381.希望の船
『傲慢』の適合者となったフローラが向かう先は間違いなく、世界再生の民の本拠地。
今まで自分達が身を隠してきた島の名を、アルマは口にする。
「僕たちは空白の島を拠点としていた」
「空白の島って……」
「ありえない」と言わんばかりの反応を見せるヴァレリアだったが、そう思っていたのは彼女だけではない。
その島の名を知っている者は皆、互いの顔を見合わせる。
「成程。ビルフレストの考えそうなことだ」
残った左腕で頬杖を突きながら、テランは唯一人納得する。
確かにあの島なら、隠れるのにもってこいだと。
「あの、空白の島って……?」
話についていけないと、恐る恐るリタが手を挙げる。
妖精族の里から外へ出た経験が少ない彼女にとっては、初めて耳にする単語だった。
「空白の島というのは、四大大陸の中心にある島のことですよ」
卓上に広げられた世界地図の上には、四つの大陸が存在している。
魔術大国ミスリアや砂漠の国、ドナ山脈を越えた先に妖精族の里が存在するラーシア大陸。
魔導大国マギアが存在するリカミオル大陸。ティーマ公国の存在するイーマ大陸。そして、残るスプリウス大陸。
これらに取り囲まれるかのように存在している島がひとつ。
その島こそが、空白の島。未開の地であり、不可侵の地。
「え? でも、どこからでも行けるなら誰かが行きそうなものじゃないの?」
ラーシア大陸。ミスリアが中心に書かれた世界地図から空白の島は、南西に当たる。
海のど真ん中にまでアメリアが指を滑らせたところで、リタが小首を傾げていた。
「いいえ、リタ様。行けないのです」
リタの質問に答えたのはヴァレリアだった。
空白の島の周辺には岩礁が無数に存在しており、船での侵入を拒んでいる。
加えて、頻繁に発生する竜巻は空からの侵入さえも拒む。
心身が疲弊したところへ、空と海の両面から魔物が襲い掛かる。
訪れようとする全ての者を、拒むかのように。
「というわけで、行くのもしんどい。帰るのもしんどい。
使い道を見つけるよりも失うものの方が多いって、どの国も近寄ろうとしなかったんですよ」
お手上げだと言わんばかりに、オリヴィアは両手を広げて見せた。
誰も近寄らない。存在しないのと同じだという事で、いつしか空白の島と呼ばれるようになったという。
「一度入ってしまえば、長閑なものでしたけどね。
敵襲の心配をしなくてよかったという意味では、随分と楽でしたよ」
サーニャは空白の島での生活を思い出す。
思えばビルフレストやマーカスが好き勝手やるのに、あれ以上に条件が揃った土地はないだろう。
万が一、潜伏が気取られても容易には侵入をしてこない。危険な土地だと知れ渡っている事さえもビルフレストは利用していた。
「けれど、世界再生の民の人は簡単に出入りしているのですよね。
一体どのようにして、あの岩礁を通っているのですか?」
ロティスの疑問も尤もだった。容易に出入りが出来ない環境だからこそ、潜伏先として機能している。
だが、世界再生の民の手先は至る所で顔を見せる。容易に出入りをしているのは明らかだった。
「簡単な話なんだ。自分たちの使う海路だけ、岩礁を取り除いているのだから」
世界地図の上にアルマが筆を走らせる。
数本引かれた線は彼らが用意した海路を示しており、その更にその一部を円で囲む。
「勿論、岩礁が取り除かれていることに気付かれる懸念はあった。
だから、この周辺には魔術で偽物の岩礁を作ってある。触れてもなんともない、上辺だけの岩を」
自発的に岩礁へ攻め込む大馬鹿者など、そう居るはずがない。
見てくれだけで良かったのだ。たったそれだけで、部外者を拒絶する柵として成立をする。
「あとは、黄龍族を引き入れていましたからね。
空路が危険だと言っても、流石に空を司る龍族の方が上手ですよ」
「それで黄龍王を……」
前提として、紅龍王や蒼龍王に比べると黄龍王は性格的にも引き入れやすかったのだろう。
けれど、ビルフレストは見事にそれを成し遂げて見せた。その時点で、彼の頭の中では空白の島の利用を考えていたに違いない。
