363.『強欲』強襲
瑪瑙の右腕を持つ、『強欲』の適合者。
クスタリム渓谷で戦ったシン達から、ピースは能力の概要を聞かされている。
また、トリスも世界再生の民に所属していた際に接収に触れた事がある。
彼が札に封印を施した魔術の一部は、トリスが放ったものでもあるのだから。
魔力を有するものを自らの力へと変えてしまう右手。
魔導具である翼颴を扱うピース。魔術師のトリス。
双方にとって、非常に戦い辛い相手と相対する事となる。
「トリスさん。実際問題、どうします?」
翠色の刃を形成しながら、ピースはトリスへ問う。
トリスも賢人王の神杖を構えて臨戦態勢を取ってはいるものの、ピースと同じ問題で頭を抱えていた。
「耳にしているようだが、奴の能力は魔力を扱う者にとっては天敵に等しい……」
「あのおっさんみたいな人がいればってことですね……」
事実、魔力を無効化する『怠惰』の持ち主。
あのだらしない男ならば、自分達のように悩む事はないのだろう。
ピースは同時に、シンの姿を思い浮かべる。
彼らの様に下地が鍛え上げられた己自身でなければ、相当に相性が悪い。
けれど、彼らはこの場にいない。無い物ねだりをしている場合ではなかった。
「シンさん曰く、札の封印と解放は同時に出来ないとか」
「成程。どうやら、その隙を突くしかないようだな」
ぼそぼそと策を練り続ける二人を、アルジェントが待ち続ける理由はない。
考えが纏まりきるよりも早く、彼は札から魔術付与された魔導具を解き放つ。
「いつまでもチンタラ話し合ってんじゃねェよ!」
右手の札から具現化されたのは、切先から魔力を放出する魔剣。炸裂の魔剣。
消費した魔石に変わって組み込まれたのは、マーカスによって再現された魔導石。
流通品程度の性能で、マレットの造ったものからすれば数段劣る代物。
だがそれは、あくまで魔導石同士を比べた場合の話。
炸裂の魔剣は、魔導石によってその性能を大きく変えた。
「いくぜェ……ッ!!」
魔剣の刃が森へと触れた瞬間。樹との間で巨大な爆発が起きる。
粉々に砕けた木々の破片が爆風に乗りながら、ピースとトリスへ襲いかかる。
「いくらなんでも、無茶苦茶すぎるだろっ!」
大小様々な木片が高速で飛び散る。巻き上がる土煙が、アルジェントを視界から消した。
彼の姿。正確に言えば『強欲』の右手を見失う事だけは避けたい。
ピースは咄嗟に、翼颴から『羽』を分離する。
「まずはこの邪魔なヤツを!」
ピースが思い出すのは、移動の時に『羽』でボードを作った感覚。
二枚の刃で薄く伸ばされた風の刃が木片を刻み、更に二枚の刃を持って土煙諸共風を吹き飛ばす。
「よくやった、少年!」
拓けた視界の先に、剣を振り切ったアルジェントの姿を捉えた。
絶好の好機と言わんばかりに、トリスは彼の足元へ魔術を放つ。
「六花の新星」
賢人王の神杖を通じて放たれた氷の魔術が、大地を凍り付かせていく。
アルジェントが魔術さえも奪い取るといっても、あくまで右手で触れたものに限定される。
足元への魔術ならば、彼は否が応でも意識を下へ向けざるを得ない。
奪われる事も厭わない。全てはアルジェントを倒す為の布石。
「へェ、トリスっち。暫く見ない間に強くなってんじゃん」
以前の彼女ならば、氷の最上級魔術をこんなに簡単に繰り出せはしなかった。
死んだと思えば、実力を大幅に上げて舞い戻ってきた。その先に、彼女が手に持つ杖が関係しているに違いない。
他者の上積みを奪ってきた『強欲』の男は、目敏くも賢人王の神杖に照準を合わせた。
「けど、まァ。魔術はムダって分かってんのに。
ご苦労様なこって」
アルジェントは炸裂の魔剣を真上へ放り、右手を空にする。
そのまま屈んでは、自らへと迫り来る六花の新星へ手を翳した。
「じゃ、トリスっちの渾身の魔術。頂くぜェ」
「……構わない。私たちは代わりに、お前の命を頂く」
六花の新星が札へと封印された瞬間。トリスの表情は一切の歪みを見せていない。
凛とした表情で、確かに「命を頂く」と言ってのけた。
賢人王の神杖を手に入れてから、確かに自分の魔術は強化された。
