376.『傲慢』の適合者
剣を収めるように諫める父と、拒絶する息子。
石榴色の左眼を通して、アルマの苦悩が丸裸にされていく。
「ビルフレスト! 貴様ッ!」
晒された過去を前に、アルマは逆上をする。
魔術金属製の剣を持ち、ビルフレストへ斬り掛かるが呆気なく受け止められてしまう。
「何故だ、何故こんな真似をする!」
「それは私の台詞ですよ。初めから、国王陛下の命を頂戴するつもりだったではないですか。
納得して、思い描いた通りに殺しておいて、どうして今更苦悩しているというのですか」
「くっ……」
淡々と返すビルフレストに、アルマは言葉を失った。
長い間、ビルフレストと留学をしていて。彼の価値観が全て正しいと思って。
世の中には汚いものが蔓延っていると知って。頂点に立ちながら放置をしている父を、心底許せなかった。
第一王女もそうだ。王女と言う立場を盾に、傍若無人な振舞いを重ねていく愚かな姉。
彼女を放置している事が、父が醜いものを見ようともしない証左のように思えた。
「そして、今この瞬間も。貴方の苦悩は増えている。
私がサーニャを傷付けたことで。トリスが生きていることで。
ラヴィーヌやジーネスが死んだ真相を知ったことで!」
迷いの残るアルマを、ビルフレストが弾き飛ばす。
彼の命を奪おうという気はまだ無かった。アルマには、まだ利用価値がある。
満身創痍のアメリア達は、ビルフレストとアルマの戦闘に割って入れない。
アメリアやピースの傷は深く、オリヴィアは殆ど魔力が残っていない。トリスに至っては枯渇している。
あまりにも無力なまま、国王が殺される様を見せつけられていた。
「貴殿たちも見るがいい。アルマ・マルテ・ミスリアの犯した『罪』を!」
ビルフレストが叫ぶと同時に、幻影による父と子の戦いは佳境へと移っていく。
不意に動き出す常闇の迷宮。不意に現れた第一王女。
娘を自らの手で奪ってしまう、父の姿。狼狽する父を斬り伏せた息子だけが、最後に立ち尽くしていた。
「ッ……」
アルマは拳を強く握りながら、顔を歪めた。
何度も脳内で繰り返し再生される父の死に際を、まさか再びこの眼で見る日が来るとは思わなかった。
「むごいことを……」
吐き気を催したオリヴィアは、思わず口元を手で覆った。
アメリアに至っては、朦朧とする意識の中で下唇を噛みしめる。
「彼は自らの父を。血の繋がった姉を。自らの意思で殺したのだ。
今更後悔をしたところで、紛れもなく咎人だ。その事実に変わりはない!」
高らかに声を上げるビルフレストへ、異を唱えられる者はいなかった。
国王の最期。その光景が齎す効果は絶大で、彼へ抗う者達の戦意すらも奪っていく。
「そして、貴方は知らなくてもいいものを知っていった。
故に、今この瞬間も貴方の後悔は増えていっている。
その証拠をお見せしましょう」
ビルフレストは語る。アルマへ放たれた幻影はまだ終わってなどいないと。
続けざまに広がる光景は、アメリアとオリヴィアへ更なる絶望を与えていく。
国王と第一王女が消え、舞台は続けて三日月島の光景となる。
役者はアルマ。そして、フローラとオリヴィアが映し出されていた。
「どうして……。どうして、フローラさまが……?」
当事者なのだから知らないはずがない。自分を庇おうとしたフローラへ叱咤をした場面だ。
どうしてこの場面が映し出されたのか。意味が解らないと、オリヴィアが声を漏らす。
「ビルフレストッ!」
困惑をするオリヴィアとは打って変わって、アルマは声を張り上げる。
彼にとって苦悩の記憶だという事が証明される。
「この件も、納得済みの話ではなかったのですか。
こうして幻影で現れること事態が、貴方が変わった何よりの証。
今日。つい先刻まで、彼女を迎え入れる心づもりだったではないですか」
「それは、どういう……」
