380.取り戻さなくてはならないもの
ミスリア東部に位置する港町、ポレダ。
異常発達した魔物による混乱が見えたこの地だが、騒ぎは沈静化しつつあった。
「魔物の巣も叩いたし、漸く安心して過ごせるかね」
腕を組みながら大きく肩で息をするのは、人虎のベリア。
港町の冒険者たちや龍騎士と連携をしながら、彼女をはじめとするネクトリア号の面々は魔物の討伐に当たっていた。
「ベリアたちが来てくれて、本当に助かったぜェ。改めて礼を言わせてくれェ」
「いいってことよ。困ったときはお互い様ってね」
汗を拭いながら、人虎達に礼を言うのはこの町に住む海の男。ゴーラ。
共に魔物討伐に精を出す中。共に海を愛する者として彼らはすっかりと意気投合をしていた。
「アンタらも、ありがとな」
後方で小人王の神槌を用いて武器の修繕、強化を行っていたギルレッグ。
負傷した者の治療を受け持っていたイリシャ。
ベリアは彼らへ向き直り、牙をちらりと覗かせながら笑顔で礼を言った。
「なに、お前さんらが前線で戦ってくれてたから手助けをしたまでよ」
「そうそう。わたしたちもお陰で助かったし、お互い様よ」
ギルレッグとイリシャは気にする必要ないと、軽く手を振って返した。
慌ただしかった港町に再び日常が戻ってきた。はずだった。
「……なんか、聴こえないか?」
初めにその音を鼓膜で捉えたのは、ベリアだった。
眉を顰める彼女の視線に釣られるまま、全員が同じ方向を剥く。
「来てる……わね」
ベリアの言葉にまず同調をしたのは、イリシャだった。
音だけではない。地面に積み重なった雪を巻き上げながら、謎の物体が高速で接近をしてくる。
「マナ・ライドの音だな」
魔力が車輪を動かす、独特の駆動音からマレットは確信した。
この男は市販品のマナ・ライドでは到底出せない出力の音。シンとフェリーが乗っていったものと同一だと。
そして、彼女の読みは当たっていた。間も無くマナ・ライドは港町へと到着をする。
出発時と同じように、シンとフェリーを乗せて。
「シン。それに、フェリーちゃんも!」
「ただいま! イリシャさん!」
予想以上に速い帰還だったと、イリシャが目を丸くする。
フェリーも元気いっぱいに挨拶をするが、いつものような溌溂さはない。
どちらかというと、焦っているように見える。
「どうしたんだい? トリスとは合流出来なかったのかい?」
「いや。トリスとは逢うことが出来た。その上で、アンタにこれを読んでもらいたい」
ベリアの問いに首を振りながら、シンは一枚の手紙を彼女へと差し出す。
それは紛れもなくトリスの字で書かれた、ベリアをはじめとするネクトリア号の乗組員に対する彼女の願いが綴られていた。
……*
一命を取り留め、シンとフェリーを除く皆でミスリア王都へと帰還を果たしたアメリア。
彼女達の帰還を喜ぶどころか、半壊した王宮では深刻な空気が流れていた。
理由は問うまでもなく、『傲慢』の適合者となってしまったフローラ。
「これは……」
凄惨な王宮を前に、アメリアは言葉を失った。城の内外で乱暴に転がっているのは瓦礫の山。
中庭は土が掘り返され、雪による白さでも芝生による青さでもない。水分を多分に含んだ泥がひっくり返されている。
「まさか、これを全部フローラさまが……」
オリヴィアも同様に、どんな顔をすればいいか判らないと眉を下げていた。
幼い頃、一緒に遊んだ場所も。大きくなって共に紅茶を嗜んだ部屋も。その全てが破壊されている。
フローラがしたとは思いたくもなかった。
「アメリア、オリヴィア。無事でしたか」
「フィロメナ様」
皆の帰還を聞きつけ、フローラと同じストロベリーブロンドの髪を持つ女性が姿を現す。
