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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第七章 空白の島
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397.相容れぬ者

「いったたた……」


 あちこちに痣と擦り傷を作りながら、フェリーは傷口を掌で摩っていく。

 この程度なら間も無く治るだろうが、痛い事には変わりない。


「まさか落ちるなんて、思ってもみなかったよ……」


 『暴食』(ベルゼブブ)に押し込まれるよう突き抜けた壁。

 その向こう側に足場は存在していなかった。邪神の分体と共に、フェリーは急な斜面を転げ落ちていく。


 空中にも関わらず、そのまま構わず襲い掛かる『暴食』(ベルゼブブ)に対して、フェリーは咄嗟に魔導接筒(マナ・コネクタ)を接続した。

 連結した魔導刃・改マナ・エッジ・カスタムから放たれる、氷の柱が物理的に『暴食』(ベルゼブブ)を押しのける。

 尤も、フェリーとて身体が固定されている訳ではない。反動として、魔力を通す度に自らの形は後方へと飛ばされていく。

 

 斜面が分岐した結果、フェリーと『暴食』(ベルゼブブ)は互いの姿を一度見失う。

 すぐ傍にいる。必ず再び相まみえるという緊張感だけを残して。

 

「そうだ! オリヴィアちゃん、だいじょぶ?」


 思い出したように、フェリーが自らの手をポンと叩く。

 あまりに必死だったが、オリヴィアとだけははぐれてはならない。

 そう考えた彼女は、咄嗟に掌サイズのオリヴィアを服へと潜り込ませていた。

 

 ただ、彼女自身が急な斜面を転がり落ちている。

 無事でいるだろうか。それ以前に、はぐれたりしていないだろうか。

 一抹の不安が、フェリーの脳裏を過った。

 

「あ、はい。おかげさまで」


 フェリーの心配をよそに、胸元から声を出す少女。

 流水の幻影(ブルー・ミラージュ)により造られたオリヴィアの分身が、声を上げた。

 

「よかった……」

「ええ、そうですね」


 安堵のため息を吐くフェリー。

 その一方で、オリヴィアは複雑な表情をしていた。


 ……*


 灼神(シャッコウ)を松明代わりに、フェリーとオリヴィアは洞窟の中を歩み進めていく。

 シンの元へ戻りたいと思ったが、転げ落ちた斜面は想像以上に角度が付いている。

 距離も相当だ。容易に登る事は不可能だと、壁のように聳え立つ斜面が語っているようだった。

 

「ごめんね、オリヴィアちゃん。あたしのせいで、フローラさんが……」

「さっきも言ったじゃないですか。あれぐらいの火傷なら、治癒魔術で治せますから」

「うん……」


 フォローの言葉を送るオリヴィアだったが、フェリーの顔は浮かない。

 きっと彼女の精神的外傷(トラウマ)に触れてしまったからだ。


 自分の意思とは関係なく、ただ()()の思うがままに敵を焼き尽くす。

 それがたとえ、宿主であるフェリーにとって何より大切なものだったとしても。


「だったら、全部終わったらフローラさまに訊いてくださいよ。きっと、怒ってませんから」


 太鼓判を押すようにして、フェリーの肩でオリヴィアが何度も頷く。

 常に一緒に居る自分が言うのだから、間違いない。だから、心配しなくてもいい。

 なんなら、感謝をしているかもしれない。自分の身体を操る不届き者に、一杯食わせたのだから。

 

「……うん」

 

 彼女なりの気遣いを感じたフェリーは、ゆっくりと首を縦に振った。

 オリヴィア自身が分身で小さいからか。怒りを感じさせないその姿に、フェリーは安堵した。


 一方で、今までとは違う現象に胸騒ぎがしているのも事実だった。

 カランコエの時は、はっきりと自分の意識は存在していなかった。

 当時はまだ内に潜む()()を把握しておらず、この10年で顔を出す事も無かった。

 だからこそ、シンと共に当てのない旅を続けていた。


 けれど、今は違う。心なしか、()()が活発に動いているような気がする。

 一度認識をしたからなのか。他に理由があるからなのか。

 『嫉妬』(レヴィアタン)が見せたイリシャの姿は、何か関係があるのか。

 

