幕間.侍女への救い
視界の半分が闇に覆われた景色。これが今のワタシの世界。
そして、死ぬまで変わることはないだろう。
後悔はしていない。状況を変えたくて縋ったのは事実だし、その決断をしたのはワタシ自身だから。
結局、自分の欲が身を滅ぼしただけだ。後悔はしていない。
ただ、ワタシを好きだと言ってくれた男性。アルマ様の気持ちを考えると、居た堪れない。
幼少の頃から常に側にいてくれた人間に、裏切られたのだから。
ワタシも彼も、全てを失った。
ここから先の人生で、得られるものはないだろう。
世界再生の民に加わった時。邪神の適合者となった時。
いつか志半ばで死ぬことは覚悟していた。
けれど、死ななかった。アルマ様がワタシの死を望んでいなかった。
生きていて欲しいと言ってくれた。彼が流してくれた涙は美しいと思えた。
あの瞬間。ワタシが今まで欲しかったものは全て不要となった。
今、欲しいものはアルマ様との日々。
それを手に入れることすら、咎人のワタシたちにとっては高望みなのだけれども。
……*
「豊穣の神よ。御身に宿りし力で、この者に癒しを与え給え。癒しの陽光」
手入れの行き届いた、滑らかな指がワタシのお腹へと触れる。
妖精族の術式による治癒魔術が、傷付いたワタシの身体を癒してくれる。
なんというか、心地いい。うっかりこのまま眠ってしまいそうな程に。
「うーん……。邪神の力を帯びた剣のせいなのかな?
完治にはしばらく時間がかかりそうだね」
治癒魔術を唱えてくれた少女。妖精族の女王、リタ・レナータ・アルヴィオラは眉を下げて困ったような顔をする。
オリヴィアお嬢様の治癒魔術もそうだった。ワタシだけでなく、アメリアお嬢様にも期待した効果が得られていない。
邪神の力が身体を蝕む。それが本来の、世界を統べる魔剣の持つ能力なのだろう。
ビルフレストは、初めからアルマ様を利用するつもりでいた。その事実が浮き彫りになってしまう。
「いえ、ワタシのような裏切り者がこうして治療を受けさせてもらえるだけでもありがたいですから」
猫を被っているわけでもなく、純然たる本心から出た言葉だった。
本来なら既に首と胴体が切り離されていたって文句が言えない。
オリヴィアお嬢様やトリス様には感謝してもしきれない。勿論、懇願をしてくれたアルマ様にも。
「別にサーニャちゃんが初めてってわけでもないしね。
そりゃあ、もう一回戦うことになったらどうなるか分からないけど」
「いやあ、秒殺されそうなのでやめておきますよ……」
『嫉妬』を失ったワタシが、今更この人たちに勝てるはずがない。
あったとしても、十分怪しいというのに。
それにしても、リタ様の言う通りだ。
テラン様やリシュアン様も、元々は世界再生の民の人間だった。
何なら、テラン様の弟子すらも今はミスリアの騎士団に所属しているというのだから驚きだ。
確かに戦力をごっそりと失ったミスリアではあるが、よくもこの決断が出来たものだと感心をする。
おかげで少しだけ、アルマ様の今後についても希望が持てる。父であり、国王陛下を殺めたことは覆らないけれど。
などと、これからのことに現を抜かしていると再び暖かい光がワタシの身体を覆った。
リタ様が癒しの陽光を重ねてくれているようだ。
明らかに傷は塞がってきているし、痛みも和らいでいる。
ワタシからすれば至れる尽くせりなのに、リタ様の表情は浮かばない。
「傷はいつか目立たなくなると思うけど……。やっぱり眼は、どうしようもないよね……」
「ああ……」
彼女がしょぼくれている理由は、ワタシの左眼のことだった。
失った手足が戻らないように、眼も同様だ。どんな治癒魔術でも元通りにすることは出来ない。
「こうして治療していただけるだけで十分ですから、そんなに落ち込まないでください」
そもそも、ワタシの左眼は『嫉妬』を移植するために抉り取ったものでもある。
リタ様が気に病むことはひとつもない。本当に人が善いのだと、よく解る。