アメリアとオリヴィアは、同時に心臓が激しく脈打つのを感じた。
映し出された人間はフローラとオリヴィア。ビルフレストの口振りから、オリヴィアではない事は明白だった。
幻影により再生された苦悩の中で、フローラは腕から血を流している。
アルマの刃が、彼女の皮膚を裂いた瞬間だった。
「フローラ・メルクーリオ・ミスリアは、この瞬間に『核』を植え付けてある。
残る邪神の分体。『傲慢』の適合者は、彼女だ」
「そ、んな……」
「うそでしょう……?」
アメリアは頭の中が真っ白になった。ビルフレストの言っている意味を、心の内で拒絶する。
オリヴィアに至っては、膝から崩れ落ちている。あの瞬間。自分のせいで、取り返しのつかない事になってしまったと。
「王家の血を引くフローラが居れば、貴方は不要だ。
元より、邪神にも適合しなかった男。御輿として担ぐにしても、あまりにも脆く軽すぎた」
「ビル……フレストォォォォッ!」
全身を強張らせ、全ての力を込め、アルマはビルフレストへ再び斬り掛かる。
初めから、自分も彼にとっての駒に過ぎなかった。幼い頃からずっと、彼の掌で踊らされ続けていた。
今まで何も考えなかった自分の馬鹿さ加減に苛立つ。
せめてこの男の自由にはさせない。それがアルマに残った、最後の意地だった。
「気合を入れようが、怒り狂おうが、実力差が埋まるはずもない。
剣を教えたのは私だと、理解しているだろうに」
全身の力を込めたアルマの一撃を、ビルフレストは難なく受け流す。
返しで放った世界を統べる魔剣の一撃に、魔術金属の剣はあえなく砕ける。
魔術金属の破片と共に、アルマの血が冬空へと舞う。
「ビルフレストさん……っ!」
声を張り上げるアメリア。彼女もまた、アルマ同様に我を忘れていた。
フローラが邪神の適合者として『核』を埋め込まれた事実を聞かされて、黙っていられるはずがない。
「どうして、どうして……っ!」
「可能性を試したに過ぎない。無論、適合しなければ死んでいただろうがな」
蒼龍王の神剣の一撃を受けながら、ビルフレストはさも当然のように言い放つ。
それはアメリアを逆上させるには十分な一言であり、同時に冷静な判断力を奪っていく。
「貴方って人は!」
自分を斬ろうとするビルフレストに、一瞬の隙が生まれた。
普段の彼ならば、絶対に生まれない隙を前にして、アメリアはまんまと釣られてしまう。
「王女の命より、自分の命を心配するべきだ」
これ見よがしに造られた隙へ吸い込まれていく蒼龍王の神剣を、ビルフレストが弾く。
傷の深さで満足な反応が取れないアメリアは、続けざまに放たれるビルフレストの一太刀を防ぐ手段がない。
「か、は……」
「お姉さま!」
太刀筋から遅れて舞い上がる鮮血が、雨のように地面へと降り注ぐ。
時を同じくして地に伏せたアメリアの身体を中心として、血溜まりが広がっていく。
「心配をしなくてもいい、姉妹仲良く同じところへ送ってやる」
「そんな心配……!」
気丈に振舞うオリヴィアだったが、続く言葉が喉を通らない。
うつ伏せに倒れるアメリアは、まだ微かに身体が膨らんでいる。呼吸をしている証だった。
一刻も早く治癒魔術をかけたいところだが、立ちはだかるビルフレストを退ける手段が思い浮かばない。
「ビルフレスト……。君は……!」
「貴方も、もう諦めるべきだ。これ以上の伸びしろを持ち合わせていない。
私も、期待していないからこそ見限った」
世界を統べる魔剣の切っ先を向けながら、ビルフレストが冷たく言い放つ。
彼の言葉を否定する手段をアルマは持ち合わせていない。
「かって……な、こと。言わないで……くだ、さい……よ。
アルマ様は……。なんだって、手に、いれられる……。
あな……た、の……。思い通りに……だれも、なってやくれませんよ……」
