幕間.アメリアと五大貴族
私はミスリア王国、オルビタ領。最大都市トラモントに足を運んでいた。
居住区にある貴族街でも一際大きな屋敷。
ぽつんと、その屋敷の応接室で腰を下ろす。
身体をソファに沈み込ませ、待機する二人の侍女に軽く会釈をする。
表情を変える事なく淡々としているが、その所作に隙は見当たらない。
恐らく、彼女たちは主人の護衛も兼ねている。それがすぐに判る佇まいだった。
「アメリア嬢、お待たせして申し訳ない!」
慌てて走ってきたのか、額に汗を流しながら現れる初老の男。
ミスリア五大貴族が一家、シュテルン家の現当主。ニルトン・シュテルンその人だった。
「いえ、こちらこそ突然訪れて申し訳ありません」
私は立ち上がり、会釈をしようとするとそれを手で制される。
「騎士団長、更には蒼龍王の神剣の継承者に頭を下げさせるわけにはいきません。
どうか、そのままで」
ニルトンさんにそう言うと、私は促されるままに再びソファへと腰掛ける。
彼はミスリアが三本所持している神器の中でも、特に蒼龍王の神剣を神聖視している。
それもそのはず、シュテルン家の当主は代々蒼龍王の神剣の所有者となっていたからだ。
蒼龍王の神剣を継承することはシュテルン家の当主の証でもあった。
同時に、神器を任されるという事はミスリア五大貴族では大きな意味を持つ。
その代においてのパワーバランスが、神器の所有者である事で容易に変わってしまうからだ。
シュテルン家はずっと蒼龍王の神剣を継承していた事もあり、五大貴族でも特に強い発言権を持っていた。
風向きが変わったのは、二年前。
ニルトンさんが今までの当主のように、息子のライラスさんへ蒼龍王の神剣を引き継がせようとした時の事だった。
彼の意に反して、蒼龍王の神剣はその身を扱う事を許さなかった。
この瞬間、神器の一本。そして、大きな権利が空席になったのだ。
狼狽えるニルトンさん。我が家の物にしようと企む他の五大貴族。
その中で、フローラ様がさも当然のように言った一言。
――アメリアでいいでしょう? 問題あるのかしら?
正直に言うと、この時までまさか自分が神器を扱うなど考えても居なかった。
見渡す限りの貴族の視線に圧倒されながらも、私は蒼龍王の神剣を手に取る。
その刀身は瞬く間に蒼く輝き、手に吸い付いた。神剣に認められた証だった。
それが、私が蒼龍王の神剣を所有するに至った切っ掛け。
同時に、フォスター家が五大貴族の中でも強い発言権を得た瞬間。
それ以降、ニルトンさんは私を快く思っていないと感じていた。
結果的に、代々守ってきた蒼龍王の神剣を奪ったと考えていると。
元々、ミスリア王家の所有物なのだとしても。
「しかし、アメリア嬢は一段と綺麗になったようで!
どうですか? 息子などは――」
ニルトンさんは私のお世辞も程ほどに、息子であるライラスさんをこれでもかというぐらい推してくる。
蒼龍王の神剣を再びシュテルン家に取り戻そうとしての行為だという事は、私にだって解る。
しかし、政略抜きにして私にその気はない。
想い人が出来たのだ。恐縮だが諦めていただきたい。
「ニルトン殿、申し訳ありませんが……」
「そうですな! 息子では荷が勝ちすぎますからな!」
相手に言われるぐらいなら自分から先に取り下げたつもりなのだろうが、私としては会話に振り回されるだけで疲れてしまう。
まだ用件をひとつも伝えられていない事がそれを疲労感を加速させる。
「あの、今回訪問させて頂いたのはですね――」
少しでも間を置くと、すぐにライラスさんの話題になりそうなので切り替える。
今回訪れた理由は、ウェルカ領での出来事なのだから。
……*
「ふむ……」
ひとしきり私の話を聞いたニルトンさんは顎に貯えた髭を撫でた。
「ライラスから聞いていた話と、ほぼ同様ですな」
どうやら、ライラスさんから大まかな話は聞いていたらしい。
私も、五大貴族でこの件を知らない者は居ないとは思っていた。
ミスリアには12人の選ばれし王宮近衛兵が存在する。
五大貴族から二人ずつ、そして王家の血筋より二人。
黄道十二近衛兵と呼ばれ、神器の継承者とは別に選りすぐりの者が配備される。
