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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第七章 空白の島

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384.善意もまた、繋がっていく

 青が塗りたくられた大海原のキャンパスを高速で進み続ける一隻の船。

 それは『傲慢』の適合者として世界再生の民(リヴェルト)へ連れ去られたフローラを奪還すべく、空白の島(ヴォイド)へと向かうネクトリア号だった。

 

「うーん。こんなに速いのに、海ばっかりだね」


 甲板で潮風を浴びながら金色の髪を揺らす少女。フェリー・ハートニアは、漫然と続く青の世界にぼやきを見せた。

 大きく割れる波や瞬く間に通り過ぎていく雲の様子から速度は出ているはずだというのに、一向に空白の島(ヴォイド)が見えてこない。


空白の島(ヴォイド)は海のど真ん中だからな。岩礁帯までは、こんな感じだよ」

「そっかぁ……」


 腕を組みながら説明をするベリアの言葉に、フェリーは頭を悩ませた。

 一刻も早くフローラを奪還したいというのに、出鼻をくじかれた気分だ。


「ま、この様子ならじきにつくさね。なんせ魔導石(マナ・ドライヴ)がみっつもついてるんだ。

 本来ならマトモに動かせるバランスじゃないだろうに。大したもんだよ」


 ベリアの脳裏に浮かび上がるのは、港町でネクトリア号を改造していた時の様子だった。

 慣れ親しんだ自分達の方が、勝手が解っているという自負があった。


 だが、実際は違う。

 マレットの出す案も、ギルレッグが小人王の神槌(ストラーダー)を用いて製作していく速度も。

 自分達が追い付ける要素はないと見せつけられてしまった。

 

 顕著なのが、動力部に接続されている魔導石(マナ・ドライヴ)だ。

 単純に足すとだけと言えば簡単そうに聞こえるが、実際は先刻ベリアが言った通り。

 互いの魔導石(マナ・ドライヴ)の出力方向が少しでも狂えば、瞬く間に暴走を始めてしまう。

 繊細なバランスを以て、初めて効力を発揮する。


「いい船だな。よく手入れが行き届いている。こいつは幸せもんだ」

 

 ただ、ネクトリア号の改造を終えた際。小人族(ドワーフ)の王が発した言葉は不覚にも感極まった。

 この船は言わば、自分達の為に尽くしてくれるセアリアス家との絆。決して無下に扱う事など、出来るはずもない。

 その様子を見る者が見れば、分かってくれるというのは単純に嬉しかった。


 ハボルやライルは改造をされたネクトリア号を見て、どう思うだろうか。

 驚くのは間違いない。けれど、きっと嫌な顔はしないだろう。

 彼らの慈愛の心は本物だ。誰かの為に全力を尽くした事を、咎めるはずがないのだから。


「ベリア。代わろう」


 潮風に赤みの掛かった髪を靡かせるのは、皆をネクトリア号と引き合わせた少女。

 その表情からフェリーに話があるのだと察したベリアは、空気を読む。

 

「あいよ。じゃ、ヴァルムは連れていくぞ」

「ああ、すまない」


 トリスの肩で必死に風と抗う炎爪の鷹(フレイムホーク)を連れ、ベリアは船内へと戻る。

 甲板に残ったフェリーとトリスの間に、僅かな沈黙が流れる。このままではいけないと、トリスは一度咳払いをして場を整えた。


「……その、だ。フェリー・ハートニア」

「うん?」


 どうして改まったのだろうかと小首を傾げるフェリー。

 トリスは言いたい事をまとめきれないまま、思いの丈を口に出した。

 

「ミスリアだけでなく、君たちにも随分と迷惑を掛けた。

 私が生きていられるのは、浮遊島で少年や君が戦ってくれたからだというのに。

 謝罪と礼が遅くなったことを、心から詫びさせてくれ」


 ミスリアの民ですらなく、唐突に現れては計画を破壊していく者の存在。

 世界再生の民(リヴェルト)に居た時の立場からすれば、間違いなく疎ましい存在だった。


 けれど、今は違う。止めてくれて良かったと、心から思えた。

 もしも、ビルフレストの思惑通り世界が悪意で染められていたなら。

 ベリアやライル達と出逢う事もなかった。きっと、彼らを不幸にしていた。その事実を、知らないまま。


「え? えっ? い、いいんだよ! あたしたちだって、トリスさんがいたからこうして船に乗れるんだし。

 そりゃあ、イロイロあったけど。こうしてみんなが力を合わせられるんだから、悪いコトばっかじゃないよね」

「……ああ、君の言う通りだ」


 突然の事に驚きを見せるフェリーを前にして、トリスは微かに苦笑した。

 彼女の言う通りだ。この回り道は、全てが負の側面を持っている訳ではない。

 

