378.銀髪の記憶
「……ぐっ!?」
咄嗟に剣の腹で受け止めた突風。その正体が何なのか、ビルフレストの理解が及ばなかった。
あの男は間違いなく魔力を押し固めた炎を、銃口から射出した。
警戒はしていた。予測もしていた。無策で接近戦を挑む相手ではないと、理解していた。
だからこそ、放たれた赤色の灼熱を防ぐ事が出来た。
(一体何が――)
衝撃を堪えながらも、ビルフレストはシンから眼を逸らさない。
その結果、シンが風撃弾を放ったカラクリを理解する事となる。
(そういうことか。やってくれる)
太陽の光を不自然に反射するものが存在している。
鍵となったのは、シンの腰から魔導砲へ伸びる一本の糸だった。
その糸はホルスターにあるもう一丁の銃へと括り付けられていた。
シンが一歩下がった瞬間。彼は弛んでいた糸を掴む。
銃を放つために構えると動作がそのまま、腰のホルスターと引鉄が彼の意に沿ってビルフレストへ牙を剥く。
魔導砲から伸びる魔力の刃に赤色の灼熱を選んだのは布石だった。
炎を纏った刃は否が応でもビルフレストの目を引きつける。放たれた熱が空気を屈折させ、糸の存在を限界まで隠す。
赤色の灼熱が放てると推察したビルフレストは、銃を撃つ動作に過剰な反応を示す。
思えば、左手をほとんど使っていない。他の手仕掛けてくるなら、左手を使うはずだと無意識に刷り込まれていた。
魔導砲と空いた左手。
ふたつを用いて、シンは徹底的に右腰の銃の存在をビルフレストの脳内から消し去っていた。
(受け止められたか……!)
ビルフレストの警戒を掻い潜って風撃弾を放ったものの、肝心のシンの顔は浮かない。
直撃とまでは行かなくても、確実に負傷を与えたかった奇襲。漆黒の刃で受けた風は、瞬く間に破壊されていく。
残ったものは殺傷能力が感じられない、穏やかな風だった。
本命の一撃を放ったシンだが、戦闘が継続は依然として続いている。
ビルフレストの冷静になり切る前に。まだ自分の奇策を警戒している間に。
ひとつでも有効打を増やそうと、シンは攻撃の手を緩めない。
シンの左手から放たれるのは、魔硬金属製の投擲用のナイフ。
ナイフはビルフレストの胸元を僅かに裂くに留める。決定打には至らない。
まだ手数が足りないのなら、増やせばいい。
ナイフを投げた直後。シンは魔導砲の銃口を回転させる。
魔力を充填する余裕はないと、伸ばされた右腕からそのまま銃弾が放たれていく。
「次から次へと、芸が達者なものだ」
繰り返し放たれる銃弾も、致命傷には至らない。
世界を統べる魔剣に弾かれ、鎧で止められ。
六発放った銃弾はたった二発、彼の身体を掠めるに留まる。
「ならば私も、相応の返礼で応えよう」
シンの攻撃を凌ぎ切ったビルフレストは、距離を詰める。
魔力を纏った世界を統べる魔剣。悪意に覆われた凶刃がシンへ襲い掛かる。
「ッ!!」
シンは咄嗟に魔導砲で受け止める。激しい衝撃が身体中を伝い、奥歯を噛みしめた。
マギアで銃身が壊れたのは、怪我の功名だったかもしれない。
魔硬金属製に変えていなければ、今の衝突で破壊されていた可能性が高い。
「お前の礼など、望んだ覚えはない」
力で押し込もうとするビルフレストに、シンは自らの重心をズラす。
身体を入れ替えようとした瞬間。シンへ伸びるのは、『強欲』を冠した漆黒の左腕。
「シンさん……!」
かつてクレシアを、フィアンマの翼を喰らった左腕。
吸収が、シンをも喰らい尽くそうと伸びていく。
アメリアの脳裏に、最悪の状況が過る。思わず身を震わせながら、彼の名を叫んでいた。
邪神と交戦するフェリーの下から巨大な火柱が立ち昇ったのは、同時の事だった。
……*
「もう……! はやくシンのトコに行かないといけないのに!」
一方で、フェリーは自らに体当たりをする『嫉妬』と相対していた。
下半身が消し炭に成りながらも尚、膂力はフェリーを容易に上回っている。
速攻で片を付けるのであれば、魔導接筒で形成した剣しかない。
