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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第七章 空白の島
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393.どうしたいか

 赤く染まった身体は熱を帯びている。

 世界再生の民(リヴェルト)によって人工鬼族(オーガ)へと改造されたスリットは、ギョロギョロと眼球を周囲へ動かす。


 探しているのは双子の妹、トリス。

 彼女の姿はよく目立つ。雪のように白いローブが、紅の髪を鮮やかに見せるのだから。

 目当てのものを見つけたと、スリットは笑みを浮かべる。

 開いた口から糸が引いている。それは決して、妹を見つけて安堵している者の姿では無かった。


「スリット……ッ」


 口では彼を諦めていないと言いつつも、悪化していく彼の様相に抱いた動揺が膨らんでいく。

 トリスは感情の置き所が分からなくなっていた。

 どうしてスリットがこんな目に遭ってしまったのか。

 

 自分が生き延びたせいなのか。世界再生の民(リヴェルト)に牙を剥いたせいなのか。

 そうでなくとも、邪神に適合をしなかった彼は最終的にこの姿へ行きついていたのか。


 過酷な状況に置かれてしまった兄を前に、考えなくてもいいことばかりが脳裏を過る。

 戻せるのか。救えるのか。無理なのか。殺さなくてはならないのか。

 

 頭の中がグチャグチャになりながらも、賢人王の神杖(トライバル)だけは決して手を離さなかった。

 これを手放してしまえば、全ての可能性が潰える。それだけは、間違いないと確信をしていたから。

 

 蒸気を発する程に熱を帯びた腕を掲げ、スリットは自らへ与えられた命令に従う。

 どうして妹を手に掛けなければならないのか。そんな当たり前の疑問を考えるだけの知能は、もう残されていない。


「スリット! 止めるんだ!」


 スリットの行く手を阻むのは、かつて彼の主君であったアルマ。

 赤く染まった腕を、魔術金属(ミスリル)製の剣が受け止める。


「ジャ……マ……ス、ル……ナ……!」


 周囲の水分が蒸発をする。魔術金属(ミスリル)の剣にも熱は伝わっている。

 肥大化した腕。スリットの膂力に抑えつけられながらも、アルマは声を張り上げた。

 

「するに決まっているだろう! 君が手に掛けようとしているのは、妹なんだぞ!?

 あれだけ落ち込んでいたというのに、そんなことすらも解らないのか!」

 

 アルマは知っている。(スリット)が心から(トリス)を心配していた事を。

 だからこそ、自分の意思でその身を動かしていないと解る。


「ジャマ、ダ……ッ!」


 横薙ぎに払われるのは、スリットの左腕。

 大きく広げた掌が、アルマの身体を無慈悲に弾き飛ばす。


「ぐっ……」

「アルマ様っ!」


 痛みは太い腕から繰り広げられる強い衝撃だけではなかった。

 地面を転がるアルマから、蒸気が立ち昇る。

 まるで焼き鏝を身体に押し付けられたかの如く、掌の触れた部分が焼け爛れている。

 

 スリットはどれだけの高熱を纏っているのか。

 彼の身体は保つのか。考えただけでも背筋が凍りそうになる。


「……やるしか、ないのか」


 目を泳がせながらも、トリスは魔術のイメージを練り始めた。

 半端な魔術では、恐らく身体に纏った熱で無効化されてしまう。

 繰り出すとすれば、自らの得意とする炎の魔術。熱を帯びた身体の崩壊を、手助けしてやるしかない。


「スリット。許してくれ」


 賢人王の神杖(トライバル)の先端に、魔力が収束していく。

 渾身の紅炎の新星(プロミネンスノヴァ)を以て、彼の身体を破壊する。

 またひとつ、罪を重ねてしまう。


 魔術を練り上げる間。自然とトリスの頬を涙が伝う。

 思い出されるのは、幼い頃に兄妹として過ごした記憶。


 双子だったからか、互いに張り合う傾向があった。

 魔術は自分の方が得意だった。けれど、運動神経はスリットの方が良い。

 

 魔力による身体操作で、本家の跡取りであるイルシオンとも競い合っていた。

 初めはスリットの方が上手かったのだが、イルシオンには天賦の才があった。

 すぐさま追い抜かれてしまった。手の届かないところへ行ってしまった事に、彼は多少なりとも嫉妬をしていた。


 彼の気持ちはよく理解できた。自分も魔術学校では主席として名を馳せていた。

 ただ、後輩として入った魔術師。オリヴィア・フォスターとクレシア・エトワールの存在が、自分の存在を霞ませた。

 いつしか、自分の評価は世代に恵まれて主席になったというものへと移り変わっていた。

 

