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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第七章 空白の島
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387.上っ面

 その場にいた誰もが言葉を失った。

 敵陣に乗り込んだ以上、激しい戦闘が行われる事は覚悟していた。


 けれど、眼前の光景はあまりにも無情なものだった。

 強制的に肥大化させられた肉体は、赤く染まっている。それでも尚、面影は残っている。


「スリット、お前……」

 

 トリスは確信をしている。眼前の化物は自分の双子の兄。スリット・ステラリードで間違いないと。

 彼は今、何を考えているのか。膨れ上がった顔から、表情を読み取るのは至難の業だった。


「トリス・ステラリード。アンタの兄か?」


 皆がその異形の姿に動揺を抑えきれない中、シンだけがスリットを敵だと認識していた。

 正確に言えばシン自身の意思とは関係なく、彼はそうせざるを得なかった。

 奪還目的のフローラとさえ戦闘の可能性がある中、ここで無闇に時間を奪われる訳にはいかない。

 

「あ、ああ! そうだ。私の、双子の兄なんだ!

 共に世界再生の民(リヴェルト)に居たが、きっと私が生きていると知らなかった。

 戦わなくて済むかもしれないんだ! 頼む、話をさせてくれ……!」


 銃を下ろせとまでは言わない。トリスも、無防備でいるという愚策を選ぶ事は出来ない。

 彼女の懇願は少しでいいから話をさせて欲しいというもの。

 本音を言えば、言葉が交わせる状態なのだろうかと確かめたかった。



 

「アルマ様。スリットさんがあのような姿となった原因に、心当たりがありますか?」


 トリスが対話を試みようとする中。アメリアは小声でアルマへと尋ねる。

 どこからがビルフレストの単独行動で、どこまでがアルマの知っている情報なのか。

 その点をはっきりとさせておきたかった。


「……あの姿は、恐らく鬼族(オーガ)を模したものだ。

 アルジェントが連れて来た鬼族(オーガ)。オルゴを元に、マーカスが人造の鬼族(オーガ)を生み出した」

「人造鬼族(オーガ)ですか……」

「悪趣味なことをしますね。人間を鬼族(オーガ)に変えてしまうなんて」


 歯切れの悪い回答に、アメリアは眉に縦皺を刻む。

 隣のオリヴィアは、心底不愉快だという反応を示していた。


「だが、あくまで人造鬼族(オーガ)は異常発達した魔物と同じように魔物を素体にしている。

 人体で実験したという話を、僕は知らない」

「なら、人間に使った結果がスリット(ああ)なんだろうな」

「……っ」


 薄々と感じながらも、口に出さないように避けていた言葉をシンが指摘する。

 言葉を失ったアルマは、奥歯を噛みしめながら項垂れた。

 

 確かに世界再生の民(リヴェルト)にとって、トリスの生存は想定外だっただろう。

 故に双子の兄であるスリットにも、何らかの行動を起こされる可能性は考慮するべきだった。

 けれど、まさかビルフレスト達がここまでするとは思っても居なかった。

 黄道十二近衛兵(ゾディアック・ガード)でもあり、優秀な魔術師であるスリットを魔物へ変貌させてしまうとは。

 

(いや、違う。初めから、世界再生の民(リヴェルト)はそうだった。

 その矛先が、同胞にも向いたんだ……)


 自分達の所業を思い返し、アルマは沈鬱な面持ちで頭を抱えた。

 今更だった。世界再生の民(リヴェルト)は、自分達は昔からそうだった。

 魔物へと変貌させる秘薬を生み出しては、手駒を増やしていたではないか。


 初めはいざという時に魔物化させ、予備戦力として扱う予定だと聞かされた。

 ウェルカはエステレラ家の管轄であり、マーカス達コスタ家の領地だった。

 邪神を顕現させる計画に邪魔が入るぐらいならと、首を縦に振ったのは自分だ。


「これも、汚いものを一掃するためなのです」


 邪神の顕現と同じ。毒を以て毒を制す。アルマが英雄となる為の、下積み。

 ビルフレストの言葉は、当時のアルマにとっては真実だった。

 彼が言うならば、多少の犠牲はやむを得ない。妄信的に、自分は彼の提案を受け入れていた。

 