それでも、今の自分では氷の最上級魔術である六花の新星を詠唱破棄してまで威力を保つ事は出来ない。
自分の実力不足を把握しておきながら、トリスが敢えて最上級魔術を選択した理由。
それは、アルジェントに札へ封印する価値があると思わせる事だった。
結果として、トリスの目論見通りに事は進んだ。
アルジェントは六花の新星を手に入れた代償に、その身を屈ませた。
俊敏な動きが封じられた一瞬。
彼の脳天を貫くべく高速で落下をするのは、ピースの『羽』。
接収を持つアルジェントは、こちらの戦力を奪い取る。
短期決戦を狙った二人の策は、短期による決着。
炸裂の魔剣によって爆風が巻き起こった瞬間。
ピースは六枚の『羽』の内、四枚を使って視界を拓いた。
残る二枚は土煙に乗じて上空。アルジェントの死角へと運ばれる。
そこから先はトリスの仕事だった。
アルジェントの意識を上ではなく下へ向ける為に、大地へ六花の新星を放つ。
短い共闘だが、互いの得意とするものを熟知した結果によるコンビネーション。
タイミングに誤りはない。ピースもトリスも勝利を確信した瞬間。
不適な笑みを浮かべるのは、アルジェントだった。
「甘ェっての」
アルジェントはクスタリム渓谷でシンから受けた屈辱を根に持っていた。
死角から自分を狙う武器はないだろうかと、常に思考の容量を割くようになった程に。
だからこそ、気が付いた。
自身が生み出した爆風を吹き飛ばした翠色の刃。
本体から分離したと思われるそれが組み合わさった時、形が元通りにならないのではないかと訝しむ。
トリスが即座に魔術を放った事により、懸念は確信へと至る。
どこかに刃を隠し持っていると判断した彼は、敢えて敵の策へと乗る。
ただし、自分の思い描いた結末へ誘導をする為に。
手から離れた炸裂の魔剣だが、魔導石を搭載した事により魔石を消費する必要がなくなった。
思い切った使い方が容易になり、今回もその性能を信頼したからこその行動。
放り投げられた炸裂の魔剣は、未だ形を保っている枯木へ触れる。
それは新たな爆発を生み出し、迫り来る『羽』の軌道を僅かに逸らした。
「なっ……!?」
地面へと突き刺さる二枚の『羽』。
まさかこんな方法で回避をするとは思ってもみなかったと、ピースは驚嘆の声を上げる。
だが、ここで攻撃の手を緩める訳にはいかない。
ピースは残る四枚の『羽』による多角的な攻撃を試みる。
「遅ェ」
アルジェントはそこまで自由にさせるつもりはないと、右手の札から魔術を解放する。
中身は当然、先刻封印をした六花の新星。
凡ゆるものを凍てつかせる吹雪は、『羽』どころかピースとトリスすらも巻き込もうとしていた。
「くそっ!」
六花の新星を回避するべく、ピースとトリスは左右へ跳ぶ。
この時点で二人に距離が生まれた。小賢しい相談事をされる前にと、アルジェントは追撃をする。
「オラァ! どんどん行くぜェ!」
放り投げた炸裂の魔剣は、爆発の反動で離れた位置へ転がった。
取りに行く暇はないと判断したアルジェントは、新たに札を取り出す。
解放された札から現れるのは風の魔術付与が施されたナイフ。
肉を割く風の刃を以て、アルジェントはトリスへと接近する。
「トリスさん!」
ピースは直撃を避ける為とはいえ、左右に避けた事を悔やむ。
純粋な魔術師であるトリスは、アルジェントと頗る相性が悪い。自分は離れる訳にはいかなかったと。
どうにか彼女への接近を防ぐべく、ピースが『羽』を構えた瞬間。
彼の視界にいっぱいに、異形の存在が姿を現す。
白い胸板に金銀、瑪瑙。悪趣味な四肢を持つ怪物。『強欲』だった。
「子供は子供同士、遊んでろ」
自分の目的はあくまでトリスの持つ杖。
ピースの持つ魔導刀は後で回収をすればいいとアルジェントは考える。
故に彼へ遠慮はしない。邪神の分体を顕現させ、力でねじ伏せる事を選んだ。
「これは、邪し――ッ!?」
身の毛がよだつ感覚。本能的にこの怪物が一番危険だと理解した。
トリスへの援護どころではない。まずは自分が『強欲』を対処しなくてはならない。
そう考えた瞬間には、既に『強欲』の攻撃を受けていた。
(なんだ、これ……っ!?)
