371.付き纏う過去
相手を死に至らしめるまで悪夢を見せ続ける『嫉妬』の魔眼を打ち破った。
ピースの戦線復帰はアメリアとサーニャの双方に衝撃を与える。
オリヴィアやトリスも、自力での覚醒を果たせるのではないかという期待を抱くアメリア。
「オリヴィア! トリスさん!」
だが、アメリアが呼んでもオリヴィアとトリスに変化は訪れない。
依然として眠ったままの二人は、一層顔色を悪くしていた。
サーニャの反応からも、やはり自力で復活を遂げたピースの方が特殊なのだろう。
「って、あれ!? オリヴィアさんに、トリスさん!?
もしかして、二人も幻術に掛かったままなんですか!?」
その張本人はというと、悪夢に魘される二人の姿に驚いていた。
本人も意識した上で悪夢から抜け出した訳ではないという事が窺える。
(無意識で違和感に気が付いた? こんな子供が?)
一方で、悪夢を突破されたサーニャの胸中は穏やかでない。
ピースの言動から、明らかにまやかしだと解る何かを彼は掴んでいる。けれど、その何かがサーニャには解らない。
復活に至る過程が判らない以上、もう一度術中に嵌めても効果は期待できない。
新たな天敵と成り得るこの子供は、今ここで殺さなくてはならないとサーニャが決断するのは必然だった。
「ピースさんっ! 目を覚ます方法は!?
オリヴィアや、トリスさんでもできますか!?」
『嫉妬』の追撃を凌ぎながら、アメリアが声を張り上げる。
この二人が復活を果たせば、数的には優位に立てる。自然と、ピースへ強い期待が寄せられる。
「いやあ、それはちょっと難しいかと……」
アメリアの期待とは裏腹に、ピースは眉を下げた。
自分が違和感に気付いたのは、『今の身体』で『生前の夢』を体験したからだ。
オリヴィアやトリスが同じ手段へ辿り着く可能性は、万が一にも存在しない。
本当にどういう訳か判らないと混乱を極めるサーニャ。
ピースの生い立ちを知っている為、言動からある程度の状況を察するアメリア。
思考の停滞と切り替え。相反する二人の間に生まれた隙を、アメリアは見逃さない。
「なら、ピースさんはサーニャを! 彼女を止めれば、解放される可能性があります!
私は蒼龍王の神剣で、二人に纏わりついた邪神の力を断ちますから!」
残った四枚の『羽』を重ね合わせ、二門の砲台へと変える。
サーニャと『嫉妬』へ一発ずつ、牽制として放つ。
魔力の消耗が加速した事による脱力感がアメリアを襲うが、彼女は歯を食い縛りながら走り出す。
「『嫉妬』! アメリアお嬢様を止めて!」
アメリアにしては照準が甘い。その事実がサーニャへ冷静さを取り戻させた。
彼女も必死なのだ。一刻も早く、仲間を救わなくてはならないと焦っている。
『羽・銃撃型』による砲撃を躱しながら、『嫉妬』へ指示を出す。
「させ、るか……ッ!」
サーニャの声に反応をしたのは『嫉妬』だけではない。
アメリアから指示を受けたピースもまた、覚醒したばかりの頭でやるべき事を最適化しようとしていた。
邪神の分体と適合者。そして敵の術中に嵌ってしまった二人の魔術師。
状況が芳しくないのは明らかだ。
それでも、アメリアならば状況を変えうる力を持つ。
邪神の力を断つ神剣ならば、オリヴィアをトリスを悪夢から解き放つ事が出来る。
自分の役目は決して侍女の女を抑えるだけではない。
アメリアの邪魔をする者全ての足止めだと察した。
翼颴から分離している六枚の『羽・強襲型』が宙を舞う。
風を纏った翠色の刃はアメリアの『羽・銃撃型』を握り潰す『嫉妬』へ、果敢にも挑んでいく。
そして、『嫉妬』を操る者。邪神の適合者の元へ向かうのは、ピース自身。
風刃で牽制をしながら、彼女へと斬りかかる。
「頼りにしてますよ、ピースさん」
逆方向へ進攻するアメリアとピースが重なる瞬間。アメリアは確かにそう言った。
転生して間も無く知り合い、ずっと魔術の手解きをしてくれた師匠。自分は今、彼女に頼られている。
以前は自分が持っているかも考えた事が無かった自己肯定感。
むず痒さを感じながらも、背中を押されたピースは力強い眼差しをサーニャへと向けた。
「師匠の頼みだ! アンタは絶対に、おれが食い止める!」
「子供の遊びじゃないんですよ!」
翼颴とサーニャのナイフが交差する。
一本では到底受け止めきれない。サーニャの両手が、風の刃によって自由を奪われる。
「生憎、見た目ほど子供じゃないんでね!」
それでもまだ、翼颴の全力では無かった。
ベル・マレットが造り出した魔導石の進化系。魔導石・廻は、ピースの魔力を容赦なく吸収していく。
「こ、の……っ!」
自分の眼前で発生した小さな竜巻を前に、サーニャは舌打ちをする。
