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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第七章 空白の島

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395.匣の奥に眠る希望

 あり得ない。空気が読めないにも程がある。

 オリヴィアはわなわなと震えながら、眼前で聳え立つ巨体を見上げていた。

 正確に言えば、その肩に乗る不愉快な男。アルジェント・クリューソスを。


「空気の読めない人ですね。見て解りませんか? わたし、急いでるんですよ。

 雑魚の相手してる暇なんて、これっぽちもないんですから」

「言ってくれるねェ」


 思い浮かんだ言葉をそのまま口にする。アルジェントの眉が微かに動いた。

 その動作も鬱陶しい。『強欲』(マモン)の肩から自分を見下ろしている。いや、見下しているのだ。

 物理的に高い所に立っているから、自分も偉くなったと勘違いしているのだろうか。

 否、彼の表情からお読み取れるのは、決して油断ではない。勝利を確信しているが故の、余裕だった。


「お前、強がってるけどさァ。お姫サマの能力で立つのもしんどそうじゃねェか?

 こっちには『強欲』(マモン)もいるんだ。ミスリアの時のように行くと思ったら、大間違いだぜェ」

(お見通し……ですよね、そりゃあ)


 アルジェントの指摘は的を射ていた。

 依然として偽物(フローラ)が発する抑圧(サプレス)は、オリヴィアへ強い負荷を与えている。

 ミスリアで戦闘を行った時のように、いくつもの魔術を同時に扱う余裕は恐らくないだろう。

 

 そもそも、前回の戦闘で使用した魔術はどれも低級の魔術ばかり。

 この場で使用出来たとしても、抑圧(サプレス)の餌食になるのは目に見えている。


「あらあら。よっぽど前の戦いが堪えたようですね。

 圧倒的優位な状況で、邪神まで携えて。ヘタレがイキがっても、格好悪いだけですよ?」


 斯くなる上はと、オリヴィアは目一杯アルジェントを挑発する。

 多少でも冷静さを欠いてくれれば、まだ付け入る隙はあるはずだと考えての行動。

 問題は今の自分で、どこまで対処できるかの一点に尽きる。


 それでもオリヴィアはやらなくてはならない。これ以上、敵味方が入り乱れる状況は避けたい。

 なんせあの外道であるビルフレストについて行った男だ。最悪、フローラ諸共攻撃する可能性を懸念していた。


「お前こそ、不利だと解っていながら挑発するのは惨めじゃねェのか?

 勇ましいを通り越して、滑稽だぜェ?」


 鼻で嗤うアルジェントではあったが、額に青筋が浮かんでいる。

 とりあえずの目論見は成功した。ここから先は、自分が耐え忍ぶしかない。

 オリヴィアにとって辛く長い戦いが、始まりを告げる。


「行くぜ、生意気なお嬢ちゃんよ!」


 アルジェントが(カード)を取り出すと同時に、オリヴィアの頭上が影で覆われた。

 接収(アクワイア)による顕現ではない。『強欲』(マモン)が記憶していた氷塊を、模倣(レプリカ)で再現したものだった。


(やっぱり、敵さんの魔力は影響を受けてないみたいですね。都合が良すぎて、嫌になっちゃいますよ)


 自分を圧し潰そうとする影を前にして、オリヴィアの思考に焦りが入り込む余地はなかった。

 自分に出来る事と出来ない事だけでは足りない。相手の状況も把握しなくては、攻略の糸口すら掴めない。

 結果として、想定していた最悪の流れだと確信してしまったのだが。


(とにかく、まずは潰されないようにしないと――)


