373.欲するものの為に
アルマの中に生まれた迷いは彼が元々、仲間想いだという事に由来している。
そもそも。世界再生の民を立ち上げた切っ掛けもビルフレストが見せたこの国の暗部。
悍ましく、醜いものを破壊するという目的が原点となっている。
そこから先はビルフレストによる教育が始まった。
彼の目的からすると邪魔に成り得る感情を、敢えて教えようとはしない。
ミスリアを生まれ変わらせる為。アルマ自身が英雄となる為。
まだ幼い少年の心は、ビルフレストという悪意によって染められていた。
それでも彼は、生来の心優しさを完全に失った訳では無い。
元々顕著に表れていた仲間意識に加え、最大の変化は父であるネストルを自らの手で葬ってからだろう。
ビルフレストに教えられていない感情が、ぐるぐると回っている。
その正体は「後悔」だと、サーニャは教えた。
言葉として知ってはいるが、アルマは彼女に言われて初めてそれを理解した。
以後、彼は今までの教育で教わっていない感情をサーニャから吸収していく。
サーニャの行動はビルフレストの意に背く。だが、彼にとっては必要だと考えた。
王たる器となる為に人が持つはずの感情を理解して、真の意味で清濁を飲み干すべきだと思っての行動だった。
アルマはサーニャから色々な感情を学んでなお、世界再生の民としての活動を止めようとはしなかった。
幼少期の自身が見た、この世の地獄とも思えるような世界を知ってのうのうと生きては居られない。
例え大きな痛みを伴っても、必ずミスリアを。この世界を変えてみせるという思いだった。
そうしなければ、父を斬った自分に折り合いがつけられない。
後戻りは出来ないのだと、自分に言い聞かせながら。
世界再生の民の仲間と共になら、きっと最後は上手く行く。
そう信じていたアルマは、生き延びていたトリスの存在によって揺らぐ。
トリスが生きていて、ジーネスがラヴィーヌに討たれて。
そしてラヴィーヌはどこか知らない所で、命を落としたという。
自分の体温がぐっと下がったような錯覚に陥る。
何が何だか分からないと、アルマは半ば無意識にサーニャへ救けを求めた。
これは自分が種を蒔いたせいだと、サーニャも理解はしている。
ビルフレストの教育通りならば、恐らく彼は迷っていなかったのだろう。
けれど、それは同時に今のアルマとは違う事を意味している。
自分に好意を持ってくれて、自分が好意を持ったアルマは、今ここに居る彼だ。
彼がこれ以上苦しまないようにしたい。
サーニャが出した結論は、自分が欲するものを口に出す事だった。
結局のところ、それが全ての望みに繋がっているのだから。
「アルマ様。ワタシは戦います。そうしなければ、ワタシの欲しいものは手に入りませんので」
「サーニャ……」
アルマも当然、彼女が何を欲しているか知っている。
生まれ変わった世界での地位。世界再生の民へ参加する者の多くが、求めているもの。
サーニャはミスリアの貴族にその身を弄ばれていたという過去がある。
それこそ、アルマがビルフレストへ見せられた醜い世界と同様のものだろう。
彼女の原動力はその貴族達への復讐心なのかもしれない。ならば、アルマとしてもやはり今のミスリアを受け入れる訳には行かない。
「その通りだ、サーニャ。僕にも欲するものがある。
君の望みも叶えてあげたい。今、胸の内に抱えている不安は後で問い質せばいい」
最も大切な女性は、戦う道を選んだ。
自分も迷いが生まれたものの、立ち止まる訳には行かない。吹っ切れたアルマは、世界を統べる魔剣を構える。
「アルマ様……。ありがとうございます」
サーニャもまた、隠し持っていたナイフを構える。
沈黙を保っていた『嫉妬』も、彼女に同調するようかの如く立ち上がった。
これでいい。アメリアやオリヴィアは聡明だ。
今の会話から、アルマは自分に乗せられたと判断してくれるはずだ。
世界再生の民についても、認識の食い違いからビルフレストへ矛先が向かうだろう。
勿論、アルマが国王を殺したという事実は覆らない。
彼が許される立場にない事は判っている。それでも、ほんの僅かでも希望は残しておきたかった。
こんな自分を美しいと、娶りたいと言ってくれた少年へのサーニャの答えだった。
尤も、サーニャの欲しいものが変わった訳ではない。
敗けるつもりは到底ない。この場は全力で、敵の制圧を行うつもりでいた。
「いくぞ、アメリア。一度、本気で君と手合わせをしてみたかった」
「アルマ様っ……!」
魔導石を模した『核』から、力が漲る。
鋭い剣閃は剣術の腕前では勝っているはずのアメリアを、強引に追い詰めていく。
「先ほどの話は――」
「ああ、その件についてはビルフレストへ問うつもりだ。けれど、君が気にすることではないだろう!
