377.悪意との再戦
マナ・ライドで港町から東を目指していたシンとフェリー。
二人が目にしたものは、激しい戦闘が終わろうとしている様だった。
「シン、あれ!」
背中越しに聴こえるフェリーの声。遠巻きに聴こえる悲鳴を前に、不安を滲ませる。
伸ばされた指先から見える者達。豆粒ほどの大きさだが、眼を凝らして状況を確認する。
アメリアやオリヴィア。ピースは勿論、世界再生の民のメンバーまでも揃っている。
しかし、各々の立ち位置や向いている方向が妙だとシンは訝しむ。
ミスリアの王宮や三日月島で相対した事のある侍女へ、刃を向けるビルフレスト。
仲間であるはずの彼女の命を奪おうとしている、異常事態。
(何があった……?)
一刻も早く向かうべきだという焦りから、シンはマナ・ライドの速度を緩めない。
残された僅かな時間で熟考を重ねていく。
浮遊島での戦い。ピースの話によれば、『怠惰』の適合者は『色欲』の適合者に命を奪われた。
王都で相対した魔術師の女も同様に命を狙われ、港町で逢ったベリアに救けられたという。
同様の事態が発生しているのではないかという考えが過る中、そのやはりあまりにもおかしな状況だった。
ビルフレストを止めるべく動いているのは、ミスリア第一王子。アルマ・マルテ・ミスリア。
世界再生の民の頭目であるはずの彼が何故、ビルフレストへ食い下がっているのか。
その理由は、地に伏せているサーニャなのだと考えた。
シンは魔導砲を手に取る。
片手での操縦となり、改造されているマナ・ライドの揺れが大きくなる。
万が一に備えて、狙撃用の銃身を取り付けていた事が幸いした。
いくら距離が遠くても、もう待てない。間に合わないという判断を下す。
「シン、撃つの?」
「ああ」
フェリーもまた、眼前に広がる歪な光景を訝しんでいた。
けれど、シンほど考えが纏まっていない。だから、彼に全てを委ねる。
「このままだと、次は恐らくアメリアたちだ。奴に絶対殺させるわけにはいかない」
シンの言葉通り、アメリアやピースも重傷だ。オリヴィアやトリスだって、戦闘が継続できる状況か判らない。
一刻も早く、戦闘に介入するべきだという気持ちは強かった。
「……うん。ゼッタイ、そんなのダメだよ」
彼の決断に対して、自分に出来る事は何か。考えた末に、フェリーは背中越しにシンの右腕を支える。
揺れによるブレが収まった一瞬。シンは迷わず、魔導砲の引鉄を引く。
放たれた弾丸は金色の稲妻。狙撃用の銃身を通して、最速の弾丸が冬の森を駆け抜けた。
……*
「シン・キーランド……!」
弾かれた世界を統べる魔剣を通して、ビルフレストの腕が痺れを訴える。
車体を揺らしながら放ったとは思えない。呆れるほど正確な射撃を放つシンに対して、ビルフレストは奥歯を噛みしめる。
「シンさん! フェリーさんも!」
オリヴィアは二人の名を呼ぶ。驚嘆の声は上擦っていた。
もう駄目だと、全てが終わりだと思っていた。
絶望の中舞い降りた希望の星を前にして、オリヴィアは自分が成すべき事を考えはじめる。
(この状況。正確に把握するのは難しいはず……)
二人を乗せたマナ・ライドは高速で接近している。
この混沌とした戦場の状況を正確に伝える時間はない。
オリヴィアはシンが通り過ぎる一瞬。今の自分に出せる精一杯の声を張り上げる。
「ビルフレストと、邪神の分体を!」
「分かった」
アルジェントは戦闘不能になっている。ならば、目下の敵はビルフレストと『嫉妬』。
戦うべき相手だけを簡潔に伝えるオリヴィア。彼女の意図は、シンとフェリーへ伝わっていた。
マナ・ライドは、土煙を上げながらビルフレストへ接近している。
「先にいくよ、シン!」
減速を待たずして、フェリーがマナ・ライドから飛び降りる。