咄嗟に翼颴で受け止めるも、延々と伸び続ける棒状の何かが自分を遠くへ突き放す。
後ろへ飛ばされながらもその正体を確かめるべく、ピースは目を凝らした。
結果、この棒はいくつもの層で構成されている事が窺えた。
ピースは共有された『強欲』の能力を思い出す。
確か、魔力を以て適合者が奪った物を再現する複製だったと聞かされている。
加えて、クスタリム渓谷での戦いは一部始終を教えてもらった。
最後に適合者が火山の噴火を促すべく、地層を札へ変えていた事も。
(そうか、その時の――)
魔力を以て引き抜いた地層を再現しているなら、相当な長さになっている。
このまま押されて続けるのはまずいと、ピースは翼颴の刃から風を生み出した。
「マジか……」
突きから逃れたピースだったが、気が休まる暇はない。
続く『強欲』の攻撃は、頭上から。
だが、『羽』による奇襲を試みた自分とは規模が違う。
同じくクスタリム渓谷で接収によって奪った氷の足場。
避けきれない程巨大な氷塊が、ピースへと降り注がれる。
一方、トリスの持つ杖を狙うアルジェントは身軽な動きで距離を詰めていく。
魔術で応戦をするトリスだが、強力な魔術は却って相手を強化してしまう。
尻込みをした結果、アルジェントのペースへ持ち込まれていた。
「トリスっち! ビビってんなァ!」
「う、煩いっ!」
挑発に乗るまいと振る舞うトリスだが、その時点で彼の術中へと嵌っていた。
魔術を確実に当てようとするあまり、放つ事すらままならなくなる。
アルジェントとの距離がゼロになるまで、そう時間は掛からなかった。
「くっ!」
「おいおい、トリスっちが殴りかかっても怖くねェよ」
杖で応戦するトリスを軽くいなし、脇腹へ一撃を加える。
彼女が蹌踉めく間、魔術の源泉となっている杖を手に入れるべく、アルジェントは手に触れた。
「――ッ!」
その瞬間、アルジェントとトリスの腕に尋常ではない重みが加わる。
認められていない者が神器を扱おうとする際に起きる、拒絶反応。
「トリスっち、お前さん……」
アルジェントは目を丸くした。まさか、彼女の持つ杖が神器だとは思わなかった。
どこまで彼女は変わっているのだろう。何があったのだろう。
今までで一番、トリスへ興味を持った瞬間かもしれない。
「離せ! 貴様のような者に、この杖は渡せない!」
「……だろうなァ。オレっちも神器はいいや」
本来であれば、神器はアルジェントにとって扱えない代物。
札にも変えられないのであれば、奪う事すら出来ない。
「けどよ、邪神に魂を売ったトリスっちが選ばれるとは思わなかったぜェ。
これって、世界再生の民の奴らもいずれは認めて貰えるんじゃねェの!?」
「痴れ者が! そんなわけがないだろう!」
「わかんねえだろがよォ!」
所有者であるトリスごと世界再生の民へ連れ帰れば、様々な情報が得られるかもしれない。
上手くいけば、自分達が神器を扱う事さえも。
まずはトリスの心を折り、連れ帰る。その一心で、アルジェントは彼女を痛め続けた。
「く……!」
アルジェントに全く歯が立たないトリスは、悔しかった。
神器を手に入れても、自分は何も変わっていない。
守りたい者があると意地を通す事しか出来ない。それさえも、気持ちだけではどうにもならない。
「絶対に、私は折れない……!」
「あァ、そうかい! なら、我慢大会だなァ!」
アルジェントが取り出した札から放たれるのは、大量の紅炎の槍。
身を焦がす炎の矢が彼女へ襲い掛かる。
「すまない。ライル殿、ベリア。――ジーネス」
力が及ばない事を悔やんだその瞬間。
魔力の障壁が、炎の矢を弾く。
「状況がさっぱり飲み込めないんですけど、とりあえずそっちが敵ですよね」
「お前は……」
自分を守るように放たれた障壁は、ピースの操る『羽』と酷似していた。
そして、それを操るのは青い髪を靡かせる少女。トリスは彼女を知っている。
「てめェは……」
「わたしはお前とかてめえとかじゃありません。
オリヴィア・フォスターですよ、まったく」
魔術学校始まって以来の天才児であり問題児。
オリヴィア・フォスター。彼女が戦場へ、辿り着いていた。