 アルジェントの取り出した(カード)も気になるが、まずはこの氷塊を避けなければ話にならない。

 抑圧(サプレス)によって重苦しくなった身体を懸命に動かし、オリヴィアは魔術を以て軌道を逸らそうと試みる。


 出来る限り単純(シンプル)かつ、抑圧(サプレス)の影響を受け辛い魔術。

 加えて、防御性能を求めるとなれば先ほど出した水の城壁(アクアウォール)が最適だとオリヴィアは判断する。

 魔力で増幅された水の壁を傾け、表面を滑らせる様にして回避させようとした瞬間。

 アルジェントの指から、(カード)が離れる。

 

「ま、テメェは逃げねェよな。格好つかねェもんな」


 (カード)から放たれたのは、周囲を埋め尽くす炎の矢。

 閉じ込められた稲妻の槍(ブリッツランス)が解放され、無数の稲光が空を照らした。


「ほんっとに! 面倒なことをしてくれますね!」


 稲妻は氷塊を突き破り、そのままオリヴィアへ向かって降り注ぐ。

 水の城壁(アクアウォール)で受け流す事は叶わない。それどころか、雷を纏って自分にさえ牙を剥く。


 襲い掛かるのは稲妻の槍(ブリッツランス)だけではない。

 砕けた氷の欠片もまた、容赦なくオリヴィアへと降り注がれる。

 頭に。肩に。腕に。大腿に。いくつもの氷が彼女へ襲い掛かるが、オリヴィアは歯を食いしばった。

 

 痛がる素振りを見せても、あの男を悦ばせるだけだ。絶対に弱音は吐かない。

 圧倒的不利な状況で行える、精一杯の強がりだった。


 ……*


「オリヴィア! っ!」


 突如現れた『傲慢』を前に、苦戦を強いられるオリヴィア。

 その様子を視界の隅に捕らえていたアメリアに焦りが生じるのは必然だった。

 

 『傲慢』(ルシファー)の攻撃を間一髪躱しながら、どうにか助太刀出来ないかを考える。

 だが、アメリアの身体も万全ではない。『傲慢』(ルシファー)の拳を受けた事で、塞がり切っていない傷が開き始めていた。

 

 加えて、水の牢獄(アクアジェイル)を放った時に受けた拡張(エクスパンション)

 魔力の暴発による影響を受け、右手の感覚も鈍くなっている。


「あらあら、アメリアは流石お姉さんと言ったところかしら?

 けど、自分の心配もしなさい。皆だって、貴女の心配をしているのだから」


 言葉とは裏腹に、偽物(フローラ)の手首に嵌められた魔術金属(ミスリル)の腕輪は彼女へ牙を剥く。

 動きが鈍る彼女の注意を一瞬引き付ける。たったそれだけで、『傲慢』(ルシファー)の白い拳はいとも容易く赤く染まっていく。


「――っ!!」


 声を殺したのではない。声が出なかった。

 痛みを堪えようとすると、同時に喉が締め付けられるようだった。

 肺が酸素を求めている。浅い呼吸を何度も繰り返しながら、アメリアは蒼龍王の神剣(アクアレイジア)を構えた。


「あら? あらあら? そんな所、殴られていないのに。

 アメリアったら、余程無茶をしていたのね」


 彼女の腹部から足にかけて、赤く染まっていく様子を見つけた偽物(フローラ)は笑みを浮かべる。

 あまりにも動き回るものだから、つい忘れそうになっていた。

 ビルフレストは確かに、世界を統べる魔剣(ヴェルトスレイヴ)で彼女の身を貫いたと言った。

 

 オリヴィアや妖精族(エルフ)の女王を以てしても、完治させるには時間が足りない程の深手。

 今まで、それを気取られないようにしていた方が異常なのだ。彼女は初めから、限界を超えている。

 

(アメリア! オリヴィア!)


 自らの身体の内側で、フローラは檻から抜け出すべく何度も透明な壁を叩き続ける。

 先刻はうまく行きそうだったのだ。自分が動揺さえしなければ、上手く行っていたかもしれないのに。


 自分の弱さを嘆きながら、フローラは抵抗を試みる。

 彼女はもう、識っている。自分を閉じ込めた『傲慢』が完璧ではない事を。

 身体の主導権を奪い返すべく、フローラは己と戦う。真に『傲慢』な存在は、どちらなのかを証明する為に。


(よくも、私の大切な人たちを! いい加減にしなさい!)

