386.上陸
銀色の驟雨によって分裂した魔力の塊が黄龍の群れへと突き刺さる。
それは暗に、空白の島で戦闘が始まる事を示していた。
「ビルフレスト様!」
「――来たか」
初めて見る攻撃手段に驚嘆するマーカス。
対するビルフレストは、眉ひとつ動かさず撃ち落とされる黄龍を見つめていた。
仔細を確認する必要などない。誰が来たのかは明らかなのだから。
望まれてはいなかったが、彼らは決して予期せぬ来訪者ではない。
戦う運命からは逃れられない。ただ、それだけの事だった。
「予想より早かったが、大した問題ではない。
予定通り、空白の島を破棄する。
アルジェント、準備は出来ているな」
「あァ、お陰様でそこそこ快復はしてるよ。『強欲』だって、顕現出来る。
……ったく。砂漠の国とまだバチバチやりあってんなら、こっちに来んなっての」
首を鳴らしながら立ち上がるアルジェント。その表情は、心底面倒くさそうにしていた。
もう数日遅ければ、楽して逃げられたというのに。そんな思いを彼は隠そうともしなかった。
「それだけ奴らも必死だということだ」
ミスリアの速い行動は、裏を返せば準備が万端とは言い難い事を意味している。
現に、主戦力の大半は傷が癒えていないだろう。加えて、国防を考えると戦力を全て投入する訳にはいかない。
世界再生の民も万全ではないといえ、自分達の方が有利であるとビルフレストは睨んでいた。
「マーカス。スリットはいつでも出られるな?」
「ええ、勿論です」
(うへェ。スリットっちのヤツ、こりゃ性格悪いことに巻き込まれてやんな)
ビルフレストの問いに、マーカスは嫌らしく口角を上げる。
小太りの中年がニヒルな笑みを浮かべる姿は、アルジェントにとっては辟易する光景だった。
特にこの男は、とにかく他者の命や尊厳を軽んじる。
他人事とはいえ、スリットに同情せざるを得ない。同時に、続く自分は邪神の適合者で良かったと安堵する。
「ならばいい。フローラ様は後方で――」
「あら、私は最前線に出ますわよ」
世界再生の民の人間に指示を出していくビルフレスト。
彼に異を唱えたのは、『傲慢』の適合者であるフローラ・メルクーリオ・ミスリア。
「おいおい、本気かァ? アイツらの目的、ぜってェ王女サマだろ」
流石は『傲慢』というべきか。それとも、ただ状況が見えていないだけなのか。
偽物の発言に、アルジェントはただただ眼を丸くする。
彼の言葉の裏には、面倒事を増やさないで欲しいという思いも含まれていた。
「アルジェントの言う通りです。奴らは殿下を奪還すべく襲撃を試みているのです。
前線に置いておく意味はあっても、最前線というわけには――」
「だから。ですわよ、ビルフレスト」
しかし、偽物も決して食い下がりはしない。
彼女には彼女なりの明確な理由がある。妖しげな笑みを浮かべながら、偽物はそれを語り始めた。
「私を奪還しにきた不届き者。そうですね、恐らくアメリアとオリヴィアは間違いなくいるでしょう。
彼女たちに現実を突きつけるのであれば、『傲慢』の存在そのものを見せつけた方がいいでしょう。
私は邪神の適合者だと。そして、次にミスリアへ戻る時はあの国を支配するためなのだと」
彼女の言う通り、アメリアとオリヴィアはフローラと縁が深い。
指を咥えてミスリアで待っているとは到底思えない。
ならば、フローラと直接対峙させた方が動揺は誘えるだろう。
「まだありますわ。ビルフレストがいくら前線に立とうとも、奪還対象である私がいなければ戦う理由に成り得ませんもの。
貴方がこれから先、世界再生の民を纏め上げるのでしょう? ならば、その実力を私に示す機会は必要だわ。
何より、私がコソコソと隠れていては王女としての矜持が許しません」
(おっかねェ……)
流石は『傲慢』というべきだろうか。アルジェントは、素直にそう思った。
新参者でありながら、世界再生の民を率いるビルフレストを駒として扱おうとしている。
自分の力を欲するなら、それを示して見せろと彼女は言ってのけた。
「気を悪くしたかしら? うまく行けば、私を好きにして構いませんわよ?
それぐらいの褒美を与える器量は、あるつもりです」
(ちょっと! 何を言ってるんですか! 私の身体ですよ!)
