367.『嫉妬』との再会
アルマとサーニャが行動を起こす少し前。
適合者、そして『強欲』との戦闘を終えたアメリア達は戦闘の緊張から解放されていた。
「オリヴィア、ありがとうございます。おかげて助かりました」
「そんなに謙遜しなくても!
お姉さまなら、あのままでも勝てたでしょうに」
戦闘を終え、気絶したアルジェントの元へ皆が集まる。
アメリアの援護にもなったと、ニコニコとオリヴィアはこの時点では笑みを浮かべている。
邪神の適合者との戦いを終えた直後とは思えない和やかな雰囲気。とはならなかった。
「……ところで、ピースさん」
「はいっ!」
明らかに低くなったオリヴィアの声。この先に何が待ち受けているのかを、ピースは理解している。
まだ直接何も言われていないにも関わらず、彼は背筋をピンと伸ばしていた。
「妖精族の里でスネてウジウジして、ミスリアでは焦って先走って。
それで、死に掛けたところでトリスさんに救けてもらったんですって」
「はい……」
事の成り行きをトリスから聞いたオリヴィアは、呆れ返っていた。
気持ちが逸るのは理解できる。自分だって、祖国がずっと危機に陥っているのだ。
本心では彼よりも遥かに、穏やかな胸中ではない。
勿論、ピースが一生懸命動いてくれている事には感謝している。
それでもやはり、湧き上がる怒りを抑え込む理由にはならなかった。
「いいですか? そりゃあ、各自の判断で動くことはたくさんありますよ。
でも、拗ねたり焦ったりするのは別の話じゃないですか。
しかも手当たり次第、女性にちょっかいかけてますし。ベルさんに言いつけますよ?」
「ちょっ……! 最後のは誤解ですけど!?
ここを終えたら港町で、スキンヘッドの様子を確かめるつもりでしたけど!?」
確かにオリヴィアの言う通り、ウェルカの冒険者ギルドには顔馴染みの受付嬢がいる。
彼女は冒険者にも人気が高いし、自分も担当して貰えるならセレン一択だ。
けれど、あくまでそれはそれ。
世話になったという意味では、セレンも港町のゴーラも同様だ。
彼の安全を確保したいと言うのも、本心だった。
尤も、港町に関しては既に焦りはない。
港町に発生した魔物はトリスの仲間が対応してくれていると聞かされたからだ。
だからこそ、この森での対応に専念する事が出来た。
「はぁ、そのスキンヘッドはよく知りませんが。
で、あなたの危機を救ったトリスさんを逃した時に居合わせたのもピースさんなんですよね」
「あれは本当に偶然だ……。というか、やはりお前疑ったままじゃないか」
浮遊島で自分を逃がしてくれたのは確かにピースだが、間に『怠惰』の男を挟んでいる。
そう親しくなるような時間もなかったと、トリスは弁明をした。
「だって、ピースさんは結構女好きですもん。
ベルさん一筋みたいな顔してますけど、人魚見たさにカタラクト島へ行くぐらいですし」
「少年……」
「いや、その……」
若干引いているトリスの視線が痛々しい。
ばつが悪くなったピースは、思わず顔を背ける。
マレットへ好意を寄せている件が共通認識のように語られている件も勿論だが、カタラクト島に同行した理由まで暴露されてしまった。
「ジーネスと意気投合するのも納得が行ったが……。
私が寝ている間に、変なことをしていないだろうな?」
「待ってください! 色々誤解です!」
完全なる風評被害を前にして、ピースは反射的に否定をする。
再会してから今が一番好感度が低いだろうと、確信すら覚えてしまっていた。
「そういえば、『怠惰』のひとはスケベオヤジだったんでしたっけ?
お姉さまが被害に遭わなかったのは何よりですが。
トリスさん、中々に男運がなさそうですね」
「待て、オリヴィア! 確かにジーネスはどうしようもない男だが、私にとっては完全に悪とも言い切れなくてだな!
それに、男運が無いというのも誤解だ! それだけは言い切れる!」
「ほう……」
小さく握った拳を口元へ当てているにも関わらず、オリヴィアの口角が上がったのをトリスは感じた。
この瞬間、矛先は自分へ変わろうとしているのを彼女は実感する。
「言い切れるってことは、何かあったってことですよねえ?