争いの無い時代が続き、結ばれた同盟が形骸化したこのタイミングだからこその一手。
フィロメナにとっては、己の不甲斐無さを嘆く結果となってしまう。
「空白の島へ向かうってことは分かりましたし、アルマさまの話によれば海路も使えるんですよね。
だったら、することはひとつ。また逃げられる前に、フローラさまを奪還しちゃいましょう」
「オリヴィアの言う通りだ。すぐに、船の手配を――」
まだ間に合うと自分へ言い聞かせながら、拳を強く握るオリヴィア。
ほんの僅かでもいい。罪滅ぼしになるのならと、アルマも彼女に賛同していた。
だが、王宮に残っていた者の表情には影が映る。
見方によっては、絶望しているようにも見えた。
「それが、出来ないのです」
「えっ」
絞り出すような声で、フィロメナが答える。
空白の島はミスリアの在るラーシア大陸からは南西へ移動しなくてはならない。
西側の主要な港は、異常発達した魔物により破壊されてしまったという報告を受けたばかりだった。
「そんな……」
口元を手で覆い隠すアメリア。隣に座りオリヴィアは、神妙な顔つきをしていた。
まさかのまさかだ。ここまで読みが当たるとなると、最早気持ち悪いとさえ思えてきた。
「あの人、なんなんですか。さすがにちょっと引きますよ……」
オリヴィアがぽつりと呟いた瞬間。
外から話を聞いていたレイバーンの鼻が、これまでとは違った匂いを察知する。
「む。何か来たようだぞ」
彼の声に反応した皆が、窓の向こうを眺める。その先に映るのは風切り音と共に飛来する一羽の鳥。
炎爪の鷹のヴァルムが、主を求めてミスリアの王宮へと現れる。
「ヴァルム……!」
主人との再会を喜ぶヴァルム。その首には、一枚の手紙が添えられていた。
差出人の名は、よく知っている。人虎のベリアだった。
それはシンとフェリーが、ベリアと合流を果たした事を意味している。
問題はその後。トリスの預けた手紙を以て、彼女達ネクトリア号の乗組員がどう判断をするかに懸かっていた。
……*
「俺とフェリーは港町へ戻る。トリス・ステラリード、アンタの仲間である人虎の船を借りられないか?」
アメリアとサーニャが危機を脱し、今後を話し合おうとした時の事。
シンは突然、王宮とは真逆の港町へ向かうと言い出した。
それも理由は、ネクトリア号の力を借りたいというものだった。
「ちょっと待て。どういう意図だ?」
あまりにも説明が足りないと、トリスが訝しむ。
今更彼らを疑うつもりもないが、トリスにとってもネクトリア号は大切な仲間のもの。
おいそれと首を縦に振る訳にもいかなかった。
「フローラ殿下が『傲慢』の適合者として連れ去られるなら、追い掛ける必要が出てくる。
海に逃げられるのであれば、船は必須だろう」
「そうかもしませんが、ミスリアにも当然船はありますよ?」
当然、フォスター家も所持しているというアメリアだったが、シンは首を左右に振る。
「ミスリアの船は全部破壊されている可能性がある」
「根拠はあるんですか?」
「ビルフレストの目的が『傲慢』に目覚めたフローラ殿下なら、必ず離脱をする。
その際に追って来られないようにするのは当然だろう。少なくとも、俺ならそうする」
「ええ……」
なんでこの人はあの外道の立場になってものを考えているのだと、オリヴィアは呆れ果てる。
どうやら同じ思いは自分だけではなかったらしく、「シンのあんぽんたん」とフェリーが呟いていた。
「本拠地が空白の島にあるのなら、少なくとも西側からの移動手段は断たれたと考えた方がいい。
ビルフレストにとって想定外のトリスたちの船だけが頼りなんだ」
シンがネクトリア号を推す理由には、魔導石を搭載しているという側面もある。
強力な推進力を得る魔導石ならば、多少の遅れは取り戻せると判断してのものだった。
マギアから来た自分達の船は、魔導石をマナ・ライドへ取り付けてしまっている。
最悪の状況を想定した時、ベリア達の協力は必須だった。