組み合ってから更に強力な風を纏うなんて、回避しようがない。卑怯にも程がある。
ただ、愚痴を言っても状況が変わらない事も理解している。不幸中の幸いか、サーニャは理不尽には慣れていた。
「っ……!」
両手のナイフが砕けると同時に、体重を乗せていたピースが雪崩れ込むように倒れる。
このままでは風の刃が自分の身をズタズタに斬り裂いてしまう。サーニャは咄嗟にピースの服を深み、身体を入れ替えようと試みた。
「逃がすかっ」
身体が重力に導かれていく。地面へ沈もうとするなら、ピースは翼颴を右手一本で振り回す。
翠色の刃。その切っ先が空を衝くまでの間に立っているサーニャを狙ったものだった。
「ワタシだって、逃げる気も逃がす気もありませんよ」
尤も、サーニャもピースが取るであろう行動は警戒していた。
小柄な子供の射程距離ではギリギリ届かない位置まで引いた彼女は、美しいベージュの毛先を空へ舞わせる程度に留める。
それよりも重要なのは、腕の伸びきったピースの身体だ。
相当無理な体勢をした彼は、続くサーニャの蹴りを防ぐ手立てを持っていない。
「――ッ!!」
彼女の爪先を通して、ピースの左腕に鋭い痛みが走る。
明らかに蹴られただけではない。何度も喰らってはまずいと、咄嗟に身体を転がして距離を取る。
顔を上げたピースが見た物は、真っ赤に染まったサーニャの靴。その先端から、針が伸びていた。
「おっかないもんを……」
咄嗟に左腕を差し出したのは幸いだった。臓器の類は無事だろうと、ピースは身体を起こす。
反対に仕留める絶好の好機を逃したサーニャは、心底悔しそうな顔をしていた。
「だって、そういう戦いじゃないですか。それに、まだまだ序の口ですよ」
刹那、ピースの視界に石榴色を薄めたような身体をした巨体が映りこむ。
アメリアの『羽・銃撃型』を握りつぶし、ピースの『羽・強襲型』に背中を貫かせながらもまるで気にしていない怪物。
邪神の分体。『嫉妬』が、彼の前へと立ちはだかった。
『羽』に気を取られ、アメリアには追い付けない。
ならば先に各個撃破をしようという、サーニャが作戦変更をした証。
「ピースさん!」
アメリアが声を上げるよりも早く、『嫉妬』の左眼が光を発する。
サーニャ同様、邪神の持つ魔眼がピースへと襲い掛かった証だった。
「さあ、貴方の見られたくない姿を暴いてあげますよ」
不敵な笑みを浮かべるサーニャ。
『嫉妬』の魔眼が持つ能力は、幻影。
他者の持つ知られたくない姿を投影し、皆の前へと暴露するもの。
サーニャは『嫉妬』の持つこの能力を、大層気に入っている。
自分を穢し続けた醜い貴族共を晒しあげる事が出来るのだから、使いたくてうずうずとしていた。
悪夢さえも打ち破る子供は、どんな経験をしているというのか。
そして、どんな見られたくない過去を持っているというのか。
『嫉妬』の魔眼から映し出される男の姿。あられもない姿が、曝け出されていく。
「これは……?」
「誰ですか、これ?」
投影された姿を前にして、アメリアとサーニャは眉根を寄せた。
映し出されたのは明らかにピース自身より一回りも二回りも年齢の違う、黒い髪をした中肉中背の男。
「な、なんなんですか? 貴方一体、本当に何者なんですか!?」
今の姿とは顔立ちすら似ても似つかない。若返ったという返しすら、通用しない全くの別人がそこに居た。
同時にサーニャは、ピースがどうして悪夢から抜け出せたのかを悟る。
全く違う理で生きていたのであれば、夢の世界に違和感を抱いていてもおかしくはない。
けれど、幻影で映し出された姿には依然として理解が示せなかった。
映し出されたのは椅子に腰掛けながら、机の上に設置されている奇妙な板を真剣な眼差しを浮かべる壮年の男。
右手が持っている半球状の道具が何なのか判らない。故にどうして暴かれたくない姿なのか、全く想像が付かなかった。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「え? ええ!? これ、見られたくない姿だったんですか!?」
困惑をするサーニャとは裏腹に、ピースへの効果は覿面だった。
もしかするとこの状況そのものではなく、本当に隠したいものは壮年の姿。
彼の真実が暴れた事自体に、拒絶反応を示しているのかもしれないとサーニャは推察する。
だが、その予想は全くの的外れだった。
ピースは仲間には自分の正体を話している。今更、生前の姿を見られてもどうとは思わない。
故に、知られたくなかったのは映し出された状況そのものだった。
「ピ、ピースさん?」
「なんでもないです! なんでもないですから!