「でも、やっぱりサーニャちゃんも女の子だし。
どうにかしてあげたいんだけど……」
「大丈夫です。意外と、前髪で隠せますから。
何なら、眼帯をつけていても問題はありません」
確かに右眼しか残っていないのは不便だけれど、それは仕方のないことだった。
半分が闇に覆われた世界は、ワタシに対する罰なのだ。
見える方角にアルマ様がずっと居てくれれば、それでいい。
――なんて考えていたのだけれど。
「おーっす。お前さんが、『嫉妬』の適合者か?」
豪快に開かれた扉と同時に現れたのは、港町からやってきた凄い胸をお持ちの白衣の女性。
栗色の髪の毛を一本に纏め、まるで尻尾のように後ろで跳ねさせている。と、気付いたのは大分後になってからだった。
だって、仕方ないじゃないですか。あの胸見たら、そりゃ視線は吸い寄せられますって。
フェリー・ハートニアも良いものをお持ちでしたが、こりゃまた凄い。
これが噂に聞くベル・マレットですか。本物の威圧感はまた違いますね。
「ん? そんなムネばっかりジロジロ見てどうしたんだ? ピースじゃあるまいし」
「え? あ、はい。すみません! ワタシがサーニャ。『嫉妬』の適合者をしていました」
訝しむマレット様の声で、ワタシは我に返った。危ない危ない。完全に見惚れていました。
ていうか、あのお子様もじっと見るんですか。気持ちは解りますけども。
「ワタシに何か御用ですか?」
ベル・マレットと言えば、もう語る必要ないレベルの人物だ。
ただ、研究に没頭する点で言えばマーカスも負けていない。基本的に変人が多いのではないかとさえ思う。
あの気持ち悪い男と人間性まで同じだったらどうしようと、本能的に身構えてしまう。
「ぜひ、君の力が借りたくてね」
「テラン様まで」
背後から顔を覗かせるのは、義手を新たに装備しなおしたテラン様の姿だった。
ゴテゴテした鉄の塊が取り付けられているが、曰く、これは仮の義手らしい。
妖精族の里で、また完璧に趣味に走ったものを付けられる予定だとかなんとか言われた。
「『嫉妬』は左眼に宿ってたんだろ。どんな風に景色が映ったとか、事細かく教えて欲しいんだよ」
「はい?」
ワタシは思わず訊き返してしまう。
マレット様の言っている意味が、一瞬判らなかった。
「だから、邪神の『核』を使っているって言っても魔術で基礎構築してたんだろ?
それで物が視えてるなら、魔導具で義眼が造れるかもしれないじゃねえか」
「加えて言うと、君にはその試作品を身に着けてもらいたい。
実際に『核』による義眼を身に着けたのは君だからね」
「あー……。なるほど」
要するに、ワタシを実験台として使いたいというわけだ。
尤も、話を聞く限りでは悪い話ではないようだけれど。
「ほら、ベルちゃん。もっとちゃんと説明しないから、困ってるじゃない。
サーニャさん。ベルちゃんはね、少しでも生活が楽になるように魔導具を造っているのよ。
テランくんが身に着けている義肢だってそう。なんだかんだ、困っている人を放っておけないのよ」
言葉足らずなマレット様に代わって、意図を話してくれたのは美しい銀髪を持つ美女。
この女性は知っている。以前、三日月島の存在に言及をした不思議な女性だ。
名は確か、イリシャ・リントリィ。
「いや、実験台になってくれっていう意味には変わりないし……」
「だとしても、よ。ちゃんと話さないと、誤解されたままだとお互いやり辛いじゃない。
ベルちゃんだって、『義眼が発明できれば、色んな人が救かるから身柄を預けてくれ』だなんて王妃様に直訴していたのに」
「いや、勝手に借りるわけにはいかないだろ」
「はいはい、そういうことにしておくわね」
イリシャ様はくすくすと笑いながら、マレット様の手綱を握っていく。
胸中を暴露されて照れくさいのか、口をまごまがおとさせながら後頭部を搔いていた。
「僕のこの腕だってそうだし、ライラス・シュテルンもじきに彼女が開発した義手を取り付けるだろう。
