37.魔王の人攫い
シンとフェリーも自己紹介を終え、ひとしきりの挨拶が済んだ。
フェリーが不老不死だという事にリタとレイバーンは驚いていたが、それ以上の驚きはシンへ向けられていた。
「ただの人間だと!?」
「魔術も使えないって、本当なの!?」
「……ああ」
こっちでは魔力を持たない生物はほぼ居ない。
イリシャが居るからか、不老不死のフェリーより魔力を持たないシンの方が二人にとっては衝撃的だったようだ。
加えて言うなれば、二人にとって人間の知り合いは目の前にいる三人だけなのだ。
ただの人間であるシンが少数派という、奇妙な状況が出来上がっていた。
「俺の事はいい。それより、何か知っていたら教えて欲しい」
シンはフェリーが不老不死になった前後の事を、リタとレイバーンへ説明する。
二人は黙ってシンの話を聞いていたが、その表情は芳しくなかった。
「すまないが、余は知らぬな。そういった魔術も記憶にない」
「私もないですね。元々、妖精族は長寿だからそういう考えに疎いっていうのもあるかもしれないですけど」
妖精族の女王と魔獣族の王でも、不老不死の手掛かりを得る事が出来なかった。
一体、フェリーの身に何が起きているのか。未だ誰にも判らない。
「むしろ一番フェリーちゃんに近いイリシャちゃんから見て、どうなんですか?
イリシャちゃんだって、人間なのに老いないわけですし」
「うーん。わたしも訊かれたけれど、判らないわね。
わたしは成長が止まったタイミングなんてよく判らないし、特別な出来事があったわけでもないから」
そう、同じ事をシンとフェリーは既に聞かされている。
イリシャとフェリーの間は『不老』と『不老不死』という大きな、しかし絶対的な壁が存在している。
「そもそも、何が問題なのだ? フェリーは永遠の命を持っているという事であろう?」
「えと、それは……」
フェリーが言葉を詰まらせる。
レイバーンの言う事が、恐らく普通の感覚なのだ。永遠の命を求める人は少なくない。
シンから聞いたと主張し、ある程度の事情を知っていたイリシャと違い初対面の相手に故郷の事を話すのは抵抗がある。
自分がシンの家族を殺したという事実を、何度も思い返したくない。
「俺がそれを望んでいないからだ」
横から口を挟む形でシンが答えた。
またも『俺が』という単語を使った事に、彼なりの優しさが含まれているはフェリーも理解している。
庇ってくれた事も理解している。
それでも一人で抱え込もうとするシンに、もやもやしてしまう。
悲しみと、感謝と、少しの怒りが混ざり合う。複雑な感情が彼女の胸を締め付けた。
イリシャもシンとフェリーの気持ちには当然気付いている。
やっぱりシンは不器用だと、見ていてよく判る。
「ふむ……?」
レイバーンは首を傾げた。
フェリーが不老不死な事をシンが望まない理由を一生懸命考える。
熟考の末、出した結論を精査せず口にする。
「つまり、二人は番いという事か!」
得心がいったと、レイバーンは満面の笑みを浮かべている。
リタは口元に手を当て、「そうなの? そうなの?」と呟きながらシンとフェリーを交互に見ていた。
その顔は楽しそうでもあり、羨ましそうでもある。
「……は?」
「えっ? えっと、それは……そのぅ……!」
いきなりぶっ飛んだことを言い出したレイバーンに、シンは呆れ混じりの視線を送った。
フェリーは突然の事に顔を赤くして、頬を抑えている。
イリシャはその状況を見て笑っていた。
気持ちが駄々洩れなフェリーも、必死に隠そうとするシンの様子も面白かった。
「大切な者と共に同じ時間を生きたいという事だな! うんうん、余は判ったぞ!」
二人の様子などお構いなしに、レイバーンは一人で納得をする。
「で、でも。私も大切な人とは同じ時間を過ごしたい……カモ」
リタがちらちらとレイバーンの様子を伺う。
視線に気付いたレイバーンと目が合うが、その瞬間に二人揃って視線を逸らしてしまう。
その頬は、ほんのり桜色になっているようにも見える。
(あれ?)