 今更になって、深い後悔がアルマへと襲い掛かる。

 自分がどれだけ、悪意に染まった行動を起こしていたのかを。

 自らが持つ業の深さにアルマが身を震わせていたのと同じ頃。シンは、オリヴィアへ小声で尋ねていた。


「オリヴィア。マレットと魔物へ変貌する話をしたことはあるのか?」

「ああ、あの本の話ですか? 検証しようがないので確信はないですけど、テランを含めて話したことはありますよ」


 段階を踏んで確かめようとしたシンだったが、オリヴィアは彼の言葉で全てを察する。

 シンが訊きたいのは、レイバーンから預かった本の話に違いないと踏んだ。


「あの本。確かに研究した魔族は、人間に変わりたいって思ってたんでしょうね。

 身体の構造を造り替えようとしているのは間違いないです。失敗しちゃってますけど。

 きっと、魔族より人間の方が魔力の器が小さい傾向ですし。極限まで絞って、餓死しちゃうような感じだと思いますよ」


 だからこそ、逆に魔物化は成功しているのではないかとオリヴィアは付け加える。

 人間は肉体の維持に魔力は必ずしも必要ない。構造上、減らしている魔族と違って足しているのだと。

 尤も、レイバーンの持っていた本と手段は違うだろうとテランが言っていたらしいが。


「戻す手段までは――」

「わたしもベルさんも実物を見たことないですもん。

 どうしようもないですよ」


 屍人(ゾンビ)を操るテランも、魔物化させる薬を必要としたことはない。

 故に仔細は解らないと、彼もお手上げの様子だった。


「そうか……」


 マレットなら或いはという淡い期待は、打ち砕かれてしまう。

 元々、予想はしていた。彼女が自分に言わないのであれば、恐らく解決は出来ていないのだろうと。


(けれど、それなら……)

 

 眉を顰める一方で、シンは他の対策方法を本能的に追い求めていた。

 魔族が人間へ変わる際、肉体の維持に必要な魔力が満たせないから灰となって消えてしまう。

 人間へ変貌しようとしても、もうその器に必要な魔力が蓄えられないのだろう。


 一方で魔物化はその器自体も大きなものへと変貌している。

 何より、人間の肉体構造は魔力が必須ではない。強すぎる魔力で身を滅ぼす事はあっても、枯渇はしない。


 シンは徐に、一発の魔導弾(マナ・バレット)へと手が伸びる。

 空白の島(ヴォイド)へ向かう前に、マレットから渡された弾丸。

 これならばあるいはと、期待を抱いてしまう。


 だが、この弾丸は二度と生み出す事が出来ない。

 正真正銘、シンにとっての切り札と成り得る弾丸だった。

 ビルフレストやフローラならいざ知らず、この状況で使用するのは躊躇をする。

 何より、仲間に迷惑を掛ける可能性すらあるのだから。


「現状、ああなったスリットさんを確実に救う手立てがありません。

 そもそも、鬼族(オーガ)を混ぜ込まれたのは見たことないわけですし。

 ここはマーカスをとっちめるか、トリスさんの呼び掛けに期待するしかないですよ」

「……ああ、そうだな」


 今は確実に対処できる手段を持ち得ない。

 そのもどかしさから、シンは奥歯を噛みしめた。


 


「スリット。私だ、トリスだ。判るか……?」


 縋るような面持ちで、兄の名を呼ぶトリス。

 改めて向き合うと、変わり果てた姿は痛々しくもあった。


「あ……。トリ……ス……?」


 腫れ上がったスリットの眉が、微かに上がる。

 目まぐるしく動く眼球は、トリスに焦点を合わせるとその動きを止めた。


「あ、ああ! そうだ、トリスだ! お前の双子の妹だ!」


 自分の名を口にした事で、トリスの顔に明るさが取り戻されていく。

 言葉が通じる。対話が出来る。無闇に戦う必要がないと、否が応でも期待してしまう。


「生きて、いた……のか」

「ああ。伝えられなくてすまない。私は生きていた。

 世界再生の民(リヴェルト)に、ラヴィーヌに命を狙われていたんだ。

 ここは危険だ。アルマ様も私達と行動を共にしている。

 だから、お前も――」


 トリスは目一杯に手を広げ、変わり果てたスリットを受け入れようとする。

 仮にこの姿が戻らなくとも。スリット自身の意思を持っているのなら、連れて帰るだけで意味はある。

 いつか必ず、自分が兄を救って見せる。たとえどんな困難が、待ち受けていようとも。


「お、あ……。トリ、ス……」


 スリットは重い足取りで、手を差し伸べるトリスへと近付く。

 歩く度、左右に振られる身体はとてもバランスが取れているとは言い辛い。

 如何に醜悪な手段でスリットを鬼族(オーガ)と混ぜ合わせたのか。

 ビルフレストやマーカスへ対するトリスの怒りは募るばかりだった。


 だが、それも後の話だ。

 スリットの確保が、フローラの奪還へと繋げられればいい。

 そうすれば、きっとこんな姿となったスリットを受け入れてもらえる。

 

 トリスの願いは、もう数秒もすれば現実のものとなるはずだった。

 それを打ち砕いたのは、やはり悪意。『傲慢』の齎す一言だった。

 

「スリット、貴方の妹は敵なのよ。殺しなさい」

「――この声っ!」

「フローラ様!?」


 どこからともなく聴こえる女の声にいち早く反応を示したのは二人。

 彼女と永い時間を共にしたアメリアとオリヴィアだった。

 自然と視界を動かしながら、『傲慢』の適合者となった彼女の姿を探す。


「て、き……」

「スリット!?」


 一方、フローラの命を受けたスリットは言葉の通り忠実に動き始める。

 手を差し伸べたトリスの手を払い、鬼族(オーガ)のように赤く染まった身体が熱を持ち始める。

 次の瞬間、炎を纏った手刀が妹であるトリスへ襲い掛かっていた。


「っ! 駄目か!」


 シンは咄嗟に引鉄を引き、スリットの腕を撃つ。

 熱を纏った影響か、それとも元からなのか。スリットの身体は弾丸を弾く。

 