生身の身体ではないが、悪いものではない。事実、僕は妖精族の里で何度も義手の改良を受けたしね。
君にとっても、悪い話ではないはずだ」
テラン様の話ではこうだ。義肢は関節部分に取り付けられた魔導石に魔力を通すことで、思い通りに動かしている。
尤も、傍目から見て意図した通りに動いてるかが判別できる義肢とは違い、今回は義眼だ。どうしても被験者の申告が必要となる。
そのために、同じく邪神の『核』が義眼の役割を果たしたワタシの情報が欲しいのだと。
驚いたのは、わざわざ王妃殿下へ話を通したことだ。
大勢の人を救うためとはいえ、咎人であるワタシに無関係であるマレット様が恩赦を求めた。
許可を出した王妃殿下も王妃殿下だが、中々にぶっ飛んだお人だと思えた。
「要するに、お前が欲しい!」
「その言い方は誤解を招くよ、ベルちゃん」
くすくすと笑うリタ様とイリシャ様。白い歯を見せている様子から、マレット様はわざと言っているように見受けられた。
冗談のつもりかもしれないが、ワタシは嬉しかった。ビルフレストに棄てられた直後だからだろうか、必要とされたのが嬉しかったのだ。
何より、ワタシも左眼が欲しい。
どっちに居てもアルマ様を見つけられる眼が、堪らなく欲しいのだ。
これはワタシにとって、救いだ。
気付けばワタシは、深々と頭を下げていた。
「どこまでお役に立てるかどうかわかりませんが、よろしくお願いします」
「ああ、こっちこそよろしく頼むよ」
マレット様はもう一度白い歯を見せ、ワタシとがっちり握手を交わした。
こんな時に非常に申し訳ないのだが、眼前にあるふたつの山が気になってしょうがなかった。
……*
マレット様とテラン様が、義眼の製作について軽く草案を出し合っていた。
義肢と違い、義眼は顔に埋め込む形なる。あまり違和感のないデザインが必要なのではないかというのは、女性あるリタ様とイリシャ様の意見だ。
実用性の面でいえば、義肢と違い力づくで支えるのは難しい。重量の面でも、課題は多そうだった。
「ま、ギルレッグのダンナやオリヴィアにも相談するか。妖精族の里に帰ったらストルも居るしな」
ひとしきり課題を並べたマレット様は、テラン様と話し合いを続けながら部屋を後にする。
どうやら、妖精族の里で研究者によるチームを組んでいるそうだ。
天才といえど、決して独りよがりな作品は造らない。この点も、マーカスと大きく違うのだなと思わされた。
「あの、サーニャさん。少しだけいいかしら?」
「はい? どうかしましたか?」
部屋に残ったイリシャ様が、神妙な顔つきでワタシへ問う。
てっきりリタ様を待っているのかと思っていたので、不意を突かれた形だった。
「サーニャさんの邪神の能力は……。
どんな映像を再現するものなの?」
「『嫉妬』ですか?」
どう見ても戦闘をしないであろう彼女が、そのことを気にするとは。
そもそも『嫉妬』はもう破壊されてしまった。幻影は二度と現れないのに、どうしたというのだろうか。
もしや、緑髪の子供の記憶について検証でもしようとしているのだろうか。
「幻影は『嫉妬』の眼を通して、相手の記憶を読み取ります。
人が持つ、暴かれたくないもの。それを曝け出していく。そんな能力ですよ」
我ながらなんとも性格の悪い。よくワタシの人間性を反映した能力だと今でも思う。
「そう……」
ワタシの話を聞いたイリシャ様は、口元へ手を当てながら考え込む。
納得がいかないというより、信じられないと言った様子だった。
「フェリーちゃん……。じゃ、ないのよね」
ぽつりと呟いた言葉の意味を、ワタシが理解できるはずもない。
同席していたリタ様も、何事かと小首を傾げている。
「……うん、分かったわ。ありがとうね、サーニャさん」
「え、ええ。お役に立てたのなら何よりです」
口ではそう返すが、何の役に立ったのかはさっぱり分からない。
ただ、戸惑いを見せながらも口元を引き締めるイリシャ様の表情が印象的だった。