異変に気付いたのはフェリーだった。シンはまだ呆れた顔をしている。
そういえば、自分の両隣はシンとリタ。シンの両隣は自分とレイバーン。
リタとレイバーンの間には、イリシャがいる。
さっきから二人ともとても仲が良さそうなのに、どうしてイリシャを挟んでいるのだろうか。
勿論、その場の流れと言われればそれまでなのだが。
談笑する二人の間にわざわざ入るなんて野暮な事を、イリシャがするだろうか?
それに、こういった反応を最近も見た気がする。
記憶の糸を辿ると、ある女性の顔が浮かんだ。
アメリアだ。シンと接する時のアメリアだ。
(ほほーう……)
自分も似たような反応をしている事は棚に上げ、フェリーは笑みを浮かべた。
「あれあれ? もしかしてふたりって――」
「む!」
フェリーが「ツガイなんですか?」と言い切る前に、ゴロゴロと轟音を立てながら大地が激しく震えあがる。
何かが転がっているような、走っているような、そんな音だった。
「ちょっと、なに? なになに?」
全員が立ち上がり、音の原因を確認しようと覗き込んだ。
刹那、ものすごい勢いで森を駆け抜ける戦車を視界に捉えた。
曳いているのは馬ではなく、馬よりも大きく成長した魔犬だったが。
「レイバーン様、見つかってしまいました! 今日はここまでです!」
レイバーンの配下であろう狐の獣人が叫ぶと、レイバーンは少し寂しそうな顔をした。
「む、ここまでか……。
それではリタ、また逢おう!」
「あっ……。うん、またね」
レイバーンはそう言うと、戦車が通り過ぎるタイミングに合わせて飛び乗る。
そのまま速度を落とす事なく、レイバーンを乗せた戦車は瞬く間に姿を消した。
「レイバーン……。行っちゃった」
戦車が見えなくなるまで、リタはその姿を見送っていた。
胸元をぎゅっと抑え、切ない顔をしながら。
「イリシャさん……。あれ、なに?」
状況についていけないフェリーが、イリシャに尋ねる。
「妖精族は排他的って言ったでしょ?
リタはそうでもないけれど、他の妖精族がねぇ。
ましてやレイバーンは魔王だもの。あんまり入り浸るとちょっと……ね」
「ふーん。リタさんとレイバーンさんは仲良さそうなのにね」
リタもレイバーンも顔を赤らめたり、楽しく談笑したり。種族が違っていても二人は幸せそうだった。
そんな二人でも種族の違いが枷となるのなら、とても残念だと思う。
種族と立場が、その関係を更に難しくしていた。
妖精族の女王と魔獣族の王。
個人的に仲が良いだけでは済まない事もある。
ただ、必要以上にリタとレイバーンが立場を気にしているのも事実だった。
そのせいで、お互いその気持ちをきちんと口にした事はない。
そんな状態が20年以上続いているのだから、イリシャとしてはもどかしかった。
「上手くいかないものよね。気持ちを伝えるだけでいいのに」
「ホントだねぇ」
イリシャの言葉にはシンとフェリーも含まれている事に、彼女が気付いている様子は無かった。
だからこそ、リタと引き合わせて何か反応が起きないか企んだりもしたのだが……。
「あっ、すみません! イリシャちゃんたちを里に案内したいけど……。
うーん、レイバーンたちが来てるのバレたばっかりですし。
またよそ者連れてきたって怒られるかな……。
あー! でも、みんながみんな排他的ってわけでもなくってですね。ええと――」
「ふふ、リタ。落ち着いて」
「あっ、でもレイバーンも悪さしたわけじゃないんですよ!