 トリスは確かに、ミスリアの裏側で汚れた部分を見て来た。

 分家と言う立場に嫌気が差していた。ビルフレストの甘言に乗るのも、致し方ない部分があった。


 生真面目さ故に、染まってしまうと周囲が見えなくなる。

 ずるずると底なし沼に嵌っていこうとする彼女は、沢山の出逢いによって引き上げられた。


 ジーネスに始まり、ベリアやライルといったネクトリア号の面々。

 その中には、勿論シンやフェリー。ピースも含まれている。

 全てが繋がったからこそ、トリスはまた信じられる道を歩み出す事が出来たのだから。


「それにしても、君たちは凄いな。誰かのために、ずっと立ち上がっている。

 私が自分のことばかりで考えもしなかったことを、君たちはごく自然にしている」


 感嘆の声を漏らすトリスは、心からの賛辞を送った。

 ミスリアの貴族でもなく、大きな見返りを欲している訳でもない。

 ただ、困っている人達へ手を差し伸べる存在。

 敵である時は恐ろしかったが、味方となるとこの上なく心強い。


「そうかな……」


 礼を言われることは今までにもあったが、こんな形で褒められるなんて思いもよらなかった。

 照れくさそうにしながら、フェリーは指先で自らの頬を掻く。


 フェリーは自分が特別、誰かの為に動ける人間だとは考えていない。

 リタやレイバーン。ギルレッグだって、ミスリアと同盟を結んでくれた。

 マレットはいつも、自分達に力を与えてくれた。今では研究チームの皆で、誰かの為に頑張っている。

 

 善意は善意で繋がっているのだ。

 悪意よりも繋ぐのが難しいけれど、簡単には解けないものとして。

 

 それでも、もしもフェリーに原点があるのだとすれば。

 いつも優しくしてくれたアンダル。カンナやリン。ケントだって、暖かく自分を迎えてくれる。

 大好きな村(カランコエ)で過ごした、小さな幸福が積み重なっていた日々。


 何より、自分の一番大切な男性(ひと)

 どれだけ傷つこうとも、誰かに手を差し伸べようとする男性(ひと)

 シンが居るからこそ、そうすればいいんだと心から思えた。


 その繋がりこそが『無』の存在だった少女を、フェリー・ハートニアたらしめた。

 きっと未来永劫、失われることのない真なる気持ちとして。

 

「ムズかしいコトはわかんないけど、みんながやさしかったからだよ」

「そうか。それは素敵なことだな」


 明るく笑うフェリーに対して、トリスは眼を丸くした後に苦笑する。

 きっとそれは心理なのだ。戯言だと、綺麗言だと言う人間もいるだろう。

 

 しかし、決してそれは嘲笑されるものではない。

 綺麗言を容易く言ってのけるのも、実行に移すのも勇気が必要だ。

 そう真っ直ぐ育った彼女が、羨ましくもあった。


 同時に、トリスは腰に差していた一本の杖を手に取る。

 賢人王の神杖(トライバル)。ティーマ公国にてライルから借り受けた、自らの神器。


(優しかった……。か)


 他者同士の、善意による繋がりが伝播していく。

 それはまるで、賢人王の神杖(トライバル)のようだと思った。


 初めて使用した時は大切な者を傷付けず、傷付ける者を諫める為に魔術が拡張された。

 トリスティアとして生きる自分を大切にしてくれた繋がりを失いたくないという気持ちに、神器は答えてくれた。

 

 サーニャを治療した時もそうだった。アルマの魔力を用いて、オリヴィアの術式を使用する。

 自分と賢人王の神杖(トライバル)はあくまで、中継の役目を果たしたに過ぎない。


 他者との想いを繋ぐ神器。

 それこそが賢人王の神杖(トライバル)の本質で、自らが目指すべきものなのではいか。

 命を賭してまで、自分を支えてくれようとした人達に報いる為にも。


賢人王の神杖(トライバル)。私はまだまだ未熟だ。

 今もこうして、フェリー・ハートニアの話に驚くことしかできない。

 だが、少しずつ歩んで見せる。あなたを扱うに相応しい者となってみせる。

 だから、力を貸して欲しい。獲り返したい、護りたいものがあるんだ)