 止められはしなかったが、衝撃により逸れた軌道。

 手刀の軌道は弧を描くようにして、遠回りとなる。


「ダメだよ!」


 その隙にフェリーがトリスとの間へと割り込む。

 咄嗟に構えた霰神(センコウ)はスリットの腕が持つ熱によって、水蒸気を発していた。


「トリスさん、だいじょぶ!?」

「あ、ああ。すまない……」


 もう少しで、スリットを受け入れられたかもしれないというのに。

 たった一言で、全てが台無しにされてしまったとトリスは頭を抱える。


「トリス。あの姿のまま、連れ帰るのは恐らく無理だ」

「……くそ」


 煙の向こうで佇むスリットに警戒し、再び銃を構えるシン。

 その腕は、決着がつくまで決して下がらないだろう。

 

 トリスは毒づきながら、自らも賢人王の神杖(トライバル)を構えた。

 今から自分は、双子の兄と命のやり取りをしなければならない。

 眼を背けたくなるような事実に、胸を痛めながら。


 霰神(センコウ)と熱を帯びた腕の接触により生まれた水蒸気の煙が、風に流されていく。

 互いを覆い隠す霧が失われていく中、スリット以外の人影をシン達は視界に捉えた。


 足元から徐々に、その姿が露わになっていく。

 白く細い脚を伝い、凡そ戦場には似つかわしくない青いドレスに身を包んだ女性。

 ストロベリーブロンドの髪を微かに揺らしながら、ついにはその顔を皆の前へと晒した。


「姉上……」


 アルマは思わず、息を呑む。先刻の声から、予感はしていた。

 突如増えた人影の正体は、ミスリア第三王女。フローラ・メルクーリオ・ミスリアだと。


「ごきげんよう、アルマ。それに皆様。

 お迎えに来てくださったところ申し訳ないのだけれど、私は帰る気はありませんのよ」


 偽物(フローラ)はスカートを軽く摘まみ、不敵な笑みを以て挨拶をする。

 空白の島(ヴォイド)へ皆が現れた理由を理解しながらも、彼女ははっきりと拒絶の意思を告げた。


「フローラ様、みんなが心配してるんだよ!」

「お気持ちだけ、受け取っておきますわね」


 フェリーの訴えを、偽物(フローラ)は微笑みながら受け流す。

 簡単と姿を見せたのも想定外だったが、連れ戻すのも一筋縄ではいきそうになかった。


(ちょっと! 私は帰りたいのです!)


 心の内で本物のフローラが訴えようと、偽物(フローラ)は一切表情を変えようとはしない。

 薄ら笑いを浮かべながら、拒絶の意思だけを示している。


「アメリアも、オリヴィアも。お迎えに来てくださってありがとう。

 けれど、そのまま引き返してください。二人の命を奪うのは、忍びないもの」


 呆気にとられるアメリアとオリヴィアへ、偽物(フローラ)は優しく微笑む。

 彼女の言葉を前に二人は顔を見合わせ、意思の確認をしたかのように小さく頷いた。


「あの、恐縮なのですが……」

「どちらさまですか、あなた?」

「え……」


 恐る恐る手を挙げ、二人は偽物(フローラ)へと問う。

 偽物(フローラ)の表情が、瞬く間に引き攣っていく。


「何を言っているのかしら? 私は――」

「いや、姿も声もそうなんですけどね。フローラさまではないですよ」

「貴女が『傲慢』なのでしょうか?」


 上っ面だけ真似をしても、彼女達には意味が無かった。

 二人は決定的な証拠を得た上で話している訳ではない。むしろ、姿形は本人だと認めている。

 だが、その一方で拭いきれない違和感があるのだ。彼女は間違いなくフローラではないと、心が訴えている。


(アメリア、オリヴィア……!)


 心の内に閉じ込められているフローラは、歓喜に打ちひしがれた。

 見抜いてくれた。分かってくれている。共に過ごした時間は本物だったのだと、心に染渡る。


「そう、ですか……。よくぞ見抜いたというべきでしょうか。

 ただ、それがいい結果かどうかは別ですけど」


 偽物(フローラ)からすれば、屈辱だった。

 今は自分がフローラの身体を動かしている。言わば、主人格。

 

 それを真っ向から否定された事により、偽物(フローラ)の尊厳は傷付いた。

 元より自分の手でこの二人は殺すつもりでいたが、一層その気持ちが高まっていく。


 一方で、アメリアとオリヴィアも同様だった。

 姉妹同然に育った、大切な人の身体を弄ばれている。その事実を見逃せるはずがない。


「貴女が『傲慢』であるのは構いません。ただ、フローラ様は返していただきます」

 

 蒼龍王の神剣(アクアレイジア)を抜き、蒼色の刀身を輝かせる。

 フローラを取り戻す為の戦いが、始まろうとしていた。

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