 なにくそと思う反骨芯が無かった訳ではない。

 けれど、あの二人は圧倒的な才に恵まれていた。トリス自身が、認めざるを得なかった。

 本家と分家。その格の違いを見せつけられたような気がした。


 嫉妬心と僅かな希望を見せられて、二人は世界再生の民(リヴェルト)に参加をした。

 全ては評価をひっくり返す為。認められる為。自分達が本家へと、成り代わる為。


 その代償を払う時が来てしまった。

 他の誰でもない。自分が成さねばならない事。


 立場が逆ならば良かったのに。

 微かにトリスが抱いた想いは、兄を死なせたくないという本心。


「すまない、スリット」


 迫りくるスリットに向かって紅炎の新星(プロミネンスノヴァ)を放とうとした瞬間。

 賢人王の神杖(トライバル)の正面。射線上にアルマの背中が現れる。


「アルマ様っ!? どいてください!」


 折角、決断をしたというのに気持ちが鈍ってしまう。

 悲痛な叫びを上げるトリスへ、アルマは身を張って止めようとする。


「駄目だ、トリス。それだけは、しないでくれ」


 表情こそ見えないが、アルマの声も若干震えていた。

 それは彼が己の行動を悔いているが故のもの。


「君はスリットを諦めないと言った。なら、紅炎の新星(それ)を放つべきではない」

「ですが! スリットはもう……!」


 正気を失った兄に、もう声は届かない。

 空白の島(ヴォイド)へ向かった目的は、フローラの奪還。それさえも、今は上手くいくか解らない。

 ならば一刻も早く、スリットを倒さなくてはならない。そう言い聞かせないと、トリスの精神が保たない。

 兄の命を奪う事も、これ以上壊れていく様を見る事もしたくないのだから。


「スリットがどうかじゃない!」


 トリスが抱き続けた迷いを一蹴するかのように、アルマは叫んだ。

 分かっている。彼女がどれだけ苦悩しているかなんて、考えるまでもない。

 そうさせたのは自分だ。自分がずっと考える事も、悩む事も放棄していたから。

 非道な行いさえも、必要だと自分を納得させていたからこうなった。

 その代償を払うのがトリスであるのは、間違っている。


 何より、アルマはトリスに返しきれない程の恩がある。

 こんな何も持たない。血筋だけの男についてきてくれた。

 自分の大切な女性(ひと)を救ってくれた。

 恩人の人生にこれ以上、影を落としたくはない。落とさせていいはずがない。

 

「どうするべきかじゃない君自身は、どうしたいんだ!?

 それが何より大切だと、僕は知っているぞ!」


 焼け爛れた皮膚が痛み、アルマは顔を歪める。何度もスリットの攻撃を受けられる状況ではない。

 それでもアルマは、スリットの攻撃を身を呈して食い止める。トリスの答えを、本心を聞く為に。


「わた、し……は……」


 冷静でいようとしたトリスの瞳に光が戻る。

 アルマの言葉は、ミスリアでシンが放ったものと同一だった。


 瀕死のアメリアとサーニャが天秤に掛けられた時、シンはオリヴィアへと迫った。

 どうするべきかではなく、どうしたいか。

 冷酷な宣告でもなく、奇跡を起こす魔法の言葉でもない。

 シンはただ、自分の出来る事をやろうとした。望み通りにいかない可能性すらも、受け入れて。


 賢人王の神杖(トライバル)を介して、自分が治癒魔術の拡張を試みたのは彼の言葉があったからだ。

 彼は歩み続ける事で、可能性を繋いで見せた。


 願ってもいいのだろうか。口に出してもいいのだろうか。

 先行きの見えない不透明な道。悪意に満ちた闇を掻き分けても、いいのだろうか。


「迷っている必要なんてないだろう! 願いを言えと、言っている!」


 重ねられるアルマの叫びが、最後の一押しとなる。

 トリスは喉まで出かけていた本心を、思うがまま声に乗せる。


「私は、スリットを救いたい!」


 結局、帰結したのは最初に抱いた想いと同じもの。

 諦められるはずがない。たった一人の、兄なのだから。

 