……と言えば聞こえはいいのだが、要は互いが互いを監視している。
五大貴族が誰も謀反を起こす事なく、ミスリアの歴史を紡いでいるのはこういった背景があった。
少しでも内乱があればドナ山脈の向こうから魔族が襲ってきて収拾がつかない。
大昔にはそんな時代もあったらしいので、その対策として生まれたシステムだった。
尤も、その実力は折り紙付きでミスリアが魔術大国と呼ばれるのは彼らの存在あっての事だった。
ライラスさんやオリヴィアもその一員であり、その任を務めている。
オリヴィアに限って言えば、半分ぐらいはフローラ様とお茶会をしていると愚痴を言われた事もあるけれど。
私もオリヴィアの前任だったので、フローラ様がお茶会好きなのは知っていた。
とても良くして下さっていたのだが、蒼龍王の神剣の継承者となった事でその任を解かれたのだった。
逆に言えばこんな大きな事件が起きれば、五大貴族の耳に入らないわけがなかった。
しらばっくれる家が在るなら、優先して調査をしようと私は考えているぐらいだ。
「第三騎士団には災難でしたな。まさか、魔王の眷属まで現れるとは」
「……私に付いてきてくれた者には、謝罪の言葉もございません」
もっと慎重に、もっと的確に。
あの日から何度後悔したか分からない。
驕っていたのだろうか。油断していたのだろうか。純粋に実力が足りなかったのだろうか。
何度考え直しても、答えは出ない。
私は、自分の強さの源は国を愛するから故だと思っていた。
しかし、ダールの言葉を思い返す。
――我が国の進化。
あの男は確かに、そう言ったのだ。
歪んだ形とはいえ、愛国心があの男にはあった。
同時に、自分が国中を見て回った意味が判らなくなった。
ただ歩いて、上辺だけの平和を眺めて帰っていたに過ぎない。
私はきっと、何も見えてはいなかった。
それでも神剣は私を見棄てないで居てくれている。
ならば、この国に巣食う闇を振り払わなければならない。
「それで、アメリア嬢は謀反を企む不届き者を探しているといったところですかな?」
「……えぇ、その通りです」
私の任務も、ニルトンさんにはあっさりと看破されていた。
ここまで知られているならと、下手に隠すのは「疑っています」と宣言するようなものだった。
私は目撃者が多数いる情報に関して、隠すことなく話す事にした。
……*
「ふぅむ。俄かには信じがたい話だが――」
ニルトンの反応は尤もだと思う。私も、逆の立場だと素直に受け入れられるか判らない。
彼に話した内容は四つ。
人間が魔物に変わる事。その際に、微かな魔力の揺らめきを感じるという事。
変貌した魔物を斃しても、灰となってしまう事。死体も残らないので、調査が困難となってしまう。
その灰が魔法陣を描き、双頭を持つ魔犬が召喚されたという事。
そして――、ダールが破壊に対して激高した『核』の存在。
漆黒の球体については、自分が見たものではないので説明ができなかった。
邪神についても、情報が曖昧すぎるので敢えて言わない事にした。
「しかし、実際に起きた事です。
事実、多くのウェルカの人々が魔物にされてしまっています」
一体、どういう性質で魔物に変貌させているのかは解らない。
ピースくんが言っていたワインやジュースは、瓶が割られて全てが失われていた。
恐らく、ダールを殺した者の仕業だろう。
「ひとつ言える事は、人間を魔物に変える術が存在している以上、安全な場所はないという事ですな」
その通りなのだ。
今回の件で、一番厄介なのは対策が取り辛いという点にある。
魔力の流れで変貌は感知できたとしても、それは避難の誘導にしかならない。
変貌する人間を止める事は出来ないのだ。
だから、私はこの人を尋ねた。
「王宮の魔術研究室で研究を重ねたニルトン殿なら、何か分かるかと思いましたが……。
やはり解明は難しいでしょうか?」
ダールと同じ時を、同じ研究室で過ごしたニルトンさんなら何か知っているかもしれない。
五大貴族で最初に彼を訪ねた理由は、そこにあった。
ニルトンさんはまたも顎髭を撫で、考え込む。
その眼差しは真剣そのものだが、少し不機嫌なようにも見えた。
「それは、私がダールと同じ釜の飯を食ったから聞いているのですかな?