僕は、僕たちは! 邪神の力を以て世界を変えて見せる! その意思に代わりはない!」
「っ!」
悪意を力の源泉としているはずなのに、口から発せられる言葉は純真無垢なものだった。
そのギャップにアメリアは戸惑う。世界を統べる魔剣を持ったアルマの猛攻もあり、言葉を紡ぐ余裕が無い。
直撃を受けないように、彼の剣を捌くのが精一杯だった。
「アルマ様、おやめください! 世界再生の民は、ビルフレスト様は何かがおかしい!」
トリスは賢人王の神杖を構え、残った魔力を絞り出す。
アルマを止めるべく魔術を放とうとした矢先、荒れ狂う風が彼女へと襲い掛かる。
「つつ……。トリスっちよお、アルマっちはそこのお嬢さんと一対一を所望してるんだ。
割り込むってのは野暮だろ、いけねェなァ」
「アルジェント……!」
脳風の向こうから聴こえる声は、『強欲』の適合者のものだった。
目覚めた彼は、予め札へ封印していた颶風砕衝を発動している。
『強欲』こそ出せそうにないが、残った手札で彼は戦線への復帰を果たす。
「後、大層コケにしてくれたなァ。お前は絶対に許さねェ」
「あなたに許しを請わないといけないものなんてありませんよ。
ミスリアを荒らしているのは、そちらじゃないですか」
睨みつけるアルジェントに対して、オリヴィアは一歩も退かない。
ただ、彼女も先刻ほど万全ではない。サーニャの悪夢の余波は想像以上に大きい。
情報を絞り出そうと気絶させていたのが、ここに来て悪い方へと転がっていく。
「おやおや、ここへきて形勢逆転ですかね」
四対四。内、相手の二人は魔力が枯渇寸前にある。
最も厄介なアメリアはアルマが抑えている。完全に流れは、世界再生の民へと傾きつつあった。
「そうはいくか!」
絶体絶命にも等しい状況に一石を投じたのは、ピースだった。
『羽・強襲型』を重ねた上に乗ったままの彼は急上昇の後、『嫉妬』へ突撃をする。
「ヤケクソですか? そんな攻撃で!」
サーニャは『嫉妬』へ迎撃態勢を取らせ、自身もナイフを構える。
それでもピースは決して退かない。それどころか、どんどんと加速をしていく。
好機は一瞬。確実に皆へ繋ぐ為の一撃をここで放つ。
逆立つ髪の毛。身を切るような冷たい空気に耐えながら、ピースはその一瞬を見逃さまいとしていた。
「――今だっ!」
『嫉妬』の構えた拳が自分へと突き出される瞬間。
ピースは自分の身体を預けていた『羽』を、六枚に分離させる。
「なにを!?」
突拍子もない行動に身を強張らせたのは、サーニャだった。
次の瞬間には『嫉妬』の拳が、自由落下をするピースを捕えようとしていた。
「こ、なくそ……ッ!」
ピースは分離した『羽』の内、一枚だけを手元へと残していた。
その一枚は『嫉妬』の拳を受け止める。重い一撃に耐えられないまま、翠色の刃に亀裂が入る。
亀裂から魔力で造られた風が吹き出し、吹き荒れる風が『嫉妬』とサーニャへと襲い掛かる。
「面倒な真似をしてくれますね……!」
咄嗟に瞼で眼を覆う程の風を受け、サーニャが毒づく。
ピースとて、この結果は予想だにしていない。精々、『羽』がクッションになればいいぐらいの認識だった。
果敢にも邪神に立ち向かった結果、偶然が彼に味方をした。
「チャンスだ!」
ピースは落下をしながら、本体である翼颴の刃を突き立てる。
『嫉妬』の肩口から重力の流れに沿って、縦に大きな斬り傷を刻み込んだ。
「――!」
「うおっ!?」
ピースの一撃は深い傷ではなくとも、『嫉妬』に相応の不快感を与える。
怒り狂う『嫉妬』が拳を振り下ろす。間一髪躱したピースは、低い姿勢のままサーニャへと斬りかかる。
「本体のお前さえ倒せば!」
「ナメないでくださいよ、妙ちくりんなお子様が!」
突風を受けた煽りで、視界はまだはっきりとしない。
けれど、サーニャはそんなものには慣れている。
何も見えない暗闇の中で恥辱に耐えていた頃に比べれば、ぼやけていて光があるだけ遥かにマシだった。
翼颴の一振りは、ナイフを駆使するサーニャによって軌道を逸らされる。