アメリアさんは、早くオリヴィアさんとトリスさんを!」
「はっ、はい!」
悲鳴にも近いピースの怒号を前にして、アメリアは我へと返った。
想定外の状況に、サーニャの思考もマトモに働いていない。蒼龍王の神剣で悪夢を断つ、絶好の機会だった。
(ダメだ。絶対に、師匠には知られたくない)
我ながら最高の切り替えしをしたと思う一方で、ピースの心臓は張り裂けそうなほどに脈打つ。
アメリアもサーニャも、投影されたものを見て判らないのが不幸中の幸いだった。
真実を知られてしまえば、ピースは恥ずかしくて生きていられない。
『嫉妬』の幻影によって暴かれたピース。もとい、風祭祥吾の姿。
それは、パソコンの前で成人向けサイトを真剣な眼差しで吟味している姿だった。
独りで誰にも見られていないからこそ許される姿を晒される。これ以上の恥辱はないとさえ思う。
「お前っ! やっていいことと、悪いことがあるだろうが!」
「そんなこと言われましても! せめて説明してくださいよ!」
「出来るか!」
ピースは魔力を全力で解き放ち、『嫉妬』の背中に突き刺さる『羽』を引き抜いた。
顔を引き攣らせる『嫉妬』だが、関係ない。ピースもそれ以上に、顔を引き攣らせているのだから。
彼がここまで必死になる理由は、もうひとつある。
幻影が投影した光景は、静止画ではない。動いているのだ。
つまり、ここから先の光景を開けっ広げにされる危険性を孕んでいる。
(ダメだダメだダメだダメだ! 絶対にブチ壊す!!)
まだ誤魔化しは利く。けれど、時が進んでしまえばもうどうしようもない。
というか、下手をすればアメリア辺りは一生よそよそしいかもしれない。そうなったら流石のピースも、死にたくなる。
蒼龍王の神剣でオリヴィアとトリスが目を覚ませば、状況は更に悪化する。
自分の居場所全てが一瞬にして消え去る。そんな可能性が、ありありと目に浮かぶのだ。
「うっおおおおおおおおお!」
『羽・強襲型』へ目一杯の魔力を注ぎ、更に自分は颶風砕衝を放つ。
瞬く間に渦巻く風の群れは、風祭祥吾の幻影諸共周囲を破壊していった。
「そこまでして隠したい過去……!?」
異様なまでの気迫は、サーニャの興味を惹きつけた。
彼の過去を掘りだせば、何か面白い物が見られるかもしれない。
同時に思い浮かんだのは、彼らの持つ魔導具の存在。
特に、見た事のない道具を真剣に見つける彼の姿が印象的だった。
ひょっとすると、異常な速度で発達を続けている魔導具へと繋がるヒントに成り得る。
そんな淡い期待を前にして、彼女は『嫉妬』を前へと進ませる。
「『嫉妬』、その竜巻を破壊しなさい」
言われるがまま、『嫉妬』は颶風砕衝を抱きかかえる。
己の身体が傷付く事も厭わず、魔力によって生み出された竜巻を握り潰していく。
その先に立つのは、先刻の不思議な過去を持つ少年。
「さあ、もう一度貴方の過去を――」
「やめろ! マジでふざけんな!」
死んでも眼を合わせるものかと、顔を背けるピース。
次の瞬間、『嫉妬』の拳が少年の小さな身体へと打ち付けられる。
「何を勘違いしているんですか? 貴方に拒否権はありませんよ。
いいから、過去を見せてくださいよ」
腫れあがったピースの頬など全く気にする様子もなく、彼の髪を鷲掴みにするサーニャ。
無理矢理に目を見開かせ、『嫉妬』の左眼と合わせようとした瞬間。
氷の矢が一本、自分達へと向かって放たれる。
「っ! 『嫉妬』!」
凍撃の槍が届くよりも先に反応をしたサーニャは、『嫉妬』に防御をさせる。
僅かに凍り付いた『嫉妬』の表面。その氷がボロボロと落ちる向こうに立っていたのは、オリヴィアの姿だった。
「あー……。ほんっっっとうに、ひどいもの見せてくれましたね。
この借りは、絶対に返しますから」
げっそりとした表情で、恨み節を呟くオリヴィア。
彼女から遅れて、トリスもその身を起こしていく。
「あら、お目覚めですか」
あのまま寝ていてくれればよかったのにと、サーニャは吐き捨てるように呟いた。