ミスリア王妃であり、フローラの母。フィロメナ・メルクーリオ・ミスリア。
アメリアとオリヴィアにとっては幼いころより懇意にさせてもらっている相手。
「ご無事でしたか」
胸を撫でおろすアメリアだったが、フィロメナの心中を考えると素直に喜べるはずがない。
現にたった数日見ない間に、フィロメナの頬は痩せこけてしまっている。
後で侍女から聞いた話によると、心労で食事も睡眠もまともに摂る事が出来ていないらしい。
「ええ、私やイレーネは無事です。けれど、フローラが。
フローラが……!」
「フィロメナ様……」
悲痛な声を上げるフィロメナ。夫を失い、最愛の娘までも世界再生の民へ奪われてしまった。
泣き叫ぶ彼女へ掛ける言葉が見つからない。自分の弱さを思い知らされているようで、アメリアは奥歯を噛みしめる。
「フィロメナ……さま……」
「王妃殿下……」
責任を感じ、立ち尽くすはかつて世界再生の民へ所属をしていた者達。
トリス・ステラリード。サーニャ・カーマイン。そして、夫であるネストルにとっては嫡男であったアルマ・マルテ・ミスリア。
彼らの姿を見たフィロメナは、瞬く間に目を見開く。彼女は紛れもなく、怒りに染まった瞳を向けていた。
「あなたたちは……!」
「フィロメナ様、落ち着いてください。
大丈夫です。トリスさんも、サーニャも、アルマ様ももう敵ではありません。
本当に戦うべき相手は、ビルフレスト・エステレラです。全ては彼に振り回された結果なのです」
慈愛に満ちた彼女のものとは思えない姿が、垣間見えた。
リシュアンの件で個人的な憎しみに囚われてはならないと言ってくれた彼女に、こんな顔をさせていいはずがない。
アメリアは一刻も早く誤解を解かなくてはならないと、フィロメナの説得を試みる。
「そう、よね。そうでなければ、アメリアやオリヴィアと共に来るはずがないものね……」
「そうなんです。色々思うところはあります。わたしもあります。
それでもどうか、話を聞いてあげてくれませんか……?」
オリヴィアも、王妃を落ち着けようと身振り手振りでアメリアの加勢を始める。
彼女らの言葉を受けて、フィロメナは深く眼を閉じる。
様々な考えが脳裏を過る中。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
彼女に冷静さを取り戻させたのは、娘と姉妹のように仲睦まじく育ったアメリアとオリヴィアの存在が大きかった。
「……分かりました。貴女たちの身に起きたことを全て、教えてください。
リタ様やレイバーン様。それに、ヴァレリアたちも交えて。その上で判断をしましょう」
フィロメナの提案もあり、アメリア達は一同に集まる。
互いの身に何が起きたか。そして、これから何をすべきかを話し合う為に。
……*
王都の主戦力が一同に集まる。
皆の負傷具合で、どれだけ激しい戦いが行われていたかを把握するのは容易だった。
ビルフレストとの戦いで右腕を吸収に喰われてしまったライラス。
同様に、義手を失ったテラン。ヴァレリアも幾度となく斬られ、身体中に包帯を巻いていた。
だが、ビルフレストとの戦闘は悪い話ばかりでもなかった。
テランが義手を犠牲に、ビルフレストの吸収を一時的に限界まで喰わせた。
ヴァレリアが黄龍王の神剣に認められ、空白となっていた神器の継承者に収まる。
結果的に、王都からの撃退には成功していた。
(だから、剣だけで戦っていたんですね)
雪が降る森での戦闘。ビルフレストは、剣一本で戦い続けていた。
ヴァレリア達が多大な犠牲を払った上で彼を消耗させたからこそ、自分達は生き延びていたのだとオリヴィアは実感をする。
仮に魔術や邪神の能力を使用していたのなら、シンとフェリーが居ても危なかったかもしれない。
