389.魔女の暴走
『傲慢』と相対するアメリアとオリヴィア。
その戦いは、オリヴィアが動きを拘束しようと試みた所から始まった。
人格が違っていても、身体は間違いなくフローラのもの。
手荒な真似はしたくないという思いから、手心が無かったとは言い切れない。
だからこそ、オリヴィアは動きを拘束する水の牢獄を放った。
水の牢獄は間違いなく、偽物を拘束するべく狙いを定めた。
しかし、結果は彼女を拘束するには至らない。生成された魔力の輪は、その場で頭を垂れるかの如く地面へと吸い込まれていった。
「……えっ?」
躊躇が無かったといえば嘘になる。けれど、決して狙いを外すような真似をしてはいない。
理解できない事態を前に、オリヴィアが声を漏らす。
「オリヴィア!?」
アメリアもまた、オリヴィアの放った水の牢獄の挙動が不自然だと気付いている。
偽物が行動を起こした様子はなく、妙な胸騒ぎだけが残る現状。
ならばと、アメリアは自分自身でも水の牢獄を放つ。
同様の事象が起きるのであれば、それはもう偶然ではない。相手の出方を窺う為には、必要な行動だった。
「意味のないことでしてよ」
結果は同じ。水の輪が地面へと沈み、土の色を変えていく。
この時点で、偽物が既に何かを仕掛けている事は明白だった。
恐らくは、『傲慢』と適合した事によって齎された能力を。
(魔力を消された? いえ、消されてはいない。
地面に吸い込まれていった? 重力を操っている?)
アメリアが偽物との距離を詰めている間。
オリヴィアは今の現象についてあらゆる可能性を探る。
邪神が齎す能力はどれも凶悪で、決して無視が出来ない。
致命的な状況となる前に、その答えを見つけたかった。
だが、それはあくまでアメリアとオリヴィアの事情。
偽物にとっては関係がない。ましてや、彼女は『傲慢』の能力を勿体ぶる気など毛頭ない。
(見ていなさい。私が、大切な人を傷付ける様を)
(おやめなさい!)
内に閉じ込められたフローラの声に返事をする気はさらさらない。
一方的にこれから行う事を告げた偽物が、近付いてくるアメリアに向かって手を伸ばした時だった。
「アメリアさん! オリヴィアちゃん!」
灼神と霰神を手に、フェリーが援護するべく合流を果たす。
その更に奥ではシンが魔導砲の充填を済ませていた。
「援護をする」
銃口から放たれるのは緑色の暴風。
魔力によって生まれた吹き荒れる風が、砂煙を舞わせる。
シンもまた、水の牢獄の不可解な軌道を視界の端に捕らえていた。
カラクリがあるのであれば一度吹き飛ばしてみるべきだという意図の元、選択された弾丸でもある。
「あらあら、皆さまお揃いで。賑やかなのは結構ですが、頭が高いですわよ」
敵に増援が現れたにも関わらず、偽物に焦りの色は一切見当たらない。
彼女に発言した能力は一対多でこそ真価を発揮する。それを理解しているからこその余裕だった。
「どういうことだ……?」
水の牢獄同様に緑色の暴風は軌道を変え、地面へと突き刺さる。
抉り取られた土が、泥の弾となって四方へと飛び散った。
(また? やっぱり、重力を操っている? ――っ!!?)
二度ならず三度。それも違う魔力の塊でも、再現性は見られた。
訝しむオリヴィアだったが、頭をクリアにする余裕はない。
緑色の暴風が地面へと突き刺さった直後。
頭を地面へと擦りつけそうな重みが、自分にも襲い掛かってきたからだ。
「オリヴィア?」
身体が地面へ縫い付けられようとするオリヴィアとは裏腹に、偽物からほぼ同じ距離に立っているシンの身体には影響がない。
明確に差があるはずだと、頭を垂らしながらもオリヴィアは頭を回し続ける。
(重力でもない。もっとこう、本能に訴える感じだ。
視線? 違う、フローラさまは私の方を向いていなかった。
全方位を見るべきだ。じゃあ、どうしてシンさんは……)
必死に状況を把握するべく、オリヴィアは重い頭を懸命に持ち上げる。
首が折れそうな激痛にも、歯を食いしばって耐える。
顔を引き攣らせながら動いた眼球は、シンの手に持つ魔導砲を視界に捉えた。
(もしかして、魔力そのものを重くしている……?)
あの魔導砲は、疑似魔術を放った。故に、魔力は空っぽの状態。
オリヴィアはひとつの仮説を立てた。
『傲慢』の能力は、魔力に干渉している。
大気中だけではなく、体内に宿る魔力の動きを強制的に鈍くしているのではないか。
故に強い魔力を持つ自分は身体を動かす事もままならず、反対に魔力を殆ど持たないシンは平然としている。
オリヴィアの仮説は、ほぼ完璧に『傲慢』が持つ能力の輪郭を捉えていた。
『傲慢』の適合者であるフローラに宿った能力は、抑圧。
魔術大国ミスリアが王女である事を証明するかの如く、魔力そのものを統べている。
魔力自体の動きを抑制し、跪かせる。それは、彼女へ対する敵意を根絶するにも等しかった。
ただ、この場に於いては例外だった。
魔力を殆ど持たないシンの他にもうひとり、抑圧の影響下に居ない者が居る。
「フローラ様! もうおやめください!」
「アメリア……!」
邪神から世界を救済する神剣を賜った、蒼龍王の神剣の継承者。アメリア・フォスター。
大海と救済の神の加護は、邪神の能力から彼女を護る。
「蒼龍王の神剣のおかげかしら? まったく、推薦したのは私の間違いでしたね!」
偽物が咄嗟に左手を前へと突き出す。
手首に巻きつけられた腕輪が彼女の魔力に反応し、アメリアの神剣を弾く鞭へと化していく。
「そんなことっ! 偽物の貴女に言われる筋合いはありませんよ!」
(そうですわ! 推薦したのは私よ!)
