幕間.姉のやるべきこと
抱え上げようとした瓦礫は想像よりもずっと重く、持ち辛い。
手だけがつるりと滑っては、空を切ってしまいます。
その度に細かな傷が掌へと、刻まれていきました。
「ロティス兄さん。すみません、少し力を貸して欲しいのです……」
腕をまくり息巻いていた私は、数秒後には音を上げていました。
押し寄せてくるのは無力感。もう既に嫌と言う程に味わったというのに、遠慮も礼儀も知らないようでした。
「イレーネ様。そのようなことは、自分たちでやりますとあれほど……」
ロティス兄さんは慌てて駆け寄ってくれるけれど、少しだけ困った顔をしていました。
無理もありません。こんなか細い腕で、王宮の中庭にある瓦礫を片付けようとしているのですから。
「いいえ、私もじっとしてはいられません。一刻も早く、元の美しい中庭を取り戻したいのです」
「イレーネ様……」
などと格好をつけた私ではありましたが、決して力が強くなるはずもありません。
ロティス兄さんが瓦礫を持ちあげても、私が持ち上げられないのでは意味がありませんでした。
「イレーネよ、無理をするでない。こういう力仕事は余たちに任せるのだ」
情けなさのあまり空を眺めていると、不意に巨大な影が私を覆います。
鼠色の身体を持つ、とても大柄な獣の男性。魔獣族の王、レイバーン様です。
背丈は私の倍ほどでしょうか。初めて見た時は、それはもう驚いたものです。
妖精族の女王であるリタ様とは恋仲と伺いましたが、小柄な彼女との体格差はそれはもう凄いものです。
ただ、彼の所作を見ているとリタ様が好意を寄せるのも判る気がします。
見た目から威圧感を感じるのは、初めだけ。接するうちに、本当に心優しい殿方だというのが伝わってくるのですから。
リタ様だってそうです。古来より妖精族は排他的な民族だと言い伝えられていました。
ですが、今は違うと言い切れます。フローラと仲睦まじく話すリタ様の様子から、暖かい気持ちが十分に伝わってきました。
先日も、リタ様はフローラのことを友達と言ってくれたのですから間違いないでしょう。
すぐにフローラと仲良くなれるのは、羨ましい限りですが……。
「レイバーン様。しかし……」
とても気持ちのよい御仁ですが、客人にそこまで甘えるわけにはいきません。
それに、ミスリアはまだ砂漠の国との争いが続いています。
異常発達した魔物が増えない保証はありませんし、世界再生の民だって……。
いざという時に身体を張って食い止めてくれているレイバーン様を、こんなことで消耗させるわけにはいきません。
フローラの件といい、次々と不安が押し寄せてくる私ではありますが、レイバーン様はそんな私の心中も察してくれていたのでしょう。
「なに、待つ身が辛いというお主の気持ちは理解できるぞ。
しかし、お主が活躍をするのはもっと後だ。
なにせ、この場にいる皆で茶を愉しむのだからな!」
次々と瓦礫を拾上げながら、レイバーン様は屈託のない笑みを見せてくれます。
真っ白な犬歯が、光に反射して輝いていました。
そう、私たちにはどうしても成さねばならぬことがあるのです。
全てが終わって、無事にフローラが戻ってきた時のために。
……*
「……アメリア、オリヴィア」
フローラの奪還へ。空白の島へ向かう者が決まったその日。
フィロメナ様とのお話を終えたアメリアとオリヴィアを、私は呼び止めてしまいました。
「イレーネ様」
痛々しくも身体のあちこちに包帯を巻いているアメリア。
私程度では想像が及ばないぐらいの激痛が走っているはずなのに、彼女は顔色ひとつ変えません。
凛とした佇まいは頼もしくもあり、少しだけ恐ろしくも感じました。
「どうかしたんですか?」
首を傾げるオリヴィアも、怪我こそはありませんが間違いなく消耗をしています。
ずっと魔術を使い通しているのですから。
アメリア同様、彼女は疲れを表に出そうとはしていません。
よく似ていないと言われる二人ですが、やはり姉妹なのだと実感させられます。
「ええと、あの……」
空白の島へ向かおうとする二人を前に、ミスリアへ残るはずの私が尻込みをしてしまいます。
二人はフィロメナ様の部屋から出てきました。つまり、フローラのことを託されたのは想像に難くありません。