「邪神の分体……。なんだよね……?」
フェリーがぽつりと漏らした問いに、『嫉妬』が答える様子はない。
彼女が思い出したのは、マギアで体験した『憤怒』との一件。
穢れを知らない、純白の子供。邪神の正体を垣間見た気がした。
悪意に染まっていくであろう破壊の化身。それさえも、シンは手を差し伸べた。
自分の大切な男性はいつだってそうだ。冷静な振りをしながら、妙ちきりんな事ばかりをする。
昔から変わらない彼の姿が、フェリーは嬉しかった。
悪いのは邪神そのものではないと感じた。
だから、眼前に居る『嫉妬』もどうにかできないだろうか。
何とか方法を模索するフェリーだが、同時にマレットの言葉が掘り返される。
――分体の形状が良かった。
『憤怒』は悪意を鎧のように纏っていた。
結果として、純粋なままの白い子供が残ったのだと彼女は推察をする。
もしそうであるのなら、眼前に居る『嫉妬』には同じものは期待できない。
消し炭となった半身も、身体と混ざり合った薄い石榴色も。とても外殻を纏っているとは、思えなかったからだ。
「……ゴメンね」
灼神を霰神を組み合わせるフェリー。
やるせない思いを抱えながら『嫉妬』と向き合った瞬間。不意にピースの声が聴こえた。
「フェリーさん、駄目だ! 邪神の眼を見ちゃいけない!」
「えっ?」
痛みを堪えながら、ピースは必死に声を絞り出す。
彼の言葉の意味を理解するよりも先に、フェリーは『嫉妬』と眼が合ってしまう。
邪神の持つ能力。幻影がフェリーの瞳から、過去を引き摺りだそうとする。
「――ギャアアアアアアァァァァァァァァ!?」
刹那、巨大な火柱が舞い上がる。
その中心で炭へと姿を変えていくのは、他でもない『嫉妬』だった。
フェリーの内側に存在している魔女の持つ禁忌に、『嫉妬』は触れてしまった。
「つっ……。あたまが……」
火柱が生み出される瞬間。フェリーは強烈な頭痛に見舞われる。
手で目元を抑えつけると、僅かな水分が掌へと移る。決して汗ではない事は明白だった。
魔女の怒りに触れ、消滅をしていく『嫉妬』。
邪神の分体が死に際に視たものが、一瞬だけ全員の前に姿を現す。
「え……」「あれ……」
オリヴィアとピースさえも、思わず声を漏らす。
映し出されたものは、とても理解の及ばない代物だった。
まるで雪景色のように美しい銀髪を靡かせる女性の、後ろ姿。
彼女が振り返ろうとした瞬間。『嫉妬』が息絶えた事により、幻影は霧散して消えてしまった。
それでも、どうしても脳裏に浮かぶのは彼女の名前だった。
「イリシャ……さん……?」
ごく自然に、フェリーの口から漏れたのはイリシャの名。
はっきりと見ていないにも関わらず、妙な確信があった。
幻影の詳細を知らないフェリーにとっては、余計にそう思えただろう。
(どうして、イリシャさんが……)
けれど、幻影の能力を知っているオリヴィアは訝しむ。
他人の可能性も否定できない。けれど、他人の空似にしては似すぎている。
何より、フェリー自身が「イリシャ」と呟いたのだ。
フェリーはイリシャにとてもよく懐いている。
二人の間に後悔を感じる、見られたくない出来事が存在するとは思えなかった。
ひとつの謎を生み出し、『嫉妬』は消滅する。
……*
シンへと伸びるのは『強欲』の左手。
自らを喰らい尽くさんとする悪意に対して彼が下した決断は、普通では考えられない行動でもあった。
「それが、どうしたっていうんだ」
「何をしているんだ!?」
事もあろうに、シンは吸収を持つ左手を自らの右腕で受け止める。
正気の沙汰とは思えない行動に、アメリアは眼を逸らし。アルマは声を荒げる。
「貴様……ッ!」
だが、そんな中でただ一人。左手を放った張本人であるビルフレストだけが眉間に皺を寄せていた。
伸ばした左手は、シンを喰らってはいない。はっきりと彼の右腕は、ビルフレストの左手を受け止めていた。
「状況を見れば解る。お前が今、喰えないことぐらいは。