ひらりと宙に舞う不老不死の少女。永く美しい金色の髪が、空に靡いた。
「来るか」
ビルフレストのまだ右腕は痺れている。
咄嗟に世界を統べる魔剣を左手へ持ち替え、フェリーへの迎撃に備える。
「以前のように、また切り刻んでやろう」
「あたしだって、何回もやられたりはしないよ!」
フェリーの身体が頂点に達し、落下へと切り替わる。
着地の瞬間を狙うビルフレストに対し、フェリーは受け止めようのない攻撃を繰り出そうとする。
二本の魔導刃・改が、魔導接筒によって連結される。
「いっく……よお!」
「ッ! 『嫉妬』!」
全てを焼き尽くさんとする灼熱の柱が、彼女から振り下ろされる。
咄嗟に『嫉妬』を盾にするべく、命令を下すビルフレスト。
「――!!」
淡い石榴色の身体が火柱を受け止める。けれど、魔導接筒により増幅された刃は止まらない。
迸る魔力と質量により、フェリーは強引に押し切る。周囲の雪が一瞬にして融け、水蒸気が舞い上がる。
煙の向こうでに存在しているのは、左半身が消し炭となった『嫉妬』の姿だった。
「大した威力だ。だが、当たらなければ意味が無い」
半ば奇襲を兼ねた一撃に、流石のビルフレストも肝を冷やした。
けれど、自分に対しては不発に終わっている。あれだけの質量を持った刃を形成したのだ、小回りが利くはずもない。
腕を完全に下げきったフェリーを狙うべく、ビルフレストは彼女の死角へと回り込もうとする。
けれど、フェリーだって判っている。この男は強い。恐怖を感じる程に、斬られ続けた。
だからこそ、独りで抑えられるとは思っていない。自分はあくまでシンがマナ・ライドを降りるまでの時間を作ったに過ぎない。
「シン!」
フェリーが叫ぶと同時に、灼熱の柱は忽然と姿を消す。
魔導接筒から灼神と霰神を引き抜き、二本の刃へと姿を変えた。
消えた質量の向こう側。ビルフレストにとって壁となっていた世界の向こうでは、シンが銃を構えていた。
「……チイッ!」
連続して放たれる銃弾を、ビルフレストは世界を統べる魔剣を盾に防ぐ。
だが、攻撃の手は休まらない。続けざまにフェリーの持つ真紅の刃と透明の刃が彼へと襲い掛かる。
「シン……さん。フェリー……さん……」
満身創痍の中、アメリアは二人の名を呟く。
力になれないのが口惜しい。せめて邪魔にならないようにと、彼女は地を這いつくばりながら離れていく。
「シン・キーランド。それに、フェリー・ハートニア……」
アルマもまた、シンとフェリーの雄姿を眼に焼き付けている。
彼らはミスリアの外から現れた存在。妖精族の里やカタラクト島。クスタリム渓谷だって、直接は関係がない。
幾度となく邪魔をされた。憎たらしいと言っても、過言ではない存在。
けれど、漸く分かった気がする。
彼らは邪魔をしているのではない。悪意とは対極の位置に、立とうとしているだけなのだと。
フェリーの剣を受けながら、ビルフレストは厄介な状況に舌打ちをする。
同様に例え高出力の魔力で造られた刃を持とうとも、フェリーだけなら組み伏せるのは容易い。
要所要所で放たれるシンの銃弾が、彼に思うような反撃を許さなかった。
(まずは分散させるべきか)
この二人を崩すなら各個撃破をするしかないと判断したビルフレストは、世界を統べる魔剣の刀身に埋め込まれた『核』を通して命令を下す。
『嫉妬』は逆らう意思を見せず、残る力を振り絞ってフェリーへその身を力の限り衝突させていく。
「――っ! ちょ、っと!」
不意に襲い掛かる衝撃を前に、フェリーの足が地面から離れる。
半身が消し炭になったとはいえ、体格の差は埋めようがない。『嫉妬』によって、強制的にビルフレストから離されていく。
「まずはシン・キーランド。貴様だ」