今更私が何を言おうとも、フィロメナ様の二番煎じなのです。
そもそも、私よりもアメリアやオリヴィアの方がフローラとは親しいのです。
バルバラ様やフリガ姉様から護ってあげられなかった私が、偉そうに何を言うつもりだったのでしょうか。
「よろしいのですか?」
護衛として同行してくれているロティス兄さんが、小声で私へ問いかけます。
ロティス兄さんは妹が出来て私が喜んでいたことを知っているからこそ、そう言ってくれます。
けれど、現実は姉らしいことをしていないのですから。
むしろ、私より姉らしいアメリアに何を言えと言うのでしょうか。
そう。私はフローラに、何もしてあげられていません。
『傲慢』の適合者として覚醒を果たした時だって、傍にいたというのに。
「イレーネ様。帰ってきたら、お茶会の続きをしましょう」
「え……?」
突然の提案に、私は目を丸くしました。
アメリアは優しく、包み込むような笑顔を私に向けてくれています。
「この間は、途中で終わっちゃいましたもんね。
イレーネ様、緊張で眠れなかったんですよね。今度はちゃんと、睡眠を摂ってくださいよ」
「……オリヴィア。一言多いですよ」
ため息混じりに妹を嗜めるアメリア。
いつも通りの振舞をする二人に、私は思わず訊いてしまいました。
「アメリアも、オリヴィアも。二人とも、フローラを連れ戻してくれますか?
私の妹を、救ってはくれますか……? お願いします。大切な、妹なのです……!」
気付けば私は、二人の袖を掴んでいました。
縋るように瞳を潤わせながら見上げた顔は、力強く頷く騎士と魔術師のものでした。
「勿論です。フローラ様は、私にとっても大切な方ですから」
「三日月島の件でしたら、責任はわたしにもあります。
それに、ビルフレストやらマーカスやら陰気な人たちとずっとに居るフローラ様なんて想像できませんよ。
あの方は、わたしとずっとワイワイお茶会をしている方が似合ってます。そうに違いありません」
「ふ、ふふ」
フンと鼻息を荒くするオリヴィアに、思わず私は笑みを溢してしまいました。
確かに、フローラとオリヴィアがお茶会をするのは日常の一部でしたね。
願わくば私もそこに加わりたいと、常日頃から思っていたものです。
「オリヴィア。仕事はきっちりと……」
「してますってば! 護衛対象をきっちりと見てるじゃないですか!
まあ、でも。お姉さまも入ってくれて、時々サーニャにも入ってもらって。
皆でワイワイするのもフローラさまは好きでしたよ。
なんなら、妖精族の里でも集まってお茶会をしていましたし」
妖精族や魔獣族。小人族も交えてのお茶会。
純粋に興味を持った私は、思わず声を上げていました。
「で、でしたら! リタ様やレイバーン様にも来て頂いていることですし!
皆さんでやりましょう! 私も、もっともっと皆さんのことを知りたいのです!
アメリアや、オリヴィアのことも!」
「え? わたしたちのこともですか?」
「勿論です。私だって、皆と仲良くなりたいのですから」
また失敗をするかもしれないけれど、偽りのない本心でした。
沢山の好機をフイにしてきましたけれど、まだ間に合う。そう信じたいのです。
妹が世界再生の民によって連れ去られた事実に抗うためにも、希望が欲しいのです。
「オリヴィア。一応言っておくが、イレーネ様は過去にも懇意にしようと試みたのだ。
直接フローラ様へ接触をすると波風が立つかもしれないと、お前を間に挟んで」
「ロティス兄さん!」
私は思わず、強めにロティス兄さんの名を叫んでしまいました。
あれは三年ほど前でしょうか。連日お茶会をしているフローラとオリヴィア。
その中に加わることは出来ないだろうかと、接触を試みたことが。
結果は一蹴。敵対勢力だと訝しむオリヴィアに、流されてしまいました。
忘れたい、恥ずかしい記憶を掘り返され、流石の私もロティス兄さんに強めの視線を送ってしまいます。
尤も、ロティス兄さんは全く意に介していないようですが。
「え? そんなことありましたっけ?」
「……オリヴィア」
そしてオリヴィアはというと、どうやら記憶にも残っていなかったようです。