これ見よがしに左手を繰り出したのは、明確な罠だ」
「――ッ!」
シンが戦場へ駆けつけた時。明確な違和感が存在していた。
仲間割れが発生しているような状況にも関わらず、ビルフレストが食い散らかした形跡はまるで残っていない。
加えて、接近戦に於いては剣戟ばかりで吸収を使おうとはしなかった。
触れる機会はいくらでも作れたはずなのに、作らなかった。
何より決定的なのは、漆黒の左手を外套から出そうとしない。
状況的に警戒させたいのではなく、隠しておきたいのだとシンは判断する。
「アンタがどういう経緯でこの場に立っているかは知らない。
けど、俺の仲間たちはアンタの好きにさせてはくれなかったようだな」
一か八かの賭けではない。仲間達のこれまでが蓄積されていると確信が持てたからこそ、シンは受け止める事が出来た。
その証拠に、受け止めた左腕には腹を壊したかのように細かな亀裂が無数に走っている。
「シン・キーランド!」
ビルフレストはここまで己の思い通りにならない人間と初めて遇った。
右手が握り締める世界を統べる魔剣を以て、シンへと斬り掛かろうとする。
「遅い」
その言葉通り、シンはほんの僅かだがビルフレストの先を行く。
シンは受け止めた右腕からそのまま引鉄を引く。ビルフレストの左肩へ刻まれていく銃創。
漆黒の刃が彼へ襲い掛かるより先に、身体を入れ替えるようにしてシンは脱出を果たす。
密着から解放されるシンとビルフレスト。魔導砲の銃口が向けられたまま、二人は互いの呼吸を測る。
雨粒のように垂れていく血が、ビルフレストの頭を冷やしていった。
(『嫉妬』も、完全に破壊されたか)
世界を統べる魔剣に埋め込まれた石榴色の石は、輝きを失っている。
不意に立ち昇った火柱。その仔細を見る事は叶わなかったが、恐らく不老不死の魔女に焼き尽くされたのだろう。
(潮時だな)
世界を統べる魔剣はアルマから奪った。
アルマとサーニャに至っては、もう脅威に成り得ない。
時を待たずして、フェリーはシンの援護へ訪れるだろう。
ヴァレリア達との戦いを経て、ビルフレスト自身も消耗している。
何より『傲慢』に適合したフローラを迎え入れなくてはならない。撤退を決断するには、十分な材料が揃っていた。
「アルジェント、退くぞ。それとも――」
上空に待機する黄龍を呼び寄せながら、ビルフレストは負傷をしているアルジェントへ声を掛ける。
ゆっくりと立ち上がろうとするアルジェントへ待ったをかけたのは、アルマだった。
「アルジェント……!」
彼は身分など関係なく、自分と接してくれていた。
大切な友人だと思っている。ビルフレストの元へ行かないで欲しいと、アルマは縋るような眼で彼を見た。
「……はァ」
ほんの僅かな沈黙の後、アルジェントは後頭部をボリボリと掻く。
心底呆れたような顔をしながら、彼はアルマへと冷たく言い放つ。
「オレっちもアルマっちのことは嫌いじゃねェよ。
けどさ、もうアルマっちの下じゃ欲しいモンは手に入らねェよな。
だったら、ビルフレストのダンナについていくに決まってんじゃんか。
ミスリアの王女が適合者なら、アンタもう要らねェもん」
「……っ」
他者を軽んじ、上澄みだけを掠めとる男。
アルジェントは己の欲望に従い、ビルフレストの元へと向かう。
アルマはその背中を、見送る事しか出来なかった。
やがて二人を乗せた黄龍は、空の彼方へと消えていく。
龍族が視界から完全に消えるまで、シンとフェリーはその姿を目で追い続けていた。
「シン……。逃がしちゃって、良かったのかな……」
「このまま戦闘を続けると、俺たちも危なかった。
今は、逃がすしかなかったんだ」
「ん……。そうだよね……」
シンの言う通り、残った者は重傷者ばかりだった。
邪神が見せたイリシャの姿。そして、取り残された世界再生の民の人間。
オリヴィアよりフローラが『傲慢』の適合者だと知らされるのは、その直後の事だった。
やるせなさだけを残し、悪意の塊は戦場から姿を消した。




