸裂の魔剣を、大地へと叩きつける。
拡張による暴発時に魔石が影響を受け、残弾はひとつしか残っていない。
本来であれば無駄に消耗した形であるが、アルジェントの認識は異なっていた。
一発でも残っているのだから、流れは自分にある。彼はそう、信じ切っていた。
「なっ――」
爆発が土煙を上げながら、オリヴィアへと襲い掛かる。
水の魔術で防御をするものの、舞い上がった煙がアルジェントの姿を覆い隠した。
(どこに――)
魔力を探知して位置を確かめるべく、オリヴィアは煙の中で神経を集中させる。
だが、判らない。炸裂の魔剣はその魔石を全て使い切った。
魔力を発しておらず、ただの剣と化している。
アルジェント自身も、本人は強い魔力を持ち合わせていない。
オリヴィアは妖精族のリタほど魔力の感知に優れてはいない。
彼より強い魔力を放つアメリアやトリス、アルマの存在によって姿を完全に見失っていた。
「ここだァ!」
煙に身を隠しながら接近していたアルジェントは、ただの剣と成った魔剣を振り被る。
迫りくる凶刃を受け止めたのは、魔術金属で造られた剣だった。
「アルジェント。オリヴィアをやらせはしないぞ……!」
誰が剣を受け止めたかなんて、尋ねるまでもない。
かつては親友のように接していた少年。アルマだった。
「チッ。やっぱ、あん時に殺しておくべきだったじゃんかよォ」
次から次へと邪魔が入る状況を前にして、アルジェントは毒づいていた。