不老不死の少女をいくら傷付けようとも埒が明かない。
先に殺すべきはシン・キーランド。何より、ビルフレストは彼が心底憎たらしかった。
何も持っていない。何者でもない彼の存在そのものが、気に入らない。
「させない、ってば!」
『嫉妬』に押し込まれる中、フェリーは抵抗を試みる。
魔導接筒を接続し、創り出したのは巨大な氷の塊。
霰神をベースにした巨大な刃を、横薙ぎに払う。
至近距離で受けた『嫉妬』こそ氷像になるが、その膂力ですぐさま脱出を果たす。
邪神の分体が受け皿となった事で、フェリーの一撃をビルフレストは難なく避ける。いくつもの氷柱が、地面から天へと伸びていった。
「無駄な真似を」
届かない攻撃を前に、ビルフレストは吐き捨てた。
シンが接近しているのが、氷の表面に反射をしている。姿を隠す事すらままならない。
彼女の狙いは失敗したのだと思っていた。
「無駄じゃない」
けれど、シンはそんなビルフレストの考えを否定するかのように前へと進む。
フェリーの生み出した氷が、魔導砲の弾倉へ押し当てられる。
高濃度の魔力によって造られた刃は、赤色の灼熱。圧縮された炎の刃が、銃口から伸びていく。
「魔力の剣か。次から次へと、面白いものを用意する」
赤色の灼熱と世界を統べる魔剣が激突をする。
一度交差するだけで、押し固められたはずの魔力が爆ぜる。そう何度も受けきれないと、魔力の刃が悲鳴を上げていた。
剣としての性能差を把握したビルフレストは、シンが距離を取る事を許さない。
何度も何度も、漆黒の刃が血を吸わんとシンへ襲い掛かる。炎の刃がそれを受け止める度に、刀身が削られていく。
「どうした? 随分と苦しそうだが」
「お前には関係がない」
ビルフレストの刃を受ける度、シンが苦痛で顔を歪める。
マギアで負った傷はまだ完治していない。普通の戦闘なら誤魔化す事が出来ても、ビルフレスト相手では致命的な差だった。
それでもシンは、決して集中力を切らさない。ここで自分が敗北する事の意味を理解している。
「釣れない男だ」
世界を統べる魔剣の一撃が赤色の灼熱を砕く。
最早、刀身はナイフ程度の長さしか残っていなかった。
「ッ!」
次の攻撃は受けられないと判断したシンは、咄嗟にその身を引かせる。
けれど、それは後ろ向きな考えからではない。この残った刀身で、ビルフレストへ奇襲を仕掛ける為の布石。
「逃がすものか」
シンが下がった分だけ、ビルフレストは距離を詰める。
けれど、先に動いたのはシンだった。銃を構えるスペースが、一瞬でも生まれれば良かった。
「俺も逃げるつもりはない」
ビルフレストの持つ漆黒の刃が自分へ向けられる前に。
シンは魔導砲を構えた。放たれるのは、ナイフのような長さとなった赤色の灼熱。
先刻まで刃として扱っていた魔力の塊が、弾丸へと姿を変える。
完全なる奇襲の一撃となるはずだった。
「案の定、その剣は撃てるのか」
しかし、ビルフレストもシンの行動を読んでいた。世界を統べる魔剣は、赤色の灼熱を力づくで弾く。
接近戦を挑んだシンが意味もなく消耗だけするはずがない。
かつて煮え湯を飲まされた経験が、ビルフレストにその先の行動を推察させる糧となってしまう。
「そんな……」
「シンさん!」
戦いを見守っていたアメリアやオリヴィアが思わず声を漏らす。
彼の策が不発に終わった事よりも、ビルフレストを止める手立てがない。
このままではシンが斬られてしまうと、息を呑む。
「まだだ!」
そんな中、赤色の灼熱を放ったシンだけが前を見ていた。
刹那、ビルフレストの持つ世界を統べる魔剣に強い衝撃が撃ち込まれる。
巻き起こる突風は、魔導弾のひとつ。風撃弾による風の塊が、ビルフレストへ襲い掛かっていた。