「僕もだ!」


 トリスから放たれた強い本心が、アルマの耳に響き渡る。

 嬉しかった。嘘や建前ばかり並べられていた自分に、本音をぶつけてもらえるのは。


「聞いての通りだ、スリット。僕たちは必ず君を救いだす。

 多少荒っぽくなるかもしれないが、後で謝るから許してくれ」


 腫れ上がったスリットの顔に皺が寄るのを、アルマは見逃さなかった。

 きっと、今は意味が解らないのだろう。ならば、理解できるようになってからもう一度聞かせてやろう。

 妹がどれだけ兄を、大切に思っていたかを。


 アルマは己の魔力を魔術金属(ミスリル)へ伝える。

 熱を拒絶するかの如く水の魔力を纏った刀身が、スリットの攻撃を受け流す。


 身体のバランスを崩し、肥大化したスリットの身体が倒れ込む。

 その際に抵抗を試みた彼の爪は、アルマの顔を掻く。

 決して血は流れない。三本の火傷の線が、頬へと刻まれた。


「僕は知っているぞ。君はそんなに鈍い、雑な戦い方をしないだろう。

 思い出せ。君自身を、トリスを。帰ってくるんだ、スリット」


 自分の身が焼ける様にも構わず、アルマは地に伏すスリットへ刃の切っ先を向ける。

 敵意も殺意もない。彼の胸の内に在るのは、揺るがぬ決意。

 

 ……*


「どうするべきかじゃない君自身は、どうしたいんだ!?

 それが何より大切だと、僕は知っているぞ!」


 アルマの叫びは、僅かに距離を置くアメリアとオリヴィアの耳にも入っていた。

 当然、同じ場所へ位置する王女と邪神の分体にも。


「アルマったら。ミスリアへ戻っても変わらないわね。

 まだ、自分の思い通りになると考えているなんて」

(どうしたいか……)


 弟が発した言葉の意味を、二人のフローラは真逆に捉えていた。

 偽物(フローラ)はその『傲慢』さ故に、アルマを自分と同種のものと考える。

 結局、人間の本質はそう変わらない。

 おめおめとミスリアへ帰ろうとも、彼は何でも思い通りになると思い込んだままなのだと。


 反対に、心の内に閉じ込められているフローラは違う印象を抱いた。

 アルマは変わった。彼は生まれながらに王位継承権第一位として、したいがままに物事は進んでいった。

 願う必要すらない立場なのだ。口を動かせば、きっと誰かがそれを叶えようとする。


 そのアルマが、自ら口に出した。大切だと。

 彼は見つけたのだ。なんでも思い通りになっていた世界で孕んできた歪み。

 それがどれだけ恵まれていて、どれだけ虚しいものなのかを。

 

 願う事の大切さを、彼は知った。

 だからこそ、言葉に重みが生まれた。

 そして、それは何もアルマに限った話ではない。


(私がどうしたいかなんて、決まっています……!)


 フローラは透明な壁に、自らの手を押し当てる。

 相変わらず、びくともしない。けれど、もう無闇に叩いたりはしない。


(アメリアやオリヴィア。ううん、皆様とお茶会をしなくてはならないのです。

 オリヴィアったら、最近はよく身だしなみを気にしていますもの。アメリアの時みたいに。

 きっと恋をしているのだわ。訊きだして、きちんと幸せにしてあげなきゃ)


 今まで温度など感じなかったのに、身体が熱を帯びている気がする。

 気持ちが高ぶっているのだと、フローラは口元を緩めた。


(イリシャさんにまだまだ料理も教わりたいですわね。イレーネ姉様と一緒にというのも悪くありません。

 この間、お母様に教えてもらいましたもの、イレーネ姉様が、私と共に過ごしたがっていたと。

 私だって、イレーネ姉様をもっと知りたいですわ。勿論、アルマだって。きっとお父様も、それを望んでいるはずだわ)


 願っている事。やりたい事を挙げればキリがない。

 妖精族(エルフ)の里だってそうだ。あれだけ色んな種族が共存出来ているのだ。

 ミスリアにだって、きっとそんな未来が在ってもいい。

 

 フローラの昂りは止まらない。

 思い描いた、近い未来。欲望から来る熱は必ず現実のものとなる。

 だって、皆もそう願っているはずだから。


(っ! なに、を……!)

(何をではありません。私たちにはやらなくてはならないことが山ほど残っているのです。

 いい加減、身体を返してください)

 

 彼女が抱いた『傲慢』は、悪意に染まった『傲慢』と対峙する。

 フローラ・メルクーリオ・ミスリアの中ある精神と肉体の力関係が、僅かに崩れようとしていた。

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