 フェリーには解らない。ただ、その話をした時にシンとイリシャは異なる反応を見せた。

 表情を変えずに「そうか」とだけ呟くシンに対して、イリシャは目を見開いていた。

 

 本当はもっとゆっくり話すべきだったのかもしれないが、時間が許してはくれなかった。

 空白の島(ヴォイド)から帰った時に、その真意は訊けるのだろうか。訊いていいのだろうか。

 

「……リーさん。フェリーさん!」

「え? あ! ご、ごめん! ボーっとしちゃってた……」

 

 自分を呼ぶオリヴィアの声で、フェリーは我に返る。

 肩で首を傾げる彼女に対して、愛想笑いを浮かべた。

 

「気を付けてくださいね。邪神の分体は、きっと近くにいるんですから」

「うん、そうだよね。……そっちに、集中しなきゃだよね」


 オリヴィアの言う通りだった。

 自分の事ばかりにかまけている余裕はない。フローラを連れて帰る事が目的なのだから。

 

 その為にも脅威となるビルフレストと『暴食』(ベルゼブブ)を抑えなくてはならない。

 少なくとも、空白の島(ヴォイド)の離脱を邪魔されない状況が求められていた。

 

「オリヴィアちゃん。そっちの戦いは、どうなってるの?」

「それは――」


 せめて状況を把握しておきたい。

 フェリーがオリヴィアに現況を教えてもらおうとした、その時だった。


「っ!」

「オリヴィアちゃん?」


 流水の幻影(ブルー・ミラージュ)により造られたオリヴィアの身体に、ブレが生じる。

 一瞬ではあるが、水に戻ろうとする様をフェリーの眼は捕らえている。


「すみません。ちょっと、余裕なさそうです。『強欲』が――」

「オリヴィアちゃん!」


 丁度この時。オリヴィアの下に『強欲』の適合者であるアルジェントが姿を現した。

 度重なる負荷が祟り、ついにオリヴィアは流水の幻影(ブルー・ミラージュ)の解除を余儀なくされる。


 間も無く流水の幻影(ブルー・ミラージュ)が解除され、フェリーの肩を濡らした。

 『強欲』という言葉だけを残して。


「『強欲』って……」


 フェリーは『強欲』の存在を思い出す。クスタリム渓谷で戦った、人を嘲るような笑みばかり浮かべていた男だ。

 先日のミスリアでも存在は確認できた。尤も、フェリーが駆け付けた時には一度戦闘不能になっていたが。


 訊けばオリヴィアが魔術を駆使して一蹴したというのだから、驚いた。

 彼の持つ瑪瑙の右腕は、魔力を扱う者。とりわけ魔術師には、天敵と言うに値する存在。

 魔術師の身で彼を全く寄せ付けなかったという事実は、シンすらも唸っていた。


 オリヴィアならば『強欲』は恐れるに足りない。そう思っていたのだが、現状を鑑みるに状況は芳しくない。

 流水の幻影(ブルー・ミラージュ)を維持する余裕がない。もしくは、強制的に解除させられた。

 洞窟の地下でのんびりと探検している余裕などまるでないのだと、フェリーは思い知らされる。


「どうしよう。出口を探すべきかな? それとも、やっぱりシンを……」


 顔を見上げると、壁のように聳え立つ斜面。その終点が微かに震えている。

 間違いない。シンとビルフレストが戦闘を続けている。


 早く彼の下へ戻らなくてはならないのではないかという不安が、胸を締め付ける。

 フェリーは知っている。ビルフレストの恐ろしさを。

 