妖艶な笑みを見せる偽物に、精神を閉じ込められている本物のフローラが猛抗議をする。
自分を安売りする気は毛頭ないのに、やめてくれ。何より、自分は恋愛推進派だ。
透明な壁の内側で叫び続けるが、偽物は発言を訂正などしない。
それどころか、煩い羽虫だと言わんばかりに自分の胸元を強く握りしめていた。
「欲しいのでしょう? ミスリア王家の血が」
「ふ、その通りです」
微かに笑みを浮かべながら、ビルフレストは肯定する。
彼女の提案は決して悪いものではない。空白の島を放棄するにも、痕跡を消す時間は必要だからだ。
フローラを囮に使う事で、その時間は容易に稼げるだろう。
その間に敵の一人でも殺せるのであれば、戦果としては言う事がない。
「なら、決まりね。私たちで不埒な輩をお出迎えしましょう」
(ふざけないで、私は帰りますわよ! アメリアや、オリヴィアの元へ!)
偽物の提案に乗るがまま、ビルフレスト達は戦闘に備える。
その間も、ずっとフローラは心の内で叫び続けていた。意味がないと思い知らされても、叫び続けていた。
……*
「じゃあ、アタイらは脱出経路を確保しておく」
「ああ。頼んだぞ、ベリア」
「任せときなって。トリスたちも、無茶をするんじゃないよ」
ベリアは胸をドンと叩き、空白の島へ上陸する者を見送る。
その間の役目は極めて重要だった。
偽装されている岩礁の見極め。そして、周囲に蔓延る魔物の駆逐。
フローラを回収した後、即座に離脱が出来るようにすべき事は少なくない。
けれど、ベリアは嬉しくもあった。
トリスは極力、自分達を巻き込まないようにしていた。
その彼女が今、決して後ろを振り返ったりはしない。
信頼と期待が寄せられている裏返しであり、決して他人ではないという証明。
否が応でも気合が入ると、彼女は声を張り上げた。
「さあ、トリスが帰ってくるまではアタイらが船をちゃんと護るんだよ!」
「おう!」
他の船員達も、皆が同じ気持ちだった。
ティーマ公国に帰ったら、ライルにこの話をしてあげよう。
彼の知らないトリスの姿を耳にしたら、どんな顔をするのか今から楽しみだった。
そんな事ばかり考えながら、獣人達は小さくなっていくトリスの後ろ姿を見守っていた。
……*
「トリスさん。いいの? 船のみんな、手を振ってるけど」
何度か後ろを確認すると、獣人達が手を振っているのが窺える。
フェリーは同じように手を振って応えるが、トリスは決して振り返ろうとしない。
自分ではなくトリスがした方が喜ぶのではないかという、フェリーの素朴な疑問だった。
「いいんだ。きっとそんなことをすれば、『アタイらの心配はいいんだ』と叱られてしまう。
手を振っているのに、理不尽な連中だろう?」
「ふうん……?」
前だけを見て歩き続けるトリスだったが、うっすらと笑みを浮かべていた。
今は振り返らなくていい。代わりに、後で沢山礼を言おう。
仲間への信頼が、彼女の歩幅を自然と大きくしていた。
「それよりも、アルマ。殿下が居るとすればどの辺りだ?」
銃を手に握ったまま、シンは神経を張り巡らせる尖らせる。
黄龍の群れを強引に突破して以降は、敵と遭遇をしていない。
いくらなんでも、戦力が黄龍しか残っていないとは考え辛い。
そして、まだ魔導石を三基搭載したネクトリア号は世界再生の民の想定より速く到着しているはず。
フローラがまだ空白の島から脱出を果たしているとは考え辛い。
「居住区か、マーカスの研究所か。そのどちらかだとは、思う」
「案内してくれ」
「分かった」
アルマは頷き、皆の道標となる。
マーカスの研究所より手前に、世界再生の民の人間が暮らす居住区は存在している。
まずは居住区を調べるべきだというアルマの提案に、シンは同意をした。
「でも、居住区ってことは敵が勢ぞろいの可能性が高いですよね」
「ああ。けれど、世界再生の民の人間に戦闘能力を有している者は少ない。
大半は邪神へ魔力と共に悪意や呪詛を送り込むための者が多い」
シン達が思い浮かべたのは、ピースがマギアの廃教会で遭遇した一件。
コリス達と同じ行動を世界再生の民でも行っているのだろう。
尤も、その規模は廃教会の比ではないだろうが。