多少、服が引き裂かれたが気にも留めていない。我ながら感覚だけで上手く行ったものだと、サーニャは自画自賛をしていた。
「残念でした。そして、君の位置はこれで判りましたよ」
「くっ!」
「逃がしませんってば」
サーニャは距離を置こうとするピースの腕を掴み、強引に引き寄せる。
女性に腕力で劣るこの身体を恨めしく思ったと同時に、彼の後頭部に硬い岩で殴られたような衝撃が走る。
「かはっ……!」
衝撃の正体は、『嫉妬』による拳が振り下ろされたものだった。
自らを傷付けた者への鬱憤を晴らす一撃が、ピースへと襲い掛かる。
「あらあら。痛そうですね」
「痛いってモンじゃない。けど、アンタも見落としてるだろ」
「……はい?」
頭から血を流しながら、ピースは不敵な笑みを浮かべる。
意地や負け惜しみで発しているものとは、とても思えなかった。
『嫉妬』がピースを護る『羽』を砕いた瞬間に、突風が吹いた。
その直前は、『嫉妬』の身体に隠れてピースの様子を完全に把握していない。
加えて、アルジェントが放った颶風砕衝。暴風の齎す音が皮肉にもピースへの追い風となる。
彼女は完全に見落としていたのだ。残る五枚の『羽』。その在処を。
五枚の内、三枚はアルジェントへ。二枚はアルマへと襲い掛かる。
ピースは自らを囮として、希望を繋ごうと必死に足掻いていた。
「あァ、もう! 鬱陶しいんだよ!」
縦横無尽に舞う『羽』は、アルジェントを苛立たせる。
右腕を用いて接収を発動しようにも、こう離れてしまっていれば一枚しか奪えないだろう。
先刻、アメリアに隙を突かれたように、その間に残る二枚が襲い掛かるのは明らかだった。
「ったく、全部まとめて処理するしかねェのか……!」
苛立ちながら、アルジェントは札を取り出す。
大量の凍撃の槍で撃ち落とせば問題ないと、右腕を構えた。
「――なんだァ!?」
刹那、自らが札から放った颶風砕衝が霧散する。
露わになった景色の先には、魔力を使い果たして肩で大きく息をするトリスの姿があった。
「はあ、はあ……。上手く、いったか……」
賢人王の神杖を地面へつき、自らの身体を支える。
これまで神器を使ってきて、賢人王の神杖は魔術の術式を拡張させる事が得意なのではないかとトリスは感じ取っていた。
今までは自分の魔術だけだったが、他者の魔術に干渉は出来ないだろうかと考える。
一か八かの賭けだったが、彼女は見事に賭けに勝った。颶風砕衝へ自らの術式を拡張させ、霧散してみせたのだった。
「トリスっち、てめェ……」
「いい様だ。普段見下しているから、すぐにそうなるんだ」
疲労困憊ながらも、悔しがるアルジェントを前にトリスは笑みを浮かべて見せた。
魔力は枯渇してしまったが、強い達成感を得た。そして、ピースとトリスの行動はオリヴィアへと繋がっていく。
「はい、油断ですよ」
パチンと指を鳴らした瞬間。札を持った右手を水の牢獄が拘束をする。
アメリアが詠唱を破棄する際にとっている予備動作。小さい頃は格好良くて、オリヴィアにとって憧れだった。
だから、この動作をするだけで本能的に水の牢獄のイメージが脳内へと浮かんで来る。
オリヴィアは心の底から、オリヴィアへと感謝をした。
「ッ! こんなモン!」
しかし、オリヴィアもまた、魔力の大半を失っていた。
放たれた水の牢獄も決して、拘束力は高くない。
アルジェントの持つ札。封印されている凍撃の槍ならば、右腕諸共撃ち抜く事は可能だった。
「その短絡さ、本当に宝の持ち腐れですって」
煽るオリヴィアに、アルジェントの眉が動く。
自身を完封した彼女の言葉だからこそ、アルジェントも釣られてしまった。
本当に警戒をしないといけないのは、依然として飛び回っている『羽』だというのに。
「……があああああっ!」
三枚の『羽』が、アルジェントへ斬りかかる。
防衛本能から、アルジェントは札の凍撃の槍を放つ。
『羽』は動きを停止したが、同時にアルジェントも負傷により膝をついた。
「クソが……」
起き上がる気力もないまま、アルジェントは吐き捨てる。
今まで他者の上澄みを奪い、蹂躙してきたアルジェントにとって屈辱に塗れた一日だった。