無理もありません。第三王女派はアルマの誕生以降、窮地に立たされていたのですから。
第一王女派に良い様に扱われていた第二王女派が接触してくるなど、碌な話ではないと思われても仕方がないでしょう。
「こほん。そのことはもういいのです。
それよりも、私は皆さんとお茶会がしたいと心から思っています。
ですから、フローラを連れて帰ってください。勿論、貴女たち二人と一緒に」
咳払いをしながら、私は改めて願いを告げます。
大切な妹を、フローラを救ってほしいと。
「はい、お任せください」
「勿論です。イレーネ様は、いい茶葉を用意しておいてくださいね」
「ええ、分かりました」
私は知っています。何回懇願しようと答えが変わることはありえないと。
きっとアメリアとオリヴィアは、私以上にフローラのことを大切に思っているのですから。
……*
そして、空白の島へ行く方々を見送った私は中庭の修繕に着手をしました。
皆でお茶会を愉しむのですから、開放的な雰囲気の中で行いたいものです。
一刻も早く瓦礫の中を片付け、掘り返された土を緑で覆い尽くさなくてはなりません。
大変な状況だからこそ、自分でなんとかしたかったのですが……。
「うむ。これで粗方片付いたな」
結局、非力な私が戦力になるはずもなく。
逞しいレイバーン様とロティス兄さんが、瓦礫の山を片付けてくださいました。
「あ、ありがとうございます……」
言い出しっぺなのに。やはり私は、どうも情けないところばかり露呈しているようです。
ひどく落ち込む私を、レイバーン様は豪快に笑い飛ばしました。
「イレーネも他人を慮ることが多いようだな。他者を思いやれる人間なのは、とても素晴らしいことだ!
お主の淹れる紅茶が、俄然楽しみになってきたぞ!」
「え? え?」
私は困惑をしたまま、周囲の人たちへ救けを求めました。
ロティス兄さんは「頑張ってください」としか言ってくれません。
魔獣族はどのような紅茶が好みなのでしょうか。頭を悩ませていると、可愛らしい銀髪のお嬢様が私の元へと寄ってくれます。
妖精族の女王であり、レイバーン様と恋仲であるリタ様。
「レイバーンも、あれで結構気遣いさんなんだよ。
イレーネちゃんは、いつも通りにしてくれればいいからね」
「は、はい。とても優しい方なんですね」
レイバーン様だけでなく、リタ様も。
そう続けようとしたのですが、食い気味にリタ様が私の声を遮ります。
「うん。そうだよ! レイバーンは、ずっとあんな感じ!
ちょっと最初は威圧感があるかもしれないけど、一緒に居たらわかるんだ!」
余程、レイバーン様が褒められて嬉しかったのでしょう。
可愛らしいお顔が、ずっとニコニコと笑みを浮かべていました。
「あ、でも?」
思い出したように、リタ様は手をポンと叩きます。
そして私以外の誰にも聞こえないように、小さな小さな声で、耳元へ囁きかけてこられました。
「その、好きになっちゃ……。ダメだからね?」
少しだけ赤らめた顔は、恋する乙女そのものでした。
良さを知ってもらいたいけれど、恋敵にはなって欲しくない。
リタ様の複雑な胸中を前に、思わず笑みを溢してしまいました。
「心配には及びませんよ。リタ様とレイバーン様がお似合いなのは、よく解りますから」
「ほ、ホント!? へへ、嬉しいなぁ。じゃあ、イレーネちゃんはどんな男性がタイプなの?」
突然、好みの男性像を求められて私は目を見開きました。
どう答えるべきか判らず、どぎまぎとしてしまいます。
「わ、私ですか!? それは、その。今話すようなことではありません!」
「えぇ~! 教えてよぉ」
「お、お茶会まで待ってください! 皆さんで話し合いましょう!」
「ホント? 約束だからね!」
リタ様の満面の笑みが眩しくて、咄嗟に逃げの一手を選んだ私は情けなく感じました。
けれど、皆の様子を見ていて感じたことがあります。
決して、誰も悲観的にはなっていません。
希望が細い糸だろうと、必ず手繰り寄せる。仲間に全幅の信頼を置いているのが、よく解りました。
だからこそ、私もやるべきことに全力で取り掛かりたいと思います。
王女としてこの戦いで傷付いた皆さんへのフォローも。姉として行う、お茶会の準備も。
……あと、恋の話に対する回答も。