そして、ビルフレストが操る邪神の分体。『暴食』も同様だった。
リタとレイバーンにより何とか撃退を果たしたが、同時にアルフヘイムの森へ避難する術を失ってしまっていた。
結果的に、それが『傲慢』として覚醒したフローラが王宮を破壊する結果へと繋がる。
その件について、リタとレイバーンは悔しさを滲ませている。
「ごめん。私が止めていれば……」
「それを言うならば、余こそだ。この図体なのだから、いくらでもやりようはあったはずだ」
「いえ、決してお二人ののせいではありません。それだけは間違いないのです。
むしろ、お二人のお陰でフローラはまだ手を血に染めていないのですから」
沈痛な顔を見せるリタとレイバーンに対して、フィロメナは感謝の言葉しかなかった。
話を統合すると、胸が苦しいと蹲った後にフローラは『傲慢』として目覚めた。
自身の意思か覚醒による暴走かは定かではないが、彼女は周囲にあるものを手当たり次第に魔力で破壊していったという。
リタとレイバーンはそんなフローラを、身を挺して止めようと奮闘していた。
それは結果的にロティスが他の人間を避難させる時間を生み出し、死者をゼロに抑える事が出来た。
代償としてリタとレイバーンは大怪我を負ってしまったが、それでもフローラがミスリアの人間を殺すよりはずっといいと二人は言い続けている。
「リタさん、レイバーンさん。わたしが偉そうに言える立場ではないんですけど……。
それでも、ありがとうございます。不甲斐無いわたしの代わりに、フローラさまを護ってくれて」
まだフローラは道を踏み外してはいない。無力さに打ちひしがれるオリヴィアにとっては、唯一の救いだった。
席を立ち、彼女は精一杯頭を下げる。今の自分ではこんな事しか出来ないのが、悔しかった。
「や、やめてよ! フローラちゃんは私たちの友達でもあるんだから!」
「うむ。共に過ごした仲間だ。救け合うのは当然だろう」
慌てて両手をぶんぶんと振るリタと、彼女に同意をして何度も頷くレイバーン。
その光景を見て、思うところのある人物がひとり。フローラへ『傲慢』の核を植えこんだ張本人、アルマ。
「僕は、ずっと間違っていました。
本当に、なんと詫びればいいのか……」
「アルマ様。それを言うなら、ワタシもです」
「サーニャ……」
苦悩の表情をするアルマの袖を、サーニャがそっと摘まんだ。
少しでも苦労を受け持ってあげたいという彼への情が、垣間見える。
「アルマ。貴方の行ったことは決して赦されるものではありません。
ですが、このような蛮行に及んだ理由もあるはずです。
先ほどは取り乱してしまいましたが、きちんと話してください。
私はちゃんと耳を傾けます。その後に、先の話をしましょう」
フィロメナ個人として思うところは多分にある。
際限なく湧き上がろうとする黒い感情を、彼女は必死に抑え込んでいた。
心の内で虎視眈々と機を窺っている悪意には決して負けないと抗っている佇まいに、アルマは尊敬の念を抱く。
「申し訳ありません。フィロメナ……さま……」
アルマの瞳から、大粒の涙が零れる。
彼女のように強く、優しい人間であったならば。
自分の話を真摯に受け止めてくれたかもしれない。
きちんと話すべきだったのだ。過ちを犯す、その前に。
「恐らく、ビルフレストは一度戻るでしょう。
僕たちが居た本拠地に」
この女性から理不尽に娘を奪っていいはずがない。
自分の姉を、これ以上不幸にしていい訳がない。
アルマは自分の持っている全ての情報を語り始める。それは罪を償う為の第一歩。
茨の道なのは百も承知だった。赦されなくてもいい。ただ、彼は触れたのだ。
悪意と対極に位置するものに。