398.洞窟で舞う風
シンとビルフレストの戦いは、徐々に激しさを増していく。
幾度となく交わる刃は、決して互角ではない。
世界を統べる魔剣は容赦なく、魔導砲から形成された刃を削り取っていく。
「どうやら、また限界が訪れたようだな」
漆黒の魔剣を振り被りながら、ビルフレストは冷たく言い放つ。
自分が圧倒的に優位だと理解させようとする背景には、純粋な剣の腕でシンを仕留めきれないという葛藤があった。
ビルフレストの太刀筋がシンに劣っている訳ではない。
魔力で強化された肉体は彼よりも速く、強く。確実に一歩先に立っている。
武器の性能だってそうだ。彼の持つ銃は確かに驚異的な性能を秘めた魔導具だ。
ただ、取り扱いの難しい性能は現状にそぐわない。世界を統べる魔剣が劣っているとは思えなかった。
条件は揃っている。
いつ頭と胴体が。もしくは上半身と下半身が分断されていても、おかしくはない。
だが、シン・キーランドは立っている。
魔力がぶつかる衝撃で皮膚が裂けても。岩盤の欠片に頭を割られても。
相も変わらず、自分への敵意を向けた眼差しを向けている。
まるで、自分に勝てるとでも言いたげに。
(気に入らないな……)
ビルフレストはシンの事を、心の底から鬱陶しいと感じている。
自分と同じ、何者でもない存在が覇道に立ちふさがっている。
けれど、自分は違う。
持たざる者ではない。そして、今はまだ何者でもないだけ。
何者かになるだけの力も、資格も備えている。
シン・キーランドとは根本的に違う。そう考える度に、苛立ちを募らせていった。
「っ! ビルフレスト・エステレラッ!」
「その程度の攻撃で凄まれても、滑稽なだけだ」
刃が完全に消滅させられる寸前。
シンは刃となった金色の稲妻を射出する。
狭い洞窟を一筋の光が駆け抜けるが、漆黒の刃を前にして敢え無く消滅をした。
魔導砲に蓄積された魔力が尽きる。
世界を統べる魔剣に対抗する刃を形成する為には、また弾倉に魔力を吸着させなくてはならない。
必然的に距離を取ろうとするシンを、ビルフレストは逃さなかった。
「貴様のその行動も見飽きた。いい加減、終わりにしようか」
漆黒の左腕を構えるビルフレスト。吸収を使用するには、シンから離れすぎている。
訝しむシンを嘲笑うかのように、洞窟内に血の臭いが充満する。
まるで鋭利な刃物で切られたかのような傷が、シンの身体中に刻まれていた。
「――っ!」
割れた頭と、切れた額。流れる血が視界を塞ごうとしているのを、シンは咄嗟に拭った。
まただ。また突然、自分の身体が切り刻まれた。
ビルフレストが放つ見えない刃。その正体は、ある程度推察出来ている。
彼の持つ漆黒の左腕は、喰らったものを自分へと取り込んでいる。
三日月島で彼に取り込まれた少女。クレシア・エトワール。
彼女が持つ卓越した魔力の制御を得ている事は、ヴァレリア達から聞かされている。
そして、彼は喰らい尽くしただけではない。恐らく、一歩へと歩みを進めている。
遭遇した直後の出来事だ。ビルフレストは、壁を爆破してみせた。
似たようなものを、シンはマギアの戦いで経験している。
躯という形で姿を現したアンダルが、最後に放った魔術。
空気を膨張させ、周囲一帯を爆発させるという自爆技。
ビルフレストは、更にスケールを小さくして同じ事を行っている。
クレシアの技術である大気中に溶け込ませた風の魔力を、熱によって膨張させる。
内部から連鎖する小さな爆発によって、壁を破壊して見せた。
そう何度も連発しない事から、恐らくは集中力を要するのだろう。
もしくは、動き回り常に空気の流れが変わる中では扱えないのか。
どちらにせよ、肉弾戦と併用するまでには至っていないという印象を受ける。
代わりに使用しているのが、この見えない刃。
爆破とは違い、風の魔術をそのまま小さな風刃へと変質させている。
威力が乏しい代わりに、風刃自体の推進力で照準が付けやすいのだろう。
殺傷能力としては低いが、シンの現状からすれば厄介極まりない能力だった。