悔しさで胸が張り裂けそうな彼に代わって、ビルフレストを否定したのはサーニャだった。
最期の力を振り絞って吐き出した言葉は、アルマの未来を案じてのものだった。
「思い通りにはならない、か。そうだな、お前の言う通りだ。
だが、何も手に入れられはしない。お前が貴族の慰み者から、脱しきれなかったように」
「ワタ、シ……は、いい……ですよ。もとより、賭けのつもり……でした、から……」
サーニャの前に立つ人影は、ビルフレスト。
長身の彼が世界を統べる魔剣を掲げる事で、影が一層長く感じられた。
太陽を背にしても一切の光を反射しない漆黒の刃。この剣に、今から自分の命が吸われていく。
今更、命乞いをする気はない。しても意味がないと、知っている。
ただ、残るたったひとつの願いだけは譲れない。サーニャは見えてもいない中で、確かにアルマの方を向いていた。
「アルマ……さま。生きて……ください」
最期に欲したのは、自分を想ってくれた男性の未来だった。
彼はまだ若い。生き延びさせすれば、いつかきっと幸せを掴みとれる。サーニャはそう信じている。
刃が振り下ろされて絶命しようとも、簡単には放してやらない。この願いだけは、必ず叶えて見せる。
自分の人生が終わろうとする僅かな間で、様々な想いが脳裏を過る。
貴族達に弄ばれた、下らない人生の走馬灯を見せられるよりは余程有意義だと思えた。
(恰好つけないで、ちゃんと返事をすればよかったですね)
真っ先に浮かんだのは、後悔。アルマを焦らしたりなどせず、応えてあげるべきだった。
仕方がなかった。あんな真っ直ぐな好意を向けられたのは、初めてだったから。
薄汚れていると自覚しているからこそ、彼の純粋な言葉が眩しくて素直になれなかった。
(アメリアお嬢様も、オリヴィアお嬢様も。本当に、あなたたちといるのは楽しかったのですよ。
ただ、欲しいものが手に入らない。惨めな思いをしてしまう。ワタシの心が弱いと言われれば、それまでですけど)
続けて浮かぶのは、フォスター家への複雑な想い。
自分が仕えた貴族の家で、唯一楽しかったと言える場所。
初めにフォスター家を訪れていれば、ずっと幸せな毎日を過ごせたのかもしれない。
そう思うと、本当に自分は運がないのだと思わずには居られなかった。
(フローラ様。あなたとのお茶会も、楽しかったのです。
これから辛い思いをさせてしまうかもしれません。本当に、申し訳ありません)
最後に浮かんだのは、邪神の『核』を植え付けたフローラへの謝罪だった。
あの時、自分も三日月島に居た。アルマ独りに『罪』を押し付けるつもりはない。
せめて自分の死を以て、留飲を下げて欲しいと願う。
「さらばだ。サーニャ・カーマイン」
「サーニャ!!」
世界を統べる魔剣が血を求め、サーニャへと振り下ろされる。
誰でもいい。サーニャを救けてくれ。アルマの悲痛な叫びが、周囲一帯に轟く。
無理だと解っていても、願わずには居られなかった。
そして神は、まだアルマを見棄ててはいなかった。
彼が踏み外した道を戻る為の切っ掛けが現れる。
「――ッ!!」
空気を切り裂く様に放たれた稲妻は、世界を統べる魔剣を弾く。
続けざまに聴こえる渇いた音を前にして、ビルフレストは本能的に身構える。
アメリアでもオリヴィアでも。ましてや、アルマでもない。
稲妻の主はオリヴィアの更に後ろから、攻撃を放っていた。
それが誰なのかを考える必要はなかった。既に予測はついている。
「フェリー、いけるか?」
「うん。だいじょぶ」
視界の奥の奥。遥か後方から土煙を上げる物体がひとつ。
マナ・ライドに乗った青年と少女が、高速で接近している。
「シン・キーランド。フェリー・ハートニア……!」
顔を強張らせながら、ビルフレストはその名を呟く。
幾度となく自分達の邪魔をし続けた憎き存在が、またも立ちはだかろうとしている。