ただ見た目がちょっと怖いからみんなが警戒しているだけで……。
良い所もたくさんあるし、話してみれば面白いし――」
リタは身振り手振りで妖精族やレイバーンの良い所を説明しようとする。
彼女にとってはどちらも好きで、どちらも大切なものなのだろうと思うと微笑ましく感じる。
「なんだか、リタさんとっても善い人そうだよね。
……って、あれ?」
漸く、フェリーは異変に気付いた。
話し掛けよとした相手が、いつも傍にいるはずの男が、そこにいないのだ。
「……シン? ……どこ?」
……*
「……おい」
森を駆け抜ける戦車の上で、シンは上下さかさまに乗っていた。
視線の先には魔獣の王、レイバーン。その隣に、側近であろう狐女の獣人が居た。
「レイバーン様? この人間は一体……」
「さっき出来た人間の友人だ! 名をシンという!」
「誰が友人だ。第一、なんで俺が連れてこられているんだ」
まだ知り合いの知り合いに過ぎない。距離感を詰めるのが早すぎる。
淡々とした怒りを見せるシンを、レイバーンは一笑した。
「すまんな! お主に興味があって、ちょっと連れてきた!」
「ふざけるな。下ろせ」
「そう言うな! フェリーはイリシャがどうにかしてくれよう!
それとも、共に居ないとやはり不安か?」
豪快に笑い飛ばすレイバーンに、シンは苛立った。
思わず、銃に貴重な魔導弾を込める。
フェリーに対して、そんな考えを過った事がないと言えば嘘になる。しかし、既に蓋をした願いでもある。
自分の発言が原因とはいえ、初対面の相手から無神経に掘り起こされて良い気がする代物ではない。
「フェリーはそんなんじゃない。
お前こそ、妖精族の女王と離れてもいいのか?」
フェリーが感じているような確信があったわけではない。ただの意趣返しのつもりだった。
「……あのだな。余はだな、リタとはその。
勿論、リタは美しいと思っているぞ! いや、しかしだな――」
「……すまない」
まさかの動揺である。
シンもここからどうすればいいのか判らなくなり、とりあえず謝ってしまう。
「いや、余も無神経だった! だが、余計にシンの意見も聞きたくなった。
是非、我が居城に招待させてくれ!」
「遠慮する。下ろしてくれ」
「そう言わずにだな!」
「下ろせ!」
シンの訴えが受け入れられることはなく、戦車はアルフヘイムの森を抜けていった。
狐女の獣人から殺気のような視線を送られ、居心地が非常に悪かった。
……*
(本当に来てしまった……)
アルフヘイムの森を抜けた先は荒野だった。
その先に聳え立つレイバーンの居城。シンはその廊下を狐の獣人と共に歩いていた。
名はルナールと言っていた。
――その、リタの事でお主に相談がしたいのだ。
レイバーンは確かにそう言った。ついでに、戦車の上でリタに惚れている事も話してくれた。
どうして自分に魔王の恋愛相談を受け付ける事が出来ると思ったのだろうか。
そういう事はイリシャに頼んで欲しいと思う。友人って言ってたはずだ。
「全く、レイバーン様は何を考えているというのだ。
妖精族に近付いて、我々に何の得が――」
客間へと案内してくれるのはいいのだが、ルナールはずっとぶつぶつ愚痴を漏らしている。
妖精族の女王にお熱という事で、種族間で諍いが起きたりするのだろうか。
「損得勘定で動いているわけではないんだろう」
「そんな事は判っている」
無言で歩くのも気まずいので、自分なりの意見を言ったがお気に召さなかったようだ。
もうどうすればいいのか、シンには判らない。
「レイバーン様は妖精族の女王の何処が気に入ったのだ!?」
疑問形で話し掛けてくるので、相手にしないといけないらしい。
フェリーに我儘を言われている方が余程楽だと思った。
「……それは本人に訊けばいいだろう」
そもそも、今日逢ったばかりの人間よりずっと仕えている配下より詳しいわけがない。
「訊いたさ! しかし、女王の美しさばかり語られるのだ。
美しいだけなら、私は変化が出来る! いくらでもレイバーン様好みの姿になれるというのに!」
話によると、狐の獣人は変化の魔術が得意らしい。
普通の魔術と同じでイメージが重要ではあるらしいが、見た目だけなら変化の自由度は高いと言っている。
そして、さすがにシンも気付いた。
彼女はレイバーンに惚れているのだ。
妖精族の女王が嫌なのではなく、自分を見て欲しいだけなのだと。
「だったら、外側だけの話ではないんだろう」
「……そんな事は、私にも判っている」
僅かな沈黙の後、ルナールが寂しそうに呟いた。
自分の事だけで手いっぱいなのに、どうすればいいのかシンには判らなかった。