魔導砲で刃を形成しても、世界を統べる魔剣に削られていく。
充填をするべく距離を置こうとも、彼には追撃を行う手札が存在している。
何より、シンは立ち止まる事が出来ない。止まってしまえば、今度こそ大気中の魔力が爆ぜるだろう。
止めどなく動く事を強要されている中、シンはこの男を突破しなくてはならない。
そうしている間にも、吸収により多くの存在を取り込んだビルフレストは力を増していく。
捕食した魔力を、既に耐久中に漂わせている魔力へ上乗せをする。
「ふむ。慣れて来たな」
彼がそう呟くと同時に、シンは寒気を覚える。洞窟に漂う空気の流れが変わった。
彼が地面を蹴った次の瞬間。洞窟の岩が鋭利な刃物で斬られたかのように切断される。
細かな刃しか作って来なかったビルフレストが、ここに来て通常のものより遥かな風刃を精製して見せた。
「ぐ、っ……!」
咄嗟の反応を見せたシンだったが、その全てを避けるには至らない。
掠めた脇腹から鮮血が漏れる。赤い雫は洞窟内に吹く風に乗り、そこら中に斑点を生み出した。
「これすらも避けるか。大したものだ」
左手で魔術の感触を反芻しながら、ビルフレストは驚嘆の声を上げる。
完全に胴体を断つつもりの一撃だったのだが、脇腹を抉る程度に留まっている。
魔術師でもないにも関わらず、この短期間で自分が行っている事をほぼ正確に読み解いている証。
殺す事が惜しいとさえ、思ってしまう。
「上から、何を!」
「実際に高みに立っているからこそ、言っている」
シンは魔導砲の銃身を切り替え、魔導弾を放つ。
放たれた水流弾は水の塊を射出するが、大気中に漂う風により霧散させられていく。
続いて放った通常の弾丸も、ビルフレストへは届かない。
彼の生み出す気流は、攻撃と防御を兼ね揃えている。
「っ……」
次に彼が選んだ行動は、前進。痛みを堪え、歯を食いしばりながらシンはビルフレストへと接近する。
現状、探知を応用した攻撃を防ぐには彼と接近する以外に手段はない。
吸収の左腕と、世界を統べる魔剣の脅威がありながらも、シンは接近戦にこそ活路を見出した。
「そうだな。貴様はその程度で、退く人間ではない」
この程度の不利で引き下がるような人間であれば、脅威にはなり得なかった。
ビルフレストは当然だと言わんばかりに、世界を統べる魔剣を構える。
漆黒の刃に血を吸わせるべきか。自分の左腕に喰わせるべきか。どちらにしても、肉の感触は楽しめそうだとほくそ笑む。
同時に彼はこうも思っている。
シン・キーランドが無策でいるはずがないと。
あらゆる事態を想定しながら、シンの一挙手一投足に集中をしていく。
一方、シンとて自分の行動が警戒されているのは承知の上だった。
彼は大気中に魔力を乗せた空気を漂わせている。探知を前にして、下手な小細工は意味を成さないかもしれない。
それでも彼は、ビルフレストを上回らなければならない。そうしなければ、また誰かが悪意に晒される。
シンは魔導砲の引鉄を引き、魔導弾を放つ。
渇いた音が洞窟内に響くと同時に、大気中の魔力が牙を剥いた。
「無駄だと言っている」
瞬く間に風は魔導弾を地面へと叩き落す。
だが、それで良かった。シンも初めから、この一射が命中するとは思っていない。
「それを決めるのは、お前じゃない」
シンが放った言葉の意味は、すぐに理解が出来た。
次の瞬間。地面から岩の塊が湧き上がる。落とされた創土弾が、地面で効力を発揮した証だった。
創土弾は瞬く間に岩柱を生み出し、シンの半身をビルフレストの視界から覆い隠す。
(初めから、撃ち落とさせるのが狙いだったか)
闇雲に銃を放つだけではない。相手の能力すらも、利用しようとする姿勢。
身近にあるもの全てを利用しようとする姿勢は、ある意味では共感も好感が持てる。
視界を覆う部分が生まれた以上、無闇に大気中の魔力を攻撃へ転換する事は出来ない。
探知による状況の把握と併用する事を、ビルフレストは強要された。
(だが、妙だ。どうして姿を隠さない?)