(アメリアもオリヴィアも、常に覚悟して戦っているじゃない。

 出来ていないのは、貴女だけよ)

(覚悟が出来ているのと、死んでいいかは別の話です!

 私はあの二人と、ずっと共に笑い合っていくのです! 邪魔をしないでください!)


 予想外の抵抗を見せるフローラに、偽物(フローラ)も片手間では相手をしきれなくなっていた。

 結果として『傲慢』(ルシファー)との連携攻撃が可能にも関わらず、偽物(フローラ)は攻めきれない。

 アメリアの命は、フローラの抵抗によって成り立っている。

 そしてオリヴィアの命も同様に、『傲慢』たる彼女は救おうと奮闘を始めていた。


邪神の分体(あなた)もそう! 私と適合して生まれたのなら、私の言うことを聞くべきだわ!

 生まれたばかりで何も知らないからって、いい様に扱われて! いい加減にしなさい!)

(なに、を――)


 フローラの憤慨は自らを閉じ込める『傲慢』だけではなく、『傲慢』(ルシファー)へも向いていた。

 右も左も知らない赤子をこれ幸いと利用する世界再生の民(リヴェルト)もそうだが、疑いすらしない『傲慢』(ルシファー)自身にも怒りが湧いてくる。

 適合者が自分であるのなら、せめて話ぐらいは聞くべきだとフローラは匣の中で高らかに声を上げる。


 徐々に肥大化していく、フローラ自身の『傲慢』さ。

 それは密閉されていたはずの匣。その蓋をこじ開けるまでに至る。


 溢れ出た想い。匣の底で藻掻くフローラ。彼女の行動は無駄ではない。

 『傲慢』(ルシファー)が、拳を振り上げたまま動きを止める。



 

「……?」


 目を霞ませながら、アメリアは眼前の状況を訝しむ。

 フローラは勿論、『傲慢』(ルシファー)の挙動すらおかしい。

 

 けれど、それは反撃の狼煙でもあった。

 匣から溢れたフローラの想いが、『傲慢』(ルシファー)へと伝わっていく。


『傲慢』(ルシファー)! 何をしているの!? 早くアメリアを――」

(救けなさい! アメリアと、オリヴィアを!)


 いくら偽物(フローラ)が矢面に立とうとも。『傲慢』としての能力を有していようとも。

 彼女は所詮、邪神の『核』が元となって生まれた疑似人格に過ぎない。

 癒着して溶け込んだ心臓。大元となる存在はあくまで本物のフローラ・メルクーリオ・ミスリア。

 

 力の使い方を知らない彼女を、『傲慢』が思いのままにするべく閉じ込めただけ。

 力関係が崩れ、匣の隙間から漏れた純粋な『傲慢』さは、大切な人を護りたいというある種の祈り。

 そして、上に立つ以上はそうするべきだというフローラの『矜持』。

 昨日今日生まれた疑似人格よりも、優先されるべき存在。




 辛酸を嘗めさせられた魔術師へ、復讐を果たす絶好の機会。

 炸裂の魔剣エクスプロード・ブリンガーを手に持つアルジェントは、オリヴィアの四肢をもぎ取る勢いで振り被っていた。

 

 必死に抵抗を試みるオリヴィアだったが、抑圧(サプレス)の影響で身体が思うように動かせない。

 加えて、こちらの魔術はアルジェントによって徴収される。『強欲』(マモン)の巨体と模倣(レプリカ)によって動きが制限される。

 危険だと解っていてもあの魔剣を避けるのは不可能という、絶体絶命の状況。


 その瞬間だった。

 自らの主君が生み出した希望が芽吹いたのは。


「――っとォ!? お姫サマ、こりゃこういうことだよォ!?」

 