そのジーネスさんとやらですか? それとも――」
「いい加減にしなさい、オリヴィア」
ピースへの憤りはオリヴィアの気持ちが理解できる。
けれど、それ以上はやりすぎだと、アメリアが妹を嗜める。
「でも、お姉さまも興味ありませんか?」
多少下衆な質問をしてしまった感は否めないが、オリヴィアは純粋に知りたかった。
世界再生の民に離脱して、一命を取り留めたにも関わらず。
彼女が再び、ミスリアへ現れた理由を。
「……オリヴィア」
「はい、すみません……」
けれど、それはそれとして人の色恋沙汰を探る必要はない。
アメリアの圧の前に、オリヴィアは小さくなる。
「アメリア様。オリヴィアの話はさておき、私がミスリアへおめおめと戻ったのには理由があります」
「でしょうねぇ」
「オリヴィア」
茶々を入れるオリヴィアに、アメリアが釘を刺す。
トリスは深呼吸を一度した上で、自分が恥を忍んでミスリアへ舞い戻った理由を語り始めた。
……*
トリスは話した。難を逃れた自分がティーマ公国に救われた事を。
人間と他種族が手を取り合っていける世界。そんな幸せな世界すらも、悪意に蝕まれようとしていた事を。
そして紆余曲折の末、自分が神器のひとつ。賢人王の神杖の継承者と成った事を。
「吸血鬼族。そんな伝承上の魔族ですら、アルマ様たちは……」
アメリアは神妙な顔付きでトリスの話を聞いた。
突拍子もない話にも関わらず受け入れられたのは、ここ数ヶ月で起きた変化があまりにも大きすぎたからだろうか。
「世界再生の民は、きっとこの世界を悪意で埋め尽くそうとしています。
虫のいい話だとは思いますが、どうかティーマ公国を。ライル殿やベリアたちを――」
「トリスさん。貴女がミスリアへ訪れた理由は分かりました」
アメリアは確実に広がっている悪意に、胸を痛めた。
自分が護ってきたと自負していた国は上っ面だけで、そこに真実は存在していなかったのだと改めて思い知らされる。
それどころか、祖国が原因で世界中が混沌に巻き込まれようとしている。
今度こそ、本当に護りたい。
ミスリアだけでなく、誰かの大切なものを護ろうとしている人たちのように。
「ミスリアの方針は兎も角、私はトリスさんの願いを叶えたいと思います。
それに、私たちには頼りになる仲間がいますから。
シンさんやフェリーさん。妖精族の里のみなさんにも、伝えようと思います」
トリスの話によると、商船の乗組員は獣人で構成されている。
レイバーンをはじめとする魔獣族の民が同盟に居る事は、アメリアにとっても心強かった。
「……ありがとう、ございます!」
感無量の余り、トリスは下げた顔を上げる事が出来なかった。
絞り出すような声。自然と溢れる涙。自分にとって、本当に大切なものなのだと改めて実感させられる。
「トリスさん、よかったですね」
「ああ……」
先行して話を聞いていたピースが、喜びを分かち合おうと近付く。
だが、トリスは彼の手をつい避けてしまう。ジーネスの顔が、ピースの顔と重なって見えてしまっていた。
「……なんで、避けるんです?」
「すまない。君に悪気がないのは分かるのだが、どうしてもジーネスが頭を過ってな……」
「それは本当に不本意なんですけど!」
「だがな! ジーネスもカタラクト島で人魚を見たがっていたんだ!