それとも、いち研究者としての意見を求めているのですかな?」
不快感を示すような仕草で、訊き返された。
やはり、少し露骨すぎたようだ。
黄道十二近衛兵がいる以上、五大貴族が変な気を起こす事は難しいと考えている。
ダールの事を敢えて言葉に混ぜたのは、念のためだった。
「失礼だとは思いましたが……、両方です。ドルトン殿。
彼と同じ時を同じ研究室で過ごされた貴方なら、彼の考え方を熟知していると思いました。
勿論、別のアプローチで何かヒントが判ればそれに越したことはありませんが」
「ダールの考え方ですか……。あの男は優秀でしたが、何処か危うさがありましたからな。
今回はそれが顕著になった形ですが……」
ニルトンさんは一通り考えた後に「やはり心当たりはない」と首を振った。
「強いて言える事があるとすれば……。
状況だけを見ると我々の理とは違う魔術である可能性が高いという事でしょうな。
勿論、先入観で断定するのは危険ですが」
違う『理』。
私も、同じ可能性を模索している。
世の中に出回っている魔術書を見ても、類似の者は見当たらない。
ただ、奇しくも同じタイミングで違う『理』を持つ人間と知り合った。
不老不死の身を宿した少女。フェリー・ハートニア。
今はきっとシンさんと旅をしている最中だろう。
彼女の体質が今回の現象とはかけ離れている事から、同一のものとは思っていない。
代わりと言ってはなんだが、自分達が知らない『理』は無数に存在しているという証明は成された。
それは同時に、使用者が自覚さえしていれば容易に隠せるのではないかという不安。
思ったより頭を悩ませる旅になりそうだった。
結局、二人でいくつかの可能性を話し合ったがどれも決定打に欠けるといった印象だった。
……*
宿への帰路は足取りが重くなった。
ニルトンさんがしつこく泊まるように言ってきた事もあるが、やたら蒼龍王の神剣に触ろうとしてくる。
今まで継承していた自負があるのだろうが、そもそもこれは王家の物なのだから遠慮して欲しいと思う。
「おかえりなさいませ、フォスター様。お手紙が届いていますよ」
宿の受付嬢が笑顔で挨拶をしてくれる。
その天真爛漫な笑顔はどこかフェリーさんを彷彿とさせた。
「ありがとうございます。それと――」
「はい?」
「どういう風に笑ったら貴女のようになれますか?」
彼女はきょとんとしてしまった。
やってしまったと思い、手紙を受け取ってそそくさと部屋へ逃げ込む。
手紙の差出人はオリヴィアだった。
『親愛なるお姉さまへ。
黄道十二近衛兵にそれとなく訊いたけれど、ボロを出す人はいませんでした。
引き続き、王宮の調査はわたしに任せてください』
フローラ様の指示なのか、独断なのかはわかりませんが頼りになる妹だと思った。
ただ、危険な事だけはしないで欲しいと切に願う。
手紙には続きがあった。
『ライラスがお姉さまの事ばかり訊いてきて、少しウザかったです。
何か勝手に期待しているみたいでした』
ライラスさんもニルトンさんも、そんな姿勢だから蒼龍王の神剣が愛想を尽かせたのでは……。
手紙にはまだ続きがあった。
『フローラ様がシンさんの人相を知りたがっていますので、必ず返事を下さい』
私はその場で「あまり危険な事はしないように。それと、絶対に教えません」と返事を書き、手紙を出す。
天真爛漫な笑顔で受付をしていた彼女が戸惑いながら受け取る姿を見て、申し訳ないと思った。
オリヴィアの手紙はともかく、この場にシンが居て欲しいというのは本心だった。
一緒に居たいというのは勿論だが、彼はきっと自分の経験と照らし合わせて考えてくれる。
マギア出身という事もあって、私とはきっと違う視点で物を見てくれるだろう。
「……シンさん。今はどこにいるのでしょうか」
私は枕を抱いて、ベッドへと転がる。
いつしか私は、そのまま熟睡をしてしまっていた。