 フェリーと話して、改めてそう思う事が出来た。

 トリスの強い願いは、賢人王の神杖(トライバル)を通して調和と平穏の(コルデイア)神へと伝わる。

 神杖の先端に取り付けられた金属が微かに輝きを見せたことに、気付く者はいなかった。


 ……*


「シン・キーランド」

「どうした?」


 船内で荷物を広げていくシンの姿に、アルマは視線を奪われた。

 よく彼が使っている二丁の銃だけではない。糸や短剣等、様々な物が並べられている。


「これは全部、武器として扱っているのかい?」

「ああ。俺は魔術を使えない。色々と備えが必要だからな」


 アルマに視線を合わせる事無く、シンは武器の手入れを始めていく。

 シンとしても、ギルレッグがマギアで暫く同行をしてくれていたのは心強かった。

 お陰で投擲用のナイフや魔硬金属(オリハルコン)の糸などと言った軽い武器が調達出来ている。

 魔導砲(マナ・ブラスタ)の銃身から魔術付与(エンチャント)が消えた分は、十分に補る。


(どう使うのだろう……)


 アルマはというと、シンの行動に釘付けだった。

 ビルフレストと共に剣の鍛錬や魔術の鍛錬はしてきた。銃だって触ったことがある。

 サーニャに少しだけではあるが、暗器の扱いも教わった。

 

 けれど、彼の行動はそのどれとも違う。

 まだ投擲用のナイフに糸を括りつける意図は解る。問題は次だ。

 糸を銃弾に巻き付ける意味が解らない。そんな事をすれば装填できないではないか。

 せめて読み解いて見せようと凝視するアルマを他所に、シンは淡々と準備を進めていった。

 

 しかし、シンの姿を見るのは楽しくもあった。

 まだまだ、自分の知らないものがごまんとある証明になる。

 

 狭い世界で、汚いものを見せられて。それが真実かのように語ったビルフレスト。

 無論、誤りではないのだろう。世の中の裏で、権力を持つ者が日夜汚い顔を歪ませている。

 

 一方で、自分ではどうしようもないものに救いの手を差し伸べてくれる善意があるのも事実だった。

 サーニャが死の淵に瀕した時、自分ではどうしようもなかった。

 結果的にはオリヴィアとトリスの尽力により一命を取り留めたが、発端となったのはシンだ。


 どうするべきじゃなくて、どうしたいか。


 その言葉はオリヴィアから本心を引き出し、トリスが手を挙げる切っ掛けとなった。

 シンがそこまで考えていた訳ではないというのは知っている。彼は自分に出来る手段で、命を繋ごうとした。

 誰かのしたい事を、少しでも叶える為に。


 結果として、アルマにとって一番大切な女性(ひと)は今も生きてくれている。

 左眼を失い、今も大怪我を負っているが、確かに生きているのだ。

 切っ掛けを生み出してくれた事に、いくら感謝をしてもし足りない。


「シン・キーランド……。その、ありがとう。

 君があの時、手を挙げてくれたからこそサーニャは生きている。

 感謝してもしきれない」

「救けたのはオリヴィアとトリス。それにアンタだ。

 俺は何もしていない」

「……!」


 その言葉に、思わずアルマは笑みを溢した。

 思い返されるのは、同じように礼を伝えた後のオリヴィア。


 

 

「シンさんにお礼? 多分『俺は何もしていない』とか表情ひとつ変えずに言いますよ。

 こう、スカした感じで」

「……オリヴィア」


 シンの様子を真似するオリヴィアと、その様子を嗜めるアメリア。

 仲のいい姉妹がじゃれ合っているのだと、アルマは漠然と眺めていた。


 


 だが、今なら解る。オリヴィアは本気で、シンの行動を模倣したのだと。

 ここまで見事に的中するのは、仲間を正しく理解している証なのだろう。

 自分とビルフレストが出来なかったものが、ここにはあった。


「どうかしたのか?」

「いいや。君たちが、羨ましくなっただけさ」


 ビルフレストに裏切られた。見捨てられたというショックは大きい。

 一方で、アルマは自分の世界が広がるのを感じた。

 

 人の善意は、悪意よりも育むのが難しいかもしれない。

 裏を返せばそれは、育むだけの価値が大いにある。


 アルマは彼らと行動を共にして、心からそう思えた。

 これから先。一歩でも皆へ近付けるように。アルマは歩み始める。

 今まで犯した過ちへの、贖罪を。

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