アメリアの剣戟と内から声を張り上げるフローラ。その両方が偽物にとっては鬱陶しかった。
二人だけではない。頭を垂れているオリヴィアもそうだ。誰も彼も、自分をフローラ・メルクーリオ・ミスリアとは認めない。
「偽物ではないわ! 私はフローラ、フローラ・メルクーリオ・ミスリアよ!
彼女が必死に隠していた部分が私なのだから、私だってフローラだわ!」
偽物は理解している、いくらアメリアが偽物だと口にしようと動揺が確かに存在している。
彼女の剣閃にいつものキレがない。普段通り動けるのであれば、どうにこの手首から下は斬り落とされているだろう。
ならばいくらでも打つ手はあると、偽物は己の持つ悪意と魔力を腕輪へと注ぎ込む。
手首から伸びる鞭が三又へと枝分かれしていく。一本はアメリアの剣を受け止め、もう一本はシンの弾丸を弾く。
残る一本が、まだ躊躇の色を見せるアメリアの白い肌を傷付けようという狙い。
まだアメリアに迷いが残っていて、シン・キーランドがすぐに援護できない状況。
傷が癒え切っていない今なら、致命傷へ持っていく事も不可能ではない。
偽物はこの状況を好機と見ていた。
故に見落としていた。
抑圧は魔力の動きを鈍らせる能力。
膨大な魔力を持ち、オリヴィア同様に動きが封じられている少女。
フェリー・ハートニアの内なる存在。魔力の源泉の怒りに、触れたという事実から。
――私に触れ……るな……。
フェリーの内に存在する魔女は、極めて不快感を露わにした。
端的に言えば、気持ちが悪い。魔力の抑圧を通して、自分の身体が抑えつけられている気がした。
ざらつく感覚から解放される手段は容易だった。その原因を、取り除けばいいだけなのだから。
魔女から迸る魔力と怒りを、フェリーもまた感じ取っていた。
自分が気付くよりも早く、燃やし尽くしていた今までとは違う。
間違いなく、抑圧の影響は受けていた。それでも尚、自らの魔力を解き放とうとしている。
「まっ……て……」
自らの胸元を強く握りしめ、フェリーは浅く息を吐く。
苦しいのは抑圧だけが原因ではない。魔女によって喉元が焼けそうな程に、熱を帯びている。
気を抜けば、一瞬で自分の身体さえも焼き尽くしかねない程に。
今までとは違う。魔女は、フェリーの意識を保った中で暴走をしようとしている。
心の内に侵入をしようとした今までとは違い、抑圧によりただ魔力だけを抑えつけられているからだった。
魔女はただ、自分の許可なく干渉をする者へ怒りの鉄槌を下ろそうとしている。この不快感から、解放される為に。
故にフェリーにも抵抗の余地が生まれる。
奇しくも、これがフェリーにとってはっきりと内なる存在を知覚する切っ掛けとなったのは別の話である。
「ダメ……だってば!」
だが、彼女の身に宿る魔力は本来、大半が魔女の有する者である。
優位性を持っているのは魔女であり、フェリーの抵抗は固く握った指を解くかの如く外されていく。
「ダメっ! フローラさんっ!」
抑えきれない。フェリーがそう認識をした次の瞬間。
鞭を操るべく突き出していた偽物の左腕が、炎に包まれる。
相手が邪神の適合者であろうと、魔女には関係がない。
自らの身に干渉しようとした報いを浴びせるべく、ただ燃やし尽くすのみ。
「なっ、どういうことですかっ!?」
不可解な現象を前にして、偽物が狼狽える。
自らの手に纏わりついた炎を叩き落すべく、抑圧の力を自らへと集中させた。
それはただ、魔女の怒りを買う結果になるとも知らずに。
「フローラさま! いけませんっ!」
導火線の上を走るかの如く、魔女の放った炎は偽物の細い腕を走っていく。
アメリアが咄嗟に水の魔術を用いて消火を試みるが、集中した抑圧が仇となり、地面へと吸い込まれていく。
「ダメ、ダメって言ってるでしょ! やめて、やめてよ!」
フェリーがいくら呼びかけようとも、魔女の怒りが収まる気配を見せない。
脳裏に浮かぶのは、全てが灰塵に帰したカランコエの光景。
喉が絞られ、動悸が速くなる。瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
「――ッ!」
敵味方問わず混乱をする中。フェリーと偽物の前に、巨大な土塊の壁が聳え立つ。
シンが魔導砲から灰色の土壁を放った合図だった。
「シ――」
こんな事をするのは一人しかいないと、フェリーがシンの名を呟こうとした瞬間。
フェリーの両足が、宙に浮く。シンに抱きかかえられたと気付いたのは、彼の叫ぶ声を耳にしてからだった。
「オリヴィア!」
「分かってますとも――」
シンの言葉を合図に、オリヴィアは魔術を天へ向かって放つ。
水の壁によって敵の攻撃を防ぐ魔術、水の城壁。
それは抑圧によって地面へ吸い込まれる過程でアメリアと偽物の身体を濡らしていく。
まるで、天の恵みとなった雨のように。
「シ、シン!?」
「口を閉じてろ、舌を噛むぞ」
「えっ、えっ?」
シンはフェリーを抱きかかえたまま、戦場を離脱する。
一歩でも遠く。魔女の怒りが触れない位置まで。フェリーをフローラから遠ざけるべく、シンは懸命に走り続けた。