だが、一方でビルフレストは強い違和感を抱いた。
少なくとも創土弾で生まれた壁に身を隠せば、ビルフレストは探知に意識を割かずには居られない。
半身を出してしまえば、全てが台無しだ。シンの意図が読み切れない、気持ち悪さが彼の中を這いずり回る。
岩柱に身を隠さない理由は、シンの中では明確に存在している。
遮蔽物として利用する事は容易だが、それでは自分も攻撃へ移れない。
何より、探知によって位置は筒抜けになる。そのまま漂わせている魔力を刃に変える事だって可能だ。
その状況に追い込まれてしまえば、自分が勝てる道理は存在していない。
創土弾は決して自分の身可愛さに放った物であってはならない。
反撃の狼煙であるべき、魔導弾だった。
ここから先は、一手でも誤る事は出来ない。
その先に待ち受けているのは、間違いなく『死』だとシンは予感していた。
「行くぞ」
晒されたシンの右半身。その腕から銃口が向けられる。
放たれたのは稲妻弾。洞窟を走る稲妻を防ぐべく、ビルフレストは風によって軌道を変えた。
薄暗い洞窟に眩い光が放たれる。否が応でも、意識を完全に遮断するのは不可能。
意識に空白を生み出すまでには至らない。けれど、造られた綻び。
創土弾も、稲妻弾も。シンにとっては布石だった。
(当たらないというのが理解できない程、馬鹿ではない。
奴は必ず、何かを企んでいる)
通り過ぎる稲妻を尻目に、ビルフレストはシンの考えを読み解いていく。
この程度の危機でやけっぱちになっているはずがない。そんな相手であれば、ここまでの脅威には育っていない。
曝け出された半身は、反撃を行う為。同時に、即座に岩柱へ身を隠す事で防御も賄える。
そんな単純な話で済むはずがない。現にシンの放った魔導弾は軌道を逸らされている。
身を隠すにしても、探知を扱う自分には全て筒抜けだ。
そのまま風刃を生み出し、炙り出す事すら容易に出来る。
自分の認識しているシン・キーランドならば、想像できないはずがない。
何も持たない。路傍の石。異物。彼へどんな言葉を投げかけても、その評価が覆る事はない。
主張をする稲妻弾の光は、本命を隠す為の囮。
そう考えた時。ビルフレストの中で腑に落ちた。
「――弾丸が本命か」
岩柱を支点に襲い掛かるのは、魔硬金属の糸に括り付けられた魔導弾。
魔導弾が自分へ触れるよりも先に、ビルフレストは世界を統べる魔剣で糸を斬り落とす。
シンの狙いはクスタリム渓谷でアルジェントへ使用した手段と、同様のもの。
意識の外から、鎖分銅のように放たれた弾丸を以て襲い掛かる。
企みが成功するよりも僅かに早く、ビルフレストは答えに辿り着いている。
少なくとも、この瞬間はそう思っていた。
それがまだ途中だと気付いたのは、金属の擦れ合う音。
曝け出された右半身でもない。魔硬金属の糸を放った左半身でもない。
創土弾で造られた岩柱の裏側で、それは聴こえた。
死角で行われた行動。ビルフレストが本能的に探知に身を委ねるのは、自然な行動だった。
発生源は足元。支柱のような物体に、揺れる金属が触れた音。
探知は視覚的な補助を持ち合わせていない。
該当する可能性を洗い出した結果、次に思い浮かぶのはマーカスから得た情報だった。
机上の空論だと思われていた転移魔術を、オリヴィア・フォスターは完成させた。
それだけには留まらず、短い距離であるなら移動出来る魔導具さえ存在していると言う。
シンはそれを足元に設置してみせた。恐らくは、接近戦を仕掛ける為に。
すぐに岩柱の陰へ隠れられる状況を作り出しての攻めは、彼をより前へ踏み込ませるだろう。
ビルフレストと言えど、全てを捌き切るのは難しいかもしれない。
今まで以上に鎬を削る戦いが幕を上げるのだと、世界を統べる魔剣を握る手に力が籠る。
そう。ビルフレストは、気を取られていた。
死角で繰り広げられた、ふたつの行動。更に言えばその前。
稲妻弾を放った時点で、シンは仕込み続けていた。
彼が自分の犯した失態に気付いたのは、転移魔術の存在を警戒して間も無く。
岩柱を削るかのように回転させられた、魔導砲の弾倉だった。
「な――」
稲妻弾の光は囮。そう考えた時点で、ビルフレストの意識は隠れた左半身に寄っていた。
故に気付かない。魔硬金属の糸を手放した瞬間から、シンは魔導砲を左手に持ち替えていた事を。
そして、創土弾で造られた岩柱にも役目が与えられていた。
姿を隠す。ビルフレストの思考を奪うと同時に、彼は生み出して見せたのだ。
効率よく魔導砲に魔力を補充する為の、貯蔵庫を。
「化かし合いは俺の方が上手だったようだな」
シンは左手で握ったまま、岩柱へ向かって魔導砲の引鉄を引く。
利き手でなくても問題はない。銀色の驟雨が、シンの眼前を魔力の塊で埋め尽くした。