「……分かった。ただ、私にとってベリアたちは恩人で大切な友人だ。
決して無理はさせたくない。彼女たちが断った時は、潔く引き下がってくれ」
「ああ」
トリスの願いをシンは聞き入れる。その上で、トリスは一筆を窘めた。
謝罪から始まる、ベリア達への手紙を。
……*
「『アンタ、いつまで遠慮しているつもりなんだ。この大馬鹿もんが』……」
ベリアからの返答。その一行目を読み上げたトリスは、声に出した事を後悔した。
案の定である。周囲もざわめき始める。トリスの額から、冷や汗が流れた。
「え? もしかしてダメだった?」
「いえ、遠慮されていることを嫌がっているのかと……」
最後の希望が断たれたのではないかと、おどおどと周囲を見渡すリタ。
初めの言葉からそういう意味ではないはずだと、アメリアがフォローを入れていた。
恥ずかしさから顔を真っ赤にするトリス。
手紙の続きには、こう書き綴られていた。
「――『アンタのことだから、どうせまた巻き込んで迷惑を掛けるとは考えてるんだろ。
アタイも何度言ったか分からないよ。そんなの気にしたことないってね。
アンタは自分を卑下する。そりゃ、悪事に手を染めたって負い目からなんだろうけど。
けど、アタイらにとってアンタは恩人だ。誰が何と言おうと、それだけは変わらない。
アタイらの知らないアンタがしてきたことを償いたいってのなら、手伝わせておくれよ。
それが終わったら、アタイらの知ってるアンタと一緒に、若旦那の所へ戻ろう』」
トリスはやはり、手紙の内容を声に出した事を後悔した。
徐々に涙声になっていくのが止められない。
自分は本当に、良い巡り合いをした。心から、そう思えた。
手紙には、最後に一文こう書き加えられていた。
「……『追伸、マレットって博士がシンたちの乗ってたマナ・ライドの魔導石をつけてくれるってさ。
魔導石がみっつもついたら、どんな速度になるのかちょっと楽しみだよ』」
この文面を見る限り、ベリアは既に腹を括っている。
彼女にとっては縁もゆかりもない者の為に、動いてくれようとしている。
ならば自分も気後れしている場合ではないと、トリスは真っ直ぐにフィロメナと顔を見合わせた。
「フィロメナ様。今、読み上げた通りです。私の乗ってきた船。
ティーマ公国に所属するネクトリア号が、フローラ様の救出へ向かいます。
ただ、ひとつだけ。私はどんな処罰も受けます。ですから、ティーマ公国を――」
ベリアが言ってくれた事。その中でたったひとつだけ、叶わないかもしれないものがある。
それは共にティーマ公国へ向かう。ライルと再会を果たすというもの。
けれど、たとえそうだとしても。この約束だけは取りつけたかった。
世界再生の民から、ティーマ公国を護って欲しいと。
「もう、良いのですよ。トリス」
顔を強張らせながら話すトリスを、フィロメナが遮る。
その穏やかな表情を確認すると同時に、彼女は深々と頭を下げた。
「貴女がどれだけいい出会いをしたかは、その手紙だけで伺い知れます。
私も、貴女のお陰で希望が見えました。トリスも、アルマも。出来うる限りの望みは叶えてあげたいと思っています。
ただ、我儘が許されるのなら。どうか、フローラをよろしくお願いします……」
「フィロメナ様……!? お顔を上げてください!」
本来なら自分が頭を下げるべき立場であるのにと、取り乱すトリス。
同時に、やはり彼女にとって娘の存在は何にも代えがたいものなのだと実感をする。
「どうか、どうか……!」
「無論です。お任せください」
トリスは自分の腰に掛けた賢人王の神杖を、自然と握っていた。
ネクトリア号は、この杖は、自分が生まれ変わる切っ掛けをくれた。
その全ては、あのだらしない男へと繋がっている。
(分かってる。深く考えるつもりはない。私は、助けるために精一杯やるだけだ。
お前のおかげだ、ありがとう。ジーネス)
真の意味で自分を最初に見てくれた人間へ感謝の言葉を綴りながら。
トリス・ステラリードは、改めて覚悟を決めた。