「っていうか。それ、邪神と戦う可能性もあるってことですよね」
嫌な事を思い出してしまったと、オリヴィアが天を仰いだ。
三日月島で顕現を果たした邪神は、不完全であるにも関わらず絶望の化身だと思わせるには十分な力を有していた。
あの時はフェリーの中に潜む魔女が目覚め、九死に一生を得たが次も救かる保証はどこにもない。
そもそも、あの後は自分達さえも消し炭にされかねなかった。
結果的にシンの帰還によりフェリーが正気を取り戻しただけで、本質的にはずっと窮地に立たされていたのだ。
「邪神を考慮すると、フローラ様を早く奪還しなくてはいけませんね」
そう言いながらも、アメリアはずっと考えていた。
『傲慢』の適合者であるフローラを、どうすれば解き放つ事が出来るのかを。
(大海と救済の神様。それに蒼龍王の神剣。
私達を、導いてはくれないでしょうか)
縋るような思いで、アメリアは自らの腰に下げられた蒼龍王の神剣へ手を伸ばす。
邪神を断つ神剣。救済の神剣となった神器ならばあるいは。そんな期待を抱かずには居られない。
フローラは確かに王女故に、他の人間とは違った人生を歩んでいくだろう。
その部分が『傲慢』として形を持ち、彼女と適合した可能性は否めない。
けれど、アメリアは知っている。
彼女は王妃同様、凛々しくも優しい心の持ち主だと。
だからこそ、とってつけたような『傲慢』を断ち切ってあげたいと強く思う。
「オリヴィアの言う通り、邪神の存在を無視するわけにはいかない。
けれど、投入できる状況ならビルフレストはミスリアで顕現しているはずだ」
「たしかに!」
恐らく、この戦いで邪神の投入はない。
そう考えるアルマに、フェリーは手をポンと叩いて納得をした。
「勿論、予測というか願望混じりなところはあるけれど……」
尤も、アルマの視点から見た話でもある。
ビルフレストが何を企んでいるかは、悔しいがもう理解できない。
邪神は顕現しないだろうと口走ったのは、彼の願望が混じった結果でもある。
「どちらにせよ、警戒は必要だ。邪神以外にも、敵は決して少なくないのだろう」
シンの言葉に、全員が頷く。
三日月島の時は、常闇の迷宮による壁がある意味で警戒するべき方向を指し示していた。
けれど、今回は違う。全方位に警戒をしなくてはならない。
緊張感は張り詰めた糸となり、鳴子の役割を果たす。
糸が弾けたのは、居住区へ脚を踏み入れる直前の事だった。
「……魔物か?」
自分ですら知らない存在を目の前にして、アルマは訝しむ。
虚ろな様子で動いていく、巨躯の存在。二足歩行のそれは、重い足取りで居住区の前をうろついていた。
「どっちかっていうと、鬼族っぽい気もするケド……」
クスタリム渓谷での戦いを思い出しながら、フェリーはぽつりと呟いた。
赤みを帯びた身体は、逆立っている頭髪と同様だった。
ただ、肥大化した筋肉は鬼族より歪だと言える。端的に言えば、あまり気持ちの良いものではない。
「どちらにせよ、敵だ。俺たちを探している可能性が高い」
ここで撃ってしまえば位置を報せてしまう事になるが、あの鬼族に見つかっても同じ結末を迎える。
銃を構えるシンを止める者はおらず、後の戦闘を見据えて臨戦態勢へと移る。
状況が変わったのは、シンが引鉄を引く直前。
赤い身体を持つ鬼族の顔が、見えた瞬間。
見覚えのある顔を前にして、アルマとトリスは言葉を失った。
「スリット……?」
身体が肥大化した影響か、顔がパンパンに腫れている。
姿形はまるで違う。それでも解る。自分に似た顔立ちなのだから、見間違えるはずがない。
あの鬼族は自分の双子の兄。スリット・ステラリードなのだとトリスは確信をした。
「どういうことだ……」
咄嗟にアルマの顔色を窺うトリス。
彼もまた、何も知らされていない。
人工鬼族の存在は聞かされていた。
砂漠の国に貸し出す、戦力の一部として造り上げた異常発達した魔物なのだと。
けれど、それも嘘だったら。
本当の材料は、人間から造られるとしたら。
「ビル、フレスト……ッ」
アルマは奥歯を噛みしめながら、その名を漏らす。
彼は、マーカスは。一体どんな顔をして、スリットを怪物へと変貌させたのか。
留まる事を知らない悪意を前に、怒りが込み上げてくるばかりだった。