 勿論、シンが強い事も知っている。けれど、彼はたくさんの無茶をする。

 今だってマギアの傷は完治していないはずなのに、無茶をしている。


「シン……」


 不安で胸を詰まらせながら、洞窟の天井を見上げるフェリー。

 直後、自分の転げ落ちた斜面が抉り取られる。忽然と消えた岩盤の奥で光る眼は、悪意に満ちた色をしていた。


 咀嚼をするかのように漆黒の左手を何度も握る巨躯。

 邪神の分体である『暴食』(ベルゼブブ)が、フェリーの姿を視界に捉えていた。


「やっぱり、あたしを探してたよね」


 灼神(シャッコウ)を手に取り、フェリーは『暴食』(ベルゼブブ)と向き合った。

 焔に照らされた『暴食』(ベルゼブブ)の顔面。裂けた口は今まで見たどんな生物よりも、悍ましいとすら思った。


 『暴食』(ベルゼブブ)の持つ消失(バニッシュ)は、あらゆる者を喰らい尽くす。

 危険極まりない存在を、放っておけるはずがない。

 

「あたしが、やらなきゃだもんね」


 アメリア達の下にも、シンの下にも行かせる訳にはいかない。

 きっとこの邪神は、自分が相手をするべき怪物。

 決意を新たにしたフェリーと『暴食』(ベルゼブブ)が、刃を交える。


 ……*


「フェリー・ハートニアが気になるか」

「お前に答える義理はない」

「フッ、それが既に答えだろうに」


 世界を統べる魔剣(ヴェルトスレイヴ)魔導砲(マナ・ブラスタ)による魔力の塊が激突する。

 ミスリアの時同様に、漆黒の魔剣を受け止める度にシンの刃は削られていく。

 そう何度も受け止められない。そして、刃を形成するだけの魔力を充填(チャージ)する余裕があるだろうか。

 シンはジリ貧の状況に立たされていた。


「そもそも、貴様はどうしてこの場に居る?

 フローラ・メルクーリオ・ミスリアはミスリアの王女だ。

 本来ならば、近寄ることすら出来ない存在だっただろうに」


 魔剣から迸る魔力が、シンの皮膚を裂いていく。

 衝撃で思わず身体が仰け反る。追い撃ちを掛けようとするビルフレストを拒絶するように、シンは引鉄を引いた。

 放たれた刃を、ビルフレストは難なくはじき返していた。


 互いの身体が離れた一瞬で、シンは弾倉(シリンダー)を回転させる。

 出来る限り魔力を充填(チャージ)し、次の刃を形成する。

 

「何度も言っている、お前に答える義理はない」

 

 ビルフレストが言葉を投げかけようと、シンの答えは変わらない。

 何も今回に限った話ではない。悪意に染まった男は、何度もフェリーを悲しませた。

 その原因となるこの男(ビルフレスト)を、世界再生の民(リヴェルト)を。許せるはずなど無かった。


「そう、興が削がれるようなことを言うな。

 持たざる者である貴様が、どうしてこうも邪魔を出来るのか。

 何が原動力なのか。純粋に気になっているだけだ」


 シンが答えるまでもなく、ビルフレストも当然ながら予想はつく。

 フェリー・ハートニア。不老不死の魔女が、彼にとって力の源泉。

 自分達の計画を狂わせ始めたのも、発端は彼女なのだから。


「貴様はフェリー・ハートニアを護っているつもりだが、その必要はあるのか?