 魔力が一斉に暴発し、爆ぜる。オリヴィアが苦し紛れに放った水の城壁(アクアウォール)ではない。

 『強欲』(マモン)模倣(レプリカ)で生み出した氷塊や颶風砕衝(ハリケーン・バースト)

 更に、アルジェントの持つ炸裂の魔剣エクスプロード・ブリンガーが一斉にその場で爆発を始めた。


「えっ?」


 眼の前で起きる不可解な現象に、オリヴィアも困惑の表情を浮かべる。

 この現象は、先刻アメリアの水の牢獄(アクアジェイル)で見た。魔力が膨張し、形を耐え切れず暴発をした姿だ。


 問題は、どうして自分ではなくて邪神の身に起きたのか。

 答えを求めて、オリヴィアはフローラと『傲慢』(ルシファー)の姿を視界に捉える。


『傲慢』(ルシファー)! 私です、私の言うことだけを、聞きなさい!

 良い子なのだから、出来るでしょう?」

 

 そこには、相反する命令にどうすればいいか判らず、自らの頭を掻き毟る『傲慢』(ルシファー)の姿があった。

 フローラ自身も胸を抑え込みながら、懸命に『傲慢』(ルシファー)へ語り掛けている。明らかに正常とは言い難い状態だった。


「まさか、フローラさま……?」


 直感的にオリヴィアは、彼女の名を呟いていた。

 先刻もそうだ、僅かに動きが鈍っていた。自分達への敵意を向けている張本人が、それを拒絶するような矛盾した行動。

 全く同じ現象が今も起きている。フローラ自身の意識が覚醒している以外に、説明できそうになかった。


 気付けば、抑圧(サプレス)による息苦しさも消えている。

 確証は得られない。けれど、オリヴィアは自分の想像が間違っていないと断定をした。

 無論、一時的なものである可能性は考慮している。

 

 ならば、今するべき行動は何か。

 フローラの魂が、意識が在る事を喜ぶだけではない。

 表へ引き摺りだす為に、空気の読めない邪魔者を叩き潰す。


「万物の生命よ。根源たる水よ。今一度、その理を棄て給え――」


 オリヴィアは詠唱を始める。

 この好機を、詠唱破棄に頼る訳にはいかないと咄嗟に判断した。

 

 魔力の暴発が魔剣や魔術だけに留まらない。

 自分の想像した通りというべきか。アルジェントは激痛に苦しみ、『強欲』(マモン)はその身体に亀裂が入る。

 やはり拡張(エクスパンション)は魔力そのものに干渉していたと思うと、背筋が凍る想いだった。


「――彼の者の魂を浄め給え。清浄なる大波(イノセントウェイヴ)


 オリヴィアの魔術と空気中の水分が融け合い、膨れ上がる。

 創り出されたのは全てを流し、無に帰す波。水の上級魔術だった。


 巨大な波は、爆発に悶えるアルジェントと『強欲』(マモン)を呑み込む。

 その瞬間、オリヴィアは声を張り上げた。交戦しているはずのフローラへ、救けを求める。

 

「フローラさま! わたしの声が聴こえているならっ!」

(オリヴィア……!)


 オリヴィアの声は、当然ながらフローラにも届いている。

 嬉しかった。誇らしかった。いつも自分を護ってくれている彼女が、頼ってくれた事が。


 彼女を護りたい。期待に応えたい。

 強い願いは匣から漏れ、無垢なる存在である『傲慢』(ルシファー)へ伝わっていく。


 刹那、悶え苦しむ『傲慢』(ルシファー)から拡張(エクスパンション)が放たれる。

 それはオリヴィアの繰り出した清浄なる大波(イノセントウェイヴ)を膨張させ、アルジェントと『強欲』(マモン)を巻き込む巨大な爆発へと変わった。

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