やはり、君たちは逢うべくして逢ったんだ!」
意を唱えるピースと、確実にそうだと言い張るトリス。
珍しい光景ではあるが、悪くはないとアメリアは見守っていた。
「トリスさんの件は、私から陛下とフローラ様へ伝えます。
もしもの時は、オリヴィアにも協力を――」
とはいえ、トリス自身の身の安全は保証されていない。
神器を持っているとはいえ、ミスリア預かりの物でもない。
彼女の扱いを慎重に決めるべく、オリヴィアへ語りかけるアメリア。
その時、彼女は漸く気が付いた。途中からオリヴィアが茶化す様子が、一切無かった事に。
「――オリヴィア?」
いつになく真剣な表情のオリヴィア。決してその視線の先は、気絶しているアルジェントなどではない。
よく見れば額から冷や汗が伝っている。乾いた唇を軽く舐め、オリヴィアはその小さな口を開いた。
「お姉さま、みなさん。まずいです」
アメリアは勿論、ピースとトリスも彼女の言葉へ耳を傾ける。
普段は飄々としている彼女が、張り詰めた声を出す時。
それは往々にして、重篤な状況が迫りつつある事を意味していると知っているからだった。
「わたしの分身が破壊されました。相手は……アルマ様です」
一瞬にして空気が張り詰める。
流水の幻影による分身は、オリヴィア同様に魔術が放てる。
並の者では、そもそも分身にすら勝つ事は難しい。
だが、分身が破られた事実よりも重要な情報がオリヴィアの口から放たれる。
アルマ・マルテ・ミスリア。ミスリア第一王子にして、世界再生の民の頭目が、すぐ側にまで来ている。
「アルマ・マルテ・ミスリア……」
未だ逢った事のない男の名を、ピースは呟く。
邪神に纏わる戦いの中。彼は自らが王となる為に悪事に手を染めた。
どうして彼が王都ではなく、東部の森へ姿を現しているのかは解らない。
自分達が思っているよりも、この地は大きな意味を持っているのだろうか。
邪神の脅威はまだ去っていない。ピースは自然と、固唾を呑んでいた。
「アルマ様が、どうして……」
「トリスさん、心当たりは?」
「すまない、分からない」
アルマを知っているアメリア達の同様は、ピース以上だった。
オリヴィアがトリスへ連想するものを求めたが、トリスは申し訳なさそうに首を横へ振った。
「ですが、これは好機です。アルマ様を抑えてしまえば、世界再生の民も邪神をこれ以上呼び起こす理由が無くなりますから」
予想だにしなかった展開を、アメリアは好機と捉えた。
リシュアンやトリスの話から察するに、アルマの目的はあくまでミスリアの王となる事。
その上で、邪神を自らが討って力を誇示しようとしている。
アルマ自体を抑えてしまえば、目的は達成されない。
「ま、そうなるって分かりきってましたけどね」
戦いを終わらせる機会だと、士気上げようとする中。
アメリアやオリヴィアにとってよく知った声が、乾いた空気に響き渡る。
見慣れた侍女服ではないが、ひらひらとしたスカートを見に纏った女性。
ベージュの髪の奥では、左眼が眼帯で覆われている。
それでも、見間違うはずがなかった。
フォスター家で共に過ごした時間が、思い出が。今でも脳裏に焼き付いているのだから。
「サーニャ……」
「はい、お久しぶりです。アメリアお嬢様、オリヴィアお嬢様。
オリヴィアお嬢様なんて、お腹に穴が開いたでしょうに。大丈夫でしたか?」
白々しいサーニャの態度に、オリヴィアは奥歯を噛み締める。
呑まれてはならないと、彼女はフンと鼻息を荒くした。
「ご心配なく! 妖精族の治癒魔術で、元よりキレーにスベスベにしてもらいましたから!」
「まあ、それはよかったですね! ワタシも一度、ご相伴に預かりたいものです」
精一杯の強がりを、サーニャは難なく受け流す。
オリヴィアの奥歯がまた強く噛み締められていた。
彼女はいつもそうだ。自分以上に掴みどころがない。
このまま話している事さえ、彼女の思い通りかもしれない。
現に、全員の視線がサーニャへと寄せられている。
同時にアルマを探し求めたが、彼の姿は見当たらない。
「……サーニャ! アルマ様が居るのは分かってるんです!
隠れて不意打ちを考えていてもら無駄ですよ!」
サーニャに刺された時同様、不意打ちされないとも限らない。
先手を打って釘を刺したいオリヴィアだったが、彼女の様子を前にサーニャは鼻で笑っていた。
「アルマ様は大事な用事がありますから。みなさんは、逢うことがないからお気になさらず」
「どういう――」
不敵な笑みを浮かべるサーニャを前に、オリヴィアは眉を顰める。
だが、もう遅かった。
眼帯を外したサーニャから、妖しく光る柘榴色の左眼が露わになる。
次の瞬間。オリヴィアだけではなく、ピースやトリスさえもその場へと崩れ落ちていった。
「ううん……。やはり、アメリア様は無理なのですね」
ただひとり。咄嗟に蒼龍王の神剣を構えたアメリアだけが自分と向き合っている。
予想通りとはいえ、些か悔しいものだとサーニャは眉を下げた。
「サーニャ。一体何を、したのですか……?」
「アメリアお嬢様。いつも可愛らしいのに、そんなに怖い顔しないでください。
ワタシは夢を見せてあげているだけですよ。少しばかり、怖い夢を」
「……サーニャ!」
そう言って笑みを浮かべるサーニャは、アメリアの知らない彼女だった。
柘榴色の左眼。瞬く間に倒れた仲間。邪神の適合者である事は疑いようがない。
旧知の仲だろうと一刻も早く倒さなくてはならない。
能力が分からない以上、一切の手加減は出来ない。
アメリアは蒼龍王の神剣を、自然と強く握りしめていた。