 不完全とはいえ邪神と鎬を削る存在。その戦いに、貴様が入る余地はあるのか?」

「アンタに分かってもらおうなんて、思っていない」


 魔導砲(マナ・ブラスタ)から刃として形成した金色の稲妻(ゴルトブリッツ)を、ビルフレストへと向ける。

 魔剣との衝突により、はじけた魔力が周囲を照らした。


「解らないから、訊いている。貴様のことも、フェリー・ハートニアのことも。

 あれだけの力に、朽ちぬ身体。彼女のようになりたいと思う者は後を絶たないだろう。

 にも関わらず、フェリー・ハートニアは精神的に脆い。貴様が居なくてはならない程に」


 シンは奥歯を噛みしめる。自分を煽っているのだと分かっている。

 それでも連ねられる言葉は、フェリーを侮蔑するものだった。冷静であろうとしても、怒りは膨張を続けていく。


『憤怒』(コナー)にことのあらましも聞いた。小さな村をひとつ、滅ぼした程度だろう。

 あの巨大な力が暴走して、その程度で済んでいる。むしろ、喜ぶべきことではないのか」

「――貴様ッ!」


 その一言は、シンを逆上させるには十分だった。

 彼女の気持ちを知っていれば「良かった」なんて言葉、冗談でも口に出来ない。

 故郷を、大好きな人達を。自らの手で破壊したとフェリーは自分を責め続けていた。

 

 どうすればいいか解らないから『死』に縋った彼女の悲痛な願い。

 その奥に秘められた想いを、何ひとつ理解しようとしていない。


「フェリーがどれだけ悔いているかも知らずに!」

他人(ひと)とは違う存在だ。仕方がないと割り切るべきだろうに」

「そう思えないから、あれだけ苦しんでるんだ!」

「せめてもの贖罪で、私たちの邪魔をするということか? はた迷惑な話だ」

「どの口が……!」


 今、シンは本当の意味で理解をしたのかもしれない。

 この男は何かが切っ掛けで悪意に染まった訳ではない。

 悪意そのものが、ビルフレスト・エステレラなのだと。


 この男を放ってはおけない。野放しにすれば、きっと悪意を振りまき続ける。

 誰かの幸せが、この男の指先ひとつで破壊される。

 

 フローラの奪還だけではない。

 今ここで、この男を仕留めなくてはならない。

 シンの意識が、ビルフレストへ向けられていく。


「まぁ、いい。力を持つ者がどう扱おうと、本人の自由だ」


 出来る事なら、世界再生の民(リヴェルト)で活用をしたかった。

 その口惜しさを残しつつも、ビルフレストは鋭い眼光をシンへと向ける。

 

 他人を射殺すようなその眼差しは、シンに緊張感を齎す。

 張り詰めた空気が、一層強まった。


「だが、あくまでそれはフェリー・ハートニアの話だ。

 貴様は違う。魔術も使えなければ、神器に認められたわけですらない。

 何者でもない。持たざる者。言わば、異物だ。そんな男に悉く邪魔をされているのが、不快で堪らない」

「それがどうした」


 似たような言葉は、テランからも投げられた記憶がある。

 シンとしてはどう思われようが、一向に構わない。

 自分が持たざる者だろうと、大切なものを諦める理由にはならない。


 ただ、赦せない。自分の大切なものを平然と傷付けるこの男は。

 だから、シンは否定しなくてはならないと感じた。悪意の根源、ビルフレスト・エステレラを。


「もっと判り易く言ってやろう。

 シン・キーランド、貴様が邪魔だ。消えてもらう」


 放たれた言葉、決して脅しの類などではない。

 相手を否定したいと思っていたのはシンだけではない。ビルフレストもまた、この場で彼を殺そうと決めていた。

 

 ただの村人で、血筋を調べようとも遡る価値すら見当たらない男。

 魔力をほぼ持たず、神器に認められるほど信仰心が強い訳でもない。

 それでも、皆の支柱となっている危険極まりない男。路傍の石は、いつしか無視できないものとなっていた。


「奇遇だな。俺もアンタに消えてもらうつもりだった」

 

 悪意の矛先は、容赦なくシンへと向けられる。

 それでもシンは怯まない。決して引き下がらない。


 自分にはまだ、やらなくてはならない事が残っている。

 だから決して、死ぬ訳にはいかなかった。

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